26.こっちのみずはあまいぞ
レンハルトたちが帰ってきた。
玄関のドアが開く。途中で合流したのか、別口で買い物に出掛けてたアルトも一緒だった。
最近はアルトひとりでも問題なくおつかいに行ける。ご近所の下町界隈に顔なじみが増えたおかげだ。レシピ交換とかで奥様方とおしゃべりすることもあるらしい。
レンハルトとテオドールはメルトを肩に乗せて猛ダッシュする散歩に行ってた。散歩っていうより散走? あ、散策? まぁどうでもいいか。
レンさんにわたしも抱えていこうかって言われたけど謹んで遠慮しといた。
そんで残って読書――するはずだったんだっけ、そーいえば。すっかり夢中になってた。テレスのマッサージに。ふう。あちち。軽く汗ばんでる。
「ただいま」
「あ、おかえりー」
どさっと何か落ちた? 置いた? 音がした。
ん?
……えと。 レンさん? その顔どーしました?
「何をしている」
え。って、えっ。
レンさん? その声どーしました?
魅惑の低音ボイスが地獄の恨み節みたくなってまっせ……?
「主。ほら」
「え?」
「何してる、だって」
ソファの背に肘ついて余裕ですね、テレスさん。モデルさんみたいで様になってるぅ!
てか、いまさくっとわたしに押しつけたでしょ!?
「マッサージを。毛艶が気になったもので」
「……そうか」
「れ、レンさんのもして、いい?」
ぴくっとお耳が反応した。尻尾もかすかに。
よし! いまだ! たたみかけろ!!
「最近ちょっと撫でが足りてなかったと思うんだ。毛艶が少し、ほんのすこーし、落ちたかなーと思うのね。だからね、よく撫でてね、お手入れした方がいいかなーって!」
「……そうか」
「テレスは大体終わったし、レンさん、する?」
尻尾が揺れてる。振ってるんじゃなくて、ゆらー、ゆらーって。耳もぴく、ぴく、って。レンさん、迷ってます? 傾いてます?
「…………………………する」
よかったあ! 断られたらどーしようかと思った!
ささっ。こっちこっち。
いつもの表情に戻ったレンハルト、大げさに手招きするわたしを見て、肩を落として溜め息をついた。尻尾ふぁっさー。大きくゆっくりと振られてる。ほっ。ご機嫌なおったっぽい。
おー。びっくりした。まさか誤解されるとは。
マッサージとかしょっちゅうしてない? 今さらどーしてあんな反応するんだよー。もー。ヘソ曲げられちゃったかとひやひやしたじゃないか。レンさんに嫌われたらと思ったら、心臓バクバクだよ。
はあぁああ……今日はホントに心臓酷使しすぎ!
テレスさんはキュンキュンさせてくれちゃうし、レンさんはビクビクさせてくれちゃうし。
「あ、テオドールもする?」
「……いい」
断られた。まっ、いっか。テオドールには嫌がられても普通かなって思える。甘えるタイプと違うし。たぶんベタベタ嫌いそう。
湯上がりのお手入れくらいはさせてくれるけど。背中とか届きにくいとこだけ。あとは自分で済ませちゃう派だ。
他のひとたちは大体わたしに任せてくれる。ひとに触らせるのは憚られるところ以外は。ぶっちゃけ、腰まわりですね。アウトゾーンは。尻尾の付け根もダメ。脇は平気。
あとはアルトか。テオドールとは真逆のタイプだよね。
すっごい物欲しそうな目をしてこっちを見てる。買ってきた食材をひとまずダイニング・テーブルにちまちま並べながら。
あ、物欲しそうって語弊のありそうな言い方でごめん。語彙が足りないな。悪い意味じゃないから。むしろこう、なんか、ひたむきさにきゅうんってなる。
うん。きゅうんってなった。
どうしてうちのこたちはみんなしてこんなにもかわいいの! わたしを萌え殺すおつもりですか! との、しんぞうがもちませぬ!
も、萌え返しだ!
丁寧語キャラ攻撃だ!(なんかアルトはこれに弱い)
「アルトはお夕飯の仕度がありますよね。夕食のあと、ゆっくりしましょうか。お風呂あがりにどうですか」
「おれ……主といっしょにお風呂入りたいなー……」
おいこら。なに寝言いっとる。
さすがにジト眼を向けたら、てへへと笑ってごまかしおった。うぬ。
柴わんこの「てへへ」って「てへへ」って……見るから健康そうなピンク色の舌なんか出しおって! 口もとだらしなげの若干アホっぽいカンジがたまらんかわいいわ!
てか、いいオトナがいっしょに風呂はいりたいとかほざいちゃダメ絶対! メルたんの教育にいくないでしょ!
ん?
「メルト」
ぐいぐいと服をひっぱられて、誰かと思えばメルトだった。いつの間にそばに来たの。ああ、レンハルトにくっついて来たのか。
レンさんはLの字型のソファのもう一辺に座るご様子。こっちはテレスが寝てるからね。まさかどかして座ったりしないよねぇ。……しなくてよかったよねえ! はっはっはっ!
「メルトのご用は、な~にかな~?」
首を傾げてみせると、メルトはちっちゃな拳で自分の胸をとんとん叩く。
「ん? メルトがするの? マッサージ? じゃないか。んー……ああ。お風呂か!」
こくこくこくこく。小さな白い頭でうなずく。おにんぎょうみたい。
「よーし。あとで一緒に入ろうねー」
ぴょいん、と抱きつかれて、ともどもソファの背もたれに突っ込む。
ち、注意はしてんだけど……ときどき勢いあまってこういう……。
メルト、最近ぐんぐん体重ふえてるよなぁ。抱っこするのもよっこらせだし。会ったばかりの頃は3才くらいかなって思ってたけど、あれ痩せてたからで、実際はもっと上っぽいような?
「メルト。ダメでしょ。いたいよ」
わたしに怒られると、メルトは「はっ」て顔して、ごめちゃいのポーズをとった。ぷにっとした、ちっこい手をあわせて、わたしの目を見つめる。
「おとなでも、メルトにどーんされたら、ころぶひともいるの。ころんだら、痛い痛いだよ」
よっこらせっと。抱っこだっこ。
「うれしくなっちゃって、どうしようもなくなったら、……どうしよっか? どーんしないで、わーする方法、あとで考えようねー」
すりすりすりすりりりー。胸元に猛烈に頭をすりつけられた。ふへへ。
「さて、レンさんのマッサージするから、メルトはいい子にしててね」
「ボク昼寝する。メルトもする?」
ぴょいん。
ちょw 言った端からまた飛びついてwww
ま、テレスは転げないけどさ。子ネコに飛びつかれたくらいじゃ。
「メルト! 急にどーんしたら、ダメだってば」
とにかく叱っとく。転げもしないのにどうしてイカンのかわかりにくいよねぇ。どう言ったらわかってもらえるんだろう。誰かをケガさせて罪悪感でもってさとるんでは遅いのよー。
困った、というのが顔に出たらしく、メルトは白い三角お耳をへんにょりさせた。
「おいでって言われるまで待って。いい?」
ひこひこっと白い尻尾がゆれる。
「……おいで」
両手ひろげて言ってみる。
メルトの真っ青なおめめがまんまるに。ぴこーん!と頭のうえに電球マークが点灯するのが見えるようだった。
ぴょいーん。しがみついてたテレスの腰から跳んでくる。
のふっ。
……くは……っ。
か、かまえてても、ジャンピングアタックはくるのう。
「よ、よしよし」
「主は甘いねえ。ほら、メルト。お昼寝いくよ。おいで」
テレスもわたしに倣って両手をひろげて受け止める体勢をとってくれる。メルトは青いおめめをキラキラさせてうれしそうに飛びついた。
「はい、上手。メルトはきっと強くなるよ」
ほんとに!?って尻尾ぴーん。ふるふるしてるメルトを小脇にくっつけて、テレスは上階へあがっていった。
ほんで。
レンハルトさんである。
ソファで待っててくれたんだけど、なんかぼーっとしてはる。どしたん。
「れんさーん……?」
「さんは要らない」
「つい」
って、いつもは聞き流してくれるくせにーぃい。
拗ねてんの? 拗ねてんだよね? 拗ねてるよね!
なんでー? ねえ、なぁんでーえ?
「腹を立てる……権利など、ないのは知っているのだが……」
暗い。レンさん、暗い。
「そんなことないでしょ」
「え?」
「レンさんトクベツだし」
「……とくべつ」
「うん」
なにもなくても、ドキドキするのなんて、レンハルトくらいだし。
「なら……それなら」
「うん」
「ならば、もう……」
言いかけて、やめる。レンハルトはぷるりと頭を振って。息をついて。
「……オレは主を信じる」
「はい」
「気をつけてくれ」
「うん、そうする」
「主が思うより、ずっとだ。でないと気が気でない」
レンハルトの耳がへっしょりする。ああん、かわい――すみませんすみませんまじめに聞いてますスミマセン。けどだってもふもふなんだものぉおおおっ。
「オレは心が狭いな」
はっは。これは異なことを。
レンハルトは謙遜しすぎじゃろ。ちょいと(いやかなり?)ヤキモチ焼いたくらいで何だっていうの。誰だって嫉妬心や独占欲はあるし、わたしはむしろうれしい。
契約の影響を考えると割り引いて考えなきゃいけない執心だろうとは思うが。
「レンは度量のある男だと思うよ。いいんじゃない。狩りをするなら用心深い方が」
「……主は甘いな」
はいはい。この世界のひとたちの評価は「辛い」よねー。
と、順調にシリアスをこなした後は。
レンさんをマッサージして、ご飯たべて、お風呂はいって、アルトをマッサージして、お風呂上りのお手入れ(アマツの油で)を全員分こなして、ベッドに寝転がる頃には、すっかり筋肉痛になっていた。
チートは! マッサージ師のチートは発現しないのか!
……ムリか。追い込まれてないもんね。
むしろご褒美だもんね。この達成感!
腕がしびれるまで撫でさすった後でも、いい笑顔で寝つける自信があるわー。
しかし翌日アルトを泣かせそうになって反省した。
筋肉痛で手の感覚がおかしくてお箸を取り落としたりしたもんだから。心配させてしまった。
すんません。何事にも限度ってもんがありますな。いくらたのしくてもやりすぎないよーにします。なるべく。




