表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
64/92

14.鉄錆は香る




真っ白いシーツと無機質な灰色が占める部屋の中。

陽の光を浴びて輝く赤い鱗を撫でながら、キリはぽつりと呟く。


「……しかしほんと、お前どうやって来たんだよ」


返事がないことは分かっていたが、問わずにはいられなかった。

簡単な魔法は使えるとのことだったが、まさか誰にも見咎められずここまで来るとは。

飛んだりしようものなら一発で見つかるだろうし、外壁を登ってくるのだって大変だっただろう。


小さな頭を撫でてやりながら呟くと、返事でもするかのようにきゅあきゅあと鳴き声が返ってくる。

残念ながら、何を言っているかまでは解らなかったが。


ヴィーが来たということは、フォミュラが何かしら動いているということだろうか。

キリ自身が動けないのが不安材料の一つだが、そうだとすれば朗報だ。



それにしても、とキリは首を傾げる。

フォミュラは何だって、言葉も話せないヴィーを送り込んできたりしたのだろうか?

見たところ、手紙か何かを持っているわけでもないようだ。


よじよじと腕を這い登ってくるヴィーを眺めながら考えてみるが、小さくて忍び込みやすかったから、くらいしか思いつかない。

多少魔法を使えることは知っているが、それがどこまで役立つものか。


うーん、と唸っている間に、肩口まで登ってきたヴィーが小さく鳴く。

そして、



「痛い痛い痛い!何怒ってんの!?」



尻尾で容赦なくべちべちと腫れた頬を叩かれ、キリは思わず悲鳴を上げた。

耳元で上がる鳴き声も心なし鋭く、肩を掴む足の力も強い。

理由はよく分からないが、完全に怒っている。


弱っている所に追い打ちを掛けるかのような攻撃に、もはや涙さえ浮かんできた。


「な、何なんだよもう……」


キリの力ない声を聞いてか、尻尾による往復ビンタは止んだ。

代わりに、これまでの勢いをなくした尻尾が、ぺちりと軽い音を立てて頬に当たる。



と、同時。



ふわりと身体が暖かな風に包まれた。

突然訪れた感覚に目を見開く。


一瞬何も変わっていないように思えたが、決定的に一つ違うところがあった。

――目を覚ましてからこっち、全身を襲っていた痛みが、消えていた。


思わず病人服をめくって確認してしまったが、内出血で斑に染まっていたはずの肌は普段通りの色を取り戻している。

腫れていたはずの頬も痛みは消え、動かしづらかった左肩も動く。


思ってもみなかったことに、キリはぽかんとヴィーを見下ろした。



これも、簡単な魔法の部類に入るのだろうか。

……少なくとも、フォミュラがアシュトルに使った魔法より高度な気はする。

予想外のことに多少の戸惑いを覚えるが、助かるのは事実だ。


よく分からないままではあったが、とりあえず「凄いじゃんお前」と褒めてみると、ヴィーは撫でろとばかりに手のひらに頭をぐりぐりし始めた。

その要求に応えて頭を軽く撫でてやりつつ、キリは身体の調子を確認する。


内蔵の損傷までは完璧に治せなかったのか、多少だるさと痛みは残っている。

だが、問題なく起き上がれるし、両手両足も普段通りに動く。

この分なら、切欠さえあれば自力で逃げ出せるかもしれない。


フォミュラがヴィーを送り込んできた理由はこれだろうか。

だが、自分で勝手に逃げ出して来い、というならば、その旨を伝える手紙くらいあってもいいはずだ。

それがないということは、やはり何かしら別に動いてくれているのだろう。



とするならば、キリにできるのは無事脱出できるように準備を整えておくことだ。


きゅあきゅあと得意気に鳴いてくれるのは可愛いが、ヴィーが見つかるのは一番避けるべき事態だ。

あのディアノスが、小型なれど竜という珍しい存在を放って置くはずはない。


「ヴィー、ここにいる間はあまり鳴かない方がいい」


口元で指を立てつつそう言ってやると、ヴィーはぴたりと鳴くのをやめた。

素直に黙ってくれたことに一安心したキリだったが、遠くから響く足音に気づいて眉を顰める。



どうしたものかと考えて、とりあえずキリはばふっと毛布の中にヴィーを包み込んだ。

そのまま毛布の塊を抱き込み、腫れていたはずの頬を隠すように毛布を被って横になる。


そうしてから機械人が熱源感知できることに思い至ったが、時すでに遅し。

爬虫類って恒温動物だし何とか体温でごまかせないかなー、と願いつつ寝たふりをするキリの耳に、扉が開く音が飛び込んでくる。


キリが寝台に横になっているにも構わず、足音は遠慮なく近づいてきた。


「キリ、起きているな」

「……何だよ」


断定されれば、狸寝入りを続けるわけにもいかない。

視線だけをそちらに向ければ、真っ白い包帯を手にする彼の姿があって、キリは目を瞬いた。


「寝る前に変えておけ。無駄にシーツを汚されても困る」

「お前自分で抉っといて言う台詞か」


よく見れば、消毒薬とガーゼも机の上に乗っている。

わざわざ自分で届けに来なくても――と指摘しようとして、キリはディアノスの様子が先ほどと違うことに気づいた。


ほら、と投げられた包帯を右手だけで受け取りつつ、キリは訝しげに目の前の男を見上げる。

ざっと確認しただけでも、先程とは随分様子が違った。



一見旅装に近いかと思えば、しっかりした造りの正装。

無駄な装飾を削ぎ落とし、機能性を重視した軍服だ。

そして、腰に吊ったベルトには、いつかの軍事演習で見る機会のあった武器がいくつか。


――端的に言えば、戦争に行く格好だ。



「数日留守にすることになった。まあ動けないとは思うが、大人しくしていろ」



キリが何かしら口にする前に告げられた、簡単な一言。


何かあったのか、と問いかけたい気持ちと、さっさと立ち去って欲しい気持ちと。

二つがせめぎ合う心の中、最終的に勝ったのは好奇心だった。

地味に毛布の塊を抱えこんだまま、お伺いを立ててみる。


「どうかしたのか」

「いや」


短い返事。

その後何があるでもなく、じっと見つめる視線はそのままだ。


視線の意味が分からず眉を顰めると、ディアノスは軽く頭を振って。

それ以上キリの質問に答えることなく、さっさと話題を変えた。


「俺も忙しいからな。会えなくて寂しいとは思うが、拗ねるなよ」

「お前の顔見なくて済むと思うと、それだけで怪我も治りそうな勢いだ」


先ほどの腹いせとばかりに返した皮肉は、彼の真顔に吸い込まれて消えた。


「鎖なんぞ壊されて終わりかと思っていたが、五、六本付けておけば別か?」

「遠慮しとく」


どうやら逃げ出す宣言と取られたようだ。

まあ完全にそのつもりなのだが、鎖なんて付けられたら面倒でならない。

ヴィーがいるので実際そこまで障害にはならないが、時間を食うのは避けたかった。


というか、怪我が治っていることに気づかれると困る。

ヴィーの鳴き声を聞かれたわけではないようだが、怪しんで調べられれば見つかってしまうはずだ。



だが幸いなことに、ディアノスにもそこまで余裕はなかったらしい。

キリの焦った声に言及することなく、彼はさっさと部屋を出ていった。



扉が閉まり、キリは知らぬ間に詰めていた息を吐き出した。

何があったかは知らないが、何かが起こったのだろう。

見るからに急な、そして重大な何かが。


ティンドラとの間に何かあったのだろうか。


毛布をしっかり抱きしめていたことに気づき、慌てて腕を解いて毛布を広げてやる。

ややあって中からよたよたと出てきた赤いトカゲは、見るからに元気がない。



「……、ごめん」



とりあえず小さく謝り、頭を撫でてやる。

鳴き声こそ上げなかったものの、ぺちっとキリの手の甲を叩く尻尾はひどく力なかった。























すらりと伸びた柄に巻きつく、蔦を模した装飾。

藤色の刀身。


斬るというよりは突くのが仕事であろうその細剣は、一見儀典用にも見えるほど華奢だ。

実際に使用するなんてとても想定していない、鎧でも突こうものならたちまち折れてしまいそうな印象がある。




――その細剣は、圧倒的な存在感を持って戦場に君臨していた。




一凪ぎから生まれる風は数多の花弁を駆って戦場を舞い、

一突きの剣先が穿つ穴は数多の蔦を生んで戦場を侵食する。


その全てが鮮血を纏い辺り一面を染め上げているというのだから、それは恐怖以外の何者でもなかっただろう。



悲鳴と怒号が支配する戦場で、その周囲だけが沈黙に包まれていた。

柄を握る手が鋭く剣を払い、藤色に纏っていた血が地面を汚す。




「……振るう私が言うのも何だが、えげつないな」

『何を言う。妾の力、本来であればこの程度のものではないというに』




全力を振るえないのが口惜しいわ、と紡がれる言葉に返るため息。

二人の女性のやりとりは、悲鳴に飲み込まれて戦場に消えた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ