第15話 力を信じる者、愛を愛する者
何故か怯える殿下とお茶会するのは非常に退屈だった。女性一人も楽しませることができないなんて本当に乙女ゲームの攻略対象なのかと疑いたくなる。まあ、総受けみたいな顔してるからな。
いや、そんなことはどうでもいい。アドルフの女の扱いが下手でも割を食うのはヒロインだ。私には関係が無い。それよりもアドルフが北の公爵メルヴィス家と結託した場合を考えねばならない。もし彼らが手を組んでいたら俺の命は危うい。
俺は忌み子なので公爵令嬢とはいえ貴族の中でも底辺の社会的地位しかもたない。平民と同等かそれ以下といったところだろう。そして、そんな俺が第二王子の婚約者なのだ。
この矛盾が面倒なのだ。
男爵の貧乏娘が第二王子の婚約者、そんなものと同レベルだ。しかもその間に愛情は無いときた。はっ、乙女ゲームよりひどいな。
ほかの令嬢たちに虐められたり、誘拐されたり、暗殺されたり、今時の悪役令嬢よりも悪辣なことをされるに違いない。攻略対象たちが助けてくれればヒロインに格上げされるほどの不遇さだ。だが、攻略対象は潜在的な敵だ。なお過酷というべき状況である。
アドルフに実質の権力はない。かれは王族といえどスペア、自分の身を守るだけの権威はあるだろうが気に入らない貴族を没落させることは不可能だ。
それよりもメルヴィス家の方が危険だ。なにせ広大な土地を治め数多くの貴族を従える大貴族、その権力は国王の次に強大だ。冤罪を着せられて謀殺されるかもしれないし、事故にでも見せかけて暗殺かもしれない。とてもでないが信用できる人材が一人の俺には勝ち目などない。
今すぐ逃げたいが逃げられない。一応聖霊教から守られているのもあるが魔法に縛られているのだ。
|誓約書に名前を書いてしまっている。転移魔法を覚えた後に知ったのだが誓約書は宣言という魔方陣の刻まれた絶対遵守の契約。契約を破ろうものなら誓約書で定められた罰が下される。
罰には強制力があり逃れられない。契約を破棄するには誓約書を消し炭にするしか無い。しかし、そんなことさせるほど王家もまぬけではない。
俺が署名した誓約書の罰は死、契約に背いた瞬間、俺は絶命する。契約内容も俺に比重が重すぎるほどに置かれている。内容は「 王家へがいをなす行動の禁止 」、「 不貞の禁止 」、「 王命への反抗禁止 」、「 国外に出るとき国家への報告義務または指定された期間内の帰国 」、「 誓約書への接触禁止 」などなど、俺を家にとって都合の良い存在にするための内容ばかり。
これに対してアドルフは学園を卒業してから3年以内に俺と結婚するだけ、というお手軽さ。実質無いようなものだ。
これはもはや契約ではないな。契約とは対等な立場であってこそ成り立つものだ。俺は不可視の奴隷刻印を焼き付けられたのだ。
だから俺が自由になるためには学園の婚約破棄イベントを待つしかない。アドルフが誓約書を無効にしてくれる。第一王子が学園を卒業して王太子に任命されることで婚約が無用の長物に成り下がるからだろう。
だが、今の時点で婚約破棄など不可能だ。だからアドルフが王太子になろうとするならば……やることはきまっている。リリアーナ=ディッセルを殺す、それで王位継承争いに舞い戻れる。
俺はどうすることが最適だろうか?暗殺に対処することはほぼ不可能だろう。
この世界の一般人と戦闘職の実力は隔絶している。チワワとオオカミぐらいにはひどいものだ。戦闘職の中でも対人特化の精鋭暗殺者に、戦闘経験もなく一般の兵士かそれよりも少し多いぐらいの魔力量しかもたない俺が勝てるはずも無い。
つまり、アドルフに貴族と手を組まれると俺は死ぬ。伯父に手紙でも送って護衛でも頼むか?無理だな。
往復には早馬でも一ヶ月はかかるうえ動き出すにもそれなりの時間はかかる。そもそも伯父が信じて働きかけるかも分からない。そのまま死ねとばかりに放置されるかもしれない。
そして私には伯父以外の人づてをもたない。一応、知らせは送るが期待せずに自分で解決するしかない。
俺が生き残れる唯一の方法はアドルフにリリアーナの存在価値を示すしかない。
メリットを示す?デメリットを消したほうが良いに決まってる。
惚れさせる?上流階級は忌み子を嫌っているから子供とはいえ王族である殿下も俺に良い感情をもっていないだろう。それどころか嫌われている自信すらある。謀殺の兆しがある時点でお察しというものだ。
殺す?論外、誓約書の効果で俺も死ぬ。
頭を抱える。無理だろ……。八方塞がりである。ファック、死んでしまえ
シナリオの強制力がどうにかしてくれるかもしれないが、それを信頼するには不安要素が多すぎる。前世の記憶を取り戻し人格が変容していること、ゲームには影すら見えなかったミケラの存在、子供にしては異常な魔力量。これら全てシナリオに無かった。
だからシナリオの強制力は完璧では無いはずだ。完璧なら俺は前世を思い出すこともなかっただろう。魔力もどれだけ修行をしようが微動だにしないはずだ。
つまり俺が16になるまで死ぬ確率はゼロではないのだ。記憶を取り戻したからシナリオから離れたと安心だなんて楽観的思考はしない。その楽観が俺を殺すかもしれない。どれだけ用心しても足りないぐらいだ。
「 はぁぁぁぁ……。 」
本当に面倒だ。生まれ変わるとしても悪役令嬢になんてなりたくなかった。そこそこ裕福で自由な家に生を受け、普通にいきたかった。
「 人は生まれを選べず、この世界は生き方も自らで決められず、神はいるが救いはせず。強者はきままに世界を眺め嗤うのみ。汝ら力を求めよ。嗚呼、世界とは、人とはかくも自由なものなのか。汝、立ち上がれ。さすれば、道は開けん。 」
俺が気に入った言葉の一つだ。天才賢者、クルルエが『 魔の深淵に至る極意 』という題名の本の初めに書かれていた一句だ。この言葉を要約すると、「 この世界は弱者の地獄、強者の楽園。弱ければ強くなるしかない 」といってるのだ。
平民の子は平民、奴隷の子は奴隷、貴族の子は貴族。人は生まれながらにして身分が定まっている。そしてその身分で生きていく。平時において立場の変わることのない、あきれるほど強力な枠組みの中で一生を過ごす。
人が自由に出生を選べたのならば奴隷や農民など身分の低いものの元に生まれないだろう。もしわかっていてなお選んだのなら、そいつは間違いなくドMだ。
ミケラだって好き好んで黒影として生まれたわけではない。黒い髪と眼をもって生まれただけで蔑まれる。生き方も周りから半強制的に劣悪なものへと追いやられる。本当に最低だ。
「 差別なんて無ければ良いのに。 」
「 そうですね。 」
「 ……!? 」
不意に後ろから同意の声が響き、血が止まるような驚きを感じた。振り返ると窓から差し込む光と部屋陰の境界線上に彼女はいた。
「 いつからそこにいたの? 」
「 ため息をつく前からですね。」
しかも、かなり前からいたようだ。先の独り言を全て聞かれてしまったようだ。
ミケラは全く音をたてない。なので、近くに待機していることを忘れたり、気づけなかったりする。また、知らないうちにいなくなることある。たまに実態が無いのではと疑うこともある。それぐらい彼女の動きは沈黙に包まれている。
「 リリアーナ様。 」
「 どうしたの? 」
「 先の格言には続きがあるのですよ。 」
彼女は徐に語りかけてきた。陽が傾き彼女の体を包み始める。私の方に黒が這い寄る。
「 その道をもって他者を導け、と。 」
「 プッハハハハ、何をいってるのよ? 」
その言葉を聞き俺は笑いをこらえられなかった。そんなの人がする仕事ではない。俺たちは誰しも自分のことで精一杯なのだ。他者に救われるのを漫然と祈り続ける愚者に差し伸べるのは神霊や聖霊といった人外だけでよい。
そもそも、クルルエは大の人嫌い、他者と関わることを極度に嫌っていてはずだ。100年前、王国に一人で戦争を仕掛けてきた。そして、引き分けまで持って行った。そんな誰からの助けも必要としないやつが、誰かを助けるなんて発想を刷るわけが無い。
「 ミケラ、それは作り話よ!ふふふ、彼がそんなことをいうわけがないわ。 」
人に裏切れ続け、自分と魔法しか信じられなかった人物がクルルエだ。彼は一種の武力崇拝をしていたぐらいだ。弱者などゴミかカスぐらいにしか思っていないことがほんの端々から読み取れるほどだ。
「 人とは分からぬものです。例えあり得ぬことでもそれほどの変遷の確率はゼロになることはありません。だから、人間は不可能を可能にしてこれたのです。 」
「 そうね、ふふ。人には無限の可能性があるわね。実現不可能な妄想ですら現実のものとしてしまう創造と変革の力が。 」
科学の発展した世界ではあと数度、悪魔の兵器を起爆すれば惑星を死の星へと様変わりさせることもできる。そんな神の如き所業を人の手で作り出した。星一つに終焉をもたらす邪心の如き権能だ。だとしてもだ…………
「 彼に何があったらそんなことになるのかしら、ふふ。 」
私は面白くて、つい、意地の悪い質問をしてしまった。ミケラは笑いの止まらぬ私を見つめて、頬を緩めていた。そして、緩やかに解を落とした。
「 愛、ではないでしょうか。 」
強調するように言葉を区切った彼女はしとやかに瞳を閉じた。さながら過去に浸るように。彼女の表情を盗み見とすると、ちょうど太陽が強く輝きモノクロのベールに隠してしまう。顔を見るのは諦め返答する。
「 そんな劇的に変わるものかしら?根幹からかわってるじゃない。」
愛って洗脳魔法の言い換えかしら、そうからかうように問いかけた。それほど私には理解できない理屈であった。なぜ人を好きになると他者に対する慈悲が生まれるのだろうか。
「 愛とは素晴らしいものですから。リリアーナ様にも訪れること祈っています。 」
「 私は恋には落ちないわ。 」
私のひねた発言をたいして気にした様子も無くそう話すミケラの声は優しかった。まるで子を慈しむ母のような柔らかさをもち、私の良縁を祈る彼女に私はかわいげの欠片も無い答えを返してしまった。
「 恋愛に限っておりませんよ。親愛に友愛、そんな性質のものも含んでますよ。 」
陽が大人しくなり、光と陰で作られたモノクロのベールが払われ、彼女の顔が暴かれた。その顔は母性に満ちていた。私はそれを見てふと思いついたことを口からこぼす。
「 なら私はあなたから慈愛をもらっているわ。ミケラは私にとって唯一よ。 」
その言葉に驚いたのか目をまん丸にして、こちらをじっと見つめる。それから謎めいた表情で笑い、
「 私もリリアーナ様から愛を享受しているようです。 」
そう言った。それに伴い影が揺らめいた陽炎めいた動きは彼女が微笑んだためか、日の光が換わったためなのか分からなかった。
もしかしたら両の目からにじんだ涙のせいであったかもしれない。私はそっと目を閉じ彼女に抱きついた。ミケラは何も言わなかった。ただゆるりと頭をなでたようだ。私は両腕にいっそう力をこめる。
放したくない、そういわんばかりに、甘えるように。
やはり彼女は私の唯一であり、希望の灯りである。道しるべの灯火が消えたら私は絶望の闇に呑まれるだろう。そう、だから彼女に危険が迫ったらこの身を捧げてでも守る。それが、私という厄介者に付き合ってくれた彼女への義務だろう。




