一食 調布ダンジョン①
現代にダンジョンが出現し始めて、早5年。
そこには魔物が溢れ、倒せば魔石を落とす。
その魔石はエネルギー源として利用され、莫大な富を生み出した。
社会は一変し、日常もビジネスも、すべてがダンジョン中心に回り始めた。
——そして、俺は路頭に迷っていた。
ダンジョンの出現と同時に、人々には【異能】と呼ばれる力が発現するようになった。
魔物には現代兵器が通じない。【異能】でしか倒せないのだ。
【異能】の有無や適性は、「管理ギルド」と呼ばれる組織で調べることができる。
ダンジョンを統括し、探索者を管理する、この世界の中心だ。
俺は、今日ようやく【異能】を調べることができる。
奨学金やローンの返済に追われ、まともに金も貯まらなかった。
それでも、やっとの思いでここまで来た。
一攫千金を狙い、管理ギルドで【異能】の測定を受ける。
「……判定不能、だと?」
【異能】???
思わず声が漏れる。
係員も困ったように首を傾げている。
わからない?
そんなことが、ありえるのか。
視界がぼやける。
管理ギルドですら把握できない【異能】——いや、そもそも発現しているのかすら不明。
そんな状態で、ダンジョンの魔物を倒せるわけがない。
俺はまた、働いて、働いて、
終わりの見えない日々に戻るのか。
積み上がるのは借金と疲労だけ。
報われる未来なんて、どこにも見えない。
「……もう、いいか」
ぽつりと、声が漏れた。
ふと頭に浮かぶ。
調布にある、小さなダンジョンのことが。
ダンジョンでの行方不明者は、日本国内だけでも年間10万人。
その大半は魔物に殺された者たちだが——
中には、自ら“帰らない”ことを選ぶ者もいるという。
理由は、考えるまでもない。
俺は、足を向けていた。
気づけば、調布ダンジョンの入口に立っている。
人の気配はまばらで、やけに静かだ。
まるで、ここだけ世界から切り離されたみたいに。
「……終わりにしよう」
考えるのをやめる。
躊躇えば、きっと戻ってしまう。
だから俺は、そのまま——ダンジョンへ足を踏み入れた。
「おいおい、おじさん。手ぶらかよ。自殺志願者かー?」
三人くらいの若者がダンジョンに入って早々、囲い込むように話しかけてきた。
うるさい、もう何も考えたくないんだ。どっかいってくれ。俺の覚悟が鈍ってしまう。
ダンジョンができてからこう言う奴らが増えた。学校で【異能】を使う者、恐喝、強盗。警察も苦労している。自警団まで生まれた。
それに俺は、おじさんじゃない。まだ25だ。
「自殺するならさ——最後に俺らと遊んでくれよ」
その言葉のあとに来たのは、
一方的な暴力だった。
殴られ、蹴られ、地面に転がされる。
抵抗する気力もなく、ただ痛みだけが積み重なっていく。
やがて、それすらも遠のいていった。
「ほらよ、冥土の土産だ」
誰かが、何かを無理やり押しつけてくる。
「これが欲しかったんだろ?」
粘つく感触。
鉄臭い匂いが、鼻を刺した。
「俺らも楽しませてもらったしなあ」
ギャハハ、と汚い笑い声。
足音が遠ざかっていく。
手の中に残ったものを、ぼんやりと見下ろす。
——肉だ。
見たこともない色。
生温く、わずかに脈打っているようにも見える。
(……ああ)
ダンジョンで、“帰らない”ことを選んだ者たちの話。
魔物に殺されるだけじゃない。
もっと、確実で——取り返しのつかない方法。
「……魔物の、肉」
喉がひくりと動いた。
これを口にすれば、人は——
人では、いられなくなる。
魔物の肉に、手を伸ばした。
心残りはない。
ただ——これを食べれば終わる。
この、生き地獄が。
震える指で掴み、口へ運ぶ。
——臭い。
鉄と腐臭が混ざったような、吐き気を催す匂い。
だが、躊躇はしなかった。
一口。味わうこともなく、噛み砕く。
二口。歯ごたえの異様さすら、もうどうでもいい。
詰め込めるだけ、詰め込む。
喉が裂けそうになる。
それでも、無理やり飲みこんだ。
「——っ、ぐ……!」
胃に落ちた瞬間、
焼ける。
内側から、炙られるような熱。
遅れて、何かが“広がる”。
血管の中を、異物が這い回るような感覚。
鼓動が、一拍ごとに重くなる。
どくん。
どくん。
(……なんだ、これ)
意識が、沈まない。
終わるはずだったのに。
視界は暗くならない。
それどころか——やけに、鮮明だ。
音が、近い。
空気の流れすら、手に取るようにわかる。
「……は?」
喉の奥から、かすれた声が漏れた。
——死ねない。
《八片八雲の【異能:超暴食】が覚醒しました。》
《同時に【噛み砕き】を獲得》
《【噛み砕き】は【瓦顎】に進化しました。》
え、あれ?
管理ギルドで、異能を調べた時のようなアナウンスが脳内に響き渡った。
超暴食?俺の異能が覚醒?
生き地獄だった人生が一変するかもしれない、可能性が突如目の前に現れた。
正常な判断ができるのであれば、幸運よりも恐怖が勝つ。しかし、八雲は正常ではなかった。
先ほどまでの痛みがなかったかのように、ひょいと立ち上がり、ダンジョンを進み出した。




