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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
89/92

19.望み




翌日の昼過ぎ。

イシュを伴って再び王宮を訪れたキリは、病棟へと足を進めていた。


僅かに活気が戻りつつある王宮の隅、人気のない隔離病棟の病室の一つ。

子ども達が眠る部屋で彼らを眺めるネイアの姿を見つけ、キリは声をかけた。


「ネイアさん」


誰もいないと思っていたのだろうか、彼女は弾かれたように顔を上げる。

それからキリたちを確認して目を丸くし、彼女はぱっと立ち上がってこちらへと走ってきた。

病院で走るなよ、と言いかけたキリだったが、その表情に鬼気迫るものを感じて動きを止める。


廊下へと駆け込んできた彼女は、そのままの勢いでガッとキリの手を取った。

目を白黒させるキリにも構わず、その手をぎゅうっと握り、祈りでも捧げるかのように額へと当てる。



「ありがとう……!!」



思わず目を瞬き、キリは戸惑いつつイシュを見上げた。

彼も同じように目を丸くしていたが、キリと視線が合うと、僅かにくすぐったそうに笑って肩を竦めた。

キリもそれを受けて肩の力を抜き、努めてゆっくり、言葉を発する。


「その様子だと、子ども達は間に合ったかな」

「症状によりけりだけど、大体の子は何とか落ち着いたわァ。勿論、ジェドもね」

「本当か?」

「ええ。このまま順調に熱が下がって体力が戻れば、後は大丈夫なはずよォ」


その言葉にほっと一息ついて、キリはふと、あの青い肌の男のことを思い出した。

洞窟を出てすぐ、治療を受けている姿を見かけたのが最後だ。

ここまでは一緒に来たはずだが、その後の経過はどうなったのだろうか。


「そういえば、気になってたんだけど。患者の中に、亜人の男性がいなかったか?」

「男性……ああ、あの碧岩人のお兄さん?」

「ああ、碧岩人っていうのか。そう、青い肌の人」


彼女が言うには、彼らは鉱山の近くに集落を持つ少数種族らしい。

この辺りでは、グラジアの山間部に暮らしている一族がいるそうだ。

グラジアという単語に思わず眉をひそめたキリだったが、続いた言葉に目を丸くした。


「あの人は回復早かったわねえ。昨日の朝にはもう体調が戻って、連れの子と出て行ったわよォ」

「えっ!?あの男の子も?」

「あの子はまだ治りきってなかったから止めたんだけど、医療については故郷の方が進んでいるし、薬を待ってられないって」


肩を竦めて告げるネイアだったが、キリはイシュと顔を見合わせていた。

渋い顔で頭を掻きながら、イシュが問いかける。


「いや、それ帰して大丈夫か?」

「私が言うのも何だけど、グラジアは医療については進んでるからねェ。特にああいう少数種族の亜人の治療に関しては、地元の医者の方が詳しいし」

「……まあ、それなら何とかなる、のかな」


小さい子どもを抱えて戦争真っ只中のグラジアに帰るというのも危険そうだが、本人がそれを選んだ以上はキリたちが文句を言う筋合いもない。

無事にたどりつけているよう祈る他なかった。


ともかく、ネイアに会えたのであれば目的の一つ目は達成だ。

後はジェドのお見舞い、となるはずだったのだが。


「なあ、ジェドには会っていってもいいのかな」

「ジェドに?……そォねェ」


やや考え込むような返事に、キリは目を瞬いた。

代弁するかのように、イシュが問いかける。


「何だ、会っちゃまずいのか」

「いや、医者としては別に問題ないんだけどォ……いや、やっぱあるか。やめときなさい」

「どういうことだ?」


訝しく思ってキリが重ねて問いかけると、「いやそれがねェ」と彼女は苦笑した。


「ジェドってば、今朝意識が戻ってすぐに、すごい剣幕でキリはどこだって聞いてきてさァ」

「私?」

「そ。今いないって言ったら大人しくなったんだけど、多分あなたが会いに行ったらひと騒ぎ起こしそうな気がするのよねェ」


だからちょっと落ち着くまで面会謝絶、と肩を竦める彼女に、キリは腕を組む。

しかし一体何で、と考え込みかけたキリを察したか、ネイアが言葉を続けた。


「ジェド、あなたとあんまり仲良くなかったらしいじゃなァい?」

「……まあな」

「で、キリに助けられて戻ってきたでしょォ?あの子にしてみりゃ、罰が悪いと思うのよねェ」

「あー、なるほど」


と、同調したのはイシュだった。

どうやら思う所があるらしく、彼女の言葉に何度もうんうんと頷いている。


「そうだな。じゃあ、今日はやめとこうぜ、キリ」

「お、おう……?」

「男にゃプライドっつーもんがあるんだ。元気になったら顔見に行けばいいだろ」


そう言い切られてしまうと、キリには何も言えない。

実際ジェドに好かれているとは露とも思えない現状、大人しく頷く他なかった。


と、そこで壁時計が鳴り、ネイアがはっと思い出したように先ほど出てきた部屋を振り返る。


「あっと、いけない。ごめんねェ、まだ回診の途中だから」

「いや、こっちこそ邪魔して悪かったな」

「無理すんなよ。あんたが倒れたら元も子もねーぞ」

「あははァ、気をつけるわァ」


それじゃァね、と手を振って部屋に消えていく彼女を、二人は並んで見送った。


意識が戻った子どもたちも多いのか、少し離れた部屋から、僅かに話し声が聞こえてくる。

イシュと視線を交わして笑い合い、キリたちはその場を後にした。





















夕方、キリたちは合流したリノと共に彼女の家を訪れた。

彼女に話を聞いていたらしく、アルムが作ってくれた夕食を一緒に頂く。

どうやら普段から家事は彼女の仕事らしく、想像より豪華な食卓にキリたちは目を瞠った。

意外だと告げたイシュが膨れっ面で叩かれていたが、余談である。



食後、他愛もない話を少し挟み。

お茶を啜りながら、リノが「さて」と声を上げた。


「そろそろ本題に入りましょうか」

「ああ、話を聞かせてもらえればと思うんだけど」

「あ、調べ物のこと?空間に関する魔法を調べてるって言ってたよね!」


どうやら図書館でのことを覚えていたらしく、元気に口を挟んできたアルムに頷き返してやる。

それを受け、「アルムにも聞いたけど」と告げてからリノは言葉を続けた。


「空間魔法って言っても色々あるのよ。空間を護る魔法、空間を移動する魔法、空間を切り離す魔法、空間を消滅させる魔法」


指折り数えていくつか挙げ連ね、彼女はキリに視線を投げて肩を竦める。


「ま、最後のはともかくとして、それ以外なら少しは力になれるとは思うわ。ただ、魔法を使ってやりたい事はあるんでしょう?その辺を詳しく聞ければと思うんだけど」

「種類としては、移動だな。空間を超えて、人や物を移動させたい」

「となると、魔法陣が必要ね」


あと魔石と塗料と、とぶつぶつ言いながら彼女は何かを紙に描きつけ始める。

そこにキリの持つ魔法陣の中にあったのと同じ単語や式を見つけ、キリは目を細めた。


恐らく、この魔法陣を見せたほうが話は早いだろう。

ただ、これを他の二人の前で出すのは躊躇われた。

曲がりなりにも禁術と呼ばれる類のものだ、おいそれと人の目には触れさせたくない。

……できれば、イシュにも、まだ。


少し考えた後、キリは顔を上げる。


「……ごめん、詳しい話なんだけど、ちょっと二人で話をさせてもらってもいいか」

「構わないけど、アルムならもう部屋に引っ込ませるわよ?」

「いや。イシュも、今はちょっと残ってて欲しい」

「……俺も?」

「後で話すから」


どこか不満そうに漏らされた声にキリがそう返すと、イシュは少しの沈黙のあと頷いた。

少し前なら食い下がってきたかもしれないが、昨日の夜のこともあってか、素直に従ってくれる。

ありがたく思いつつ、キリは椅子を立つイシュとアルムを眺め、見送った。




扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。

それを確認してキリはひとつ息をつき、振り返った。

机を挟んで向こう側、じっとこちらを伺っていたらしいリノが、静かに口を開く。


「イシュは知らない話なのね?」

「ああ。これは、私の調べ物だから」


言い切り、ひとつ呼吸をおいて、「だから」と続ける。


「イシュには、まだ何も話してない。それだけは分かっておいてくれ」

「……いいでしょう。聞くわ」


話の内容を察したのか、彼女はすっと背筋を正した。

それを見て気を引き締め、キリも居住まいを正して口を開いた。


「単刀直入に言う。私が探しているのは、世界を渡る方法。そして、その為の魔法陣の情報」

「世界ィ?」

「そんな顔しないでくれよ」


ひどく胡散臭そうに眉間に皺を寄せたリノに苦笑して、キリは荷物を漁る。

そして、一枚の紙を引っ張り出した。

元々薄汚れていた上、持ち歩いたので少し傷んでしまっているが、読み取る分には問題ないだろう。


「実際に、それを可能とした魔法陣がここにある」

「ちょっと待ちなさい」


頭の痛そうな顔をして制止をかけ、リノはじっとキリを見据えた。


「色々聞きたいことも突っ込みたいことも色々あるけど、それ、どこから持ってきたのよ」

「悪い魔法使いの部屋から盗んできたものだよ。本人には黙認されてる」

「……見せなさい」


はあ、とため息一つ、リノは魔法陣を覗き込む。

暫し部屋には沈黙が流れ、忙しく彼女の視線が陣の上を辿っていくだけの時間が続いた。

眺める彼女の眉間の皺は段々と薄れ、真剣な顔へと変化を遂げていく。


ややあって。



「…………馬鹿げてる」



沈黙の後に漏らされた言葉は、そんな言葉だった。

掌を額に当てて視線を魔法陣に落とし、睨むように眺めながら、彼女は続ける。


「馬鹿げてるわ、こんな……頭がおかしいとしか思えない」

「ああ、あいつ頭おかしいんだろうな」


心底から同意してやると、リノは大きなため息を吐いた。

念を押すように、もう一度キリへと問いかける。


「使える、と言ったわね?」

「ああ」


頷くと、「そう」と短い返事が返ってきた。

とんとん、と魔法陣を指で叩きながら、視線でなぞる。


「大体の事情は、何となく分かったわ。この陣がこのままでは使えない理由もね」

「あまり言いふらさないでくれよ」

「するものですか。言ったって信用してもらえないわよ」


嘆かわしげに首を横に振る彼女に、キリは苦笑した。

まあ当然だろう、彼女自身今でさえ半信半疑なのだろうから。

キリだって、自分が彼女の立場なら信じたかどうかは怪しい。


キリがそうしている間にもじっと魔法陣を眺めていた彼女は、やがてぽつりと呟く。


「……あなた、大きな怪我や病気はしてるの?」

「え?いや、特には」


そう、と言った後、彼女は僅かな沈黙を挟んで、視線を上げた。

静かに凪いだ青い瞳と視線が絡み、キリは問いかけようとした言葉を飲み込む。


「資料に心当たりはあるわ。ただ、私も専門ではない。仮に私が手伝ってこれを改変するとしても、相当時間がかかるわよ?」

「それは覚悟してるよ。仕方ない」

「この陣の製作者に力を借りられるなら、一番手っ取り早いんでしょうけどね」


できない理由があるのかしら、とばかりに向けられた視線に、キリは沈黙で返した。

返さざるを得ない、理由があった。




あの時。

イシュに叱責されて、呆然としながら、考えたことがあった。



本当に元の世界に帰りたいのなら、もっと形振り構わず、必死になるべきではないのか。

縋ってでも、何でもいいから、アシュトルの助力を請わないのは、何故か。

気に食わないから、拒絶されたから、そんなのが躊躇う理由になるのか。

それが、わざわざ遠回りをする理由になるのか。


今の私は、理由を見つけて、帰るのを先延ばしにしているだけではないのか。



「……それは、」

「……何か、迷っているの?」



違う。

前から――それこそ、この世界に召喚された時から、迷いはずっと傍らにあった。

気づかないふりをして、前だけを見てがむしゃらに進んできただけだ。

今更、その迷いに気づいてしまっただけだ。




答えに迷って視線を泳がせるキリに、じっと静かな視線が向けられる。

ややあって、リノは静かに椅子を立った。


やがて、戻ってきた彼女が持っていたのは、水盤だった。

目を瞬くキリの前で、リノの指先に明かりが灯り、あっという間に水盤に水が満たされる。


「リノ?」

「悩みの内容を邪推するのは好きじゃないし、話したい内容でもないでしょう?」


おまじないに毛が生えたみたいなものだけど、と彼女は言った。


「心の中で最も望んでいる願い。それが映し出されるの」

「最も望む願い?」

「何を選ぶにしても、道に迷っているのなら、貴方の助けになると思うわ」



覗こうか、覗くまいか。

一瞬迷ったが、キリは覚悟を決めて水鏡に視線を落とした。

それを見て、彼女は一つ頷く。


「私には貴方の見たものは見えないから、安心して」


いくわよ、と告げて、彼女は短い言葉を幾つか呟き、水盤に手をかざした。

風もないのに水面がさざめき、踊る。


ゆらりと揺れていた水面の波紋がだんだんと収まっていく。

透明な水底を映したそこに、ぼんやりと浮かび上がる光景。


それは、



「――――っ!!」



ばしゃ、と音を立てて水盤がひっくり返る。

突然のことに驚いて固まる彼女に気づき、はっと我に返ってキリは声を上げた。


「ご、ごめん!!」

「いえ、大丈夫よ」


飛んだ飛沫と零れた水が、魔法で水盤へと戻る。

再び水が満たされた水盤から視線を外したキリに気づいたか、リノが眉を寄せた。


「……私こそごめんなさい。不遠慮だったかしら」

「いや、こっちこそ、ごめん」


答えながら、先ほど見えかけた光景が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

咄嗟に水盤を弾いた右手を、机の下でぎゅっと握る。


纏まらない思考を空回りさせること数十秒。

キリは、がたんと音を立てて椅子を立った。


「ごめん。今日はありがとう」

「キリ?」

「……ちょっと、もう一度考えてみる」


目を合わせないまま告げた言葉に、リノは少しの沈黙を挟んで頷いた。


「……そうね。顔色もよくないし、今日のところはそうしなさい。情報はできる限り集めておくわ」

「ありがとう」


また寄らせてもらう、と続けた言葉は、水底を映す水盤に落ちて消えた。




その後、アルムと本を読んでいたイシュの首根っこを引っつかみ、挨拶もそこそこにキリは帰路についた。

無言で夜道を歩く間、イシュは訝しげにキリの様子を伺ってはいたが、問い質す勇気までは持てなかったらしい。

宿に着き、キリが少ない荷物をまとめ始めたのを見てようやく、口を開いた。



「キリ、どうしたんだよ」



答えずにいると、イシュは訝しげに顔を覗き込んでくる。

そして、はっとしたように目を瞬いた。

おろおろと何かを言おうとしていたが、言葉にならなかったようで、沈黙が落ちた。


それにも応える気になれず、キリは荷物を詰め込みながら、ぐるぐると思考を空回りさせていた。




違う。

違う、私は、



帰るんだ。

帰らなくちゃいけない。


……帰りたい、はずなんだ。




ぎゅっと荷物袋の紐を縛ると、見守っていたイシュが恐る恐るといった体で再び口を開く。



「なあ、キリ?荷物なんか纏めてどこへ――」

「ティンドラ」



ぼそりと告げた単語に、イシュが目を瞬くのが見える。

それを横目に見ながら、キリは自分に言い聞かせるようにゆっくりと告げた。




「……アシュトルに、会いに行く」




行かなくちゃいけない。


……もう、これ以上、意地なんて張っていられなかった。




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