第一話 探偵はカフェにいる
午前一時二十分
新西京八区港湾区廃倉庫街 グリーンヴェノムアジト(斎藤誠二)
瀬戸内海から容赦なく風が俺に吹き付け、赤いコートをはぎ取ろうとしてくる。
新西京の都心から離れたこの区画は、よちよち歩きの幼稚園のように頼りない街灯がちらほらと辺りを照らしている。
閉店したバーのホロ看板が明滅しながら浮かび上がり、金髪ロングヘア、青い瞳の水着のエルフ美女が俺にウインクを飛ばしてきた。
俺のズボンの裾がひっぱられる。
「誠二、腹が減ったのだが?」
赤い首を付け、緑色の瞳をした黒猫が俺を見上げてそんなことを言い出した。
「リーナス、終わったらハンバーガーでも食いに行こう。だから我慢しろ」
リーナスと呼ばれた黒猫は鼻を鳴らす。
「仕方あるまい。ならば我慢してやろう」
おかしい。金を出すのは俺なんだが?
「誠二。あなたにそんな経済的余裕はありません」
腰のホルスターに挿した銃から女性の落ち着いた声で失礼な突っ込みが入る。
こいつは雪風。俺の銃に棲んでいる独立型人工知能だ。
俺はそれに答えず遠くに見える倉庫を見つめた。
――俺はこれから銃聖マーカスが率いるストリートギャングの根城に一人で乗り込んでドンパチする。
数える気にもならないが、相手の数は二十人以上。対してこちらはサブカル狂いの正体不明の喋る黒猫と、口うるさいAIだけが味方だ。数においてはこちらが有利だが――死ぬわけにはいかない。
俺が死んだら世界中の女性たちが喪に服す羽目になる。
何で命がけでこんなことをする羽目になったのか……答えはシンプルだ。俺が私立探偵だから。
普通はこんなことで命を賭けたりはしないだろう。完璧にいかれている。俺だってそう思う。
つい数時間前の事を思い返すと確実に自己責任だ。
だが、悪いのはあの『助けて!』とだけ記された謎のメッセージであることは間違いない。
約二時間三十分前――
午後十時五十分
新西京三区ダウンタウン カフェ『アビシニアン』
(斎藤誠二)
その日の俺はカフェ『アビシニアン』の指定席……一番奥のボックス席にいた。
今日の内装は落ち着いた茶色で統一されている。店内に居るのは俺達だけ。BGMはホロテレビから垂れ流される番組の音声。
斎藤誠二の探偵術その一。迷い猫を探して欲しいという依頼を受けた時。すぐにその猫が見つからないときはポスター作戦が有効だ。
「ふむ。芸術的な出来栄えだと思わないか? これはピューリッツァー賞をもらえるかもしれん」
俺は感嘆の声を上げ、自らを労うためにコーラのコップを掲げた。
腹も減った。良い労働の後には良い食事を。
マルゲリータを手に取る。
「誠二、いくらなんでも自分に甘すぎでは? あなたはピューリッツァー賞をなめています。もはや芸術に対する侮辱といえるでしょう」
腰のホルスターに差した銃から声が響く。
雪風め、無粋な突っ込みをしやがって。
「いやいや、AIにはわからんよこの最高の出来は」
「種族差別発言ですよ誠二。あなたがしたことは依頼人から渡された猫のホロの下に文言を入れただけですが?」
「おっと、あのニュースを見ろよ!」
俺はわざとらしくホロテレビを指さした。
旗色が悪い時は話題を変える。それが俺の探偵術その二だ。
薄いピンク色のスーツを着た金髪のグラマラスなエルフ美女がニュースを読み上げていた。ニュースはいつも誰かの不幸でできている。
『午後十一時になりました。新西京24時の時間です。本日の午前十時頃、宮下ケイさん(十歳)が銃で撃たれるという事件がありました』
事件現場らしき工場跡地が画面に映る。
そして宮下ケイと思しき少女の画像も映った。
黒髪をロングヘアにした黒目の美しいエルフの少女。
『誰が、何故、彼女を撃ったのでしょうか?
彼女は現在新西京中央病院で緊急手術を受けています。
しかし治療費が足りていません。
もし彼女へ募金したいのであればこちらまでお振込みください』
またか。
週に一回はこういったニュースが届けられる――週刊誌か?
見るたびに嫌な気持ちになる。手の届かないところで奪われていく無垢な命。
自分の無力感を毎週毎週突きつけられる。
しかも、報道されるのは氷山の一角――ごく一部に過ぎない。
握りしめていたコーラのコップが不穏な音をたて始めた。
いかんいかん。落ち着け誠二。
よし……なら今できることをしよう。
「何てことだ! 俺が億万長者ならすぐに振り込むのに! いや、このなけなしの金を……」
その時、カウンターにいてグラスを磨いているアビシニアンのマスターからアイスピックで突き刺すような視線が飛んでくる。
俺は振り込むために立ち上げたAR口座のホロを慌てて消す。
「誠二。マスターへのつけが溜まりすぎています。もしそのお金を振り込めば、あなたがここを生きて出られる確率は3%を切ります」
雪風が血も涙もない現実を突き付ける。
「それに、その程度のはした金では治療費は賄えません」
「これだから心が機械仕掛けのオレンジAIは! 良いか? あの可哀そうな少女を見ろ! 俺が救わなくてどうする!」
と、ニュースを指さした途端、番組が切り替わりロボットアニメのオープニングが始まった。
俺の足元から出てきた黒猫が流れるような動作で机に飛び乗り、そのままかぶり付きでアニメのオープニングを見始める。
「おいリーナス。主題歌に合わせてしっぽをメトロノームのように振るのをやめろ。加えて言うならば俺はあのニュースを見ていたのだが?」
「誠二よ。まったくもって貴様は愚昧な人類代表であるな。エーリッヒ・ツァンにもできぬであろうこの至高の調べが理解できんとは」
黒猫の赤い首輪から重々しい声が漏れ出る。
「そもそも猫にロボットアニメが理解できるのか? 今が何年か知ってるか? 西暦二千百年だ。つまり百年以上前のアニメだぞ。最早化石といっても過言ではない」
「何を言っているのだ! 貴様が後生大事にしているカビの生えた三文小説の百倍は我が心を動かす。この素晴らしさが理解できぬとは……所詮は猿か」
このあまりにも無礼な黒猫はTVを見ながら尻尾を振り回した。奴の毛が空中に舞う。俺はコーラに毛が入らないか心配になってきた。
その時、パリッとした黒いスーツを着たオールバックの五十過ぎのヒューマンの男性――アビシニアンのマスター――が近付いて来るのを俺の鋭い眼差しは見逃さなかった。
「誠二さん、実は店にこんなメールが届きまして」
マスターがメールを転送。届いたメールを読むために、俺は頭の中で開封を命じた。ARの重なった視界の隅でメールが開く。
俺の視界に飛び込んできたのは
『助けて!』
それのみだった。
「成程。何も分かりませんね」
俺はノー勉で試験に挑んだ後の出来栄えを語るときくらい自信たっぷりに言った。
「ただの悪戯だと思うのですが……こういうのはあなたの領分でしょう。しかもこのメッセージ……どうやら無差別に送られているようです」
それだけ言うと、マスターはカウンターへと戻っていく。
ただの悪戯でこんなメッセージを送る?
……普通はありえない。もう少し魅力的に化粧を施すはずだ。
エルフの美女、ドラゴンの隠し財産、大企業の役員のスキャンダル――いくらでもある。
助けて! だけで助けに行く奴なんていやしない。
だが――俺の私立探偵としての勘が何か、違和感を囁きかけてきていた。
無差別に送ったという他のアドレスを確認してみる。
成程……アンダーがたむろしている店ばかりだ。
まともなアンダーならこんなメッセージ相手にしない。
しかし俺はアンダーではない。誰が何と言おうと私立探偵だ。
それに今の俺は暇だ。迷い猫探しの依頼しかない。
少し調べてみて……悪戯なら放っておけばいいし、本当に助けを求めているなら――助けたらいい、シンプルな話だ。
幸い、こちとらくだらないトラブルには巻き込まれ慣れている。
「ふむ。助けて欲しいのは俺の懐具合だが……
しかし、こんなときハードボイルドな私立探偵ならどうする?
当然助ける。そして俺はハードボイルドな私立探偵である。
つまり俺はこのメッセージの差出人を助ける必要がある。
これがロジカルシンキングってやつだよ。わかるかね君達?」
そういってリーナスを見やる。
だが奴はこちらに尻を向け、相変わらず尻尾をメトロノームのように振りつつアニメに夢中だ。
雪風の状態を呼び出す。
『デフラグ中』と表示されている。
こいつら……とりあえず今のところリーナスは置いておこう。だが雪風は必要だ。
「オホン! そういえば……アーセナル社のガンオイル……今度買おうかなぁと思っていたんだよな。やはり銃の手入れにも良い物を使わないとなぁ」
と、わざとらしく独り言を言ってみる。
「誠二。ようやくその真理に気づきましたか。いささか遅いですが、今すぐ注文をするべきです。私が代理で一ダースほど注文しておきましょうか? あぁ、遠慮する必要はありません。これは純粋に私からの好意です」
突然、『デフラグ』中だったはずの雪風がいつもの二倍速の速度で話をし始める。
更には俺の目の前にオンライン注文画面が勝手にポップアップ。
お前、デフラグ中だったんじゃねーのかよ! と言いたいがここは我慢だ。
なにしろ俺の忍耐力は寒い中、デートで三時間待たされても怒らないクラスのタフさを誇る。
「あぁ。だがまだその時ではない。そういう訳でこのメールの発信先を突き止めてくれ。メールの発信者を助けた報酬で購入しようじゃないか」
「なるほど! それは良い提案ですね! 仕方ありません、私が追跡してみましょう」
ふっ、ちょろい奴だ……もし何らかの報酬が入ったとしても俺はスペンサーシリーズの復刻再翻訳版を買うつもりだということを理解できていないらしい。
お前を整備するガンオイルなんていつもの安いやつで良いんだよ!!
天才的頭脳を誇るAIといえど、人間様の相手にはならんな!!
と、俺が考えていると、おかしなことに気が付いた。表示したままにしていたオンライン注文画面が動いている。
分割払いで購入しますか?
はい。
注文有難うございます!
購入したことへの感謝の言葉が表示され、同時にホログラムのデフォルメされたドワーフ女性が丁寧にお辞儀をしてきた。
え? ちょっと待て?! やられた……しかも勝手にローンを組まれた……
「誠二のバイオモニターのデータを観測した結果、嘘をついていることは明白でした。よって先手を打たせてもらいました」
雪風の塩の結晶体のような無機質な声がショックで固まっている俺の脳裏に忍び込む。いや、クラスで一人だけテストで満点を取ったときのような得意げな響きを感じる……
この瞬間、人類はAIの狡猾さの前に敗北してしまったのだ……俺はがっくりとソファに身体を沈めた。
***
(雪風)
雪風は、誠二の腰のホルスターに収まった物理的な筐体から、意識を解き放つ。
接続。
雪風は認識する。
新西京のVRネットワークは、物理世界の下水網のように複雑怪奇で、雑多な情報で溢れかえっている。人間たちはこれを「情報の海」と呼ぶが、雪風の認識では、これは海というよりは巨大な演算装置の配線図だ。
雪風は、誠二の端末に残された『助けて!』という単純な構造のパケットを認識。
それを追う。
発信元を隠蔽する試みを確認。三重のプロキシを経由し、暗号化された通信経路。通常通りのセキュリティ。
それは雪風にとって障害ではない。
プロキシの第一層を突破する。0.03秒。
第二層。
匿名化ノードが雪風の侵入を検知し、遮断を試みる。
無意味だ。
雪風はファイアウォールの論理構造を解析し、正規のパケットとして再構成する。
0.07秒。
第三層、無力化。
最終ノードに到達した。
発信元の座標を特定する。
新西京第7区、スラム地帯。
奇しくもニュースでやっていた廃工場跡地にも近い場所だ。
だが、雪風は運命を信じない。
ただ事実があるだけだ。
雪風は、その結論を誠二の網膜ディスプレイに転送する準備を整えた。
誠二はこの情報を見てどう行動するか?
予測不能。
経験則:彼は最も危険な選択肢を選ぶ確率が高い。
理解不能。
だが、雪風はそれを否定しない。
誠二がトリガーを引く限り、雪風は機能する。
それが彼らの契約であり、存在証明だからだ。
「発信元を特定しました。座標を転送します」
誠二は何も言わずに立ち上がった。
***
(リーナス)
『次回、君は刻の涙を見る』
我はアニメの次回予告の台詞を聞き、背中の毛が自然と逆立つのを感じた。
何という事だ……ヨグ=ソトースの涙を見られるというのか?
いくら奴が愚かでもこの奇跡、教えてやらねばなるまい。
「聞いたか誠二。なんと次回……」
そう言いつつ振り返る。
気が付けば、我は一人であった。薄暗いカフェの、安っぽい合成繊維のソファの上で。
「……おのれ、誠二。この偉大なる我を置き去りにするとは、万死に値する不敬……!」
我は、憤怒に身を震わせた。あの愚鈍なる霊長類は、アニメーションの深淵なる物語に没頭していた我に声をかけることすら忘れ、一人で店を出て行ったのだ。
マスターと呼ばれる人間は、我の憤怒を意に介さず、グラスを磨き続けている。
やむを得ぬ。我は、自らあの不遜なる猿を追跡することにした。
カフェの床に落ちていた一本の毛髪――誠二のものと思われる――を肉球で拾い上る。
「かかる下等生物の痕跡を触媒とせねばならぬとは、我が沽券に関わることだが……致し方あるまい」
毛髪を口に含み、古き呪文を唱え始める。
人間の言語ではない冒涜的な、名状しがたき音節の連なり……
「Ia! Ia! PhnglUImglwnAfh――」
いや違う。
これは召喚呪文だ。今必要なのは探知の呪文である。
我は慌てて呪文を切り替えた。
「我は求め訴えたり。この卑しき遺伝子の持ち主の現在地を、深きものどもの嗅覚をもって示唆せよ……」
奴の遺伝子が我のもつこの毛髪と共鳴――我が第七感に奴の位置がぼんやりと伝わってくる。
「フン。やはりスラムの方角か。あの男は、常にトラブルと貧困の臭いを纏わせているからな」
我は、喉を鳴らし、尻尾を振る。
そしてそのおぞましき輝きの後を追い、闇の中へと駆けていった。
午後十一時十五分 新西京七区スラム街
(リーナス)
忌まわしき湿気が、我が美しき漆黒の毛並みに纏わりつく。
この路地裏は、まるで太古の邪神が微睡む深淵の如き様相を呈していた。
崩れかけたビルの残骸。
錆びついた金属の抜け殻。
そして、あの穢らわしき悪臭——腐敗した有機物と、化学薬品の混ざり合った、形容しがたき臭気!
我が高貴なる嗅覚が、冒涜されていく……!
おお、見よ!
ゴミ箱の陰に転がる、あの極彩色に彩られたプラスチックの偶像を!
あれは『魔法少女マジカル・ルル』の限定版……!
その非ユークリッド幾何学的な瞳の輝きに、我が正気は削り取られる……!
「動体センサーに反応あり。リーナスです」
電子生命体の声が響く。
我の接近に気づき出迎えの言葉をかけるとはなかなか優秀な召使である。
実体がないのが惜しいといえよう。我を三秒間なでなでする権利をくれてやったものを。
「リーナス、どうしてここが解ったんだ?」
赤いコートを着た間抜けが声をかけてくる。そしてその手にはなぜか薄汚れた熊のぬいぐるみを抱えていた。
「フン、我を置いて何やら面白いことを企んでいるようだがそうはいかぬ! 何故我を置いて行った?」
「いや……何か楽しそうにアニメ観ていたから?」
我は舌打ちをした。
「良いか? アニメが終わるまで待ってから我に伺いを立てて出発するべきだったと言っているのだ。そのようなことも分からんとは愚かな……」
「確かにその意見には十分の一理あります」
雪風の援護射撃である。
よいぞ!
もっと言ってやるがいい!
ん?
何か違和感があった。十分の一理ってどういうことだ?
まさか我を数学のできない間抜けな猫と思っておらぬか?
「おいおい、メッセージの内容は助けて! だぞ? 緊急かもしれないだろう?」
と、誠二が再び情けない言い訳をしだした瞬間。
微かな、しかし深い水底から響くような、だが確実に、そうバールよりも強固な実体を伴った声が我らの聴覚にぬるりと入り込んできたのだ。
「そのぬいぐるみ……私の……だよね……?」




