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間章:漆黒の計略Ⅰ


 カツカツと軍靴を鳴らし、リグリットは王城の最奥部、王族の居住区を歩いていた。

 時間は遅く、登城して仕事をこなす貴族たちはすでに自らの屋敷へと帰っている。城に住む者たちも自室に引き取ってゆっくりと自分の時間を過ごしていることだろう。

 四大公爵家の当主とはいえ、王族のプライベートスペースとなるこの通路を、こうも易々と歩ける者はリグリットに他にいないだろう。王妃と幼い頃からの友人であるということもあるが、それだけの関係でこんな夜更けに衛兵もつけずに歩き回ることなどできない。それは国軍総統であるリグリットに対してであっても、曲げられない鉄則である。

 リグリットがここに自由に出入りできるのは、ここの最も権威ある人物―――クローヴィア国王が直々に、それを許しているからに他ならない。

 律動的な足音は衛兵が守る強固な扉の前で止まった。濃紺の軍服に総統の印を下げ、さらにステインチュール家当主の証である漆黒のマントを身につけている。これがリグリット=ステインチュールの正装だ。

 衛兵にちらりと視線を投げると、それだけで竦み上がった兵士はすぐさま部屋の主へと取次に走った。この部屋の主を守るためにかなり有能な騎士が配属されているはずだが、総統の一睨みを向けられ平気でいられるはずもなかった。しかも、今の彼は普段とは比べ物にならないほどピリピリしている。

 室内に入る許可はすぐに下りた。腰に帯びていた剣を預け、身ひとつで中に入った。

 豪華絢爛、贅の限りを尽くすクローヴィア王城の中では拍子抜けするほど簡素な部屋だった。置かれている調度品はどれも超一級品だが、目をわずらわせることはない。控えめな部屋の主の性格をよく反映している。


「失礼します」

「……ああ、こちらに来て掛けよ」

「はっ」


 一分の隙もない礼をして、リグリットは部屋の中を奥へと進んだ。

 部屋の主は東側の窓辺に一人掛けの安楽椅子を出して酒をたしなんでいたようだった。あらかじめリグリットが赴く旨は伝えてあったので、空のグラスがもう一つ用意されていた。


「ひとまず掛けるがよい。話はそれから……」

「いえ、すぐに済みます」


 主の勧めを断り、リグリットは椅子に腰掛ける男の足元に片膝をついた。男が目を見張る中、リグリットは頭を低く下げ、家臣として最上級の礼を示した。


「リグリット……。そなた」

「約束です。あれが戻りました」

「……そうか」


 リグリットの突然の行動に男は一瞬動揺したが、聞いてすぐに理解した。高級な布をたっぷりと使った夜用の私服の裾をさばき、男はもう一度深く椅子に掛け直した。


「あれがエソニアを出たという報告は受けていましたが、今日偶然街中で見つけました。今は私の屋敷にいます」

「変わりないか」

「はい。一目でそうとわかる程度です」

「それは、そなたには一目でわかろうぞ」


 男が愉快そうに声を上げると、リグリットは咎めるように顔を上げた。男はそれさえも愉快そうに眺めている。

 厳めしい言葉遣いをするものの、男はそう老いてもおらず、またリグリットほど若くもなかった。


「……それでは、誓約は守ってもらえような」

「はい。そのご報告のために今夜は参りました」


 男はひどく満足気に微笑んでいた。リグリットはもう一度頭を下げた。


「私のような無礼者の我が儘を、今日まで四年間もきいていただきありがとうございました」

「なに、あの時の、今はまだ忠誠を誓えぬというそなたの正直な言葉、私は嬉しく思っておったぞ。そう言った割には、そなたはこの四年間、他の誰よりもこの国に尽くしてくれた」

「ええ、……この国に」


 含みのあるリグリットの言葉に、男は頷いた。


「そうだな……。しかしこれからは、この私にもその忠義を示してくれるのであろう?」

「私のように、公爵としての責務と私情の区別もできぬような未熟者でよろしければ、陛下の手となり足となりましょう」


 ゆっくりと顔を上げたリグリットの瞳には、昼間とはまた違う、決意の光が宿っていた。


「約束です、陛下……。あれがまた私の元に戻ってきた今、私は改めて、貴方に違わぬ忠誠を誓いましょう。この身の限り、貴方と貴方の守る全てのものに、この身を捧げます」

「……リグリット=ステインチュールよ、そなたの誠の忠心、しかと受け取った」


 男は立ち上がり、ひざまづくリグリットを正面から見下ろした。騎士の礼をとり続けるリグリットに、ふっと表情を緩める。


「もうよい、リグリット。そなたの気持ちはよくわかった」

「はっ」

「早く帰って、今一度彼女の存在を確かめたいのであろう?」

「……いえ、そのようなことは……」


 歯切れの悪い答えをするリグリットを珍しく見やり、男は笑みを浮かべて自ら空いたグラスに酒を注ぐと、リグリットに差し出した。


「陛下、そのようなことは」

「よい。今はこの部屋に私とお前の二人きりだ。数少ない友人のもてなしくらい、自分でしたい」


 そう言って差し出されたグラスを、立ち上がったリグリットは礼を言って受け取った。


「しかし……いよいよ動くということか」

「そうなります」


 お互い立ったままグラスを傾けた。一息に飲み下すほど焦ってもいないが、ゆっくりと味わうほどの余裕もなかった。


「最善を尽くします」

「ああ、頼りにしている。……そうだな、それも、約束だったな」

「はい」

「惜しいことをしたものだと、それだけは時々後悔する。そなたの働きぶりを聞くと、特にな」

「もったいなきお言葉」


 それだけ返すと、リグリットは空にしたグラスを卓の上に戻した。顔色に変化はない。


「それでは失礼します。……妃殿下にも、よろしくお伝えください」

「会って行かなくていいのか。自分で報告したかろう?」

「今夜はもう遅いですので、いずれ出直して参ります」

「ああ……待っている」


 扉の前まで来ると、胸に手をあててもう一度礼をした。権威の衣を脱いだ温かい笑顔で送り出してくれるその人に背を向けて部屋を出ると、預けていた愛剣を受け取り、それを腰のベルトにつけ直す時間も惜しんでリグリットは歩き出した。

 脳裏に浮かぶのは、再会したばかりの少女。


(マリネア……)


 これもまた、ひとつの始まり。


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