7 そして終わり
私の不調は軽い脱水症状と睡眠不足が原因で、温かいスープと十分な睡眠のおかげで翌日にはすっかり回復していた。
数日が経ち歩き回れるようになったら、今度はアークに事件を事細かに報告する仕事が待っていた。とは言っても私が寝ている間にセルシルや子供たちが事件のあらましを話していたようで、私の報告は言わば事実確認だった。
応接室に、客人だというのに我が物顔で堂々と椅子に腰かけてハリアに紅茶を命じるアークと、それを食傷気味に眺めるガルヴェインとが陣取る。私は彼らと向かい合うように座った。
商人は、子供たちの証言に加え私の報告によりまず極刑は免れないだろう、というのがアークの見解だ。彼らの証言で、分かっている限りの“客”である役人も芋づる式に捕えることになるそうだ。
が、私には商人よりも子供たちの方が心配だった。
「子供たちの体調はどうなの? その、もしかして妊娠してる子とか……」
それが最も恐れていたことだった。恐る恐るアークに聞いてみたが、彼は首を横に振った。
「幸か不幸か、と言っていいのか分からんが、その点は心配はない。衛生面には気を遣っていたようで、医師が思っていたほどにはひどい健康状態の子はいないらしい」
とりあえずは一安心、といったところだろうか。
「あの、子供たちはこれからどうなるの?」
実はこちらの方が問題だった。孤児や親に捨てられた子なので親の元へ戻すというわけにもいかない。しかるべきところへ養子に出すのが一番だろうが、信頼に足る人物が簡単に見つかるとも思えない。最悪の場合はうちで引き取るつもりだったが、全員の面倒が見られる自信はなかった……
と、思っていたことが顔に出ていたのだろうか、アークはにやりと笑った。自信に満ちたその笑みは、私の杞憂などお見通し、とでも言いたげだった。
「その点については子供たちから直接聞こうか。実は表に控えさせているんだが、呼ぶか?」
「呼んで!」
いるなら最初から連れてきてくれればいいのに! 文句のひとつでも投げつけてやろうと思ったら、扉が突然開いてリオンとネリーが飛び込んできた。
「リオン! 大丈夫なの?」
「うん、これくらい何ともないよ!」
リオンの顔色は良く、笑顔にも張りがある。額に手を当ててみるが、熱は下がったようだった。
「あれからお医者様に診てもらって、お腹いっぱい食べて寝たら、みんな元気になっちゃった」
ネリーが明るく報告してくる。誇張や強がりではないと感じさせる迷いのない笑みだ。助けられたことで、精神的な不安が取り除かれて落ち着いたのかもしれない。
「ちょっとセルシル! 早くおいでよ!」
ネリーは振り返り扉の向こうへ声を投げた。消え入りそうなセルシルの声が聞こえてくる。
「で、でも……やっぱりこんな恰好じゃ……」
「もう! 早く!」
子供たちは外で戸惑っていたセルシルを強引に引っ張ってきた。
数日ぶりに見るセルシルは、二人の子供同様に血色も良く、幾分ふっくらしたようにも見えた。
それ以外何も変わっていないはずだった。
淑女のようなドレスを着ていることを除いては。
「……あれ? せ、セルシル?」
「ほ、ほら、やっぱりお困りじゃないか! こんな服装で……」
頬を真っ赤に染めて目を伏せるその子は確かにセルシルだが、私の知っているセルシルとは違っていた。確実に。
「やっぱり男と思ってたか?」
アークは呆けたままの私にニヤニヤと意地悪い笑みを向けてきた。医師から健康状態を聞いたアークはまだしも、少年の格好をしていたセルシルと救出の喜びを分かち合った様子を遠目で見ていただけのガルヴェインすら驚いた気配はうかがえなかった。
「ガルヴェインも知ってたの……?」
「痩せているとはいえ男と女では骨格が違うだろう。歩き方や筋肉の運びも違う」
そんなの気付くのアンタくらいだよ……。結局私一人で勘違いしていたのだ。思わず頭を抱えてしまった。
「で、でも何で男のふりを?」
恨みがましくセルシルに詰め寄った。彼……いや、彼女は照れもあってか俯いたままだった。
「申し訳ございません、従者様。騙すつもりはなかったのですが、申し上げる機会もなくて……」
「セルシルって中性的でしょ? そういうのをウリにしてもいいだろうって、あの変態オヤジが男として育てたの」
俯いてうまく言えないセルシルの代わりに、ネリーが飛びついてきた。
「結構徹底してたみたいでね、セルシルってば“前”の方は処女で―――」
「そ、そんなことまで言わなくていいよっ!」
私もセルシルも慌ててネリーの口を塞いだ。椅子に座って寛いでいる男二人を睨んだが、双方とも聞こえていないふりをしてくれた。
ハリアが持ってきてくれた紅茶を一口含んで、ゆっくりと喉を潤す。だいぶ気分は落ち着いた。
「それで、皆はこれからどうするの?」
ネリーやリオンが友の行く末を語ってくれた。ある子は子を亡くした夫婦の元へ養子に行くことになり、ある子は職人の元へ弟子入りするのだという。もちろん子供たちを引き受ける親の身元はきちんと調べた上でアークが良しと判断を下した人たちで、子供たちはしばらくの間は月に一度医師の元へ通院し、健康面や生活面を報告することを義務付けるそうだ。
ネリーは彼らを診察してくれた医師の要望で、看護師見習いとして住み込みで勉強するのだという。医師の話では、性的暴行を受ける子供たちは決して少なくなく、彼らの気持ちに共感出来るネリーはむしろ願ってもない人材らしい。ネリーも誰かの役に立てることが嬉しいようで、毎日張り切って勉学に勤しんでいると嬉しそうに教えてくれた。
リオンは、私が勝手に巻き込んでしまった古道具屋の主人マティスの養子になるそうだ。マティスの人となりはガルヴェインが太鼓判を押しているし、マティス自身が鞭打たれても弱音を吐かなかったリオンに惚れ込み、是非に、と申し出てきたらしい。
一通り彼らの身の上の心配はなくなり一息ついたが、肝心のセルシルは何も語っていなかった。
「セルシルは、どこか行くあてはあるの?」
「僕は……いえ、その……わたしは、来年には成人しますし、仕事なんていくらでもありますから」
「決まってないってことでしょう?」
「それは……その……」
どうせ自分を後回しにして、他の子を将来を安定させたのだろう。気まずそうに黙り込むセルシルの手をそっと握った。
「じゃあ、うちに―――」
「あ、ちょっと待った」
いらっしゃい、と出かかった言葉を中断させたのはアークの剣呑な一声だった。アークは椅子から立ち上がってセルシルの前に陣取った。
「どうだ、俺に師事する気はあるか?」
取られる、と思った時は遅かった。驚愕するセルシルの瞳の奥に、抑えきれない好奇心が既に生まれていた。
「お前は恐ろしく聡い。状況を瞬時に見分ける目、的確な判断力、冷静に対応出来る肝もある。逸材だ。俺の仕事を手伝う気はあるか?」
アークもどこか高揚しているようだ。キラキラと子供のように瞳を輝かせている。
「……僕は、字の読解も出来ません」
「お前ならばすぐに覚える」
「それに、卑しい身の上です。宰相閣下の評判を落としかねません」
「評判なんざ、これからいくらでもお前自身の実力で変えてやれ。そんなものでしか人を測れない阿呆どもを見返してやればいい」
「……ですが」
言い渋るセルシルの視線に合わせるように、アークは腰を落とした。
「どうしても辛かったら黒の竜の従者様を頼れ。なに、こいつは一度自分の懐に入れた奴なら全力で守るぞ」
アークが『黒の竜の従者』の名を出したことは効果的だった。私を見やったセルシルは覚悟を決めた風だったし、私だってそこまで褒められてしまうと文句も言えなくなってしまった。分かった上で言っているのだから余計に腹が立つ。
結局は「お願いします」と首を垂れるセルシルを止めることなど出来ない。未来の優秀な文官を見守るに徹する覚悟を決めた。
私が床に臥せっている間、キールレインの世話をガルヴェインが買って出てくれた。コツを掴んだのか開き直ったのか、あれほど恐れていた子育てへの抵抗が露と消え、抱っこする姿も板についてきているとのことだ。
今夜も得意気にキールレインを寝かしつけて、私たち夫婦の寝室へやってきた。既に私が横になっているベッドへ腰かけ、優しく頭を撫でてきた。
「あの子……セルシルといったか。随分お気に入りだったようだな」
颯爽とアークに取っていかれたセルシルの後見人の座を思い出してギリリと奥歯を噛む。
「すごく優秀な子だったから、ゆくゆくはサラフィナの右腕に……って思ってたのに」
すっかり男性だと思い込んでいたときは、もしお互い憎からず思い合えば未来の旦那様に、という可能性までうっすらと持っていた。ガルヴェインの家柄の恩恵にあずかって、養子に迎え入れれば国王の婿としても申し分はあるまい、と。
「尚更アークに師事した方が伸びるだろう。何が嫌なんだ?」
「アークみたいに口を開けば嫌味と皮肉しか出てこないような子になっちゃわないか不安」
私の言い分が冗談や軽口の類だと思ったのだろう。ガルヴェインは苦笑した。冗談なんてとんでもない。いたって本気だしものすごく心配だ。
「あいつに流されるような子ではないだろう? 心配なら会いに行けばいい」
「そうだけど……」
数日間だが、セルシルを理解した気になっていて、彼女の力になれるのは自分しかいない、という変な自信があったのだ。それを横からあっという間に掻っ攫われたことが腹立たしいだけなのだが、どうにも引きずってしまっていた。
しつこく不機嫌でいる私の頭をポンと軽く叩き、ガルヴェインは立ち上がった。
「とにかく今日はゆっくり休め。ようやくすべて片付いたんだ」
「……ん……ん?」
ガルヴェインはそのまま部屋を去ろうとしている。あれ?
「え、行っちゃうの?」
彼の言葉通り、すべてが片付いたからこそゆっくりと夫婦の時間を過ごそうと思っていたので、彼が何もせずに立ち去ろうとすることが驚きだった。あの! あのガルヴェインが!
大袈裟なくらい目を丸くした私に、ガルヴェインは気まずそうに頭を掻いた。
「……いくら回復したとはいえ本調子ではないんだ。しっかり休んだ方がいい」
「ええっ、だからって行っちゃうことないでしょ? 一緒に寝ようよ!」
もちろん「寝る」には隠語の方の意味も含めて誘ってみたのだが、ガルヴェインは眉をひそめたまま今度は腰に手を当て深ーいため息をひとつ吐いた。
「マナミ……元はといえばお前がもう少し控えろと文句を言って喧嘩になったのが今回の事件の発端だろう? もう忘れたか?」
「そ、それについてはごめんなさい。で、でも、久しぶりだし、ひとりじゃ寂しいっていうか……」
何しろ数日間一人で暗い床下で過ごしていたのだ。人恋しくてガルヴェインのぬくもりを感じたいし、仲直りの意味も込めて愛を育みたい気持ちもある。
もごもご呟いていたら、ガルヴェインが再びベッドへ腰を沈めてきた。向けられた瞳には燃え上がる野獣が潜んでいる。
「お前が焚き付けたんだ、覚悟はいいな?」
返事の代わりに唇に噛みつくようなキスをくれてやった。
それから近い未来―――
女王サラフィナはひとつの学校の建設を命じた。シルダーク王国の民であれば、身分、貧富の差を問わず等しく入学出来る王立学校であった。まったくの無料というわけにはいかないが、他の私塾に比べれば良心的な授業料金が圧倒的に平民に支持された。国から授業料を借り、卒業後に返済していく「奨学金」と呼ばれる制度も話題になり、貧しくとも学習意欲のある有望な若者がこぞって入学を希望した。
その学校の校旗に刻まれたエンブレムは深い青色の竜を模したものである。それが何を意味するのかを入学式当日期待に胸を膨らませた若者に滔々と説明するのが、歴代の校長たちのひそやかな楽しみになっている。
これにて続編『天からの啓示』は完結となります。
続編というにはかなり短めですし、話の内容も人を選ぶようなものでしたが、ご覧になってくださった方、お気に入りに登録してくださった方にお礼を申し上げます。ありがとうございました!
セルシルの性別に関しては最初から決めておりましたが、最後までどうしようか悩んでいました。
女性にする意味はないかな、とも思いつつ、やはり初志貫徹で女性ということにしました。
『天からの~』はとりあえずこれで完結とし、今後は気が向いた時に番外編の短編を細々と書いていくつもりです。
今までのご愛読、ありがとうございました!




