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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第68話 半分だけ新しい、が一番まずい

 朝、リゼの家の台所は湯気で少し白かった。

 鍋の中で豆と野菜が煮えている。

 木匙が鍋底をこする音が、眠気の残る頭にやさしく刺さった。


「今日は講堂?」


「たぶん。昨日止めた受付術の件で、ルドーが何か言うと思う」


「また止める話?」


「今日はたぶん、替える話だ」


 リゼが鍋を見たまま首を傾けた。


「替える?」


「今使っているものを止めずに、新しいものへ替える。表を新しくしたいけど、作り替えには時間がかかる。そういう時に、途中をどう扱うか」


「料理の途中の鍋を客に出すな、ってこと?」


「だいたいそれ」


「出すなら完成してから一皿ごと替えろ、みたいな」


 リゼはあっさり言った。

 朝から本質を刺してくる。

 最悪だ。

 私の授業は、だいたいリゼの台所で先に終わる。


———

 講堂は少しざわついていた。

 昨日の受付術の件が、すでに学生たちの耳に入っているらしい。

 窓から入る午前の光が、長机の傷を白く浮かせていた。

 石板の前に立つと、木の床が少し鳴った。


 ルドーがいつものように腕を組んでいる。

 顔は眠そうでも怒ってもいない。

 だが、何かを投げる前の顔だった。


「問う」


 学生たちが静かになった。


「大きな割当表を替える」


 ルドーは短く続けた。


「現場は止めぬ」


 間があいた。


「どう替える」


 講堂の空気が少し重くなった。

 こういう問いは、答えがありそうで、たいてい罠がある。

 人類は罠のある問いに対して、まず勢いで板を踏む。


———

 前の席の学生が手を上げた。


「少しずつ直せばよいのでは」


「半端」


 ルドーが一語で斬った。


 別の学生が言う。


「埋まったところから使うとか」


「混ざる」


 また別の学生。


「古い表に上書きしていけば」


「壊す」


 後ろの学生が少し自信なさげに言った。


「夜のうちに頑張る、ですか」


「祈り」


 講堂のあちこちで小さく笑いが起きた。

 笑っている場合ではない。

 私も昔、夜のうちに頑張る側にいたことがある。

 だいたい朝に人間の顔ではなくなる。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


「はい」


 言ってから気づいた。

 学生たちが少し笑った。

 最悪だ。


———

 私は石板の前に、二つの木箱を置いた。

 一つには大きく、表台帳、と書いた札を置く。

 もう一つには、裏台帳、と書いた札を置く。


 それから、細い赤い札を一枚持った。


「これは参照札です。現場がどちらの台帳を見るかを示す札だと思ってください」


 赤い札を表台帳の箱に差した。


「今、現場は表台帳を見ています。古いけれど、少なくとも全員が同じものを見ている」


 箱の中には、座席と名前を書いた木片を並べてある。

 古い席割りだ。


「ここで、新しい席割りへ替えたいとします」


 私は表台帳の箱から木片を一つ抜いた。

 代わりに新しい名前の木片を入れた。

 別の席は空欄にした。

 さらに別の席には、古い名前と新しい名前を重ねて入れた。


「これを現場が見ると、何が起きますか」


 学生の一人が顔をしかめた。


「案内係が間違えます」


「門番と席札担当で言うことが違います」


「空欄の席が誰のものか分からなくなります」


「そうです」


 私は表台帳の箱を軽く叩いた。


「半分だけ新しい、が一番まずい。古い表なら古い表として扱えます。新しい表なら新しい表として扱えます。でも、半分だけ新しく、一部だけ空欄で、古い名と新しい名が混ざった表は、現場では誤りと変わりません」


———

 石板に書く。


 表台帳

 裏台帳

 参照札

 裏組み

 一括切替


「大事なのは、表を直接いじらないことです」


 私は崩した表台帳をいったん元に戻した。

 古い席割りに戻す。

 参照札も表台帳に差したままにする。


「今使っている表台帳は、そのままにします。現場には、まだ古い表だけを見せる」


 次に、裏台帳の箱へ新しい木片を並べ始めた。

 わざとゆっくりやる。

 一席目。

 二席目。

 三席目。

 途中で一つ間違えた木片を置く。


「新しい割当は、裏台帳で組みます。完成するまでは現場へ見せません」


 リゼが横から箱を覗き込んだ。


「途中で間違えたら?」


「裏台帳の方を捨てます」


 私は間違えた木片を外し、裏台帳の中身を少し崩して見せた。


「失敗するなら裏で失敗しろ、です。表へ混ぜるくらいなら、最初からやり直したほうがましです」


 ルドーが短く言う。


「表は汚すな」


「そうです」


———

 学生の一人が手を上げた。


「でも、裏で組んでいる間に、現場は古い表を使い続けるのですよね。古いままでよいのですか」


「よくはありません」


 私は言った。


「でも、半端な新しさよりは安全です。古い表には古い表としての整合いがあります。全員が同じ古さを見ているなら、まだ話が通じます」


 別の学生が言う。


「早く新しくしたい場合は」


「早さと、途中を見せないことは別です。急ぐなら、裏で組む人を増やす。検める手順を短くする。けれど表に半端を混ぜるのは違います」


 人間は急ぐと、作業中の床を客に歩かせ始める。

 しかも、なぜか客が転ぶと客の歩き方を責める。

 最悪だ。


———

 裏台帳の木片を並べ終えた。

 一席ずつ読み上げる。

 空欄がないか。

 二重に同じ名がないか。

 席札の数が合っているか。

 古い参照札が残っていないか。


「検めが終わったら、最後にこれだけを替えます」


 私は赤い参照札を、表台帳から抜いた。

 そして裏台帳へ差した。


「一括切替です」


 講堂が少し静かになった。

 やっていることは地味だ。

 札を一本差し替えただけ。

 でも、現場から見ると、今この瞬間に全員が新しい表を見ることになる。


「現場は途中の泥を踏みません。表は古い表から、新しい表へ、一度で替わる。裏で何度間違え、何度組み直したかは、現場に見せなくてよい」


 ルドーがうなずいた。


「終わってから出せ」


「はい」


「はいは一回だ」


 私は黙った。

 今回は勝った。

 小さい勝ちだが、勝ちは勝ちである。


———

 リゼが腕を組んで言った。


「つまり、使ってる棚をその場で組み替えるんじゃなくて、裏にもう一つ完成品を作ってから、最後に札だけ差し替えるのね」


「その通りです」


「途中の棚を客に見せたら、どこに皿を戻せばいいか分からなくなる」


「まさにそれです」


 学生たちが頷いている。

 台所の比喩は強い。

 人類は難しい札の話より、皿の置き場の方が早く理解する。


———

 授業の終わり際、ルドーが私を見た。


「王宮へ行く」


「今ですか」


「現場は待たん」


 嫌な予感がした。

 だいたい、授業で扱った話は、その日のうちに現場で腐っている。

 経験則としてかなり当たる。

 当たってほしくない経験則ほどよく当たる。


———

 王宮へ向かう道は、昼の光で白く乾いていた。

 石畳に馬車の轍が残っている。

 通りの端で、催しに使う花飾りを運ぶ人たちが忙しそうに動いていた。


 昨日の受付術を止めた催しの準備が、まだ続いている。

 数日後の来賓の集まり。

 受付は旧手順へ戻した。

 だが、催しに必要なのは受付だけではない。


 王宮の門をくぐると、廊下の空気がすでに重かった。

 紙の匂い。

 蝋の匂い。

 急いで書き直された札の匂い。


 困惑と諦め。

 ここは戦場ではない。

 だが人間の顔は、締切前にはだいたい同じになる。


———

 式典担当局の部屋では、台帳が広げられていた。

 長机の上に、来客席割り台帳が何冊も並んでいる。

 案内係、門番、書記、席札担当。

 それぞれが違う紙を持って、同じ顔で困っていた。


「ユウさん」


 昨日の役人が私を見つけて、少し安堵した顔をした。

 安堵しないでほしい。

 安堵されると、だいたい問題がこちらへ渡される。


「何が起きていますか」


「席割りです。受付術は止めましたが、来客席の割当を組み直していまして」


 役人が台帳を指した。


「今使っている表を、そのまま直しながら更新しています。ところが、案内係が見ている席と、門番が控えている来客名が合わない。席札にも空欄が出ています」


———

 別の担当者が紙を差し出した。


「こちらでは東側三列目がオルファ商会長になっています」


 席札担当が首を振る。


「でも席札では同じ席が学士院のベレン様です」


 書記が言う。


「控えではそこは空欄です。昨日の夜、変更待ちになったはずで」


 門番が疲れた声を出した。


「では、どれが正しいのですか」


 誰も答えなかった。


 私は台帳を見た。

 ある席は新しい名。

 ある席は古い名。

 一部空欄。

 二重割り。

 参照札の向きも、係によって違う。


 授業で見せた木箱が、目の前で人間の手と紙になっていた。

 最悪だ。


———

 ルドーが低く言った。


「同じか」


「同じです」


 私は表台帳の端を指で押さえた。


「表を直しながら使っています。だから途中状態が全部、現場へ見えています」


 役人の顔が曇った。


「急いでいましたので。できたところから使えば、準備が早く進むと」


「気持ちは分かります」


 実際、分かる。

 締切が近い。

 人手は足りない。

 古い表のままだと、変更が反映されない。

 できたところから出したくなる。


 だが、半端な正しさは、現場では誤りと変わらない。


———

 私は紙を一枚取り、問題を書き出した。


 表台帳を直接書き換えている。

 失敗したときに戻す先がない。

 係ごとに違う時点の表を見ている。


「今の状態では、誰も嘘をついていません。でも全員の言うことが食い違っています」


 案内係が小さく息を吐いた。


「まさにそれです」


「同じ表を見ているつもりで、違う状態を見ています。だから現場で話が合わない」


 私は表台帳を閉じた。


「まず、これ以上この表を直接直すのをやめてください」


 部屋の中が静かになった。


「今からですか」


「今からです」


———

 ルドーが短く言う。


「止めろ」


 その一言で、担当者たちが手を止めた。

 筆の音が消えた。

 紙をめくる音も消えた。

 廊下の遠い足音だけが残った。


「ここから先は、表で直しながら使わない。旧表台帳をいったん凍らせます。現場には、まず古い表だけを見せる。混乱を止めます」


 役人が唇を引き結んだ。


「古い表に戻すと、最新の変更が反映されません」


「それでも、係ごとに違う半端な表を見るよりは安全です」


 窓の外で、荷車の車輪が石畳を鳴らした。


「今必要なのは、早さではなく、一度そろえることです」


———

 役人はしばらく黙った。

 それから、台帳を見回した。


「……分かりました。旧表台帳を基準に戻します。案内係と門番に伝えます」


 係の一人が走っていった。


 私は残った台帳を見た。

 混乱の原因は派手ではない。

 悪意もない。

 ただ、途中の作業を現場へ見せた。

 それだけで、人は十分に困れる。


 人類は、完成品より途中の泥でよく転ぶ。


———

 夕方が近づいていた。

 西日の色が窓枠にかかり、机の上の紙を橙色に染めていた。


 旧表台帳への戻しは始まった。

 だが、新しい席割りはまだ必要だ。

 催しは数日後に来る。

 時間は止まらない。


「新しい席割りは、別の裏台帳で組み直してください」


 私は空の台帳を指した。


「完成するまで、現場へ見せない。検めが終わったら、最後に参照札だけを一括で替えます」


 役人がうなずいた。


「明日、それを」


「はい。明日やります」


 ルドーが歩き出しながら言った。


「半端は出すな」


 その背中を見ながら、私は小さく息を吐いた。

 授業は終わった。

 現場調査も終わった。

 だが、本番は明日だ。


 表に出すなら、終わってから出せ。

 それを、明日ここでやる。


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