6.小さな親切なんとやら
翌日。
キリの朝は、窓をカリカリ引っ掻く音で目を覚ますところから始まった。
重たげに瓶の入った袋を咥えて部屋の中に入ってきたヴィーは、疲れたとでも言いたげにキリの膝の上でくるりと丸くなってしまう。
流石にトカゲのまま運べるものではなかったのか、久々に翼と角が生えたままの姿だ。
まだまだ早朝とも言える時間帯なので大丈夫だとは思うが、目撃されていないことを祈る。
労いの意味をこめて背を撫でてやりながら、キリは帰ってきた手紙の封を切った。
忙しい中急いで返事を認めてくれたのだろう、内容は簡潔だ。
頼まれたとおり材料を持って行かせたこと、アルシータの状況を知らせたことへの感謝。
一週間の滞在の中で、キリも体調を崩さないように気をつけること。
そして、近いうちアシュトルとも話をしてみるということ。
要約すればそれだけの手紙だったが、それだけで十分。
瓶の中身が頼んだものに間違いないことを確認して、キリは寝台から立ち上がった。
膝の上からどかされたヴィーが不満げにくるくると喉を鳴らす。
その背を軽く叩いてやって、キリは顔を洗うために洗面台へと向かった。
まだ朝早いが、できれば開店一番に持って行ってやりたい。
早めに朝食を済ませて、外に出る準備をしておこう。
テキパキと支度を済ませつつ、キリはちらりと開いたままだった手紙に視線を落とす。
「またアシュトルとも話をしてみようと思う」という一文が目に入り、僅かに目を細めた。
……いらぬ心配をかけるくらいであれば、詳しく話さない方が良かっただろうか。
この件に関しては、完全にアシュトルと自分の問題だ。
フォミュラが頑張ってくれたところで、きっと解決には至らない。
思わずため息を零すと、高めの鳴き声と共に、肩にのっしりと重みが乗っかった。
見れば、まだトカゲの姿に戻らないままのヴィーの頭が目の前にある。
「……重たいぞ」
「きゅあー」
鳴き声とともに、ヴィーの姿がトカゲへと戻った。
気合を入れろとでも言うかのように、ぺちりと尻尾が軽く頬を叩く。
小さな頭を指先でぐりぐり撫でてやって、キリは小さく息を吐いた。
「朝ごはん食べに行くか」
きゅあー、と控えめな鳴き声が応え、ポケットに潜り込んでいった。
それから数時間ほど。
朝食を済ませて少し時間を潰し、薬屋にたどりついたのはほぼ開店時間だった。
扉を開くと、店内を掃除していた店員が「あら」と声を上げる。
「いらっしゃいませェ……って」
「よう。早くから悪いな」
「そりゃ別にいいけど……あんた、まさか」
キリの挨拶に上の空な返事を返した彼女は、目を丸くしてキリの手元を凝視していた。
隠そうともしない視線に苦笑して、荷物袋の中から目的のものを取り出す。
小瓶に移してきたアルシェの実を手渡すと、彼女はぱちぱちと瞬いた。
しげしげと中身を眺め、確認して、はあと呆れたような溜息を吐く。
「うっわ、本当に持ってきたァ!昨日の今日よ?一体どうやったのォ」
「秘密」
「くう、憎いわねェ。まあいいわ、ありがたく預からせてもらうわよォ」
約束通り薬の料金はタダね、と言いながら、彼女はキラキラした顔で小瓶を籐籠に入れた。
まるで宝物でも貰ったかのように浮かれた様子に、ついつい苦笑が漏れる。
彼女はそれには気付かなかったのか、籐籠からぱっと顔を上げて。
「他の材料は揃ってるから、調合はすぐ取り掛かれるわ。ただ、少し時間はかかるわよォ」
「ああ、ありがとう。よろしくな」
「お礼を言いたいのはこっちよォ。色々扱ってきたけど、まさかこんな物取り扱える日が来るなんてねえ」
「……確かに、ここ薬の種類が豊富だよな」
店の中を見渡し、ずらりと並んだ薬瓶を眺めながら言うと、彼女は「まァねェ」と胸を張った。
「うちは既製品を置くだけの薬屋とは違うのよ。薬が変質するのも防げるし、作れる薬の種類も豊富だし、一石二鳥でしょォ?」
「ああ。調薬師がいるから出来ることだよな」
「ま、その分ちょっと割高にはなるけどねェ。そこは品揃えでカバーってことで」
彼女は簡単そうに言ってのけるが、その実店番も店番で大変だろう。
少なく見積もっても二百種類はあるだろう材料の数々を把握するだけでも結構な仕事だ。
実際、聞きかじった程度のキリに分かる材料は四分の一もない。
内心感心するキリの前で、彼女はるんるんと机に頬杖を突く。
「リノもリノで色々変なもの持ち込んでくるけど、流石にこういうものは持ってきてくれないからさァ」
「アルムのお師匠さんも薬に詳しいのか?」
「詳しいっていうか、生まれが海のほうだからこの辺りじゃ手に入らないような材料を持ってきてくれたりするのよねェ」
なるほど、海。
この辺は山に囲まれた平野だから、確かに珍しいだろう。
「ま、それはそれとして、早速調合させてくるわァ。そうね、お昼すぎにもう一度来てくれない?」
「ああ、分かった。取りに来るのは私じゃなくてアルムかもしれないけど、よろしく」
「あら、用事でもあるの?りょーかァい」
ひらりと手を振って奥に消えていく背中を見送り、キリも店を出た。
とりあえずはこれで、キリが出来ることは終わりだ。
これ以上口や手を出してジェドの機嫌を損ねたくはないし、時間も多くは残されていない。
アルムが訪ねてきた時の為に一旦宿に戻って、薬屋に行くよう言伝だけ残してこよう。
想定外に時間を取られてしまったから、この後は図書館に缶詰めだ。
昨日は結局ほとんど調べ物にならなかったし、できれば篭って集中したい。
そんな事を考えながら戻ってきた宿屋に入ったところで、キリはあるものを見つけ目を瞬いた。
閑散とした宿の食堂、その隅の机に、見慣れない男性の姿があったのだ。
数日経って解ってきたが、この宿の食堂に集まる面子はそう大きくは変わらない。
こんな時だ、旅人も宿泊客もそうそう来ないし、少ない常連の顔などすぐ覚えられる。
異様な風体というわけではないが、格好からしても旅人の彼はそこそこに目立っていた。
こんな時期に王都にやってくるとは、相当な物好きだ。
自分のことは棚に上げ、キリは失礼にならない程度に観察しながら後ろを通り過ぎる。
薄汚れた外套と、その下に携えられた長物。
ちらりと覗く肌は青く、どうやら亜人のようだった。
以前もアルシータではよく亜人を見かけたが、肌の色が違うタイプの亜人は初めてだ。
竜人族と同じように、珍しい種族なのかもしれない。
湧いてきた興味を隠しながら、キリはカウンターへと歩みを進めた。
宿屋の女将さんにアルムへの言付だけ頼み、宿を出て図書館へと向かう。
そして調べ物を始め、昼を少し過ぎた頃だっただろうか。
昼食も兼ねて薬屋に顔を出してみるか、とキリが荷物をまとめ始めたとき。
バシンッ、と大きな音を立てて図書館の扉が開き、アルムが転がり込んできた。
何事かと目を瞠ったキリと目が合うと、ガッタンガッタンと椅子に引っかかりながらこちらへやってくる。
酷く慌てていることだけはわかるが、慌て方が尋常ではない。
どうにかこうにかキリの下までたどり着いた彼女は、開口一番。
「キリ、どうしよう!」
「いや、どうしようもこうしようも、何があった?」
あと落ち着け、と息を荒げている彼女の背を叩いてやると、アルムはゲホゲホと咳き込んだ。
やがて、大きく深呼吸をしてから。
「ジェドがっ、もしかしたら一人で森に行っちゃったかもしんないんだよ!!」
「……はあ!?」
つられて思わず大きな声を上げてしまい、キリは慌てて口を閉じた。
曲がりなりにもここは図書館だ、人気がないとは言え大声で話すのは良くない。
とりあえずこの場を後にしようと促し、場所を移動する。
そのまま、キリの泊まっている宿屋に向かいがてら、聞いた話によると。
今から少し前。
キリの読み通り宿屋に訪ねてきたアルムは、言伝を聞いて薬屋へ行き、薬を受け取った。
そして、その足でジェドの家まで薬を届けに行ったところで、彼女の姉に問われたらしい。
――ジェドが昨日から家に帰っていないようなのだけど、お世話になっているのかしら、と。
師匠と一緒に住んでいるらしいアルムと二人暮らしのジェド姉弟は、昔から互いにお泊まりをすることが多かったらしい。
病気も長引いているし、移らないように昨日はアルムの所に泊まったのだろうか、とジェドのお姉さんは考えたようなのだが。
「ボクたちのとこにも来てないの!で、街中探してみたんだけど、見当たらないし目撃証言もないし。で、まさかと思って街の門の兵士さんに聞いてみたら……」
「外に行ってたと。いつ頃出てったって?」
「昨日の昼過ぎ。し、師匠いないし、どうしようって。兵士さんたちも、今街の外を探すのは無理だって」
それでそれで、ともはや泣きながら訴えてくるアルムを何とか宥めながら、キリは考える。
外に出たのはともかく、一晩帰ってこないというのは、明らかにおかしい。
確実に何らかの事件か事故に巻き込まれていると見ていいだろう。
そして、考えられる行き先で一番可能性が高いのも、事件や事故に巻き込まれる可能性が高いのも、森だ。
……アルムやジェドと共に森に行ってから、今日で三日目。
採ってきた花はそう多くなかったが、一週間は保つだろうと道中で話していたのを聞いた。
「……薬が無くなるにしては早いよな。アルム、お姉さんの様子は?」
「っふ、だいぶ落ち着いたって、言ってたよ。薬ありがとうって」
「ってことは、病状が悪くなったとかじゃなさそうだな。一体何で」
「解んない……ボク、昨日喧嘩したあとはっ、ジェドに会ってないし」
一人で行ってしまった理由に関しては、想像できる。
キリに頼るのがどうしても嫌だったのだろう。
アルムに声をかければキリに頼みに来るのは目に見えているし、当初の宣言通り一人で行ってしまったに違いない。
特に、喧嘩の後だから声を掛けづらかったという理由もあるかもしれないが。
だが、何故今こんな時に森へ行ってしまったのかは不明だ。
「ボ、ボクが怒らせちゃったから?だからジェド、怒って出て行っちゃったのかな?」
「いや、それはない。怒らせたって言うなら私だろう」
何か変な勘違いを始めたアルムに、そこだけは断言してやる。
だが確かに、理由らしい理由があるとすればその辺だろう。
余計なお世話とやらだったか、と今更ながらに後悔する。
だが、今はそんなことに時間を割いている場合ではない。
「ほら、泣いてる場合じゃないぞ。さっさと迎えに行ってやらないと」
「う、うぐ、う、うん」
嗚咽をなんとか抑えようとするアルムの背を摩りながら、ひとつ息を吐く。
傾きかけている太陽に眉根を寄せつつ、キリは頭の中で森への道順をたどり始めた。




