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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第84話 一件ごとに印を打て

 朝、リゼの家の窓には薄い霧が張りついていた。

 台所では湯が静かに沸き、木の匙が器の縁に当たる音がしている。

 王都の朝は、まだ本気を出していない。


「今日は何」


「道筋の話」


「また道に迷ったの」


「人ではなく、仕事が迷う」


 リゼはパンを割りながら眉を上げた。


「役所の書類みたいね。受付を出たあと、どの机に行ったか分からなくなるやつ」


「かなり近い」


「机ごとに『うちは動いてます』って言っても、客の書類がどこで止まったかは分からない」


「そう」


 朝から核心を突かれた。

 私の授業は、だいたい台所で先に半分終わる。

 最悪ではない。

 少し悔しいだけだ。


「じゃあ、書類に印をつけるの」


「一件ごとに」


「足取りを残すのね」


「そういうことだ」


 リゼは頷き、皿をこちらへ寄せた。

 家の中の説明は、いつも現場より少し早い。


———

 講堂には、六つの机を並べた。

 受付。

 戸札確認。

 納付確認。

 許可台帳更新。

 発行札作成。

 通知札送出。


 机の上には小さな札束と刻を示す砂時計を置いた。

 学生たちは、今日は何かの役所遊びか、という顔をしている。

 遊びではない。

 だいたい役所は、遊びにすると一番怖い。


 ルドーが前に立った。


「問う」


 講堂が静かになった。


「一つの依頼が五つ六つの術を渡って片付く時、全体が遅いのに、どこが悪いか分からぬことがある。どう見る」


 学生の一人が手を上げた。


「盤ごとに見張ります」


「足りぬ」


 二人目。


「一番遅そうな術を疑います」


「勘だ」


 三人目。


「全部速くします」


「雑」


 四人目。


「人を増やします」


「濁る」


 五人目。


「落ちている盤を探します」


「生きている」


 ルドーがこちらを見た。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


「……はい」


 今日は本当に一回だった。

 たぶん。


———

 私は最初の仕事札を一枚持ち上げた。

 表には、市民からの許可札発行依頼と書いてある。

 もちろん教材用だ。

 本物を講堂で流すと、教育ではなく事故になる。


 表示盤に書く。


盤ごとの見張り

一件の足取り


「各盤を見ることは大事です。止まっているか、燃えているか、術滓を吐いているか。そういうことは見なければなりません」


 一度止める。


「ただし、盤ごとの元気さだけでは、一件の仕事がどこで足止めされたかは分かりません」


 学生に机役を頼んだ。

 仕事札を受付から順に渡す。

 各机は自分の処理が終わったら次へ渡す。


 受付は動く。

 戸札確認も動く。

 納付確認も動く。

 台帳更新も動く。


 机ごとに見れば、全員が手を動かしている。

 誰も寝ていない。

 誰も倒れていない。


「この状態で、最後に客が遅いと言ったら、どこを見ますか」


 学生たちが少し黙った。


 いい沈黙だ。

 答えが一つではない時、人間はようやく考え始める。


———

 次に、仕事札へ最初の印を打った。


通り印


「一件ごとに、最初の受付で通り印を打ちます」


 札の端に小さな通し番号を入れる。

 その番号は、どの机に行っても引き継がせる。


「同じ依頼か、別の依頼か。それを混ぜないための基点です」


 続けて、各机に小さな印枠を置いた。


区間印


「各術系は、自分のところへ入った刻と、出た刻を残します。必要なら、戻したか、やり直したかも残す」


 仕事札を流す。

 受付が印を押す。

 戸札確認が印を押す。

 納付確認で、私はわざと札を止めた。

 砂時計を半分ほど落とす。

 その後、台帳更新へ渡す。


 さらに発行札作成の前で、一度だけ戸札確認へ戻した。

 戻りの印も残す。


 学生たちが身を乗り出した。

 先ほどと同じ机。

 同じ仕事。

 だが、札の上には足取りが残っている。


———

 最後に、仕事札を表示盤の下へ置いた。

 通り印をたどる。


受付 入一刻 出一刻

戸札確認 入二刻 出二刻

納付確認 入三刻 出七刻

許可台帳更新 入八刻 出八刻

戸札確認へ戻し 一回

発行札作成 入十刻 出十刻

通知札送出 入十一刻 出十一刻


「これを見ると、どこで長く止まったかが分かります」


 学生の一人が言った。


「納付確認です」


「はい」


 別の学生。


「あと、途中で戻されています」


「そこも重要です」


 表示盤に書く。


滞り

戻し

やり直し


「盤を見ているだけでは、仕事は追えません。一件ごとに印を打ってください」


 リゼが後ろから言った。


「つまり、盤ごとの元気さを見るんじゃなくて、一件の仕事がどの道を通って、どこで足止めされたかを見るのね」


 学生たちの顔が一段明るくなった。

 また台所が勝った。

 今日はもう認めるしかない。


———

 私は表示盤に、もう一つ書いた。


繁忙刻


「厄介なのは、いつも遅いわけではない場合です」


 机役の学生に、同時に三枚の仕事札を渡した。

 受付はさばく。

 戸札確認もさばく。

 納付確認の机だけ、少しずつ札が溜まる。

 全員が動いている。

 だが、仕事札の足は遅くなる。


「平時なら見えません。繁忙刻だけ、道筋の上に詰まりが出る」


 表示盤に書く。


遅さは突然ではない

見えていなかっただけ


「遅さは、流れを追わねば見えません」


 ルドーが頷いた。


「客の進みを見ろ」


 短い。

 だが、その通りだった。


———

 授業が終わりかけた時、王城の使いが来た。

 最近、この流れに既視感がある。

 講堂の扉が開く音だけで、胃が少し重くなる。

 最悪だ。


「許可札発行窓口で、繁忙刻だけ大きな遅れが出ています」


 使いは息を整えながら言った。


「受付術は動いております。戸札確認術も落ちておりません。納付確認術も止まってはいない。許可台帳更新も、発行札作成も、通知札送出も生きています」


 ルドーが目を細めた。


「全員、生きている」


「はい」


「客は止まる」


「はい」


 講堂が静かになった。

 今日の実演と同じ形が、そのまま王都の窓口に出ていた。


 使いは困った顔で続けた。


「各部署が、うちは悪くない、と」


 人類が組織を作ると、必ずこの台詞が生まれる。

 そして部分的には本当なので、余計に厄介だ。


「一件を追いましょう」


 私は言った。


 ルドーが短く締めた。


「現場で見ろ」


———

 許可札発行窓口は、夕方の光で黄色く濁っていた。

 市民の列が入口の外まで伸びている。

 紙と汗と苛立ちの匂いが混ざっていた。


「朝は普通なのです」


 受付長が言った。


「昼もまだ動きます。ですが、夕方になると急に詰まる」


 別の担当官が口を挟んだ。


「戸札確認は正常です。うちの盤は落ちていません」


「納付確認も返しています。遅いと言われても、止まってはいない」


「発行札作成も動いております」


 全員が、自分の机の上だけを見ている。

 そして、嘘は言っていない顔だった。


 だからこそ困る。

 嘘つきを見つければ終わる問題は、むしろ楽だ。


 私は列の先頭の市民を見た。

 疲れた顔で、許可札の控えを握っている。


「一件ごとの通り印を入れます」


 部屋が少しざわついた。


「各術系で区間印も残してください。どこへ入り、どこを出て、どこで戻ったか。まず、それを見ます」


 受付長が不安げに言った。


「それで、犯人が分かりますか」


「犯人ではなく、道筋が分かります」


 責任探しより先に、形を見る。

 形が見えなければ、責任も対策もだいたい濁る。


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