第八話 周李龍のランクマッチ
上位ランク帯の専用闘技場。
無作為にマッチングが行われるランクマッチで、一つの決着が迫っていた。
フィールドは市街地。
一方は、狼を模した四足歩行の高機動モンスター型。
対するは、無駄のないシルエットの中量級ロボット型――プレイヤーネーム『周 李龍』。
観戦ルームでは、数百人のプレイヤーがこの一戦を見守っていた。
『やっぱりセオリーは崩れねえな』
『完璧な間合い管理だ。相手の狼型、完全に手玉に取られてるぞ』
観客の言う通り、試合はセオリーの完全なペースだった。
狼型の高速突進を、セオリーは最小限のステップで躱し、的確にライフルの弾丸を叩き込んでいく。深追いはしない。被弾もしない。
テンプレと呼ばれる現環境の最適解を、極限まで磨き上げたような堅実な立ち回り。
『クソッ……! なんだこの硬さは。どんだけ的確に捌いてきやがる!』
オープンチャンネル越しに、狼型のパイロットの苛立った舌打ちが聞こえてくる。
(……そろそろか)
ダイブポッドの中で、セオリーは冷静に相手のデータウィンドウに目を向けた。
狼型のHPが、三〇%を割り込む。加えて、度重なる突進による脚部フレームへの過負荷がレッドゾーンに突入しつつあった。
焦り。苛立ち。そして、上位ランカーとしての意地。
『舐めるなよ……俺はまだ終わってねえ! 削り切ってやる!』
狼型のプレイヤーが、吠えるように叫んだ。
その直後。
機体を覆っていた装甲の一部が弾け飛び、内部の人工筋肉が異常な熱を帯びて赤く発光し始めた。
フィールドの空気がビリッと震える。
『出た! 深化だ!』
『ここで勝負に出たか!』
観戦チャットが沸き立つ。
《深化》。それは、モンスター型カテゴリのみに許されたシステム上の隠しバフの通称だった。
(……来たか)
セオリーは機体を後退させながら、冷静に相手の挙動を分析する。
(発動条件は三つ。HP低下による生存本能。フレーム限界による過負荷。そして、パイロットの闘争心への適応。……タイミングとしては教科書通りだ)
オリジン型の《底力》のように。あるいは、ロボット型が機体へのダメージと引き換えにリミッターを外し、一時的に出力を跳ね上げる《限界突破》のように。
モンスター型にも、パイロットの極限状態に適応して機体性能を“変態”させる切り札が存在する。
『消え飛べえええっ!』
深化を発動させた狼型が、一気に踏み込んできた。
先ほどまで存在していた、攻撃に移る前のわずかな“溜め”が完全に消え去っている。
思考と同時に機体が弾け、踏み込むたびに仮想のアスファルトが爆ぜた。推進力そのものが、暴力的なまでの質量を持って迫り来る。
「なるほど。運動エネルギー効率が二〇%上昇しているな。出力も上がっている」
セオリーは、自身の機体のブレードで狼型の爪を弾きながら、まるで他人の試合を解説するかのように呟いた。
「速い。だが――やっていることは変わっていないな」
セオリーの目が、冷徹に相手の重心を捉える。
確かに速い。だが、振ってくるモーションも、攻撃の軌道も、先ほどとまったく同じだ。ただステータスが上がり、動きが早送りになっただけ。
(カタログスペックが跳ね上がるテンプレの深化。脅威ではあるが――)
「弾数の無駄だな」
セオリーは迷いなくライフルを手放した。
代わりに、両手のブレードを構え、迎撃の体勢を取る。
相手の攻撃に付き合い、自壊のリスクを負ってまで限界突破を使う必要はない。深化は、機体の寿命を前借りする時限強化だ。
「凌ぐ」
『なぜ当たんねえ! さっきよりずっと速いはずだろ!』
約五十秒。
嵐のような狼型の猛攻が続く。
だが、セオリーの機体は、そのすべてをミリ単位の回避とパリィでいなし続けた。
決して反撃はしない。徹底した防御と遅延行為。
そして。
『あ……クソッ、フレーム限界かよ……っ!』
狼型の動きが、急激に鈍る。
赤く発光していた人工筋肉が黒く焦げ付き、関節部から白煙が噴き出した。
深化の制限時間切れ。機体の限界だ。
「――終わりだ」
隙だらけになった狼型の首筋に、セオリーのブレードが静かに振り下ろされた。
『――Winner, 周 李龍』
システムアナウンスが鳴り響き、試合が終了する。
『完璧な処理だ』
『あそこで反撃しないのがセオリーの強さだよな』
『やっぱテンプレ深化じゃ、トップ層には通用しねえか』
観客たちが、当然の帰結として勝利を称える。
だが、ダイブポッドの中で、セオリーの表情は晴れなかった。
「……悪くない動きだった。だが、トップ帯の一部――例えば、あの速度特化型の『迅・ソニック』あたりには、この程度じゃ届かないだろうな」
テンプレの深化。
ただステータスが上がるだけの強化では、環境の頂点の、理不尽なまでの速度と暴力には到底及ばない。
セオリーはログを閉じようとして――ふと、その手を止めた。
「いや、違うな……」
彼の脳裏に、数日前に見た“あの戦闘ログ”が蘇る。
『迅・ソニック』vs『しろっぷ』。
あの時、異形のモンスター《クリサリス》が見せた最後の数秒間。
未完成で、フレームが自壊する直前だったにも関わらず――あの機体は、迅の動きを先読みするかのように“勝手に”最適化された挙動を見せた。
「あの異形は、深化すら発動させていなかった」
セオリーは、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「あの機体は、強くなったんじゃない。状況に合わせて“動きそのもの”を書き換えていたんだ」
先ほどの狼型の深化とは、全く次元が違う現象。
そんなことは、システムの仕様上ありえない。
だが、もし。
もし、あの異形のバケモノが《深化》の条件を満たし、あの理不尽なまでの適応力がさらに跳ね上がるとしたら。
「……末恐ろしいバケモノだな」
セオリーは小さく息を吐き、静かにログアウトした。




