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番外編~エルという魔物~

番外編てこいれ!

といいつつ、本編2は後日更新します……。

今回はアイシャ視点。時間軸は本編開始前、入れ替りイベント発生前となります。

「エルさま! もう五日目ですよ! いい加減にしてください!」


 ガンガンと扉を叩いて叫ぶように言うのは、アイシャだ。

 本気で力を込めたら扉は破壊されてしまうので、十分に手加減はされている。それでも扉の蝶番が軋んだ悲鳴を上げていた。


「出てきてください! ってか、ご飯食べてます!?」


 この扉の向こうに目当ての人物がいないことは、アイシャも理解している。

 この部屋の主は現在こことは正反対の場所、地下の部屋にいる。

 本来ならば地下の部屋に直接行きたいところだが、地下に行くには魔法で転移しなければならなかった。そしてその魔法陣を、エルが作動しないように設定してしまっている。

 つまり、外部からのエルへの接触は不可能も同然だった。

 それでも不在の部屋にこうして押しかけているのには、理由がある。

 ひとつは、エルが地下に篭ったきり全く姿を見せないこと。

 そしてもうひとつは、あと数時間で来客があるということ。

 むしろこの来客が嫌で篭っているような節もあるため、アイシャは半ば必死になって扉を叩き続けているのだ。

 城主への来客だというのに、当の本人が不在では話にならない。


「予定時間まであと3時間を切りました! そろそろ支度しないと洒落にならないんですよ!」


 アイシャは知っている。

 正反対の場所にあるこの部屋と地下の部屋。それでもいざというときに連絡がつくよう、こちらで起きている事象はすべて地下にも通じているということを。

 以前にもこうしてアイシャが扉の前で騒ぎ、漸く出てきたエルが「うるさかった」と苦情を申し立ててきたことがあった。そのときは苦情が腹立たしくて、すぐさまスイと共に説教を開始したのだが、冷静になって考えてみるとその苦情自体がおかしなものだと気付いたのだ。

 最上階で騒いだことを、なぜ地下にいたエルが知り得るのか。

 恐らく何らかの方法で最上階の自室と地下を『繋いで』いるのではないか、というのがスイの弁だ。となれば、大したものもない地下で何日も篭ることが可能なのも頷ける。一々用事があるたびに魔法陣の設定を変えるよりは、繋いでしまったほうが手早いだろう。

 とはいえ、ここでアイシャが無理やり部屋の扉を破っても、そこに地下の部屋が広がっているとは思っていない。

 隠すことは徹底的に隠す性格の主である。魔法はあくまでも一方通行だろう。


「エルさま! ヴァスーラさまが……」


 ガンガンと変わらず扉を殴り続けていると、不意に背後に気配を感じた。

 はっとして振り向くより早く、背に何かがぶちあたる。


「……っ、エルさま」


 肩口に見えた赤い色彩に、散々求めていた相手だと知る。

 アイシャの体に腕を回し、背後から抱きついたような格好だ。その表情は、アイシャの背に埋められていて窺い知れない。


「…………眠い」


 消え入りそうな声がぽつりと落ちる。


「……何徹したんですか。まさか一睡もしてないとかいいませんよね」

「ねてない……お腹もすいた」

「最後に食べたのいつですか」

「……五日前?」


 ぽつぽつと返される言葉に、アイシャが盛大に溜息をつく。


「じゃあ先に食事にしますよ。睡眠は……時間的に諦める方向で。ヴァスーラさまがお帰りになってから死ぬほど寝られるんで」


 残された三時間の予定を組み立てながら告げると、背中で頷く気配がした。


「ご用意してきます。その間に着替えを……そういえば、入浴はどうしてたんですか?」


 魔物は基本頑丈に出来ているため、食事も睡眠も十分に摂らなくとも日常に支障はない。

 エルほどともなれば、多少の不調や不便はどうとでもできる。食事がもたらすエネルギーは、魔力を変換することで代用が効くし、睡眠不足による疲労も魔法によって回復できる。同じように、多少の汚れや汗なども魔法で洗い流すことが可能だ。

 勿論、どれも基本的には『緊急時』の対応である。食事と睡眠と入浴を普通に行う方が、ずっと効率的で労力も少ない。

 

「毎日入ってたよ。さすがに……何日も入らないとか気持ち悪くて」


 髪がもつれるんだよ、とアイシャの背中からくぐもった声が訴える。

 なら切ればいいのに、とアイシャは思うが、繊細とは程遠い性格の主が「鬱陶しい」と文句を垂れつつもそれなりに髪の手入れは怠らないのだから、口にするのは憚られた。


「なら着替えだけですね。スイを呼びます」

「ねえ、アイシャ……兄様、来るって?」


 体に回された腕が解かれ、エルが背後からひょこりと顔を覗かせた。拍子に、綺麗に編まれた長い髪が視界の端に揺れる。

 背中に懐くのをやめてくれたのは良いが、今度はアイシャの腕を抱え込んで体重を預けてくる。正直重い。

 端正な白い顔は精彩を欠いていたものの、目立って不調というほどではないようだ。強いて言うならば真紅の双眸が酷く眠たげにしていることくらいだろうか。


「? 来ますよ、それは。つい先週手紙がきたばかりじゃないですか」

「……兄様、突然腹痛になったりしないかな」

「しないでしょうね。というか、言っては何ですが腹痛とかなるんですか、あの方」

「なるよ。小さい頃はよく寝込んでたくらい病弱だったんだよ」

「うわ、想像つかねぇ」

「今じゃ病気も裸足で逃げ出す状態だよね。兄様丈夫になったなあ」


 ほわほわと昔話を持ち出したエルは、完全に現実逃避をしている。

 夢見るような口調に、遠くを見る眼差し。

 穏やかな表情と、のんびりした口調も相まって、一見すると深窓の令嬢のようだ。

 同性の、しかも主人に対して抱く感想としては大いに問題があるとわかっていたが、こればかりはどうしようもない。

 そのくらい、今のエルは目に毒だった。

 元々エルは中性的な美貌を持っている。身長こそアイシャよりも僅かに高いものの、その体の線は細く、華奢な印象が強い。燃えるような髪と血色の瞳が、彼にある種の「強さ」を付随させていたが、それだけだ。

 ゆるく上下する長い睫の奥、とろりと融けそうな真紅の双眸。陶器のように滑らかな白い肌に、微かに色づいた唇。密着した体からは、仄かに甘い香りがする。

 入浴は欠かさずしているらしいことを思えば、これはどうやら石鹸の移り香のようだ。

 アイシャはそっと首を振って、エルから意識を逸らす。


「無自覚、怖ぇ……」


 ついぼやいてしまうのも仕方ない。

 エルの『これ』は完全に無意識、無自覚の代物だ。本人は単純に空腹と眠気に囚われているだけである。

 その気だるげな様子が、長年見慣れたはずのアイシャですら一瞬ぐらつくほどの色香を放っているとは、欠片も思っていない。


「アイシャ? 何?」


 独り言を聞きとがめたエルが、首を傾げて覗き込んでくる。

 その仕草やめろあざとい。

 喉元まで出掛かった言葉をぐっと飲み込み、空いた手でエルのよれた衣服を直す。

 どうせ着替えなければいけないのだから放置していても良かったのだが、視界に大きく開いた襟元が見えると流石に困る。

 普段のエルならともかく、この状態のエル相手では心配だ。主に自分の理性が。


「エルさま、先に魔法で眠気を飛ばしておいてください。そのままの状態でヴァスーラさまの前に出たら、何されるかわかったもんじゃないですよ」

「……え、怒られるかな」

「怒られたほうがまだマシです。まあ少なくともオレとスイは激怒します、それはもう思い切り」


 誰に、とは言わない。

 それを「自分が怒られる」と取ったらしいエルは、少し顔色を悪くして頷く。


「わかった……。えと、着替えて、眠気飛ばして、部屋にいればいい?」

「はい。そうしてください。食事はすぐにお持ちしますから。ああ、あとスイもすぐに来ますからね」


 眠気が極致に至り、幼い雰囲気を漂わせた主に、幼子に言い聞かせるように指示を出す。本来の主従であれば不敬としかいえない対応だが、ことエル相手となればこれしか正解がない。

 良くも悪くも、エルは規格外なのだ。

 魔物として強者の立場にありながら、その性格に魔物らしさはあまり見られない。争いを嫌い、血が流れるのを憂う。自ら采配を揮うより、誰かの指示に大人しく従う。

 どれをとっても、「主」に向かない相手だった。

 アイシャとて、まさか自らがエルのような魔物を主人と定めるとは思ってもみなかった。

 一般的な魔物と同じく、強者に憧れ、己より強い相手にしか膝は折らぬと決めていたから。

 

「スイのところへ急げ」


 掲げた手のひらに白い光が浮かび上がる。それは瞬く間に鳥の姿を模し、さっと壁をすり抜けて消えていった。

鳥の行方を見送って、アイシャが視線を戻すと、エルが自室の鍵を開錠して扉を開けたところだった。

 アイシャの視線に気付いて、エルはひらひらと手を振り、微笑む。

 主従は主従でも、主と臣下と言うよりは姫と騎士と表現する方が合うんじゃなかろうか。

 人間の社会構造を思い出して、思わずそんな感想を抱く。

 主人に対し、随分と失礼な想像をしたことを内心申し訳なく思いつつ、軽く礼をして踵を返した。


 

 

 

 どこまでも穏やかで、争いを厭う主。

 それは魔物としては「異分子」であり「変わり者」だ。

 強者こそ絶対である魔物の中にあれば、異分子はすぐさま排除される。争いを好み、血を好む魔物たちに蹂躙され、食らい尽くされる。それが魔物の世界の摂理だ。

 けれど、エルはそうはならなかった。

 異分子、変わり者と周囲から蔑まれ、弾かれることはあっても、食らいつくされることはない。

 これまでの決して短くない時間を、何一つ欠けることなく己の場所を守ってきた。

 それは、ひとえに彼自身にその術があるからだ。

 群がる有象無象を跳ね除け、牽制するだけの力があるからだ。

 愚かな魔物たちはそれを気付かない。否、気付いていても認められないのだ。

 異分子と蔑む相手が、強者だと認められない。

 かつてはそうだった己を思い、アイシャは笑う。

 認めてしまえば、これほど素晴らしい主もいないというのに。

 一度でも、あの姿を見てしまったら、全てを捧げずにはいられない。

 

 エルがひたすらに隠そうと、眠らせようとしている、彼の本性。

 破壊の限りを尽くし全てを支配下に置く、絶対的強者の姿。

 

 アイシャは笑う。

 未だ主の「強さ」を知らない魔物たちを哀れみ、笑う。

 そこらの魔物の比ではなく、主は強く美しい。

 彼のひとは、真実「最強」の竜なのだから。



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