第3話 逐次詠唱をやめた日
魔法学校は、王城から見て川を挟んだ先にあった。
石造りの校舎が並び、尖塔が空に突き刺さっている。中庭には噴水。芝生。学生たち。つまり、見た目だけは“ちゃんとした学校”だ。
ただし、入口に掲げられた校訓が物騒だった。
「術式は責任、詠唱は証拠」
なんだそれ。
宗教か監査か、どっちかに寄ってる。
「ここ、やっぱり怖い場所だよね」
私が呟くと、隣のリゼが小さく咳払いをした。
「ユウ。そういうの、声に出すと敵が増える」
「敵が増えるの、早くない?」
「早いよ。学校だから」
学校とは何か。異世界でも同じらしい。
編入手続きは、想像以上に簡単だった。
というより、簡単にされた。
「王国の推薦がある」
それだけで、書類がどんどん通っていく。私の身元は、紙の上で“作られていった”。
教頭らしい眼鏡の女性が、私を見ながら言った。
「ユウ・サカモト。あなたは王国への貢献により特例編入となります。本来は基礎課程からですが……時間がありません」
時間がない、という言葉は便利だ。
大抵の規則を溶かす。
「ただし」
教頭はにこりともせずに続けた。
「学内では、あなたの『通信魔具』の使用を制限します。事故の責任は取れませんから」
事故の責任。
校訓といい、何かが監査っぽい。
私は頷いて見せた。頷くしかない。
そして心の中で言った。
(スマホは制限される前提で動かす)
すでに、私の中の“仕事脳”が起動している。
───
最初の授業は、講義ではなく実演だった。
教師は昨日、王城で巨大術式を回していた魔導士の一人だった。名前はルドー。声が低い。目つきが悪い。たぶん人気がないタイプ。
「お前が例の異邦人だな。ユウ・サカモト」
「はい」
「敬語が使えるのは偉い。だが期待はするな。ここは戦場じゃない。魔法は運用だ」
運用。
その単語、妙に馴染むな。
ルドーは黒板に魔法陣を書いた。円、線、記号、文字。段階番号。
そして指先を鳴らす。
小さな石片が宙に浮き、ゆっくり回転した。
「浮遊魔法。基本中の基本だ」
次に、石片の表面が薄く光る。
「ここから材質を変える。密度を変える。強度を変える。……詠唱が増える」
ルドーは淡々と進める。
石片は金属になり、ガラスになり、また石に戻る。
ここまではすごい。
だが。
ルドーが急に眉をひそめた。
「では、同時に二つ。浮遊と材質変化と……形状修正」
詠唱が長くなる。呼吸が乱れる。
石片が一瞬、ぐにゃりと歪み、次の瞬間――弾けた。
破片が飛ぶ。
防護結界が一瞬で立ち上がり、破片は透明な壁にぶつかって落ちた。
学生たちが「わあ」と声を上げる。
ルドーは苛立ったように舌打ちした。
「見たな。これが現実だ」
黒板を指で叩く。
「魔法は“万能”ではない。要求が高度化するほど、術式は複雑化する。複雑化すれば、人間は失敗する」
私は内心で頷いた。
そりゃそうだ。人間が逐次詠唱で巨大な手順を実行するの、無理がある。
ルドーは私を見た。
「お前は昨日、詠唱なし修繕をやったらしいな。やってみろ」
教室の視線が私に集まる。
最悪だ。異世界でも注目されるの、嫌いだ。
「……ここで?」
「ここでだ」
「……材料がない」
「ある」
ルドーが机の上に、壊れた木の玩具を置いた。
昨日の、あれと似ている。露骨すぎる。
「学生用の練習教材だ。直せ」
私が黙っていると、ルドーは冷たく言った。
「できないなら、できないと言え。王国の英雄ごっこは終わりだ」
挑発が雑で助かる。
私はため息をついて、ポケットを探った。
スマホは……ある。
ただし、学校の制限で使えないはず。
だから私は、スマホを出さなかった。
「……わかりました」
私は玩具を手に取った。割れ目、欠け、塗料の剥がれ。
そして、頭の中で“やること”を分解した。
✓ 材質認識
✓ 接合面整形
✓ 欠損補完
✓ 表面仕上げ
✓ 固定
いつもなら、ここでAIに聞く。
だが今は使えない。
私は詠唱を始めた。
ぎこちない。言葉がこの世界のものになりきらない。
それでも――なんとか、修繕の光が走る。
玩具の割れ目が寄る。
……しかし。
最後の仕上げでズレた。
接合面が0.5ミリだけ浮く。
塗料が不自然に盛り上がる。
そして、木目が途切れる。
小さな失敗。
だが、目立つ失敗。
教室の空気がざわつく。
ルドーが薄く笑った。
「……ほう。できるじゃないか。だが“完璧”ではない」
私の頬が熱くなる。
悔しい。
でも、悔しいという感情が久しぶりで、少しだけ生きてる感じがするのも腹立つ。
私は玩具を置き、言った。
「……先生。これ、人間が手でやる限り、限界があります」
「当然だ」
「じゃあ、なんで皆、手でやってるんです?」
教室が静かになった。
ルドーは眉をひそめた。
「……魔法は“詠唱”だ。詠唱が正しさの証拠になる。術式が正しいことを、誰が保証する」
保証。
校訓が頭をよぎる。
なるほど。
監査のために、逐次詠唱が必要なのか。
私は言った。
「じゃあ、詠唱を“記録”すればいい」
「……記録?」
「逐次実行を、毎回人間がやるから失敗する。なら、詠唱を一度正しく作って、固定して、同じ順番で再生すればいい」
ルドーの目が細くなる。
「……それはジェムと同じ発想だ」
「ジェムは媒体です。でも媒体が増えると管理が地獄になります」
言ってから気づいた。
“地獄”って言葉、異世界でも通じるのか?
ルドーは普通に頷いたので通じたらしい。
「そして、ジェムは用途が固定される。用途が増えるほど、部品が増える。部品が増えるほど、破綻する」
私は続けた。
「だから必要なのは、“逐次実行”そのものを魔法にすることです」
ルドーが沈黙した。
教室の全員が固まっている。
私は言葉を選んだ。
「……『呼びかけ一つで、あとは勝手にやってくれる魔法』」
ルドーが低く笑った。
「……面白いことを言う。だが、お前にできるのか?」
ここで私は、ようやくスマホを出したくなった。
でも出さない。
代わりに、ポケットの中でスマホを握り、AIに“こっそり”聞く。
(おい。今の話、実現できる? 逐次実行、記録、再生。詠唱の自動化。これを“無属性魔法”として成立させたい)
画面を見ないまま、指で短く入力する。
数秒。ポケットの中で震え。
AIエージェント:「可能。概念:シーケンサー。入力:口頭命令→逐次実行→状態保持→失敗時ロールバック(簡易)。仮称案:『プログラム』。推奨:教育用に安全制約を付与(実行時間上限、対象範囲、命令長制限)。」
安全制約。
実行時間上限。対象範囲。命令長制限。
私は心の中で笑った。
AIのくせに、学校みたいなことを言う。
でもその制約は、今の私にとって救いでもある。
私はスマホを出さずに言った。
「できます。……ただし、制約を付けます」
ルドーが眉を上げた。
「ほう。どんな制約だ」
「長すぎる命令は受け付けない。対象は近距離。実行時間に上限。あと、危険な操作は拒否する」
ルドーは少し考え、頷いた。
「……それなら、学内で試せる」
ルドーは机の引き出しから、小さな透明結晶を取り出した。昨日見たジェムよりも加工が粗い。試験用だ。
「これに術式を焼き込め。お前の言う“シーケンサー”を形にしろ」
私は結晶を受け取り、深呼吸した。
やることは決まっている。
✓ 口頭命令を受け取る
✓ 命令を分解する
✓ 分解した手順を順番に実行する
✓ 状態を保持する
✓ 失敗したら止まる
✓ そして“記録”される
私はスマホを一瞬だけ取り出し、画面を伏せるようにして結晶に触れさせた。
AIの案を“そのまま”は使わない。要点だけ拾う。
私は目を閉じ、短く詠唱した。
「無属性。命令列。逐次。自動実行。記録。制約付与――」
結晶が淡く光った。
教室の空気が変わる。
リゼが息を呑む。
ルドーの目が、初めて少しだけ興奮している。
私は結晶を机に置き、言った。
「……試します」
私は、壊れた玩具をもう一度手に取った。
結晶を近くに置き、口を開く。
「……インヴォーク。対象:玩具。動作:修繕。」
結晶が光る。
玩具に淡い光が走り、割れ目が寄り、欠損が埋まり、塗料が滑らかに整う。
さっき私が失敗した“仕上げのズレ”が、起きない。
そして――光が消えた。
私は玩具を持ち上げて、軽く叩いた。壊れない。
表面も自然だ。木目も繋がっている。
教室が、沈黙した。
最初に声を出したのは、リゼだった。
「……ユウ。今の……詠唱、短かった」
「短い。だって、実行してるのは結晶だから」
ルドーが、玩具を受け取り、じっと見た。
そして、ゆっくり言った。
「……これは、『詠唱』ではない。……『呼びかけ』だ」
「そうです」
「呼びかけが“自動実行”される……」
ルドーは笑った。
やっと、ちゃんと笑った。
「……やってくれたな。お前、学校を燃やす気か?」
「燃やしません。制約を付けました」
「制約を付けたから安心だと?」
「安心じゃないです。でも、運用できます」
ルドーは結晶を持ち上げた。
「名は」
私は一瞬だけ迷った。
さっきAIが寄越した仮称が頭をよぎる。便利な名前。だが、便利すぎる名前。
「……仮では『プログラム』って呼べます。でも――」
私は結晶を見た。
これは詠唱じゃない。命令でもない。
“呼びかけ”で、上の力を借りるように動く仕組みだ。
「……《インヴォーク》で」
ルドーは目を細め、次に頷いた。
「よし。では、これを正式に“無属性魔法:《インヴォーク》”として登録する。――ただし」
彼は目を細めた。
「お前が言った制約を、文書にして残せ。詠唱は証拠。なら呼びかけも証拠だ。お前の“運用”を見せろ」
文書。
監査。
やっぱりここはそういう場所だ。
私はため息をつきながら頷いた。
「……わかりました」
その瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。
AIエージェント:「通知:あなたは“魔法体系の拡張点”を獲得しました。以降、魔法は“手作業”から“ワークフロー”へ移行可能です。なお、制約設計を誤ると、複雑性が爆発します。」
複雑性が爆発。
それ、まさに私が恐れている未来だ。
ルドーが言った。
「ユウ。今日からお前は、魔法学校の“問題児”だ」
「……誉めてます?」
「たぶん誉めている」
ルドーは結晶を机に置き、黒板に大きく書いた。
『インヴォーク(無属性)』
呼びかけを逐次的に自動実行する
教室がざわめき始める。
興奮と恐怖が混ざったざわめきだ。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
昨日の兵士とは違う、王城の伝令らしい男が、青い顔で叫んだ。
「ルドー先生! 至急、王城へ! ――魔王軍、第二波です! 今度は……魔法妨害を伴っています!」
教室の空気が一気に凍る。
ルドーが舌打ちした。
「……やれやれ。戦場が学校に来たか」
彼は私を見た。
「ユウ。お前の新魔法、《インヴォーク》だ。――戦場で動くか、試してみるか?」
私は笑うべきか迷って、結局笑った。
「……初日から実戦投入。最悪ですね」
「最悪だ」
ルドーは、楽しそうに笑った。




