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EP07 エンジェル

夕暮れの実習室では、煤けた魔導具と薬品の匂いが混ざり合っていた。レオンの机の上には、灰色に濁ったスライム液の失敗作がいくつも並べられている。どれも期待した樹脂にはならず、ただの粘ついた液体のままだった。

「……非効率だな」

レオンは小さく呟く。指先で失敗作の表面を触ると、冷たい粘り気が伝わってくる。前世の高分子化学の知識が頭を駆け巡る。この液体には確かにポリマー構造の可能性があるのに、なぜ固化しないのか。

その時、部屋の隅で微かな火花が散る音がした。振り返ると、古びた魔導コンロが不安定に炎を揺らめかせている。誰かが実験に使ったまま、放置しているようだ。

「また熱暴走か」

レオンは自然に足を向ける。コンロの周囲の空気が歪み、熱気が立ち込めている。魔石のエネルギーが効率よく変換されず、熱として浪費されている典型例だ。

《魔力流の制御が甘い。放熱設計も不十分》

《この熱損失さえ減らせれば、駆動時間は倍以上になるはず》

彼の目が机の上の失敗作スライム液に向く。高い比熱と粘性──これらは優れた熱媒体の特性だ。

「試してみるか」

レオンは机の引き出しから不要な銅管を見つけ出す。それは他の生徒が捨てた魔導具の部品だ。錆びているが、まだ使えそうだ。

失敗作のスライム液を慎重にガラス容器に移す。粘り気のある液体がゆっくりと流れ落ちる。そこに微かな魔力を流し込むと、液体がかすかに青く光り始めた。

「熱伝導率を上げるために……微細な金属粉を混ぜてみよう」

壊れた魔導具から剥がした銀の飾りをやすりで削り、粉末にする。かつての実験室で学んだ知識が蘇る。金属粒子を分散させれば、熱移動効率が向上する。

手順は単純だ。銅管を螺旋状に曲げ、一方の端を魔導コンロの熱源部に、もう一方の端をスライム液の入った容器に接続する。原始的な水冷システムの誕生だ。

「循環さえできれば……」

レオンは微かな魔力を銅管に流し込む。スライム液がゆっくりと管内を移動し始める。粘性の高い液体が抵抗なく流れる様子に、彼は満足そうに頷く。

「よし」

魔導コンロのスイッチを入れる。当初はいつものように熱気が立ち込めたが、すぐに変化が現れた。スライム液が熱源部の熱を吸収し、容器の方へ運び去っていく。

《熱移動が確認できた。温度上昇が抑制されている》

十分ほど経過した頃、レオンは手をコンロの近くにかざす。本来なら灼熱のはずが、ほどよい温かさしか感じない。

「駆動時間を測ってみよう」

彼は懷中時計を取り出し、時間を計測し始める。通常なら十分も持たないこのコンロが、三十分経過しても安定した炎を保っている。

その時、背後で息をのむ音がした。

振り返ると、エレナ・フォン・ローレンツが立っていた。眼鏡の奥の瞳が、驚愕で大きく見開かれている。

「……これは何?」

「ただの冷却装置だ」

レオンは淡々と説明する。エレナは無言でコンロに近づき、手をかざす。そして時計を確認する。

「三十分……? ありえない」

彼女の声には震えが宿っていた。優等生として知られるエレナがこれほど動揺するのは初めてだ。

「熱暴走を防いだだけさ。魔力の変換効率を上げたわけじゃない」

「でも、これこそが重要だわ」

エレナの指が銅管をなぞる。中を流れる青く光るスライム液を凝視する。

「魔力の出力を上げる研究は山ほどある。でも……損失を減らす発想」

彼女の頭の中で計算が始まっているのが分かる。瞳が焦点を合わせ、唇が微かに動く。

「軍事用魔導具の連続駆動時間が三倍に……いや、五倍か。産業用ならコスト削減率は……」

エレナの手が突然、レオンの腕を掴んだ。その握力は強く、興奮が伝わってくる。

「これは革命よ。既存の魔導理論を根本から覆す」

「大げさだな。ただの熱管理だ」

「そうじゃない」

エレナの目が熱く輝いている。

「あなたは『魔導の本質』を見ている。彼らが忘れていた根本を」

彼女は机の上の失敗作スライム液を見つめる。

「これを……ゴミだと思っていた人たちを笑い飛ばす破壊者なのね」

レオンは少し照れくさそうに俯く。前世、自分の設計が認められた時の感覚が蘇る。

エレナは鞄から羊皮紙の束を取り出す。一般生徒には閲覧が禁じられている古文書だ。

「これであなたの研究を続けなさい」

「……なぜそこまで?」

「施しじゃないわ」

エレナの口元に微笑みが浮かぶ。それは貴族の令嬢というより、危険な投資家の笑みだった。

「これは私の未来への投資よ。あなたの才能への」

彼女の目は真剣だ。計算高い女の眼光の中に、確かな信頼が光っている。

「ただし、配当は高くつくわよ? 国家を変えるほどの成果を期待してるから」

レオンはゆっくりと頷く。初めて、自分の言葉と成果が正当に評価された感覚。前世の無菌室では味わえなかった充足感が胸を満たす。

「わかった。期待に応える」

二人の影が夕日に長く伸びる。実習室には、新たな技術の萌芽を祝うように、青く光るスライム液が静かに循環し続けていた。

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