第123話 法は容れ物を見る
王城外務院の会議室は、紙の匂いが濃かった。
外交文書。
財務札。
軍務連絡の写し。
封蝋の欠片。
机の上に並ぶものは静かだ。
だが、静かな紙ほど面倒な火種を抱えている。
だいたい、燃えた時には遅い。
最悪だ。
———
ルドーは外務院の表示盤に短く書いた。
強い秘匿術を国外へ出す
「なぜ縛る」
外務官と財務官。
それに、連れてこられた学生が数人。
学校の講堂ではない。
だが、ルドーが表示盤の前に立つと、どこでも授業になる。
「軍務に使えるから」
「外交文書が読まれるから」
「国庫の送金を守るから」
「敵国に渡ると困るから」
ルドーは短く頷いた。
「どれも正しい」
珍しい。
全員正解だった。
こういう日は、だいたい問題の方が悪い。
ルドーが私を見た。
「続けろ」
「はい」
「はいは一回だ」
「はい」
———
呼ばれた理由は、秘匿通信だった。
王国の術務、外交、財務は、この数年で急に遠くとつながりすぎている。
西方新大陸。
北方諸国。
南方の交易都市。
王国の文書は、昔よりずっと遠くへ飛ぶ。
「既存の秘匿術では、心もとない」
外務官が言った。
名は出さない。
外交官は、名より肩書きで動くことが多い。
「軍務連絡、国庫の送金、外交交渉。どれも、古い秘匿術だけでは不安が残ります」
財務官も頷いた。
「西方新大陸の高等秘匿術が、今は最も進んでいると聞きます」
「なら買えば」
リゼが素直に言った。
外務官は少し苦い顔をした。
「買えれば、早いのですが」
早くない話が始まる顔だった。
———
表示盤に、条文が映された。
対外封印規定
西方新大陸の一国が定めた規定らしい。
高度な秘匿術の国外持ち出しを厳しく制限する。
軍務、外交、財務を守る国の理。
そこまでは分かる。
「完成済みの術式札は禁輸」
外務官が読み上げる。
「実行可能な継ぎ札も禁輸。封じ済みの秘匿術盤も禁輸。訓練済みの秘匿術具も、用途によっては禁輸」
細かい。
とても細かい。
細かい条文は、だいたい過去の誰かが何かをやらかした跡だ。
「高等秘匿術そのものは持ち出せない、ということですね」
「そのはずです」
「そのはず」
嫌な言い方だった。
学者が、別の紙束を出した。
「ただし、学術論文と一般向け書籍は、例外的に流通を認めています」
会議室が止まった。
「書籍」
リゼが言った。
「術式札は駄目で、本はいいの?」
「条文上は」
「そんな馬鹿な」
誰かが小さく呟いた。
気持ちは分かる。
———
私は条文をしばらく見た。
禁じられているもの。
完成済みの札。
動く継ぎ札。
封じられた術盤。
認められているもの。
学術論文。
一般向け書籍。
印刷物。
「禁じられているのは、考え方そのものではなく、ある形で封じられたものなんですね」
外務官がこちらを見た。
「どういう意味でしょう」
「情報は同じでも、札に封じれば駄目で、本に綴じればよい、という扱いになっています」
会議室の空気が変わった。
「法はときどき、中身ではなく容れ物を見てしまう」
表示盤の条文が、妙に頼りなく見えた。
「もちろん、相手国の懸念は分かります。高等秘匿術は軍務にも外交にも財務にも効く。誰にでも渡したくない」
私は続けた。
「ですが、条文が容れ物を縛っているなら、別の容れ物で流れる余地があります」
リゼが眉を寄せた。
「え、それ合法なの?」
「条文と先例しだいだ」
「かなりぎりぎりね」
「かなりぎりぎりだ」
そこは誤魔化さない方がいい。
———
学者が、別の目録を出した。
「新大陸では、高等秘匿術の理論、構文列、試験例を載せた大部の書物があります。研究者向けに流通しているものです」
「それは持ち出せるのですか」
「正規の書籍としてなら」
外務官が額に手を当てた。
「つまり」
私は言った。
「術そのものを輸入するのではなく、本を輸入する。王国の学者と術者が、王国内で読み解いて再構成する」
会議室がまた静かになった。
静かだが、誰も笑っていない。
真顔だった。
真顔で巨大な回り道を考えている。
「最初から売ってくれた方が早いのでは」
リゼが言った。
「それでは国内向けの建前が崩れる人たちがいるんだろう」
ルドーが短く言った。
「面子だ」
「はい」
「国は面子で動く」
「はい」
「はいは一回だ」
「はい」
この件に限っては、面子という言葉がかなり重い。
———
実行は、馬鹿みたいに大げさだった。
そして、馬鹿ではなかった。
新大陸の印刷所で、術式列が組版された。
秘匿術の構文列。
図版。
注釈。
試験用の短い例。
補遺。
誤植訂正表。
さらに誤植訂正表の訂正。
厚い。
とても厚い。
何百頁というより、何巻組だった。
それらは、正規の交易品として船に積まれた。
品目は書籍。
用途は学術研究。
税も払う。
港の役人も確認する。
誰も荷箱の中で術盤を起動していない。
誰も封じ済みの継ぎ札を隠していない。
ただ、紙に情報が載っている。
紙は強い。
軽くはないが、強い。
———
王都に届いた時、港湾倉庫の床が少し沈みそうになった。
大げさではない。
少なくとも、運んだ人足たちはそう主張した。
王城の写本室には、学者、写本師、札工、若い術者が集まった。
机が増やされる。
灯りが増やされる。
茶が増える。
胃痛も増える。
「この記号、こっちの巻では少し形が違います」
「注釈の参照先が別巻です」
「この継ぎ列、括りが一つ足りません」
「誤植表の誤植では」
現場は熱を持っていた。
派手な魔法はない。
あるのは、紙と目と根気だ。
写本師が記号を読み取る。
学者が意味を確かめる。
札工が術式列へ戻す。
若い術者が短い試験を走らせる。
王国は、術を輸入していない。
書物を読み、王国の手で復元している。
理屈の上では、筋が通っている。
だからこそ面白い。
———
夜近く、最初の小さな秘匿術が起動した。
短い文を秘匿する。
別の札で戻す。
途中で覗いても読めない。
ただそれだけの試験だ。
だが、部屋にいた若い術者たちは息を呑んだ。
「動いた」
誰かが言った。
ルドーが短く言った。
「勝ちだな」
「まだ一部です」
「一部でも勝ちだ」
その頃、新大陸側が激怒しているという報せも届いた。
正確には、外交使節が王城へ抗議を申し入れたらしい。
リゼが私を見た。
「怒るよね」
「怒る」
「でも、違法じゃない」
「そこが面倒なんだ」
情報は、容れ物を変えて流れる。
法が容れ物だけを見ていると、人は別の容れ物を探す。
明日、外交の会議室はたぶん熱い。
紙は燃えないでほしい。




