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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
はじまり

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第7話 授業は戦場より難しい

 図書館の朝は静かだった。

 そして魔法学校の朝は、静かではなかった。


 廊下の向こうから笑い声が飛んでくる。誰かが走る。誰かが叫ぶ。

 戦場の喧騒とは種類が違う。軽いのに、うるさい。うるさいのに、刺さる。


 私はローブの襟を引っ張りながら歩いた。


「……学校、慣れない」


 隣を歩くリゼが、当然みたいに言う。


「慣れないよ。普通」


「普通って便利な言葉だな」


「ユウが変なだけ」


 いきなり切る。強い。


 廊下の角を曲がると、小声が飛んだ。


「……あの人じゃない?」

「南門の……」

「図書館の……」


 視線が痛い。

 戦場で矢を浴びるより、こっちの方が苦手かもしれない。人間関係はバフもデバフも強すぎる。


 リゼが半歩前に出た。


「通るよ。授業に遅れる」


 それだけで周囲の空気が引く。

 この子、司書長と同じ種類の圧を持ってる気がする。


 教室の扉を開けると、ルドーが黒板の前に立っていた。

 相変わらず目つきが悪い。なぜ教師なのか。


「遅い」


「すみません」


「謝るな。早く座れ。――お前は編入したんだ。授業は出ろ。逃げるな」


 逃げるな、と言われると逃げたくなる。

 でも逃げたら死ぬのがこの世界だから、座った。


 ルドーは黒板に大きく書いた。


『名前を付けろ』


 ……急に何の話だ。


「お前らは術式を作る。だが作った術式に“名前”を付けない」

 ルドーは淡々と言った。

「結果どうなる?」


 誰も答えない。


 ルドーは鼻で笑って続けた。


「混ざる。混線する。別の術式の部品が紛れたとき、見分けがつかない。

 そして現場で死ぬ」


 導入から物騒だ。

 この人は授業で人を元気づける気がない。


 ルドーは机の上に、二つの小さな札を置いた。

 青い札と赤い札。どちらもただの札に見える。


「これは術式札だ。似ているが、中身が違う」


 青い札を指で弾く。


 机の上のチョークが、ふわりと浮いた。静かに。


 次に赤い札を弾く。


 今度はチョークが、机の端へ“滑って”移動した。


 教室のあちこちで小さく声が漏れる。


「同じ“動く”でも目的が違う」

 ルドーが言う。

「だが札が混ざったら、目的も混ざる」


 ルドーは青い札と赤い札を重ねた。

 そして短く詠唱する。


 チョークが浮いた……瞬間、横へ滑り出した。

 机の端から落ちそうになる。


 リゼが思わず身を乗り出した。

 私も反射で手を出しかけた。


 だが、ルドーが指を鳴らすとチョークはぴたりと止まった。


「今のが事故だ」

 ルドーは黒板に書き足す。


『混ぜるな危険』


「術式の部品が混ざると、挙動が混ざる。目的が壊れる」

 ルドーは言う。

「だから名前を付けろ。

 “これは何をしていい札か”を、誰が見ても分かるようにしろ」


 私は内心で頷いていた。

 現世でも見た。ラベルがないものは、いつか爆発する。


 ルドーが言った。


「宿題。お前らの使う術式を三つ挙げろ。

 『目的』『禁止』『例外』を一行で書け。短く、読める形でだ」


 読める形。

 司書長が喜びそうな単語だ。


 そのときだった。


 廊下の向こうから、ドン! と机が倒れるような音がした。

 続けて、ガラガラガラ、と何かが転がる音。


「止まれ! 止まれって言ってるだろ!」


 怒鳴り声。


 ルドーがゆっくり息を吐いた。


「……さっそく実地だ」


 実地。

 嫌な予感しかしない。


 ルドーは扉を開け、廊下を覗いた。

 私とリゼも後を追う。


———

 廊下は、ちょっとした戦場になっていた。


 石の床を、小さなゴーレムがガタガタ走り回っている。

 背は膝くらい。四角い胴体に、箒みたいな腕が二本。腹には口みたいな隙間がある。


 そいつが何をしているかというと――


 机の脚にぶつかり、書類を吸い込み、黒板消しを吸い込み、教科書を吸い込み、そして満腹でも止まらず吸い込み続けている。


「こら! それは教材だ!」


 別の教師が叫んでいるが、ゴーレムは止まらない。


 さらに最悪なのは、吸い込んだものを腹の口から勢いよく吐き出し、廊下の反対側へ投げていることだった。

 片付けるつもりが散らかしている。最悪の自己矛盾。


「全員下がれ! 制御術式を組む!」


 若い教師が前に出た。額に汗。声が上ずっている。

 彼はゴーレムに向かい、長い詠唱を始めた。


 ――動力遮断。

 ――吸引停止。

 ――吐き出し抑制。

 ――安全保持。

 ――対象再指定。


 途中まで聞いて、私は胃が痛くなった。

 これ、現場で唱えるやつじゃない。


 案の定、廊下の騒音で声が揺れた。

 詠唱の一節が噛み合わず、ゴーレムの動きが一瞬だけ鋭くなる。


 机が跳ねた。紙が舞った。


「くっ……!」


 若い教師が言葉を詰まらせた。

 次の瞬間、ゴーレムがその教師の足元へ突っ込む。


「危ない!」


 誰かが叫ぶ。


 ルドーが舌打ちし、教師を引き戻した。


「……だから言ったろ。制御詠唱は長い。現場でやると事故る」


 若い教師が唇を噛んだ。


「でも、止めないと……!」


「止める。だが順番がある」


 ルドーの視線が、こちらに向く。

 私は息を吐いた。逃げ場はない。


 私はゴーレムを観察した。


 こいつは床のゴミだけを吸っているわけじゃない。

 “床に触れたもの”を無差別に対象としている。


 吐き出し先は、たぶん“廊下の端”。

 片付けるべき場所を「端に寄せる」と誤解している。


 私は呟いた。


「……“名前”が壊れてる」


 リゼが目を丸くした。


「名前?」


「何を掃除していいか、何を掃除しちゃいけないか。

 その区別が消えてる」


 ルドーが短く言った。


「混ぜたな」


 私はゴーレムの腹に貼られた札を見た。

 小さな刻印。魔法学校の紋章。

 そしてその横に、別の札が貼られている。


 赤い札。


「……これ、図書館の札だ」


 リゼが息を飲む。


「え? なんで?」


 答えは単純だ。

 図書館で札を使って“別の流れ”に分岐させた。

 その札がどこかで混ざった。

 混ざった札が、掃除ゴーレムに貼られた。


 つまりゴーレムは「分類のルール」を背負わされ、掃除のルールが壊れた。


 ルドーが低く言った。


「……授業の続きだな。混ぜるな危険」


「先生、反省してください」


「している」


 嘘だ。


 私は言った。


「まず安全停止。次に吐き出し。最後に再起動。

 本来はさっきの先生みたいに、長い制御詠唱で“全部まとめて”やる手順です」


 リゼが目を丸くする。


「そんなに長いの……?」


「長い。しかも騒がしい場所ほど失敗する」


 ルドーが頷く。


「だから、“失敗しても安全な形”が必要になる」


 私はジェムを握った。


 《インヴォーク》は便利だ。便利すぎる。

 だから私は、あれを“押せば何とかなるボタン”にはしたくなかった。

 中で何が起きているのか分からないまま、結果だけを積み上げるのは――いつか必ず、痛い目を見る。

 次に同じことが起きたとき、理由を説明できないのが一番怖い。


 ――だが今は、止めるのが先だ。

 そして今の私は、手順を「見える形」で呼び出せる。


 私は短く言った。


「インヴォーク。安全停止」


 ジェムが淡く光る。

 ゴーレムの足が、ぴたりと止まった。腹の口も閉じる。吸引が止まる。

 廊下が静かになる。


 教師たちが一斉に息を吐いた。


「……止まった……」


 私は言った。


「次、吐き出し。これも順番が必要です。いきなり吐くと危ない」


「どうする」


「吐き出し先を作ってから吐かせる」


 私は廊下の端に、空の布袋を並べた。

 リゼが手伝う。こういう作業は早い。


 私はゴーレムに向かって言った。


「インヴォーク。吐き出し。対象:布袋」


 ゴーレムの腹が開き、吸い込んだものが、きちんと袋の中へ吐き出されていく。

 本、黒板消し、紙、チョークの箱。

 さっきの教師がやろうとしていた「手順の一部」が、崩れずに進んでいく。


 最後に赤い札が、ぽとりと落ちた。


 私はそれを拾い上げた。

 指でつまむと、やけに軽い。


「原因はこれ」


 リゼが覗き込む。


「図書館の札……」


「混入。現場あるある」


 リゼはよく分からない顔をしたが、うん、と頷いた。

 よく分からなくても頷いてくれるのは助かる。


 ルドーが言った。


「では再起動だな」


「はい。再起動。……でも同じ仕様だとまた暴走します」


「どう直す」


「仕様を戻します。掃除は掃除。分類は分類」


 私は札を剥がし、ゴーレムの刻印に触れた。


「インヴォーク。初期化」


 ジェムが光る。

 ゴーレムの目の光が安定した。


 ゴーレムが小さく首を傾げるような動きをする。

 そして床の埃だけを吸い込み始めた。


 机にはぶつからない。書類には触れない。

 ちゃんと賢い掃除ゴーレムに戻った。


 廊下に、安堵の空気が広がった。


 若い教師が小さく呟いた。


「……短いのに、全部できてる……」


 私は肩をすくめる。


「短いのは“呼びかけ”だけです。中身は長い」


 ルドーがぼそりと言った。


「……お前、学校の備品まで面倒を見る気か」


「放っておいたら誰かが怪我します」


「お前、正しいことを言うのが腹立つな」


 褒め言葉だろうか。よく分からない。


 リゼが小さく言った。


「ユウ、さっき……ちょっとかっこよかった」


「どこが」


「止め方が、慌ててなかった」


 それは、ただの経験だ。

 現世で何度も炎上を見た。だから手が勝手に動く。


 でも“かっこいい”と言われると困る。

 私は咳払いで誤魔化した。


「……授業に戻ろう」


「うん」


 リゼが笑った。

 廊下の光が少し柔らかく見えた。


———

 授業が終わるころには、私は妙に疲れていた。


 戦場の疲れとは違う。

 周囲の視線と、雑音と、細かい調整の疲れ。


 教室を出たところで、ルドーが言った。


「ユウ」


「はい」


「お前はもう、学校の生徒だ。現場だけで生きるな。授業も受けろ」


「……努力します」


「努力でどうにかなるなら苦労しないがな」


 ひどい。


 そのとき、廊下の向こうから足音が響いた。

 伝令だ。王城の制服。顔が青い。息が荒い。


「ルドー先生! それから……ユウ・サカモト殿!」


 私の名前が出た。

 嫌な予感がする。


「王城より指名です! 至急……来ていただきたい!」


 ルドーが眉を上げる。


「何が起きた」


 伝令は一度息を吸って、言った。


「……王都の公衆浴場です!」


「浴場?」


「湯が、止まりません!」


 廊下が一瞬だけ静まり返った。


 伝令は続ける。かなり必死だ。


「魔導湯沸かしが暴走し、浴槽へ湯が流れ込み続けています!

 止水の詠唱が通らず、湯気で中も見えません!

 このままでは浴場が溢れ、周囲の通りまで湯浸しになります!」


 ……なんだそれ。

 戦争よりは平和だが、困る度合いは十分高い。


 リゼが目を瞬かせる。


「お風呂が……溢れる……?」


 ルドーが腕を組んだ。


「くだらないようで、くだらなくないな。風呂は市民の機嫌に直結する」


 それは分かる。

 人類は風呂を失うとすぐ荒れる。


 伝令がさらに言う。


「王が、ユウ殿を指名しました! 『詰まりを通したなら、今度は流れを止めろ』と!」


 王、ちょっと言い方を楽しんでないか。


 私は息を吐いた。


「……また仕事か」


 リゼが私の袖を掴む。いつもの合図。


「ユウ、行こう」


 ルドーが口の端を上げた。


「授業はここまでだ。現場で学べ」


「先生、楽しそうですね」


「誤解するな。面倒が好きなだけだ」


 最悪だ。


 でも――不思議と、嫌じゃなかった。


 私はジェムを握り直した。

 《インヴォーク》は強い。

 そして、強いものは必ず呼ばれる。


 王都の公衆浴場で、今度は何が詰まっていて、何が流れすぎているのか。

 それを見に行く。

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