第四十四話 スカウト
「いい?くれぐれも、くーれーぐーれーも!粗相のないようにしてよね!」
…なんだろう。前にも思ったが、アルセリアの口調は誰かに似ている。
俺は、今日ルーディア教枢機卿、グリード=ハイデマンなる人物に会いに行く。
枢機卿とは、最高指導者である教主に次ぐ権力者。要するに、とてつもなく偉い人。
さらに自分たちの直接の上司だということもあり、朝からアルセリアとベアトリクスに、二人がかりで留意事項を叩きこまれていた。
…なお、ヒルダは朝から不機嫌の極みで、俺の方を見てもくれない……ぐすん。
「あーもう。分かった、分かったから。ちゃんとやればいいんだろ?」
「その、ちゃんと、っていう曖昧なのが心配なんだってば」
「あのなぁ、呼びつけたのはあっちだろ?偉い人かなんか知らないけどさ。こっちも最低限の礼儀は守るけど、それ以上のことは知らん!」
俺はルーディア教徒じゃないんだからな。宗教の指導者ってのは、信徒以外からすると「只の人」に過ぎない。
勿論、アルセリアたちがそれに納得するはずもなく。
「もおぉお!ほんと頼むわよ!大体、下手うって正体バレたら困るのはアンタなんだからね!」
「…俺が?いや、別に………………嘘ですはい、困ります」
正直、敵の真っただ中で正体を暴かれたとしても、俺がそれを怖れる必要はない。尤も、連中が俺の敵として立ちはだかるのであれば、だ。
所詮は廉族。彼らに、本当の意味で俺をどうこう出来る力はない。
…のだが、アルセリアの険悪な睨みに、思わず怯んでしまった。
……俺からすると、多分教会の全員合わせるより、この三人の方が厄介だ。
「まあまあ、アルシー。リュートさんも分かってくれたみたいですし、そろそろ時間ですし…ね?」
…ベアトリクスがそう言ってくれたおかげで、約束の時間に遅刻せずに済んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「はじめまして。私が、枢機卿グリード=ハイデマンだ」
枢機卿への謁見のため教会を訪れた俺は、一人大聖堂へと案内された。
そして俺を出迎えた、枢機卿グリード。
勇者たちの上司にして後見人。次期教主との呼び声高い、十二人の枢機卿筆頭。
……なるほど、只者じゃないな。
それが、彼に対する第一印象。
穏やかな表情の中に、威圧感を隠しもしない。この場の利は自分にあるという、無言の主張。
だがおそらくそれはワザとのことで、その気になれば只の好々爺を演じることも容易いだろう。
内心が窺い知れない。所謂、狸親父の親玉…といったところか。
「あ、どうも、はじめまして。俺は…リュウト=サクラバ…です」
一瞬、一人称を「私」にしようかと思ったが、やめた。
俺がそうしているのと同じように、相手もまた俺を値踏みしている。
だったら、素を見せてやろうじゃないか。
そんなに警戒することはない。アンタ相手に俺が自分を偽る必要なんて、ないんだからな。
言外に、そう示してやろう。
俺の宣戦布告に気付いたのか気付かなかったのか…これも読めないから厄介だ…、グリードは
「まずは、お礼を言わせてもらいたい。勇者たちを救ってくれた、とのこと。聖央教会を代表して、感謝する」
軽く俺に頭を下げた。軽く、ではあるが、おそらくそれは普通であれば考えられないようなこと。
枢機卿が、一般信徒に、頭を下げるなど。
「いえ、当然のことをしたまでですし」
無論、本題はこんなことじゃないだろう。
「勇者たちから、君のことを聞かされてね。是非、ゆっくり話をしたいと思ったんだよ。こんなところで立ち話もなんだし、場所を変えてお茶でも飲みながら話を聞かせてほしい」
突然気さくな雰囲気になって、グリードは俺を私室へと誘った。
部屋の大きな窓からは、中庭が続いていて、季節の花々が可憐に咲き誇っている。
俺と枢機卿は、テラスのテーブルを挟んで向かい合っていた。
「…それで、何を聞きたいんですか?」
供された紅茶を一口飲んでから、俺は切り出す。なんとなく、あちらにペースを持っていかれるのは憚られた。
「そうだね…まず最初に、どうして彼女らを助けてくれたんだい?」
……それ、わざわざ聞くようなことだろうか?
「どうして…って、目の前に怪我人がいたら、助けるでしょう普通」
「目の前にヒュドラがいたとしても?」
………………。確かに。一般人であれば、ヒュドラに恐れをなして彼女らを見捨てて逃げても不思議はない。
だが。
「ヒュドラは、一般に認識されているほど好戦的な魔獣ではありません。繊細で臆病なところもあり、こちらに戦意がないことを示せば問題ないと思いました」
繊細で臆病…の件は、ベアトリクスの受け売りである。
「なるほど」
グリードは満足げに頷いた。続いて、
「その後も、色々と彼女たちの面倒を見てくれたそうじゃないか。すごく助かったと言っていたよ」
…………ああ、まあ、確かにかなりお節介を焼いた覚えはある。
「面倒と言っても、食事の用意くらいですよ」
「君は、どこか教会か修道会に所属していたりするのかい?」
いきなり、話題が変わる。ついていけなくて、一瞬呆けてしまった。
「…え?いや、別にそういうことはないですけど……?」
なぜ、そんなことを聞くのだろう?
俺が、自分とは違う派閥の手の者じゃないかと、勘ぐっているのか?
「……なら、君の利になることは何もなかったと思うのだが……特に誰かからの指示を受けたわけでもなく、危険を押して勇者たちを魔獣から救い、食事の用意など裏方に徹する……勇者一行ではない君は、何かを得るわけでも称賛を受けるわけでもないのに」
なんだ、このおっさんはそんなこと気にしていたのか。
「利、とか得るものとか称賛とか、そういうことじゃないでしょう」
それは、世界が違っても同じことで。
「怪我をしてる人がいれば助けるし、おなかをすかせてる人がいれば食べさせる。無茶をしようとしていれば止める。そんなのはいちいち考えてやることじゃないし、誰だってやってることでは?」
相手が勇者だとか、魔獣だとか、そういう要素があるからややこしくなるだけで、本質的には毎日のように世界中で繰り返されている事柄に過ぎない。
宗教家なら、そんなこと言われるまでもないだろうに。
相手は世界宗教のトップの一人。今の俺の口振りは、非礼に過ぎると思うのだが、グリードはずっとニコニコしたままだ。
……なんか不気味だ。ますます、何を考えているのか分からない。
「そうだね。確かにそうだ。そしてそれを日常ではなく、非常時にも当たり前に行える者は、案外少ないものなんだよ」
…そんなものだろうか。人間って、そんな捨てたもんじゃないと思うけど。
「ところで君は、勇者たちをどう思う?」
「へ?な?ど、どうおも…思うって!?」
…しまった。不意打ちの質問に、狼狽してしまった。彼が訊ねているのは、そういうことじゃないだろう!
…ゴホン。
咳払いをして仕切り直す。
「あいつらは…」
あ、しまった。あいつらのこと「あいつら」呼ばわりしてしまった。せめて上司の前でくらい、「彼女たち」呼ばわりしとけばよかった。
まあ…今さら、だな。
「あいつらは、未熟すぎます。戦士としてだけでなく、人間としても。…少なくとも、魔王相手に無謀な戦いをさせていいような連中じゃない」
流石に、はっきり言いすぎだろうか。だが、これは俺の本音だ。どういう意図があったのかは知らないが、目の前の男は、あいつらを文字通りの死地へ送り出したのだ。
「貴方は、あいつらが本当に魔王を討伐出来ると思っていたんですか?」
さあ、どう答える?
「……絶対に不可能だと思っていたわけではない。が……正直、分からなかった」
…予想外の、答えだ。
てっきり、イエスかノーのどちらかだとばかり……
「分からないのに、送り出したのですか?」
だってそれは、あまりにも無責任だろう。失敗したら痛い目を見る、なんてレベルの話じゃないんだ。あいつらは、「分からない」ようなことに命を賭けさせられたっていうのか?
「……君が憤るのも無理はないね。あの子たちには、酷いことをしてしまったと思っている」
俺の表情に怒りを見たのだろう。グリードは、釈明を始めた。
「これは、身内の恥なのだけどね。…我々も、一枚岩ではない。色々と、派閥や、周辺諸国の思惑や、権力闘争…………地上界は、魔王以外にも多くの敵を抱えているわけだよ」
「所謂、大人の都合…ってやつですよね」
「そう言われてしまえば、否定出来ないね。そのとおり。我々大人の汚い都合だ。我々は、勇者を送り出さなくてはならなかった。勝率は未知数。出来ることと言えば、比喩抜きで彼女たちの勝利を祈ることくらい」
一旦言葉を切ると、グリードは紅茶で唇を湿らせた。
「………結局我々は、「あわよくば勝てればいいな」程度の希望的観測で、魔王討伐を推し進めてしまったわけだ」
表情からすると、グリード自身それを望んでいたわけではなさそうだ。だが、だからと言って彼の罪が軽くなるわけじゃない。むしろ、彼なら止められる立場にあったはずなのに。
「もしそれで、あいつらが死んでしまったとしたら、アンタらはどうするつもりだったんですか?」
俺の詰問に、グリードは沈黙した。
だがそれは、言い淀んだ、とか後ろめたい、とか罪悪感とか、そういうことじゃない。
言う必要がない。或いは、言うまでもない。そういうことだ。
「……君は、帯剣していると聞いたが、戦いを生業にしているのかい?」
再び、唐突に話題を変える。逃げたわけでは、なさそうだけど…
「…生業ってほどでもなくて…昨日、遊撃士登録したばかりですし」
なお、俺の魔剣(見た目だけは地味な)は、教会の受付で預けてある。
「へえ、そうなのか。それで、等級は?」
……こいつもか。なんで遊撃士っつーとすぐ等級の話になるんだよ。
「…第三等級、ですけど」
昨日のことがあったから、グリードの表情を勘違いすることはなかった。
「なるほどなるほど。……最後に一つ、いいかな?」
「…なんでしょう」
本当に、最後なんだろうな?
「君は、この世界をどう思う?」
…………。
これは、どういうことだろう。
「すみません、質問の意味が曖昧過ぎます」
「ああ、すまない。そうだね。漠然としすぎだね。それじゃあ言い替えるけど…君は、御神を信じるかい?」
………何を、今さら。
「………信じる必要は、ないと思ってます」
「…ほう?」
「創世神がこの世界の理を構築したのは明確な事実です。それを、信じるとか疑うとか、ないでしょう」
俺の答えは、グリードのお気に召したようだ。笑みがいっそう深くなる。
…別に、彼を喜ばせるために答えたんじゃないんだが。
「では、なぜ御神はこの世界をお創りになったと思う?」
ここで一つ、グリードが勘違いしていることがある。
それは、地上界の住人ならば仕方のないことなのだが、エルリアーシェは、世界を創ったわけではない。彼女は、世界の理を構築したのだ。
それは、再び混沌へと戻ろうとする世界を留めるために、重しをした、というようなもの。
世界そのものは、俺や彼女とは関係なく生まれたものなのだ。
無論、そんなことを彼に言っても始まらない。俺は、彼の質問を頭の中で読み替える。
エルリアーシェが、この世界の理を構築した理由。
彼女が、世界を導いた理由。
それは、俺がずっとずっと前から考え続けていたことで。
ようやく最近になって分かったことで。
「自分には、ないものだったから…」
考えるより先に、口をついて出ていた。
「それは…どういうことだい?」
促され、俺は続ける。
「有限の時間。移ろいやすい、脆弱な肉体と精神。それらの不完全さは、すなわち可能性に直結するもので、既に完成された神には決して手に入らないもので………だから、あい…神はそれを知りたかった。近くで見て、触れあって、関わりたかった………」
思うまま口にしていたので、うっかりエルリアーシェまで「あいつ」呼ばわりするところだった。流石にそれはマズいだろう。
「だから、神はより脆い廉族に、強い加護を与えた…んだと、思います」
昔は、それが分からなかった。今は、それが分かる。俺が“人間”を経験したからか、勇者たちと出会ったからなのか、理由はよく分からないけど。
「……興味深い意見だね」
正直、聖職者が望む内容ではなかったと思う。こういう人種は、神の慈悲だとか愛だとか正義だとか、すぐそういう話に結び付けたがるから。
だが、グリード枢機卿は、そういう人種ではなかったようだ。今まで以上に満足げな表情で頷いている。
……どこがお気に召したんだか。
やがてグリードは、改まったように身を乗り出して、
「ところでリュート君。聖央教会の一員になるつもりは、ないだろうか」
…………………?
……………………………は!?
なんで?聖央教会の一員って……俺に、聖職者になれと!?
いやいやいやいや、聖職者って、なりますと言って簡単になれるもんじゃないよね。修行とか、なんか洗礼…?とか、よく分からないけど宗教儀式的な何かが必要だよね。
洒落にならない冗談を言うおっさんだ。
「私は、酔狂で言っているわけではないよ。是非、君の力を借りたい」
……冗談では、ないと?
「俺の力って、どういうことですか?」
会ったばかりのこんな若造に助力を求める必要があるほど、教会は人材不足ではないだろう。
「君には、勇者たちの補佐を頼めないか、と思ってね」
……ああ、そういうこと。
俺があいつらにお節介をやきまくっていたから、だったら正式に補佐役にしてしまえ、と。
それは分からなくもないけど…
「あの、そういうのって、教会のちゃんとした人が任命されたりはしないんですか?」
普通は、そうだろう。どこの馬の骨か分からない人間を…人間じゃないにしても…勇者一行にあてがうなんて、いくらなんでもやっつけ仕事に過ぎる。
「そのとおりなんだけどね。…実は、もう何度かあの子たちの補佐をする人材を、教会から派遣してはいるんだよ」
「あ、そうなんですか…」
「補佐役だけでなくてね。……そもそも、あんな若い少女たちたった三人なんて、危険過ぎるとは思わないか!?」
「お、思います思います」
訊ねるグリードの勢いがすごくて、俺は少し押され気味に肯定する。
それは、魔王城で対峙したときにも思ったことではあった。人類と魔族の最終決戦…にしては、三人パーティーなんて普通は考えられないだろう。
仮に、魔王を斃すことが出来るのは“神託の勇者”だけだったにしても、壁役くらいは同行させることが出来なかったのか。
「私はね、今まで何人もの、それこそ超一流と言われる手練れの騎士や遊撃士、果ては傭兵までを彼女たちの支えになってもらうべく、スカウトしてきたんだよ。それなのに……」
はふう、とグリードは嘆息。その表情は年相応に老け込んでいて、案外この人物は苦労人なのかもしれない、と同情しそうになった。
「あの子たちはね、そういう人間の同行を頑なに拒絶してね。片っ端から、お役御免にしてしまうんだよ。……人事権はこっちにあるというのに」
……なんとなく、想像出来る。どうせあの調子で我儘放題やって、クビというより向こうから見限られたってのが真相じゃないのか?
「でも、戦力は多い方がいいですよね」
戦力よりも、優先するものがあったのか。
「私もそう言ったよ、何度も。けれども彼女はいつも、外からの手は借りない、と言うばかり…」
「外からの…?」
「……あの子たち…アルセリアとベアトリクス、ヒルダは、それぞれの事情で聖央教会に引き取られてね、それからずっと三人一緒に過ごしていた。食事も就寝も、祈りも修練も。だから三人の絆はとても強いし、おいそれと他人が入り込む余地などはないのだとは分かっているんだが…」
なるほど。三人の中に余所者が入り込むのが嫌だった、というわけか。
なんと言うか…魔王だとかなんだとか世界レベルの危険を前に、随分と幼い主張をする連中だ。
だが……やっぱり、なんとなく想像出来る。そして、業腹だが、理解出来なくもない。
他者の存在は、自分たちだけの世界を破壊してしまうのではないか。
その恐怖は、俺自身覚えのあるものだったから。
俺の場合、他者とはすなわち、俺とエルリアーシェを除く全て…だったわけだけど。
「もうずっとそんな調子だったものだから、半分諦めかけていたんだけどね。……そこへ、君が現れた」
「……俺?」
「彼女たちが、短い間とは言え旅を共にして、しかもそれを嫌がる様子もない。どころか、君に対してかなり好印象を抱いている。……なかなか遠慮のない物言いだったが、それも信頼の証と見ていいのでは…と私は思ったのだよ」
……ははーん。得心がいった。枢機卿ともあろう者が、何故俺のような一介の旅人と直接面会を求めたのか。
「これは、面接審査…というわけですか」
俺が、彼女らに相応しいか。その補佐役として、信に足る相手か。
彼は、自らの眼でそれを見極めたいと思ったのだ。
「まあ、そういうことになるね。最初に説明しなかったのは悪かった。が、話していたら君の率直な意見は聞けないかもしれないと思ったものでね。……どうだろう?承諾してもらえるのなら、君にはルーディア教の司祭の地位を与えよう」
……司祭って、どのくらいの役職かは知らないが(そう言えばエルネストも司祭だったなー…)、ヒラの修道士とは違うのだろう。
いいのか?ちゃんとした手順も踏まずにいきなり部外者をそんなのに任命なんかして。
「なぁに。私はこれでも枢機卿筆頭だよ?自分で言うのもなんだが、全ルーディア教徒の中で、最も教主に近い位置にいる者だ。多少の無理を押し通すくらい、わけないよ」
…俺は何も言っていないのだが、内心を読み透かされたようだ。侮りがたし。しかも、多少の、がやけに強調されているのが気になる。
このおっさん、あれだな。権力に物言わせて強引なことやっちゃうタイプだろ。
「勿論、君にも相応の見返りはある。衣食住の保証のみならず、特任司祭としてあらゆる場所で教会のバックアップも受けられるし、資金、物資の補給も申請さえすれば滞りなく受けられる。無事、魔王討伐の暁には、その功績に応じて司教、あるいは大司教への道も開かれるだろう」
………ううーん。その、地位とか身分的なものは正直どうでもいい。むしろいらない。魔王討伐の暁って、そのとき俺いないじゃん。討伐されちゃってるじゃん。
だが………その……物資の補給ってのが……ちょっと…いや、だいぶ…魅力的だったりする。
ルーディア教は、世界中で信仰されている。ということは、各地の珍しい食材だったり調味料だったりが、手に入る…ことだって、あるんじゃないか……?
……いや、待て。やっぱり駄目だ。この話、受けるわけにはいかない。
まだ見ぬ珍味の誘惑に、つい屈してしまいそうになった俺だが、すんでのところで思いとどまった。
すんでのところで、思い出した。
「せっかくのお話ですけど、お断りします。…確かに、あいつら…アルセリアたちのことは気にかかってるし、放ってはおけないとは思うけど……俺には、他にも大切なものがあるんです」
それは、魔界とそこに住まう魔族たち。俺を主と呼び慕う、愛すべき臣下たち。
「……ご家族かなにかかね?」
「似たような…いえ、そうです。家族…です」
そう言っても差し支えないだろう。ギーヴレイの喜びむせぶ顔が、脳裏に浮かんだ。
「今は大丈夫ですけど、もしいつか、彼女らと家族とどちらかを取らないといけないようなことになったら、俺は間違いなく家族の方を取ります。けど、教会の一員…聖職者になるってことは、それが許されないってことでしょう?だから、俺には無理です」
聖職者とは、会社員とはわけが違う。自分より、家族より、神と教会を優先させるべし、との行動規範を持っているのだ。
都合よく、今はお言葉に甘えるけど何かあったら聖職者やめまーす、なんていい加減なことは出来ない。
気分を害するかと思ったが、グリードはそれでも好意的な態度を崩さなかった。
まじか。このおっさん、どこまで器がでかいんだ。
それとも、何か他に企んでいるのか。
「実に正直な物言いだ。気に入った。君は、他者も自分も謀ることをよしとしないのだね。それならば、一つ提案なのだが…」
いたずらっぽくにやり、と笑うグリード。普通、いい年したおっさんがこういう表情してもうざいだけなのだが、妙に愛嬌がある。
これも、徳のなせるわざだと言うのか…!
「最初に聞きたいのだけども、しばらくの間は彼女たちを支えてもらうことは可能だろうか?期限は設けないし、君と、ご家族の利益に反しない程度で構わない」
「それは…別に、構いませんけど」
タレイラから先は別行動しようと思ってはいたが、どうしてもそうしなければならない、というほどでもない。
地上界で何か目的があるわけでもないし、まあ強いて言えば、あいつらと一緒に行動し続けると俺の精神が摩耗する一方だ、ということくらいで。
「では、私に個人的に雇われる…というのは、どうかね?」
「…はい?」
「教会ではなく、私個人が、君を雇うのだよ。まあ名目上は、私の私設秘書…という位置付けにはなるけどね。実際には、私に付き従うのではなく、彼女らのサポートをしてもらう。君がしなければならないのはその一点のみで、君は聖職者になるわけでもなく、教会への献身も必要ない」
……そういう手できたか。
「なお、受けられる特権としてはだね…………先ほども言った、物資・資金の供給に関しては不自由をさせることはない」
……おお?
「相手は教会ではなく私、ということになるけどね。私は枢機卿であると同時に、このタレイラの領主でもある。余程のものでもない限り、君の要求には応えられるだろう」
………おおお?
「あとは、そうだね…私の名はそれなりに広まっているから、世界中で何かと便宜を図ってもらうことが可能だろう。何か問題が生じた場合、私の名前を出してもらって構わない…勿論、常識的な範疇で、だが」
…………おおーぅ。
「“勇者”を介さなくても、各国の要人に接触することも可能になる。…これから君たちには、勇者たちの修練のために世界中を旅してもらうことになるだろうから、こういった特権は存外に役に立つものだと思うよ」
…………………。
「……その話、引き受けようじゃないですか」
思案すること数秒。俺は、ほぼ即決に近い形で、枢機卿の申し出を受けた。
だってだって、個人として枢機卿の恩恵を受けられるなんてさ、いいとこ取りじゃないか。断る理由がないぞ。
教会に義理立てすることなく、世界各国の、山海の珍味を入手出来るなんて…しかも資金面での心配がなく…、なんて至れり尽くせり!!
これは、こんな条件は、飲むしかないでしょう!
「そうかそうか。君ならそう言ってくれると思っていたよ。これで我らは、“神託の勇者”を陰ながら支える同志ということだ。よろしく頼むよ、リュート君」
「いやいやこちらこそ。早速ですが、あいつらにはうんと旨いものを喰わせてやりたいんで、なんかそこんところいい情報ないっすか?」
「なんと君は職務熱心だねぇ」
「いやいやそれほどでも」
「いやいや感心感心」
「あははははは」
「はははははは」
そこから先は、契約内容の確認。給金はどのくらいだとか(聖職者ではないので、当然給料は出る)、勤務内容・形態だとか、諸注意事項とか。
最後に、俺の持つ遊撃士の登録証に、グリードが何やら刻印を追加した。剣と、これは鳥…だろうか。なんでも、これで俺が彼の「私設秘書」だということが分かるらしい。
出入国などの手続きも、これでさらに簡単になるのだとか。
ふむふむ。なかなかいいものをくれるじゃないか。
あまりの好条件に裏を疑うことも忘れていた俺は、この後しっかり後悔する羽目になる…のだが、それはまだ先の話であった。
リュート氏は、魔王生経験はとんでもなく豊富ですが人生経験はたかだか十六年かそこらなので、枢機卿みたいな人にはけっこう手玉に取られてしまうようです。




