29.おかえりなさいのその後に。
やっと家に着いた。
玄関の扉を開けて入るなり、ぴょいーんとメルトが飛びついてきた。
さもありなんと予測してたのか、単に反射神経がいいのか、レンハルトがさっと背中を受け止めてくれた。おかげでもろとも倒れずに済みました。
今日ばかりは叱るに叱れず、全身をこすりつけてくるメルトをよしよしとあやした。
メルトはさんざんぐりぐりごしごしと頭や身をわたしにこすりつけた挙句、わたしの胸に顔をつっこんで「ぷひぃ」とヘンな鼻声をあげたと思ったら、しおしおと泣き出してしまった。
……うん、ごめん。長い間、留守にしてごめんね。
「主がいない間はけっこういい子にしてたんだけどねぇ」
テレスさんが苦笑しつつ言う。そっかぁ。きっとみんなを困らせないようにいい子にしてたんだろうな。
「がんばったね、メルト」
ぷひぷす言いながら泣いているメルトに、やっぱり長期に家を空ける仕事を引き受けたのは早まったかなと思う。次はきっと断ろう。
しかし……さすがにちょっと重いな。メルたん近頃どんどん育ってるからなー。
コアラのよーに抱きついたメルト。お米10キロよりは確実に重い気がする。もうちょっとおにーちゃんになるまで軽々と抱っこしてあげたいもんだが、わたしには無理っぽいなぁ。
うう。ひ弱ですまんのう。
などとしみじみしんみりしていたら。
――ぅおっと。
抱っこされた。わたしが。抱っこしてたメルトごと。
例によってレンハルト、かと思ったら、テオドールだった。あぁ、そうそう。このひともひょいひょいひょいひょい気軽に抱っこするひとであった。
今回はいわゆるお姫さま抱っこなわけだけども、お腹にメルトが乗っかってると乙女モードはぴくりともしませんなあ。大体テオドールがわたしを抱っこするのは単なる子ども扱いだからね……。
「まずは座れ」
テオドールはそう言って、すったすたと居間へ向かう。ああはい、なるほど。ソファに運んでくれると。ご親切にどーも。
ソファに下ろしたあと、わたしの頭をぽんぽんする。
ほらな。子ども扱い。これ何なのかな? 子どもの頃ラトアナさんにされたことをすればいいとでも思ってんのかな?
「主、お茶飲む? ケーキあるよ、クッキーも!」
アルトが意気込んでいる。や、もう夕方。晩ごはん……ああうんいただこうかな? 少なめで……あぁうん普通に食べるよ。晩ごはんもがんばれば入るだろうたぶん。
「じゃあボクはマッサージでもしてあげようかな♪」
にやにやとあやしげな表情であやしげな提案をしてテレスさんがにじりよってくる。結構です。いやほんとに。ほんっとにいいってば。ちょ。こりゃ。やめいっ。くつをぬがすなっ。うっ、キモチいい……やっぱにほんじんは室内でははだしがいちば――じゃなくて!
「あんよばっちいからやめなさい!」
「はあーい」
はっ。うっかり対メルト口調で制止してしまった。またノリよく返事しおってからに。テレスさんのこの調子のよさには感心するよね。引き際も心得てるっていうか何というか。
……あれ。
でもなんか印象が。しおっとしてるなあ。怒られポーズとってるからかな?(お耳を自在にしおれさせられるとか獣人さんなのに反則だよね!)
「んー……? あ!」
「あ?」
「毛艶が」
テレスさんのほっぺの毛を撫でなでしながら言ったら、うにゃっと吹き出された。うん、口のかたちが違うからね。肩きゅっと竦めるこの笑い出し方は、わたしらで言えばぶほっと吹き出したカンジ。
「まったそんなこと言ってる!」
「だ、だってさぁ」
「だってじゃないよ、主は。ひさびさに帰ってきて言うことがそれ?」
「気になるんだもん、いいじゃない」
「よくないよ。主こそ、なにこのお肌。ええ? ボクお手入れしろって言ったよねぇえ?」
「したよ、した! したって荒れちゃったんだよ、仕方ないでしょ」
「荒れるのはしたうちに入らないの」
「そ、そういうテレスだって、毛艶が乱れるのはお手入れ不足なんだからね!」
「ボク男だもん」
「サベツだ!」
「だってさぁ……見てくれるひともいないのにお手入れしても寂しいじゃない?」
テレスさんはとろける蜜のような声で拗ねながら流し目をくれるという高等技術を披露してくだすった。何だろう。あまじょっぱい。クセになるお味ですね!
うう……!
揺れる鶯色の瞳でそんなふうに見られると、わたしが悪いことをしたような気分になるじゃないか。うっかり日和って同意してしまう。
「まぁそうだねぇ」
「でしょう? だから、あとで主、お手入れしてね♪」
「――駄目だ」
うおっと、レンさん! ドス声ストップ、ストップ!
メルトまでビクッとしてる。ってか肝心の(?)テレスさんはどこ吹く風だ。へへーんって顔にも見える。余裕ですね。
一斉に注目を浴びて我に返ったのか、レンハルトはどこか気まずそうに顎を揺らした。
「……今日は駄目だ。帰ったばかりなんだ、ゆっくり休ませるべきだろう」
理にかなった風な補足説明をする。でもわたしずっと抱っこされてきたんですけど?
しかもぐーすか寝てたせいで街に着く前に下ろしてもらいそこねた。微苦笑うかべた門番さんの前で起こされた。くっ。起こしてって言っとけばよかった!
「べつにお手入れくらい――」
「いいから」
なにがいいんだよ?と思わなくもないが。言い争うほどのことでなし。はいそうですかと頷いておいた。レンさんの機嫌もよくなった。尻尾がふるりと揺れてます。
……そっか。テレスさんが相手でもヤキモチ焼かれちゃうのか。
なんとなくテレスは対象外かと思ってた。だってテレスの魅力ってもう「殿堂入り」ってカンジだし。誘惑も堂に入ってて逆にいやらしくないっていうか。
って、そんなの言い訳だよねぇ……。
こまったもんだな。
今さら程よい距離なんて置いたら、テレスは察してくれるだろうけど傷つくんじゃないかな。子どもじゃないとはいえ。そうすべきとわかっててもさみしいって思うことはあるよね。
しかもだよ。
すでにレンハルトを傷つけちゃってるわけだな?
いまのはムッときた程度かもしれないけど。ヤキモチ焼かされるときって悲しい気分になるような状況でもあるもんな。
うぅん……どうしたもんだろうか。
ちなみにさっきからメルトを撫でまわしてるのは大丈夫だよね?
や、だいじょぶくなくても、こればっかりは。
わたしの膝の上でメルトはネコみたいに真ん丸くなっている。お腹に頭を押しつけて。ふるふるとかすかに喉を鳴らす声なき声。やっと安心できたって風情。
アルトたちにも懐いてるし、大丈夫だろうと思ったのにな。読みが甘かったなぁ。ここまでわたしに懐いてるとは思ってなかった。これならメルトだけでも連れてけばよかったよ。
メルトは子どもだし、ひいきしすぎってこともないよね?
理想的な主業ってむずかしいなぁ。
――ん、あ、いい匂い……。
考えごとから意識を引っ張り出される。
ふくよかなお茶の香り。ほどなくアルトがおやつを運んできた。
あぁ、これこれ。これですよ。
アルトが丁寧に淹れてくれるお茶はとても美味しい。きちんと味は出てるのにしつこい渋みはなく。香りがひらいていて深みがある。
お茶請けは木の実がたっぷりはいった香ばしくてしっとりしたパウンドケーキ。シンプルなさくさくのクッキー。帰ってきたらいつでもすぐに出せるように焼いといてくれたんだろうなぁ。
なかば我を忘れてぱくついてしまった。夕食前なのに。
あ……。
そろそろ真面目にダイエットを考えるべきかもしれん。明日から。
お風呂あがりに、メルトの綿毛みたいな白い毛並みにアマツの油を塗りこんでて、ふとわいた疑問。
「そういえば、わたしがいない間って、どうやって乾かしてたの?」
「ん? タオルでだよ、主。放っといても乾くしね」
同じく居間のソファで縫い物をしてたアルトが答えてくれた。
そうか。自然乾燥とはワイルドだね。でもタオルで拭いた後なら乾きは早いか?
こっちのタオルはふかっとした綿みたいな布ですっごくよく水を吸う。原料を一度見たことある。わたしの身長くらいのでっかい葉っぱの表面に綿みたいなのがくっついてて。それをベリリッと剥がして重ね合わせて作るんだそうな。
ワイルドな作り方だけど高性能なタオル。とはいえそれだけで完全に乾かすのは無理。獣族さんもふもふだから。ニンゲンの髪も生乾き。だからいつもはわたしが魔法で乾かしちゃう。
ドライヤー的な魔法の道具はある。庶民の家にもお風呂があるくらいだもんね。ただちょっと高いんだよな。魔法でちょちょいとできるのに要らないかなぁって。
……ん? あぁはい、みんなパンツ一丁で乾かしてくれーって来ますよ。見慣れましたよ。ってか、もふもふなひとたちだから、ニュアンスが違うんだと!
だいたい普段っから獣族さんの服は露出度マックスだし。上等な毛皮があるのに布で覆っても仕方ないからだろう。き、機能性の問題だからね、うん。
「乾燥の輪、買っといた方がいいかなぁ」
「そんな。いいよ、主。主がいれば主にやってもらえるし、主が出掛けてるときはタオルで乾かせばいい。十分だよ」
庶民派アルトはぷるぷると左右に首を振る。いっしょに魔法道具屋さんに行ったときに見たから、値段、知ってるんだよねぇ。やっぱ贅沢品かな、あれは。
乾燥の輪。フラフープみたいな大きな輪っかで、中に入って起動させて足下から頭の上まで持ち上げる。するとどうでしょう! 中にいたひとがキレイに乾燥するのです。っていう道具だ。
絵面のコミカルさがマンガっぽい。日常の魔法ってそんなもんなのかなって思ったり。
「自然乾燥だと毛が傷みそう……」
「主ったら。おれらの毛皮は人族の肌や髪の毛より丈夫だよ。気にしなくていいって」
「風邪ひいちゃうかも……」
「まさか。水浴びでも風邪なんか引いたことないよ」
「そっか」
そういえば普通は獣僕をお風呂に入れたりしないんだっけ。お湯のお風呂に入れた挙句にこんなこと言ってるなんて、よその魔術師さんに聞かれたら大変だ。魔術師さんに限らず、一般常識的にいっておかしなことしてんだもんな。
ふつうのおうちではお風呂はなしで水浴び……。
メルトもいずれそういう生活をしなきゃいけないのかぁ……。
だって、メルトが大きくなったら、よその魔術師さんと契約しなきゃいけないよね。
わたしが、ってのも考えたけど、年齢がね。自分の子どもくらいの年の差だ。先に死ぬってわかってて契約するのはまずいだろう。必ず途中で放り出すことになる。
いずれ誰か相応しいひとを捜して契約してもらわなきゃいけないんだよなぁ
メルトにふさわしいひとってどんなひとだろう。ラトアナさんみたいにやさしくて品のいい女性の魔術師さんが見つかればいいけど……。
声の出せないメルトの声をちゃんと聞いてくれるひとだといいなぁ。
「――っいた!」
しんみりとした気分が一瞬でふっとんだ。
アマツの油を塗り込まれながら、うにうにもにもにしていたメルトがいきなり手を咬んできた。こらこらこら。興奮しすぎだろ。いててて。
手を引き戻そうとしてもがっちり抱え込んであにあにしてる。おいおい。微妙に、血が出るほどじゃないんだけど、痛い。なにその絶妙な咬み加減。いででで。痛くない咬み加減でお願いしたい。
「よしなさい、メルト!」
強く言っても放さない。あにあに、あにあに。手のひらを口にくわえて咬みながら、じっとわたしを凝視している。こぼれ落ちそうなコバルトブルーの瞳で。
「こら、メルト。やめなさいって」
痛いなぁと顔を顰めながら、もう一方の手でお腹をくすぐってやった。ぁいてててっ。メルトは笑い声こそ立てないが身をよじって口を離した。口は離した、けど、今度は爪を立ててきた。
なんで???
さらにお腹をくすぐり続けていると――がぶりと手首に咬みつかれた。
「いったあ! ちょ、メルト! いくら何でもやりすぎ!」
こっちにも考えがあるぞ。
がぶっと仕返してやった。喉もとに。
おとなげないと言わば言え。
「……勝ちー」
にひーっと笑いかけたら、メルトは怒りながらもうれしそうな、興奮の頂点突破した勢いでわたしの首っ玉にとびついてきた。ぐへっ。だからそれはヤメレと何度言えば……(南無)
ソファから転げ落ちた。
これじゃどっちが勝ったんだかわからんね……。
ネコのおかあさんが子ネコにコラってするのに咬みついてるの見たことあったから、それっぽくしてみたんだけど。これでよかったのかなぁ?
とりあえずメルトは喜んでるっぽい。
そのメルトを抱えて、よっこらせっとソファに戻る。アルトも手伝ってくれた。興奮しきりのメルトは周囲が見えてないっぽく、アルトにひっぱられても気づいてない様子。
これこれ。ひとの服を爪とぎにするのはやめなされ。ぼろぼろになるじゃないか。もともとボロけたパジャマですがね。たまにメルトが寝ぼけてちゅうちゅうするもんでさ。
しかし何なのかなー?
怒られたかった? マゾか。ちがうだろ。どこまでゆるされるか試した? 不安の裏返し? そんなカンジか。
しばらく全力でかまってあげれば落ち着くかなー?
でもその前に。
口のなかに毛が入ってて、ぺってしたい。ぺって。けど、メルト本人を目の前にしてそれは出来ず。く、苦しい。ううっ。
「……主、口んとこ、ついてる」
なにが――と考える間もなく、アルトの手のひらが口に押し当てられた。むぐ。若干しょっぱい。獣族も手のひらや指の腹はかための肉球的な肌が露出してる。
「出して」
え――えええええ!?
「ほら、主。はやく」
ちょ……うぇっと、えっと、えっと……まさか?
「もう」
しょうがないな、というように鼻息を吐いて、アルトはわたしの顎をつかんだ。きゅっと上手に頬をおされて、ぱくっと口をあけた隙に、人さし指と中指でわたしの舌先をつまんでメルトの毛をとっていった。
アルトの指も毛は生えてるんだけど短いし、使い込まれてるから、あとに抜け毛を残していくこともなく。
……ほ、わ。
状況分析するアタマと、それを受け止める情動が分離した。
タマシイ抜けた。
「とれたよ?」
「はい……」
アルトはさりげなくエプロンのぽっけに手をつっこんで、わたしの口から取り出した毛をナイナイしてる。す、すみません。お世話をおかけしまして。その。あの。あとで洗濯するんだよね。ごめんね。
「飲んじゃダメだからね、主。お腹つまるよ」
「は、はい」
バレたのかと思った。いっそ飲み込んでしまおうかとちらっと考えた。
よろしい、とうなずいて、にこっと素朴な柴わんこスマイル。なにごともなかったかのように縫い物作業にもどるアルトたん。ええと。アルトたん……。
なんて言ったらいいのかわからないの。
た、たしかにね。たしかにアルトたんはわたしの体調管理とかお任せできそうな、人族の加減もよくわかってる、家政の得意な素敵わんこさんだなーって思ってたけど。
なんか今のは違うと思うの……。
何がどうって的確に言えないけど、何かが違う。
ええ、ああ、うう。
……きょ、距離感?
あああああそうかそうだ。距離感が近すぎる。というか今の無くなかった? ほぼ完全なるオカンだったぜ、アルトたん。
い、いまのレンハルトに見られなくてよかったあ……!
って場当たり的な幸運を喜んでる場合じゃない。
テレスさんの「わかってる」からかいとは違う。アルトのこの尽くしっぷりは。ほっぺについた米粒とって食べちゃう勢いだったよ。なにそれオカンかお嫁さんじゃない。
……アルトはいざとなったらレンハルト相手にだって牙を剥く。
契約の絆の影響かと思ってたら、それだけではなさそうだ。わたしも調子に乗って「イカス主」ぶったりしたからなー。でもあの不安そうな様子見たら、頼っても大丈夫って思わせてあげたくなるじゃない。
多少の恋慕は混じっちゃうかなーと思ってたけど。
魔力のそれと混同してる、っていうのは超えてるよね。
……まずい。
アルトに適度な距離をおきましょうなんて言ったら泣かれる気がする。
言わずに黙って距離感かもし出したら、誤解される気が。自分が嫌われるようなことしたのか、とかさ。はげしく落ち込ませてしまいそう。
ど、どうしよう。
「……どうしたの?」
純朴な柴わんこにのぞきこまれて、返す言葉に詰まった。どうせ詰まるならメルトの毛でも詰まった方がナンボかマシだった。
距離感。
ああ、そうか。
世の魔術師さんたちがそれなりの距離感を保って接してるのにはそれなりに意味があったのかもしれない。
今さらだけど先人の知恵について深く考えなかった己の所業を反省してはみたものの。
これからどうしたらいいのだろう?




