第4話 インヴォーク、全隊同期
王城へ向かう廊下は、昨日よりも騒がしかった。
兵士が走る。鎧が鳴る。誰かが怒鳴る。誰かが泣いている。
昨日は“混乱が命令に変わる瞬間”を見たが、今日は混乱が混乱のまま増殖していた。
ルドーは早足で歩きながら、こちらも振り返らずに言った。
「第二波は“妨害”付きだ。術式が乱れる」
「昨日のより厄介なんですか」
「厄介というより性格が悪い。魔法が使えないんじゃない。“使えるはずなのに”失敗する」
性格が悪い。
最悪のタイプだ。
リゼが私の隣で息を吞んだ。
「妨害が来ると……詠唱の途中で、声が震えたり、言葉が抜けたり……」
「言葉が抜ける?」
「……集中が切れる。急に、関係ないことを考えたり」
なるほど。
妨害は魔力だけじゃなく、人間の方を殴ってくる。
でも、いまは深掘りしない。
深掘りすると頭が疲れるし、戦場で疲れるのは死ぬ。
ルドーが低く言った。
「だから、お前の新魔法が試される」
新魔法。
《インヴォーク》。
私はポケットの中で結晶を握りしめた。教室で作った、粗い試験用の結晶。
あれを戦場に持ち込む日が来るとは思わなかった。
スマホが震えた。圏外。なのに。
AIエージェント:「状況:王城南側、戦線形成中。敵妨害により詠唱成功率低下。提案:インヴォークを“短い呼びかけ”に限定し、同期実行により揺らぎを吸収してください。」
短い呼びかけ。
同期実行。
揺らぎの吸収。
つまり、個人を折らせず、集団で立つ。
……理屈は分かる。問題は実行だ。
───
南門前。城壁の上から見下ろすと、黒い波が森の向こうから押し寄せてきていた。
数だけでも嫌になるのに、さらに嫌なのは空気の“ざらつき”だった。
呼吸に小さな砂が混じるみたいに、意識が散る。
魔導士が一人、詠唱を始めた瞬間に言葉を噛み、次の瞬間、炎が変な方向に噴き出した。
危うく味方を焼くところだった。
「くそっ……!」
「集中できない……!」
兵士たちがざわめく。
恐怖は伝染する。しかも早い。
ラドゥル指揮官が城壁の上に現れた。顔色が悪い。昨日の勝利で眠れていない顔だ。
「ユウ!」
見つけるとすぐに呼び寄せてきた。
遠慮がない。良い。
「妨害で魔導士が落ちている。結界も回復も崩れ始めた。――このままだと門が持たん」
私は頷いた。
「詠唱が乱れるなら、詠唱しないで済む形にします」
「……また、あの結晶か」
「今回は《インヴォーク》です。呼びかけだけで動く」
ルドーが後ろで肩をすくめた。
「お前の“問題児魔法”な」
問題児魔法。名誉なのかそれ。
私は続けた。
「全員がバラバラにやると折れる。だから、揃えます。同期します」
ラドゥルが目を細めた。
「同期?」
「全員が同じタイミングで同じ呼びかけをする。妨害が来ても、全体が引っ張ってくれる」
ラドゥルは短く頷いた。
「やれ。責任は私が取る」
責任。
この世界、言葉が重い。だが、重い言葉を吐ける人間がいるのは救いだ。
───
私は前衛の第一小隊を呼び出した。盾持ちと槍持ち、十数人。顔が強張っている。
リゼが走り回り、兵たちに短く説明している。
「詠唱しないで。短く言うだけ。合図が来たら一斉に!」
リゼの声は震えていなかった。
すごい。怖くないわけがないのに。
私は結晶を掲げた。
「聞け。今日は長い詠唱は捨てる。短い呼びかけだけだ。――《インヴォーク》」
兵士たちが、目を見開いた。
未知のやり方は怖い。だからこそ、揃える。
「三秒後に防御を展開する。合図は俺が出す。
三、二、一」
私は短く言った。
「インヴォーク。防御。」
小隊が一斉に叫ぶ。
「インヴォーク! 防御!」
瞬間、盾の前に淡い膜が展開した。
空気が一段だけ硬くなる感覚。
誰かの声が裏返っても、膜は出た。全員分、出た。
小隊の隊長が息を吞む。
「……出た。全員、出てる!」
周囲がざわつく。
“成功”は恐怖より速い。
敵の先頭が突っ込んできた。
爪、牙、錆びた刃。
それが膜にぶつかり、弾かれる。
盾が鳴る。
でも隊列は崩れない。
私はラドゥルを見る。
「いけます。次、攻撃も同期します」
ラドゥルは叫んだ。
「第二小隊も前へ! ――前衛はユウの合図に従え!」
前衛が増える。
私は合図を出す。三秒カウント。
兵が叫ぶ。《インヴォーク》。
膜が張られる。槍が光る。石礫が飛ぶ。
敵が押し込もうとするたび、隊列は揃って押し返す。
“揃う”だけで戦場の景色が変わっていく。
妨害はある。
誰かが一瞬ぼうっとする。言葉が遅れる。声が震える。
でも同期が全体を引っ張る。遅れた者を周囲が支える。
私は確信した。
妨害は“個”を折る。
なら、“群”で立つ。
───
敵の中に、黒い布をまとった一団が混じった。杖を持ち、動きが揃っている。
「……あれが、妨害の中心だ」
ルドーが低く言った。珍しく、真面目な声だった。
妨害が一段強くなる。空気のざらつきが増す。
前衛の数人がふらついた。呼びかけが遅れる。
ここで折れたら終わりだ。
私は大きく息を吸った。
声を乱されるなら、声に頼らない。
私はラドゥルに言った。
「合図を旗にします。旗が下がった瞬間、全員が同時に呼ぶ。言葉は最短でいい」
ラドゥルは即座に叫んだ。
「旗手! 中央へ! 合図は旗だ!」
旗が立つ。
兵の視線がそこに集まる。
妨害で頭がざわついても、目で見える合図なら追える。
私は短く言った。
「次は射撃。旗が下がった瞬間――」
旗が上がる。
敵の妨害部隊が杖を振る。
空気が歪む。
兵の顔が青ざめる。
それでも、旗は見える。
旗が振り下ろされた。
私は叫ぶ。
「インヴォーク。射撃。」
前衛、後衛、城壁上――すべての魔導兵が同時に叫んだ。
「インヴォーク! 射撃!」
光が走った。
矢が。
石礫が。
火球が。
氷の針が。
――同じタイミングで飛ぶ。
黒い布の一団が一瞬遅れて結界を張ったが、遅い。
同期は遅れを許さない。
杖が落ちた。
隊列が乱れた。
妨害のざらつきが、薄れる。
兵たちの顔が変わった。
あ、勝てる。
その顔だ。
ラドゥルが叫ぶ。
「今だ! 押し返せ! 門外へ!」
前衛が一斉に前へ出る。
守りから攻めへ。
速度が上がる。
戦場が、こちらのリズムに戻っていく。
───
戦いが終わったのは、昼過ぎだった。
敵は退いた。
完全殲滅ではない。逃げた。
でも、門は落ちなかった。兵は崩れなかった。
城壁の上から見下ろすと、さっきまでの黒い波が嘘みたいに引いていく。
風が通る。空が青い。ざらつきが薄れる。
私は、今さら膝が震えているのに気づいた。
遅れて怖くなるタイプ。最悪だ。
リゼが隣に来て、何も言わずに私の袖を掴んだ。
支える、というより、離れないために掴んでいる感じだった。
「……ユウ」
「うん」
「……さっき、怖かった?」
「怖かった。ずっと」
正直に言うと、リゼは少しだけ目を見開いて、それから小さく笑った。
「よかった」
「何が?」
「ユウ、すごいことするのに、怖がるんだってわかった。……それ、安心する」
その言葉は、思った以上に胸に刺さった。
英雄扱いより、効く。
ルドーが後ろから来て、こちらを見て鼻で笑った。
「ほらな。折れなかった」
「先生、今ちょっと嬉しそうですね」
「勘違いするな。私は面倒が減って嬉しいだけだ」
面倒が減って嬉しい。
それはそれで、教師らしいのかもしれない。
ラドゥルがやって来た。疲れた顔だが、目は生きている。
「ユウ。今日の勝ちは、お前のものだ」
「いや。みんなが……」
「分かっている。だが、“揃う仕組み”を作ったのはお前だ」
仕組み。
その言葉は、やっぱり効く。
ラドゥルは続けた。
「王国としては、お前の力を正式に借りたい。……と言いたいところだが」
彼は一度、言葉を切った。
「今日は、休め。命令だ。明日からまた地獄だとしても、今日は休め」
命令。
その命令は、ありがたかった。
ルドーが肩をすくめる。
「ほら、王国にもまともな上司がいる」
「上司って言うな」
ラドゥルは苦笑し、去っていった。
戦場の片付けが始まる。
兵が運ぶ。魔導士が治癒をする。声が戻っている。
私はようやく息を吐いた。
リゼが私を見上げる。
「……帰ろ。今日は、温かいもの食べていい日」
「それ、すごく魅力的だ」
リゼは小さく笑って、私の袖を引いた。
「あとね」
「うん」
「インヴォーク、みんなで叫ぶの、ちょっと……かっこよかった」
言い終わったあと、彼女は自分で少し恥ずかしくなったのか、視線を逸らした。
耳がほんのり赤い。
私は、返事に困った。
こういう時の正解が分からない。現世でも分からない。
だから、逃げた。
「……じゃあ次は、もっとかっこよく勝てるようにします」
「そういうところだよ」
リゼは笑った。
私は意味が分からなかったが、笑ってくれたからよしとする。
城壁の上から見える街は、まだ無事だった。
煙も上がっていない。鐘も鳴っていない。
束の間の静けさ。
束の間の平和。
それが“束の間”だと分かっているからこそ、今だけはありがたかった。




