第六話 The First Legend
──ミシガン州北部 スペリオル湖支流・クローバー川にて
午後の陽射しが水面を斜めに照らしていた。
デトロイトから来た少年たちは、川辺で靴を脱ぎ、水に足を浸して笑い合っていた。
「やっぱここ、ヤバいくらい水きれいだな」
「マジで、底見えるじゃん! なんだあれ」
川底の砂の中、何かがゆっくりと動いた。
それは、小さなクラゲのようでもあり、トカゲのようでもあった。
透明で、日光を受けて淡く青く光る──三〇センチメートルほどの、何か。
「……ほんとだ、なんだあれ?」
一人の少年がしゃがみ込み、手を伸ばした。
「……おい、ケビン? 大丈夫か?」
「なあケビン、それ、やばくないか?」
川岸に立つ少年たちは、半ば笑いながらスマホを構えていた。
水面の下で、何かが淡く光っている。
青白く、ゆっくりと呼吸するように明滅していた。
「バカ言うなよ、ただの魚だって。見ろよ、光ってるだけだ」
ケビンがしゃがみ込み、棒きれで水を突く。
その瞬間、水中の光がすっと動いた。
透明な影が、波の下で蠢く。
「うわ、マジで動いた! おいケビン、やめとけって!」
「撮ってんだろ? バズるかもしれねぇじゃん」
笑い混じりの声。
けれど、ケビンの指先が水に触れた瞬間、空気が変わった。
ぬるり──と、何かが掴んだ。
水面が弾け、ケビンの身体が引き倒される。
「ケビン!? 離せって! ケビン!!!」
仲間たちの叫び。
だが、ケビンの腕を掴んだ“何か”は小さかった。
三〇センチほどの、トカゲのような生き物たち。
それなのに、信じられない力で彼の身体を引きずり始める。
泥が跳ね、靴が脱げた。
彼らの小さな顎が、ケビンの腕を、足を、服を掴む。
水面の下から、次々と光が浮かび上がる。
まるで、餌に群がる魚のように。
「やめろっ!!!」
叫び声が水の中に沈んだ。
光の群れが一斉に散り、波紋だけが残る。
ケビンの姿が水中に消えた瞬間、誰もが声を失った。
ただ、川の表面に浮かんでいた気泡が静かに弾ける。
現実が、ゆっくりと理解に追いついてくる。
「──ケビン?」
ひとりの少年が、水辺に歩み寄ろうとした。
けれど次の瞬間、背中を誰かに引かれる。
「やめろ! 近づくなって!」
悲鳴のような声。
少年たちは互いの腕を掴み合い、後ずさった。
スマホが手から滑り落ち、ぬかるみに沈む。
画面には、揺れる水面と、泡と──青白く光る何かの影。
「……ケビンが、いねぇよ」
「誰か呼んでこいよ! 大人! 早く!!!」
足音が、悲鳴が響く。
少年の一人が全力で走り出した。
心臓が爆発しそうなほど速く。
背後では、川面が再び小さく波打っている。
その波が、まるで何かが笑っているように見えた。
川辺に駆けつけた大人たちは、最初こそ血相を変えていた。
しかし、一〇分も経たないうちにその顔から焦りが消えていく。
「……本当に、ここで消えたって?」
「うん、マジだって! この辺りにいたんだよ!」
「気のせいじゃないのか? 自分で帰ったんだろう」
そんな大人たちの言葉に、少年たちは必死に首を振る。
それでも大人たちは、半ば呆れたように笑ってみせた。
「怖い話でもしてたんだろ? お前らの“光るトカゲ”とかいうやつ」
笑い声が、夕暮れの川辺に広がる。
警察も消防も呼ばれたが、日が暮れるころにはみな引き上げた。
残されたのは、泥に埋まったケビンのスマホだけ。
画面には、波打つ川面と──一瞬だけ映り込んだ、青白い光。
それは夜の闇に紛れ、二度と再生されることはなかった。
────
夜。
川辺で震える少年たちは、警察が来るより早くスマホを取り出していた。
ケビンが消える直前に撮った動画。
水面に沈む直前の、かすかな叫びと、白い光の揺らぎ。
彼らは震える指で“投稿”ボタンを押した。
#ケビンを探しています
#シルバーリバー行方不明
#光る生き物
数分後には、拡散数が千を超え、コメントが流れ始める。
──これフェイクだろ
──エフェクト上手すぎ
──新しいホラームービーの宣伝?
──最後の光なに?
──音声、なんか入ってね?
少年たちの必死の説明も、炎上の熱に呑まれていく。
通知音が鳴るたび、彼らの指は震え、ケビンの姿は“事件”から“コンテンツ”へと変わっていった。
その夜のうちに、動画は削除され、その後は何度ケビンが生きていた最後の動画を投稿しても数分の内に削除されてしまう。
だが、そのURLはコピーされ、再投稿され、形を変えて拡散を続ける。
──それが、“スペリオルの光”と呼ばれる最初の“都市伝説”になった。
────
──ミシガン州シルバーシティ警察署
ケビンが行方不明になった、翌日。
小さな会見室に、記者と地元メディアが十数人だけ集まっていた。
署長のグレッグ・ハートマンは、台本を読むような口調で言う。
「昨日午後四時ごろ、少年ケビン・パークス、一五歳が仲間と共に川辺で遊泳中、流れに巻き込まれて行方不明になりました。現場に危険生物の痕跡は確認されておらず、現時点では水難事故として捜索を継続しています」
記者の一人が手を挙げる。
「SNSでは“光る生き物を見た”という投稿が相次いでいますが?」
署長は鼻で笑うように僅かに口角を上げ、答えた。
「未確認です。現場には生物反応も足跡もありません。……少年たちの混乱だと思われます」
カメラのフラッシュが弱々しく光る。
──その夜、SNS。
@MATT_32
ケビンが沈む瞬間、見た。
水が光ってた。魚じゃない。絶対に。
@BRIANA_dream
誰も信じてくれない。笑ってた人たち、川に行ってみなよ。静かすぎて、息できない。
@kevin_friend
警察は水難事故だって。
でもケビンの靴、岸に置いたままだったんだよ。
────
──米国時間 午前八時二五分。
テレビのモーニングニュースでは、明るいテーマソングが流れていた。
キャスターの女が軽い笑みで告げる。
『先月、ミシガン州で発生した少年行方不明事件ですが、警察は「第三者による犯罪の可能性は低い」と発表しました。
少年ケビン・パークス君は現在も行方不明のままです』
画面の隅に、ケビンの笑顔が数秒だけ映る。
その下を、別のテロップがすぐに覆い隠した。
『新たな観光イベント 五大湖サマーセレブレーション開催決定』
──話題は簡単に切り替わる。
笑い声、スポーツコーナー、天気予報。
ケビンの名前は、もうどこにもなかった。まるで彼の存在すら一瞬の娯楽だったかのように。
────
一方その頃、SNSでは別のタグがトレンドに上がっていた。
#光るトカゲ
#クラゲみたいな生き物
#川辺の怪光
──デトロイトの郊外でこれ見たんだけどやばくない?
その投稿には、ぼやけた夜の映像。
川辺の浅瀬に、仄かに月のように光る何かがゆっくりと動いている。
透明で、体長は三〇センチメートルほど。
コメント欄は冗談半分の書き込みで埋まっていく。
──新種?
──クラゲ?
──魚の反射じゃね?
──ケビン案件再来?w
────
──デトロイト郊外 リバーフィールド
二〇二八年八月九日。
少年が二人、川辺に立っていた。
一人がスマホを構える。もう一人が石を拾い、水面に投げた。
チャプ、と水が跳ね、光がわずかに動く。
「な、見えたか? 泳いでる!」
「うわ、マジで光ってるじゃん! やべえ!」
カメラが近づく。
レンズの向こう、光はゆっくりと広がり、波紋を描く。
まるで、誰かが見ているかのように。
──その光の中に、小さな影が浮かび上がる。
頭は平たく、体はずんぐりとして、四肢には水掻きが見えた。
それは、水面のすぐ下を滑るように動いている。
これまで動画で見られた個体は三〇センチメートルほどだった。
だが、彼らの目に映るそれは、すでに五〇センチメートルを超えていた。
かつて透明だった体は、黒緑色に変わり、ゆっくりと濁った川水に溶けていく。
「……クラゲ、じゃねえな」
誰かが呟いた瞬間、光の粒が一斉に散った。
カメラがズームを続けた拍子に、
スマホのレンズに水しぶきがかかる。
──その瞬間、画面が揺れた。
ピントが外れ、ノイズが走る。
少年の片方が思わず叫ぶ。
「やべ、濡れた!」
彼は袖でレンズを拭こうとするが、水面の奥から何かが動いた。
青白い光が、ゆっくりと水面の下で円を描く。
それが波のように近づいてくる。
「おい、動いてるぞ……!」
カメラはかろうじてその光を捉えていた。
最後に映ったのは、
水面に走る白い筋と──足首へと食いつかれた少年が、バランスを崩して倒れ込む瞬間だった。
水面に泡が上がる。
次の瞬間、ひとりの少年が悲鳴を上げた。
「おい、待て! ダニーが……!」
もうひとりが躊躇なく飛び込む。
冷たい水が全身を包み、視界が白く濁る。
必死に手を伸ばした先で、確かに何かを掴んだ。
だがそれは──腕ではなかった。
ぬめりのある、異様に冷たい“何か”だった。
次の瞬間、二人分の水しぶきが同時に上がる。
スマートフォンのカメラは、それをぼんやりと捉えていた。
ただ、波紋の奥で見えたのは光でも影でもなく、──小さな黒緑の背だった。




