第5話 戦争が終わって、仕事が始まる
南門の上は、拍子抜けするほど静かだった。
あの太鼓の音もない。喉の奥に残るざらつきもない。
風が通り、森が揺れ、いつもの朝みたいに鳥が鳴いている。
――第二波を退けた翌日から、魔王軍は何度か探りを入れてきた。
小規模な襲撃、遠距離からの妨害、こちらの反応を見るような動き。
だが正面からの侵攻は割に合わないと判断したのか、ある日を境に、太鼓も妨害もぴたりと止んだ。
勝ったのか?
それとも、敵が形を変えただけなのか?
私はその静けさを見下ろしながら、妙に落ち着かなかった。
「……静かすぎないか」
隣でリゼが首を傾げる。
「静かでいいじゃん」
「静かすぎるのは怖い」
「ユウ、ほんとに戦場のあとって変になるね」
変になっている自覚はある。
でも、こっちが“変”なのではなく、世界が急に“普通”に戻る方が変だと思う。
ルドーが後ろで鼻を鳴らした。
「敵は撤退した。それだけだ」
「撤退……?」
「昨日と一昨日で分かったんだろう。正面から来ても、損が増えるだけだとな」
損。
敵に損得勘定があるのは、逆に安心した。アホじゃない。
アホじゃない相手が引いたのは、気持ち悪いが、同時に筋が通っている。
ラドゥル指揮官が上がってきた。顔は疲れているが、目は生きている。
「偵察の報告だ。魔王軍は南の補給線を切って引いた。野営地も焼いている。追えば追えるが――罠の可能性が高い」
彼は短く言った。
「王が追撃を止めた。……ここで“勝った”と叫ぶには早い。だが、今は守る」
守る。
その言葉に、城壁の空気が少しだけ締まる。
ルドーが私の横で言った。
「戦場が静かになっても、地獄が終わるわけではない。形が変わるだけだ」
……この人、朝から縁起が悪い。
でも、たぶん正しいのが腹立つ。
スマホが震えた。圏外。なのに。
AIエージェント:「観測:敵軍の正面侵攻が停止。理由推定:費用対効果の悪化。次段階:王国側の“内部詰まり”が顕在化します。」
内部詰まり。
嫌な言葉だ。すごく嫌な言葉だ。
でも、私はなぜか――その言葉に少しだけ安心した。
戦場は怖い。
でも“詰まり”は、私の得意分野だ。
───
その日の昼前、私は王城に呼び出された。
「褒賞の場」だと聞いた時点で帰りたかったが、帰る場所がない。
仕方なく、リゼと一緒に石造りの広間へ入る。
玉座の前には、王がいた。
豪華な衣装。疲れた目。王冠は重そうだ。
横には宰相らしい男と、魔導士団の代表。ルドーもいた。なぜか当然の顔で。
「ユウ・サカモト」
王が私の名を呼んだ。
私は膝をつきかけて、動きが分からず一瞬固まる。リゼが小さく肘でつつく。
遅れて膝をついた。
「そなたの働きにより、王国は崩れずに済んだ。感謝する」
拍手が起きる。
その拍手が、妙に遠い。
現世の表彰式を思い出しそうになって、脳が拒否した。
王は続けた。
「本来なら、金と地位を与えるところだ」
……やめてくれ。地位はいらない。
金は、ちょっと欲しい。生活費がない。
「だが、今この王国に足りぬのは褒賞ではない」
王は息を吐いて言った。
「仕事だ」
広間が静かになる。
私は内心で突っ込んだ。
(いや、足りないのは人手じゃないのか?)
その表情を読んだのか、宰相が一歩前へ出た。
「もちろん人手も足りません。戦で削れ、疲れ、恐れています。――ですが問題は“数”だけではないのです」
宰相は落ち着いた声で続けた。
「この国は、魔法で何でもできるようになった代わりに、術式が複雑化しすぎました。
その結果、ひとりが処理できる量が落ちています。失敗が増え、やり直しが増え、確認が増え……」
私は思わず思い出していた。
現世でもよくある。人を増やしても、手順が壊れていると余計に回らなくなるやつ。
宰相が言う。
「つまり“人手”が足りないのではなく、人手が働ける形になっていない。
渋滞しているのは、現場ではなく“手順”です」
宰相は一度だけ咳払いをしてから、話を続けた。
「たとえば大図書館です。棚卸しが終わらないのは、単に司書が怠けているからでも、人数が少ないからでもありません」
宰相は淡々と言った。淡々としているのに、内容は残酷だった。
「分類が崩れた本を一冊戻そうとすると、その周辺の棚が連鎖的に崩れます。
札の付け替えが必要になり、目録の書き直しが必要になり、誰かが確認し、さらに誰かが承認し……」
私は思わず、現世の嫌な記憶を掘り起こしていた。
変更が変更を呼ぶやつだ。
「そして、その途中で修繕魔法や整理魔法が失敗する。失敗すればやり直しです。
やり直しは、元に戻すだけではありません。どこまで戻ったかを確認し、抜けを探し、辻褄を合わせる」
宰相は言葉を選んでいるようで、選んでいなかった。
たぶん、もう疲れている。
「結果として、司書たちは“本を戻す”より“失敗の後始末”に時間を使っています。
人手を足しても、その人手が後始末に吸い込まれるだけです」
王が小さく頷いた。
「だから、詰まりを通す必要がある」
「人を増やすには時間がかかる。だが、詰まりを通すことは今すぐやらねばならぬ。
だから、そなたに頼みたい」
宰相が補足する。
「そなたの《インヴォーク》は、術式の失敗を減らし、手順を短くし、再現できる形にできる。
戦場でそれを見ました。……今度は、国の中でそれをやってほしい」
王が言った。
「戦争に勝っても、紙に負けては意味がない」
……わかりすぎる。
紙は強い。世界を支配する。
ルドーがぼそっと言った。
「戦場より地獄だ」
「先生、図書館嫌いなんですか」
「嫌いではない。だが司書は怖い」
何それ。
でもちょっと分かる。現世でも図書館の人、静かに強い。
王が言った。
「ユウ。そなたに図書館の詰まりを通してほしい。
報酬は後で話す。……まずは、行け」
私は一瞬だけ迷って、そして頷いた。
「わかりました」
リゼが小さく息を吐いた。
彼女は笑っていない。緊張している。でも、逃げていない。
宰相が言った。
「同行者としてリゼをつけます。彼女は学校での保証人でもありますから」
リゼが目を見開いた。
「えっ、私……?」
ルドーが淡々と告げる。
「お前は現場を見ろ。魔法は運用だ」
リゼが私を見て、少しだけ困った顔をした。
私は肩をすくめる。
「……一緒に地獄を見る?」
「地獄って言うな」
言いながら、リゼは小さく頷いた。
───
王国大図書館は、城の奥にあった。
外から見れば美しい。石造りの大建築。高い窓。静かな庭。
中に入ると、もっと美しい――はずだった。
匂いが違う。
紙とインクと埃。
そして、薄い汗の匂い。
司書の女性が走っていた。走ってはいけない場所で走っている。
つまり、相当終わっている。
「すみません! すみません! その棚、そこじゃありません! 違います! 違いますって!」
叫び声が響く。
静寂のはずの図書館が、普通に戦場だった。
別の司書が泣きそうな顔で書類を抱えている。
「棚卸しが……棚卸しが……終わらない……!」
私は思わず呟いた。
「……これは……ひどい」
ルドーが肩をすくめる。
「言っただろ。地獄だ」
司書の長らしい老人が現れた。
白い髭。鋭い目。静かな声。
静かな声なのに、全員が一瞬で黙った。
「あなたが、ユウ・サカモトですか」
私は背筋を正す。
この人、強い。魔法じゃない。圧が強い。
「はい」
「あなたの“呼びかけの魔法”が、戦場で役に立ったと聞きました」
呼びかけの魔法。《インヴォーク》。
戦場で叫んだ言葉が、もうここまで届いている。噂は早い。
老人は続けた。
「では、図書館でも役に立ちますか?」
私は周囲を見回した。
本棚。
本棚。
本棚。
無限に続く本棚。
棚の札がところどころ外れている。分類が混ざっている。
司書が手に持っている一覧表は、書き直しの跡だらけ。
これ、現世で言えば――在庫管理が崩壊してる倉庫だ。
私はゆっくり息を吸った。
戦争は終わった。
でも、私の“仕事”は始まった。
「……まず、状況を確認します」
老人が頷く。
「どうぞ」
リゼが私の袖を掴んだ。
「ユウ……図書館って、こんなに怖いの……?」
「……怖いよ」
私が正直に言うと、リゼは少し笑った。
「よかった。今日も怖がってる」
「怖がってると安心されるの、変な文化だな」
「うん。でも私は好き」
好き。
さらっと言うな。反応に困る。
私は咳払いして、目の前の本棚を見た。
背表紙の列。番号。題名。著者。巻数。
情報の海。物理的に。
心の中で、ふと思った。
(……これ、分割して、並べ替えて、統合すれば……)
頭の中で、何かが噛み合う音がした。
戦場の同期とは別の種類の快感。
これは、やれる。
ルドーが横から言った。
「ユウ。ここで変に派手なことをするな。司書は怖い」
「先生、司書に何されたんですか」
「昔、返却期限を破った」
「自業自得」
司書長が静かに言った。
「返却期限は守ってください」
ルドーが黙った。
やっぱり司書が最強だった。
私は覚悟を決めた。
「……棚卸し、終わらせます」
司書たちの目が一斉にこちらを向く。
期待と疑いと、疲労と。
その全部が混じった目。
私は結晶に触れた。
《インヴォーク》を使うかどうかは、まだ決めない。
まずは現場を見る。分類基準を聞く。制約を確認する。
でも――
私は少しだけ笑った。
戦場より、こっちの方が私の仕事だ。




