第四十一話 料理もまた戦、下準備が勝敗を決める。
交易都市タレイラ。大陸中央やや南寄りに位置し、東西南北の街道が交差する地に建設された、大都市である。
人口は、およそ百万。周辺都市と合わせると、ちょっとした国といってもいいような一大経済圏を築いている。
俺たちは今、入都審査の列に並んでいる。
大都市だけあって、タレイラのセキュリティは高い。外壁によって街は外部と隔絶され、都市の中と外を行き来するためには、東西南北それぞれに設けられた門を通るしかない。
旅人や出入りの商人も多く、治安維持のために門には衛士が配置され、出入場を希望するものはその許可を得る必要があった。
ケルセーのときにもやったんだけどさ、この審査ってのが面倒なんだ。何せ、身分証明書の類を持ち合わせていない俺のような人間だと、入場の理由だとか目的だとか氏名、職業だとかを書類に記載した上、保証金を払わないとならない。当然、衛士からのヒアリングもある。
それだけでも時間がかかるってのに、この長い列である。
出入りの商隊だとか、あらかじめ許可証を発行されている連中は簡単な審査で通っていくが、俺みたいなのも少なくないみたいで、それが渋滞の原因だ。
ちなみに、保証金は金貨十枚。かなりの高額である。何事もない場合出場時に返却されるが、庶民には馬鹿にならない金額だ。
俺も、ギーヴレイが用意してくれた貴金属類をケルセーで両替してなかったら、ちょっとやばかった。
何があっても、勇者に金を借りるような真似はしたくない。
ケルセーのときと同じで、自分の入場理由は観光にしようと思っていたのだが、今回はその必要はなかったのだとすぐに分かった。
俺たちの順番が来た時、アルセリアが衛士に何かプレートのようなものを見せた。瞬間、衛士に驚愕と緊張が走り抜け、ガチガチに固まって呂律も怪しくなった衛士は聞き取り審査すらしようとはせず、俺たちを街門の内側へと誘導した。
「…なあ、随分簡単に中に入れたけど…さっき、何見せたんだ?」
門を入って少し歩いたところで、俺はアルセリアに訊ねた。
「ん?これよ」
彼女が俺の目の前に取り出したのは、白銀色のプレート。なにやら見たことのあるようなデザインの刻印がしてあって、その上に文章と、いくつかの単語が刻まれている。
「……これは?」
「私の身分証明書。ルーディア教聖央教会の刻印と、私の身分と、世界共通の入場許可が入ってるの。これがあれば、世界中どこにでも出入り出来るっていう代物よ」
ああ、そう言えばこいつ、忘れがちだったが勇者なんだった。これは、持ち主が勇者であるという証明書か。
確かに、救世の英雄、“神託の勇者”であれば、フリーパスで都市間を行き来できても不思議ではない。
「なに、お前らも持ってるの?」
ベアトリクスとヒルダに訊ねると、二人してアルセリアとお揃いのプレートをちらつかせた。
これがあれば世界中自由に行けるのかぁ。…羨ましい。
「…貸さないわよ」
俺の羨望の眼差しに気付いたのか、アルセリアがプレートを懐に仕舞い込む。
「いらねーよ」
「…あげないからね」
「だからいらないっつの」
勇者じゃない人間が持ってても意味ないだろうが。
さて、タレイラに着いたことだし、この後どうするか考えよう。しばらく観光して……その後はどっちの方向へ行こうか。
なにしろ交通の要所、ここを起点にあらゆる方向へ大小様々な街道が伸び、中距離乗合馬車も数多い。
うん。どこへ行くのも自由だ。いいねぇ、こういうの。
「ねぇリュート。アンタこの後どうするわけ?」
行き交う人々と道の両側に立ち並ぶ店に注意を惹かれつつ歩いていると、アルセリアが聞いてきた。
「ん?そうだなぁ…。まだ決めてないけど、とりあえずここにはしばらく滞在しようかな」
「……ふーん、そう」
「お前らは?」
アルセリアの態度に何やら含むところがありそうな気がして、俺は質問を返した。
「私たちは、ここの教会に少し用事がありまして」
「今日はもうすぐ日暮れだから、一旦宿に行って、教会に行くのは明日の朝なんだけどさ。…私たちが定宿にしてるところがあるのよ。…アンタもそこにしたら?口利きで、安くしたげる」
…安くしたげる、って、宿のオーナーかこいつは。いや、それとも勇者だったらそのくらいわけないのか?
まあ…別に宿ならどこでもいいんだし、お言葉に甘えるとしようかな。
「んー、じゃあそうするか」
俺としては、特に深く考えることもなく、そう返事をしたのだが。
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俺は、その大仰な建物を唖然と見上げていた。
大理石の外壁、重厚な扉。絢爛豪華だが品のある装飾。
どこからどう見ても、最高級ホテル…じゃないか。
「え?なに?ここが、定宿?お前ら、いつもこんなとこ泊まってんの?」
「まさか、いつもなわけないでしょ。ここに来たときとか、大きな都市部くらいよ。普通の宿にだって泊まることもあるわ」
…まあ確かに、こないだの村で宿泊したのも、決して上等の宿とは言えなかった。…おっちゃんには悪いけど。
「ここは、聖央教会も出資している宿なんです。ですから、プライバシー保護もばっちりでして」
ベアトリクスの説明に、なるほど、と思う。
小さな村ならいざ知らず、こんな大都会で勇者がいるとバレてしまえば、かなりの混乱が予想される。だからこそこいつらは、街に入るときもおとなしく順番を守っていたのか。その気になれば、優先的に門をくぐることだって出来ただろうに。
「…有名人も大変なんだなー」
手持ちの宝石を、もう少し換金しといた方がいいかもしれない。それでも足りないなんてこと……ないと思いたい。
体験したことのない高級宿とその宿泊費に慄いていた俺だが、問題はそれだけではなかったのである。
チェックインを済ませ、心得顔の従業員に案内されて各自の部屋へ。アルセリアは、俺のことを道中で知り合った旅人、という風に説明していたけど、宿の人間の怪訝そうな表情がちょっと気にかかる。
……勇者にくっつく、悪い虫……みたいに思われてたらどうしよう。
ロビーもまた大したもので、午後にはラウンジでティーサービスがあるらしい。見ていると、ここを利用しているのはだいたいが裕福層な旅行者…貴族とか、大商人とか…ばかりで、少年少女の集まりである俺たちはこの上なく悪目立ちしたのである。
…こいつらと別れたら、すぐ別の宿に移ろう。精神的にも財布的にも、その方が良さそうだ。
夕飯は、せっかくなのでこの宿に併設されてる食堂を利用することにした。アルセリアたちもお薦めのレストランらしく、ぶっちゃけ高級すぎて俺は落ち着かないのだが、完全個室になっているあたりもプライバシーに気を使っていることが分かる。
ただ、料理は…というと。別に不味いわけではなく、むしろ金に糸目を付けない、贅を凝らした逸品ではあるんだけど…。
なんか、物足りないのだ。家庭料理ならいざ知らず、ここまで高級なレストランで、ここまで素晴らしい素材を使って調理するならば、もう少し頑張れなかったのか。
何というか、それはここだけの話ではないのだけれど、どうもこの世界の住人は食に対する情熱が地球人に比べて薄く、それなりに美味しければ満足してしまう節があるのだ。
現にここの料理も、せっかくここまで作り上げたんだから、もう一工夫欲しいところ。それこそ、植物油ではなく乳脂を使ってみるとか、香草で香りをつけてみるとか(なお、この二つはこの世界では医薬品扱いである)、あるいは下拵えできちんと肉の臭みを取ったり下味をつけてみたり酒に漬け込んでみたり…という、ほんのちょっとのひと手間で、グッと味が良くなるのに。
三人娘も、俺と同じことを考えていたのか、思いの他食が進んでいない。
「…前はもっと美味しく感じてたんだけどなー……あ、いや、今も美味しいんだけどさ」
「何か、物足りないですよね……」
アルセリアとベアトリクスは首を傾げ、ヒルダは俺の膝に乗れない(流石は高級レストランだ)ことですでに機嫌を損ねている。
とは言え、決して食べられないものではないし、普通に美味しいと思うぞ?
「私たち、リュートさんなしでは生きられない体にされてしまったのかもしれませんね」
ぶっふぉ!
ベアトリクスのトンデモ発言に、俺は思わず口の中の水を吹き出す。
「ふふっ。冗談ですよ」
分かってる!表情見れば分かるよ!でも心臓に悪いだろう。いくら個室とは言え、誰が聞いてるかも分からないんだから、誤解を招くような言い方はやめてくれ、頼むから!
「あ、そう言えばさ」
俺とベアトリクスの遣り取りをまるで意に介さず、アルセリアが切りだした。
「アンタさ、遊撃士登録してみたらどう?」
……なぬ?
「ああ、それはいい案ですね」
ベアトリクスも賛同しているが……なんだってまた、俺が遊撃士に?
確か、遊撃士って、依頼を受けて魔獣退治とか護衛とかをこなす、荒事専門の請負業…だったよな?
警察や軍が動きにくい分野でも活動出来るから、治安維持にも一役買っていると聞いたが、別に俺は地上界で就労するつもりはないよ?
「なんでいきなり?」
「……お兄ちゃん、強い遊撃士、カッコいい」
…そうかそうか。ヒルダがカッコいいと思ってくれるなら、理由なんてそれでいいか。
………じゃなくて。
「遊撃士登録すれば、身分証明書が手に入るわよ」
……おお!
「勿論、国の要職についたり大店に努めたりするには信頼性の足りないヤツだけど、入国審査の手続きがグッと楽になるし、いいと思うんだけど」
そう言われると、そうだな。毎度毎度、国や都市に出入りする度に面倒な審査を受けるのも嫌だなーと思っていたところだ。あの堅苦しい書類を完成させるのだけでも、結構時間がかかるのだ。
「その身分証明書って、どこまで保証してくれるんだ?」
「まあ私たちのものほどじゃないけど…氏名と、職業と、遊撃士組合の一員であるっていうところかな。組合は全世界に支部があるし、他の職能組合とも横のつながりがあるし、それなりの等級になれば、それだけで信頼性は高くなるわ」
ふーむ。いいかもしれない。どのみち、ここで何かしなければならないことがあるわけでも、時間制限があるわけでもない。
魔界へは、一足飛びに帰ることが出来るんだし、地上界でのこの後のことを考えると、悪くない手に思える。
「じゃあ…そうしてみるか」
明日早速、組合の支部とやらに行ってみることにしよう。
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夕食を終えて、俺たちは各自の部屋に戻った。明日に備えて、早く寝ようか…と思った…の、だが。
「あのさ……お前、何してんの?」
「え?」
なぜにアルセリアが俺の部屋にいる?
「何って…寝るんだけど」
「いや、それは分かるけど…ここ、俺の部屋だよな?」
「うん。だからさ、じゃんけんで」
?????なに?この子、何言ってるの??
「こないだ思ったんだけどさ、やっぱり一つのベッドに四人はキツイじゃない?」
「……ああ、うん、そうね」
「だから、順番こってことになったんだけどさ。で、じゃんけんして、順番を決めたわけ」
「ほうほう?」
……………………。
「ま、そゆことで。おやすみ」
………………………………………。
いやいやいやいやいやいやいや。おやすみ、じゃない。
「だからなんで俺のベッドで寝るんだよ!順番とか分けわからないんだけど!?ちょっと、アルセリアさん、勇者さまー、聞いてますかー?」
「……ヒルダは明日だから、ガマンしなさい。……ぐぅ」
「おい、コラ!」
え?なんで?いつの間に、俺と彼女らが一緒に寝るのがデフォルトになったの?確かに宿場町では大部屋に他の客と一緒くただったから、そう言えなくもなかった…けど、
ここ、一人一室あるよね!?
アルセリアは寝つきが早いのかはたまた狸寝入りか、もう寝息をたて始めた。何を考えてるのか一向に分からない。
えええー、これ、俺どうしたらいいの?どうするべき?
ここが俺の部屋だってのは、こいつだって知ってるよな。
分かってて、俺のベッドに寝てるんだよな?
これは……据え膳ですか。据え膳なんですか!?
いやだが、そういうつもりなら(そんなはずはないと思うが)、いきなり熟睡はないだろ。
じゃあ…何か、企んでいるのか。それは…有り得る。単細胞とは言え勇者だ。何か、魔王に対して探りを入れるとか弱みを握るとか…………
…いや、こんなの“魔王”の弱みにはならないよなー…………。
………この際、こいつの目的はどうでもいい(よくないけど)。問題は、これをどうするか、だ。
選択肢その一:彼女を抱きかかえて部屋まで連れていく。……一番無難な手だが、なんだか負けたようで気に食わない。あと、体に触ったら大騒ぎされそうな気もする。
選択肢その二:こいつはこのままにして、俺が代わりにこいつの部屋へ行って寝る。……いや、無いなこれは。なんか見つかったら色々言い訳出来なさそう。
選択肢その三:こいつはこのままにして、俺は部屋の隅のソファで寝る。……これは二番目に無難な手だが、これまた負けたみたいで気に食わない。なんで俺が自分の部屋で遠慮しなきゃならないんだ。
選択肢その四:悔しいから同じベッドに入って寝る。……こいつは分かっててやってるんだから(多分)、それで怒られる筋合いはない…はず。だが、朝まで俺のいろいろが耐えられるか自信がない。
選択肢その五:さらにその先へ進む。……ダメだダメだ。ないないないない。これは無さ過ぎる。それをやったら、多分、いろいろ全てが終わる。
どの手を選んでも、ロクなことにならない気がする。なお、他の二人に連絡して、アルセリアを連れて行ってもらう、という手も考えて、それが一番アリだとも感じたのだが、同時に一番の悪手のような予感がして、実行に移せなかった。
悩み、決めかねているうちに、夜は刻々と更けていく。
俺は、今夜、眠れるのだろうか。
このあたりから(何故か)リュート中心の話が進みます。しばしお付き合いくださいませ。




