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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
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5.知識の森で鳴く鳥は




このまま薬ができるのを待つというアルムと図書館で待ち合わせをして、キリは薬屋を出た。

この後は予定通り図書館へと向かうつもりだったが、その前に材料をなんとかしなければ。


足を進める先は街外れの木陰だ。

こんな人気のない街の中、目撃するような人間もそうそういないだろうが、念を入れておく。


荷物から取り出したのは、昨夜眠気に負けそうになりながらしたためた手紙。

既に封をした封筒に走り書きを残し、ポケットを軽く叩く。


頭を覗かせたヴィーに封筒を見せると、のそのそと這い出てきた。


「悪いな、使い走りさせて」

「きゅあ」


全くだとばかりに鳴いてみせるヴィーの頭を、苦笑しながら宥めるように撫でる。

少しの間そうしてやると機嫌も治ったのか、ヴィーは大人しく封筒を咥えた。

任せろとばかりに尻尾を振って、ばさりと翼を広げ、飛び立つ。


くるりと頭上を旋回し、青空に溶け込んで消えていく赤い影。

だんだんと小さくなっていく姿を見送り、キリは踵を返した。





そのまま向かった図書館で調べ物を始めて、少しした頃。

キリのもとへやってきたアルムは、何故か膨れっ面をしていた。


聞くと、ジェドの家に薬を届けに行ったものの、彼は丁度留守にしていたらしい。

具合の悪そうなお姉さんに薬だけ渡し、アルムは家を後にしたのだという。

そして図書館へ来る途中、ばったりとジェドに会った。


ちょうど良かったと薬の事を話すうち、彼は何故かひどく機嫌を悪くしたらしい。

余計なことをするなと怒られ、当然アルムも反発し、喧嘩をして別れてきたという話だった。


「ほんっと、なんて態度なんだってボク呆れちゃったよ!心配して薬持ってったっていうのに」


とぷりぷり怒るアルムを図書館だからと宥めつつ、キリは内心頭を抱えた。

多分キリが余計なお節介をしたことが気に食わなかったのだろうが、それでアルムと喧嘩をするとは思わなかった。


薬の材料だけ届けたら、もう下手に関わらない方がいいのかもしれない。

変に彼らの仲をこじれさせる趣味がある訳でもないし。

第一、キリだってただの暇人ではないのだ。

決めた期限はあと五日、その間に何かしら収穫は得たい。


まあ、そんなわけで。


「お姉さんの具合も良くないようだし、苛々してたんだろ。あんまり気にするなよ。それより、調べ物手伝ってくれるんだよな?」

「むー……うん。お礼も兼ねてだし、ジェドの分も手伝うよ」

「空間に関する魔法を調べてるんだ。本をざっと見て、それっぽい記述があったらメモを挟んどいてくれるか?」


多少不満げな様子は残っていたものの、どうやら気分を切り替えてくれたらしい。

元気のいい返事と共に、アルムは宣言通りキリの調べ物を手伝い始めた。


が、少しして。


「……ねえ、キリって学者さんか何か?」

「いや、別に?」


唐突に投げかけられた質問に首を傾げると、本と睨めっこしていたアルムが顔を上げた。

悔しそうに視線を彷徨わせてから、ぽつりと訴える。


「……難しくてわかんない」

「そうなのか?なら無理してそれ読む必要はないぞ」

「うー。ボクこれでも座学は得意な方なんだけど、これ、あれだよね?お城で研究してる偉い人が書くような本」


キリの世界で言うなら、論文という所だろうか。

適当に関係のありそうな本を選んできただけなので、難しい本が当たったのかもしれない。

開いていた本を置いて別の本を手に取りながら、アルムは眉根を寄せた。


「難しい魔法を調べてるなら、きっと師匠に聞くのがいいよ。最近ちょっとバタバタしてるけど、時間ができたら色々教えてくれると思うよ」

「そういえば、アルムの師匠は魔法の先生なんだっけ?」

「うん、って言ってもお仕事は別にしてるし、弟子はボクだけなんだけどね。でも、色んな人が訪ねてきて魔法のお話をしてくよ」


そう告げるアルムの目は、誇らしくて仕方がないとばかりに輝いている。

ここまで慕われているのだから、師匠とやらは随分立派な人なのだろう。

頬杖を付いたまま緩く笑みを浮かべ、キリは相槌を打った。


「じゃあ、話ができる機会を楽しみにしておくよ」

「うん。ボクからも師匠にお願いしとくね」

「よろしく」


そして、僅かな沈黙。

キリが書物をする音と、アルムが本をめくる音が断続的に響く。

少しして、ぺらぺらと本を捲りながら、早々に飽きてしまったらしいアルムが口を開いた。


「ねえ、キリは兄弟いるの?」

「いるよ。上に一人、下に一人」

「へえ、真ん中なんだ。何かいいよね、お得な感じ」

「……そうかぁ?」


あんまりいい思いはしてこなかったけどな、と零せば、アルムは「兄弟多いと楽しそうだけどなあ」と首をひねった。

一人っ子なのだという彼女にしてみれば、憧れの存在なのだろう。


「ボクは弟か妹が欲しかったんだけど。ねえ、キリのとこは仲良かった?」

「兄弟仲ねえ。まあ、悪くはなかったかな」

「へー!どんな感じ?」

「末っ子だからな。甘えん坊だし手もかかるし、生意気で喧嘩もよくしたけど」


けど?と首を傾げるアルムに、キリは口元を僅かに綻ばせた。

どうしてもアルムに重ねてしまって、何とも言えない気分ではあるのだけれど。



「うん。まあでもやっぱり、かわいいよ。妹は」



その言葉に、アルムはぱっと顔を輝かせる。

へー、じゃあ上はどんな感じ?お兄ちゃん?お姉ちゃん?と矢継ぎ早に投げられる質問に、キリは苦笑した。


頁を繰る手は完全に止まっている。

指摘してやろうかと思ったが、アルムのきらきらした表情を眺めていると、ついつい質問への答えが先に出てきてしまう。


結局調べ物を再開できたのは、時計の長針がまるっと一周した頃だった。


















所変わって。

ティンドラ軍駐屯地、外れに位置するとある天幕の裏側。


手紙を持って羽ばたいていく赤い翼を見送って、フォミュラは懐へと手を入れた。

既に封が切られた封筒を眺め、走り書きされた文を見て苦笑する。


『急にルシェの実が必要になった。瓶詰めが棚にあるから、忙しいところ悪いけど送ってほしい』


ルシェの実といえば、キリが里に来たばかりの頃に畑から必死に刈り取っていた植物だ。

食べるにも染色にも向かないし、薬の材料くらいしか使い道がない。


全く、手紙を読んだ限りではゆっくりしている暇などなさそうなのに、どうにも彼女のお人好しは治らないようだ。

厄介事に首を突っ込む癖は相変わらずだな、と意図せずに小さく息を吐いた所で。



「フォミュラ?」



肩越しに声をかけられた。

聴き慣れたそれに、驚くこともなくフォミュラは振り返る。


「ああ、アシュトル」

「姿が見えないと思ったら。こんな場所で一体何を――」


訝しげに言いかけ、やめる。

手にした封筒を目にして、得心がいったようだった。


「キリからですか」

「ああ。元気にやっているようだ」


封筒に視線を落として告げると、そうですか、と気のない返事が返ってくる。

喧嘩別れ――というよりは、キリが一方的に言い逃げしてきたようだが――をした割には、随分と乾いた反応だ。

じっと彼に視線を固定して、様子を伺ってみる。


「気にならないのか?」

「そうですね。うっかり機密を漏らしていないかは気にかかるところですが」


わざと見当はずれの答えを返し、そのまま煙に巻いてしまおうという魂胆だろう。

だが、アシュトルが続けようとした言葉を遮って、フォミュラは一歩踏み込んだ。


「聞いておこうと思っていたんだが、キリを元の世界に返すことを拒否したそうじゃないか」

「……彼女が話したんですか」

「ああ」


恐らく、なにか理由があるのだろうとは思っていた。

付き合いの長い友人同士だ、アシュトルが無意味に王女の願いを突っぱねる男ではないことくらいは分かっている。

だが、このまま曖昧に協力を拒否するつもりであるのならば、流石にキリが可哀想だ。

正当な理由があるならば、彼女に伝えるくらいはしてもいいだろう。


「実際のところ、どうなんだ。技術的な理由か?」

「……いいえ」


返ってきたのは、はっきりとした返事だった。

緩く頭を振り、彼はきっぱりと告げる。


「すぐには無理です。が、時間があれば、可能です」

「では、何故?」


しばしの沈黙。

ため息一つ、彼は閉じていた瞼を億劫そうに持ち上げる。



「理由――というなら、気に食わないから、ということになるんでしょうね」



目を眇め、無言で続きを促すと、アシュトルは腕を組んで柵へと寄りかかった。

伏せ気味の視線の中からは、表情を読み取れない。


「一体何が気に食わない?」

「彼女が、です。だから協力したくない。それだけです」

「あくまでそれ以上を言うつもりはないと?」

「ええ」


誤魔化しもせずに頷いたアシュトルに、フォミュラは溜息を吐いた。

無理矢理にでも聞き出そうと思っていたのだが、これは随分と強情だ。


追求を諦めて手の中で弄んでいた手紙を仕舞ったフォミュラに、今度はアシュトルが問いかける。


「フォミュラこそ、どう思います?これだけ関わってしっちゃかめっちゃか引っ掻き回しておいて尚、まだ『帰りたい』と言えること」

「彼女自身の意思ではないだろう、それは。……よほど未練があるのだろうとは思うが」


家族も、友人も、もしかしたら恋人だっていたのかもしれない。

キリのあの調子では多少考えづらいことではあるが、可能性はあるだろう。


そういえば、彼女と元の世界の話をしたことはほとんどない。

以前の僅かなやり取りの中、話していたことを思い出す。


「そういえば、やり残した事があるとは言っていたな」

「……やり残したこと、ねえ」

「それが何にせよ、彼女がそう望むのであれば返してやりたい。それが私の意見だ」


言葉を紡ぎながら、色づくかのように蘇ってくる物に気づいて、フォミュラは目を伏せた。

遠い遠い時間の中、置き去りにしてきた記憶。

言葉の裏に隠した感情に気づいたか、アシュトルが目を細めた。


「もしかして、まだ引きずってるんですか。彼女は納得ずくだったのでしょう」

「……彼女だって、あんなことさえなければ、帰ることはできたはずなんだ」

「肝心の貴方がそんなんじゃ、いつまで経っても浮かばれないんじゃないですか?」


打って変わって、今度はフォミュラが沈黙する番だった。

落ちる沈黙の中、アシュトルは寄りかかっていた柵から身を離す。


「まあ、昔話を掘り返すつもりはありませんよ。これ以上話を続ける気も」

「……そうか」

「それはともかく、技術者たちが貴方を探していました。東の天幕で待っています」

「ああ、わかった」


短い別れの言葉を告げて、アシュトルは背を向けた。

天幕の影に消えるその姿を目で追って、フォミュラは目を閉じる。


暫くして溜息を一つ残し、彼も踵を返した。






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