(32)雨、コーヒー、元の生活
屋敷を出て歩き出してから、一夜は懐中時計を取り出して時間を見た。駅までは約5キロある。バスは丁度いいのがあるだろうか。なかったらまあ歩いてもいいが。
汽車で今度は東に行こう。
ここは一番大きな街だし本当は別にこの街にそのままいてもいいのだが今はなんとなくそうしたかった。
東にある街に行ったら、叔父の所に行こう。そしてできたら居候させてもらおう。
バスは午前の便に間に合った。
そして駅前で適当に買い食いして時間を潰し、汽車に乗る。
大体2時間程度で目的地に着く。
空は曇っていた。
早くオッサンの家に着かなければ。
そうして街を歩いている内に雨粒がポツリと顔に当たった。振り向いて言う。
「おい威咲、雨…」
一夜は立ち止まってしまった。
後ろには誰もいない。一人なのだ。つい癖で話しかけてしまった。
「何やってんだ…」
小さな呟きは空気に溶けて消えた。
ようやくオッサンの家に着いてチャイムを鳴らす。
「はい」
ややあって返事がする。
「どちら様?」
「オッサン、一夜だよ」
「一夜?」
ガチャン。ドアが開き嬉しそうなオッサンが顔を出した。
「本当だ、久しぶりじゃないか。よく来たな、濡れただろう入れ」
一夜はほっとして頷いた。
オッサンの部屋は中に入ってすぐ居間で次が台所だ。
この部屋は元小店舗だったので玄関は無くてまずカウンターがあるのだ。カウンター席だけの店をやめて、隣の小さなアパート(オーナーが同じ)とくっつけて中から行き来できるひとつの建物にしたのだ。
オーナーの家はオッサンちの側の二階の半分で、他は貸している。オッサンちの部屋は元休憩部屋と物置だった部屋なので狭い。風呂もシャワーのみだ。
オッサンは乾いたタオルを渡してくれた。
「コーヒー飲むか?」
「うん」
上着を脱いで椅子にかける。
「どうして急に来たんだ」
「別に…なんとなく次はこっちに来ようかなと思って、ならオッサンのとこ行こうかなと」
「そうか。…そら、はいったぞ。で?こっちに住むのか?」
目の前にカップが置かれる。
「うん、それでなんだけど…できたらここ置いてくんない?」
「そうくると思ったよ」
オッサンは額に手をやりそう言った。
「それは別に構わないが、働けよ?」
「サンキュー!わかってる」
安心した顔をして一夜はカップを持ち上げた。
まったくしょーがねえなあ、とぼやきながらオッサンがほぼ物置と化していた部屋を簡単に片付けている。
一夜はコーヒーをすすりながら家の中を見回した。
ここに来るのは4年ぶりか。オッサンは母さんの弟で独身、昔からこの街で暮らしている。
故郷の家を出る時に連絡先があったので持って出た。それから4年後、この街に来る際に初めて立ち寄ってみた。
あの時も数ヶ月この家に住んだ。アパートよりいいから、金貯めるんだろう?と言って住め住め言われた。
懐かしさが込み上げる。
小さい時に会ったことがあったらしいが自分は覚えてなくて、最初のうちは緊張したこと。調理場で働いたことがあるオッサンから色々料理を教わったこと。今ではすっかり慣れて唯一の身内みたくなった。
「おい部屋できたからな」
そう言いながら出てきた。
「あれ、もう?飲んだら手伝おうと思ってたのに」
「大したもんもねえからな。チェケラ~」
席を立って部屋を見る。片付け前とあまり変わっていなかったがそれなりに整理整頓された感じになっていた。
「移動する先が無いからそのまま置いといてくれ」
「わかった」
コーヒーの残りを飲み、世間話になった。
その夜、脱いだ洗濯物を洗濯機に入れながらオッサンが居間の一夜に声をかけた。
「この雨に濡れた上着も洗うぞ」
「うん」
オッサンはポケットを確かめていった。すると内ポケットから1枚の紙切れが出てきた。
見ると、ありがと、と書いてあった。
「おい一夜、内ポケットからこんなのが出てきたぞ」
「?何も…」
何気なく受け取り表を見る。一夜の顔色が変わる。
「女の子か?」
「…」
一夜はそれを何も言わずにポケットに入れた。
勘違いしたのかオッサンがニヤリとして言った。
「振られたのか?」
「知らねー」
ぶっきらぼうな返事にオッサンは肩をすくめてみせる。
「やれやれ、久々に現れたら秘密主義、大人になったもんだ」
一夜は布団に仰向けに寝転がってさっきのメモを取り出してみた。かすれ声で呟く。
「ありがと…」
威咲の字だ。
メモを持ったまま額に腕を乗せる。
いつの間にかこっそり書いて入れておいたんだろう。
「…」
珍しく、誰にも見せないような情けない表情をした。
これは威咲なりの別れの言葉。
泣いた顔と赤くなってうつむいた顔が浮かんだ。笑顔、仕草、眠った顔…
「これでいい」
一夜はまたその台詞を小さく呟いた。
オッサン登場⭐この人好き。一夜は本当にこれでいいのかな。続きもよろしくです。




