十四話
白塔の襲撃から二日後。王都は変わらない。人は歩き、店は開き、冒険者は依頼を選ぶ。何も知らない者にとっては、ただの平穏な一日だ。
ギルドの中も同じだった。いつも通りの喧騒。笑い声。椅子を引く音。依頼書をめくる音。
ただ一人を除いて。
レインだけが、何もない空間を見ていた。
「……どうした」
ガレスが声をかける。
「少し出ます」
それだけ。
「どこにだ」
「すぐ戻ります」
軽い返事。いつも通り。
エリシアもミアも、それ以上は聞かなかった。聞く理由がなかったからだ。レインがどこに行くのか、何をするのか。そんな発想すら浮かばない。
ただ、いつも通り外に出たと思った。
それだけだった。
⸻
王都の裏路地。昼間だというのに人がいない。音も薄い。歩くたびに、何かが剥がれていくような違和感。
レインは迷わず進む。曲がり、曲がり、また曲がる。似た景色の中で、ほんのわずかなズレだけを拾う。
やがて、行き止まり。
古い石壁。
前と同じ場所。
だが、違う。
開かない。
見えない壁が、確かにそこにある。
押しても、歪ませても、びくともしない。
完全に閉じている。
「中で閉じてるんですね」
レインは一歩、近づく。
指先を空間に触れさせる。
ほんの一瞬だけ、目を細める。
そして。
口を開いた。
音にならない音。
言葉にならない言葉。
この世界のどの言語にも属さない、意味だけが直接触れてくるような響き。
空気が震える。
空間が、理解できない形で歪む。
結界が拒絶する。
だが。
次の瞬間。
それを“理解した”。
拒絶が、許可に変わる。
鍵が、内側から外れる。
ひびが走る。
音はない。
だが、確実に開いた。
扉が現れる。
最初からあったかのように。
レインは軽く言う。
「鍵の掛け方が甘いですよ」
そのまま、扉を開けた。
⸻
白い空間。
机と椅子。
それだけ。
だが、その周囲には白塔の面々が並んでいた。前回より明らかに多い。
全員の視線が、一斉にレインに向く。
その中で。
頭領だけが、わずかに反応した。
ほんの一瞬の違和感。
「……どうやって入った」
低い声。
だが、わずかに揺れている。
レインは歩きながら答える。
「今度はこちらから、お邪魔しました」
軽い口調。
そのまま椅子に座る。
許可はない。
だが、止められない。
「結界を張った」
頭領が言う。
「はい」
「ここでは外は通らない」
「そうですね」
一拍。
「普通は」
空気が揺れる。
レインは立ち上がる。
「少しだけ、見せます」
その一言で、全員が構えた。
だが。
何も起きない。
音もない。
光も変わらない。
それでも、全員が気づく。
何かが変わった。
重い。
息がしづらい。
足が沈む。
「……っ」
一人が膝をつく。
次に、もう一人。
そして。
レインが一歩踏み出した瞬間。
全員の膝が、同時に落ちた。
叩きつけられるように。
床が鳴る。
ヒビが走る。
石の表面に、細い亀裂が広がっていく。
誰も制御できない。
立てない。
動けない。
理由が分からない。
頭領すら例外ではなかった。
両膝が床に落ちる。
歯を食いしばる。
それでも上がらない。
レインは静かに言う。
「私は、あなた達に二度と会いたくないのですが」
淡々とした声。
怒りもない。
ただ、拒絶だけがある。
「なので」
一拍。
「以後、関わらないと約束してもらえますか」
穏やかな言い方。
だが、選択肢ではない。
確認だ。
頭領が、かすれた声を絞り出す。
「……約束する」
その瞬間、わずかに圧が緩む。
レインは頷く。
「ありがとうございます」
それで終わりではない。
視線が戻る。
「約束しましたね」
静かな確認。
「破るようなことがあれば」
一瞬の間。
「白塔は、ただの白い瓦礫に変わります」
淡々とした事実のように言う。
誰も動けない。
その言葉が比喩ではないと、理解してしまったからだ。
頭領が目を閉じる。
拒否はない。
反論もない。
ただ、理解だけが残る。
「……撤退」
命令。
今度は迷いがない。
白塔の面々が消えていく。
最後に頭領が一瞬だけレインを見る。
恐怖ではない。
理解。
関わらない。
それだけを刻み、消えた。
⸻
レインは外に出る。
王都の音が戻る。
人の声。
風の音。
日常。
何も変わっていない。
⸻
ギルドに戻る。
扉を開ける。
中は、いつも通りだった。
「お、戻ったか」
ガレスが手を上げる。
「はい」
「どこ行ってたんだ」
「少し外に」
「そうか」
それで終わる。
エリシアもミアも、それ以上は聞かない。
聞く理由がない。
何も起きていないからだ。
少なくとも、彼らの世界では。
レインは席に戻る。
黒パンを手に取る。
一口齧る。
「……冷めてますね」
小さく呟く。
誰も気にしない。
いつも通りの光景。
だが。
白塔との関係は、完全に変わっていた。
それを知っているのは、レインだけだった。




