六十七、とある共犯者の証言
「ちょ、ちょっとノア!?」
「ごめん、嬉しくて!」
まるで言葉よりも先に身体が動いたとでもいうように抱き上げられたことでつま先が宙に浮く。
ひたすらにこにことしているノアは珍しく、目の前に迫る満面の笑みは心臓にも悪い。けれどノアが喜んでくれるのならと、自分もつられるように笑っていたのだ。
「随分とロゼちゃんに愛されてるのな」
ノアの視線はしみじみと呟くレイナスに向けられている。
「ありがとうございます。お義兄さん」
「ホントに厄介な義弟が出来た!?」
その後レイナスは妹だけでも大変なのに……などと呟いていたが、その妹と過ごせる時間も残り少ないのだろう。今にも攫ってしまいそうな婚約者の様子を見る限り、猶予は想像よりもはるかに短い可能性がある。
レイナスは込み上げる寂しさには目を瞑り、今はただ妹と新たに家族となる義理の弟を祝福することを決めた。なにしろ義弟とは彼が少年時代からの顔見知りだ。本当にあの日語った理想を実現させてしまったのだから恐れ入ると素直に偉業を称えている。
レオナールも同じ想いであるのか義弟に向ける眼差しは優しい。そんな兄の存在に気付いたことでレイナスは考えを改めさせられた。自分など可愛いものであると。最も大変の称号にこそ相応しいのは弟妹だけでなく難しい年頃の娘を持つ長兄にこそ相応しいだろう。その愛娘は先ほどから義弟と熱い火花を散らしている。
「ロゼお姉様、一つお聞きしたいのですが……。決闘を申し込むようなお転婆な姪のことは、もうお嫌いになってしまいましたか!?」
瞳を潤ませるアイリーシャに、ロゼは身を乗り出して否定する。
「何を言っているのリーシャったら! 貴女はわたくしの大切な姪、昔も今も、そしてこれから先も永遠によっ!」
アイリーシャは無邪気な笑みで嬉しいですと答え、それは誰が見ても微笑ましい光景のはずが、ノアに対してだけは勝利の笑みとなっていた。
「聞きましたか!? ノア・ヴィクトワール、お姉様は私が一番大切なのですって!」
「でも、アイリーシャ様はただの姪ですよね?」
「その確認、わざわざする必要はあるの!? お姉様と血も繋がっていないくせにうるさい人っ!」
「ふっ――」
言い争いをしているはずなのに、ノアからは嬉しそうな空気を感じた。それがまたアイリーシャを苛立たせ、また終わりの見えない口論が始まる。
(もう……)
呆れるロゼだがどうやら主人公と攻略対象が口論するというこの異様な事態にも耐性がついてきたらしい。むしろこの方が二人らしいとさえ感じるようになっていた。
ノアが嫌いなのも乙女ゲームの主人公ではなくアイリーシャだから。ノアには悪いけれど、悲し気な表情を浮かべてばかりいたアイリーシャより、感情を露わにしてでも生き生きとしているアイリーシャの方が自分は好きなのだ。
(リーシャはリーシャなのだから。でもね……ここで言い争う必要があるのかしら!?)
まさにロゼを間に挟んでの言い争いである。
「二人とも、もう決着はついたのだから仲良くしたりは……」
「ロゼお姉様。私、いくらロゼお姉様のお願いでも難しいことがあると初めて知ったのです」
「そんなに難しい!?」
「婚約出来たからといって気を抜かれては困ります。きちんとロゼお姉様を幸せに出来るのか、私はずっと見張っているのです。ノア・ヴィクトワール、私は簡単に丸め込まれたりしないのですから、くれぐれも油断しないことね!」
「臨むところ。ロゼ、君の姪ってさ、本当に君そっくりだね。君が観光大使になりたいと言い出した姿を思い出すよ」
不意に飛び出す言葉にも嬉しさが込み上げる。当然のように長い年月を憶えていてくれたことが嬉しくてたまらない。
「でもノアは、あの時とは随分変わったわね。こんな風にノアが大勢の人の前で……大勢?」
そう、ここは街中。このイベントのためにたくさんの人が押し寄せていたはず。
彼らは杯杯を手に、今か今かとその瞬間を待ちわびていた。
「ローゼリア姫の婚約に!」
「団長の婚約に!」
「新しいベルローズの観光大使に!」
「ロゼちゃんに!」
「リーシャちゃんに!」
乾杯をするための理由はいくらでもあるだろう。
こうしてエルレンテ史上初、観光大使の争奪戦は幕を下ろした。
~☆~★~☆~★~☆~★~☆~
やがて街は主役を置き去りに酒盛りへと移行した。そこに祝うべき事柄があるのなら全力で盛り上げる。飲める理由があるのなら大歓迎、というのがベルローズの民の精神だ。すでにレオナールとレイナスも率先して宴に参加している。
ロゼの元にははれて婚約者となったノアにラゼットといった酒に興味のない面々が残った。ノアの場合は頑なにそばを離れなかったとも言えるが。
意外なことにロクスは酒を嗜むらしく、レオナールと談笑している。なんでも飲まなければやっていられないこともあるらしい。そうしているうちに随分と酒に強くなったそうだ。はたしてそれは大丈夫なのだろうか。ロゼは止めるべきかと悩むもオディールから興奮気味に詰め寄られたことで自棄酒を止める機会を逸してしまった。
「ロゼ様、本当におめでとうございます!」
もう何度目になるかもわからない祝福だった。けれど何度告げても足りないとオディールが言うように、自分も何度でも喜ぶだろう。
「ありがとう」
「ロゼ様が幸せそうで、私まで嬉しくなってしまいます」
うっとりと、オディールは常よりも早口で語る。彼女も酔っているのだろうか。
「ようやく待ち望んでいた方と結ばれたのですから、当然ですよね。本当にもう、私、自分のことのように嬉しくなってしまいました!」
涙を拭おうとするオディールの肩にロゼはそっと手を置いた。そして低く告げるのだ。
「わたくし待ち人がいると貴女に話したことがあったかしら?」
神妙に問いかけるロゼに対してオディールはにこやかに答えた。
「いいえ一度も」
「そうよね!?」
「はい。ですが私もリーシャ様が知らないロゼ様のことはたくさん知っているんですよ! どれだけ一緒にいると思うのですか? ロゼ様に忘れられない人がいることくらいわかりますよ」
「え……わかるの?」
出来れば否定してほしいのだが、オディールは思い切り頷いた。
「私、リーシャ様からお話を伺って、最初はロゼ様が政略結婚をさせられるのではと心配していたのです。ですがノア様のお姿を見かけて安心しました。ロゼ様が待ち望んでいた人はノア様だったって!」
オディールは懐かしむようにここ数年の様子を振り返る。彼女の話では、おや? と感じる場面が幾度もあったらしい。
そう、たとえばある天気の良い日に二人で街を歩いていた時のこと――
「ロゼ様、見て下さい! あそこに白い」
「白い!?」
怖ろしいまでの反射で振り向く姿にオディールは一瞬続くはずの言葉を忘れた。
「猫がいて、その……可愛いなと、思いましたので……」
「あ、ああ……本当、可愛いわね。きっと撫でたら、もふもふしているわよね……」
寝転がる白猫は優雅に日向ぼっこを楽しんでいる。毛艶も良く、つい目を奪われてしまったオディールは何気なく話しかけたのだ。けれどロゼは明らかに別の何かを期待していた。期待していた何か、そう例えば白い何かを。そしてそれは期待外れな結果となり落胆しているのだろう、そう感じた。
そしてまた別の日には――
「ロゼ様、あの白い」
またしても白のくだりでロゼは周囲を見回していた。何かを探すような必死さに、オディールは続く言葉の平凡さを申し訳なく感じるほどだ。
「……白いフリージアが、綺麗ですよねと」
ことあるごとに白という単語に反応を示す姿を目にするうちに、次第に猫でもフリージアでもなくもっと別の、あるいは誰かと、そう考えるようになっていた。
そんなロゼのおかしな行動はオディールだけが知っている――はずだった。
(今日まではね!)
「ロゼ様はいつもどなたか探されていました。ですからロゼ様が忘れられない人は白にゆかりのある人だと勝手に想像していたのですが、こんなにも素敵な方だったなんて……良かったですねロゼ様!」
「あの、オディール。本人もいることですし、このお話はそれくらいで……」
極力なんでもないような顔をして話を終わらせてやる。たとえそれが全て聞かれた後だったとしてもだ。
(それにしてもオディールにばれていたということは……)
オディール以外にも気付かれていた可能性がある。ロゼはこわごわと見知った顔ぶれを順に探った。そうしていると誰もが敵に見えてくる。
(まさかリーシャにも!?)
しかしアイリーシャの姿だけは見つけられずに終わる。代わって自身の疑問に答えてくれたのはラゼットだった。いわく、「初対面の団長殿の想いを正確に看破して見せたくらいだ。誰よりあんたのそばにいた王女殿下が気付かないはずがないだろう」ということである。
閲覧ありがとうございます!
オディールは見ていましたよ。ずっとね……。
それでは次話はアイリーシャ成分多めにお送り致します!
またお会い出来ますように! お気に入り、感想、評価などなど、ありがとうございました。
そして、新連載始めました。
『転生人魚姫はごはんが食べたい!』
異世界転生したら人魚姫でした。でもごはんが食べたくてたまらない主人公のほのぼの日常、食事と恋と事件のお話です。恋のお相手は、私にしては珍しく王子様です。めげない王子様ですね。王子様も頑張りますので、こちらもどうぞよろしくお願い致します!




