EP11 帰還
馬車の車輪が軋む音が、カトレイユ領の境界石を越えた瞬間から変わった。舗装された街道から、でこぼこの土道へ。レオンは窓から身を乗り出し、3年ぶりの故郷の空を吸い込んだ。
「……随分と荒れたな」
カイルが呟く。彼の手は無意識に腰の剣に触れている。
確かに景色は変わっていた。かつて青々と茂っていた畑は枯れ、民家の屋根には穴が空いている。そして何よりも──
**頭上を覆う障壁が、飴細工のように薄く脆くなっていた。**
透明な膜の向こうには、魔獣の影が蠢く。爪で障壁を引っ掻く嫌な音が、風に乗って聞こえてくる。
「あの音……毎日聞かされてるのか」レオンの指が膝の上で軽く震える。
馬車は領主館へと向かう。だがレオンは叫んだ。「まっすぐ祭壇の間へ!」
***
祭壇の間の重い扉を押し開ける瞬間、レオンは息を呑んだ。
**バルトの背中が、かつての騎士爵の面影をほとんど残していない。**
5歳の夜、レオンが「あと10年も持たない」と計算したその背中は、今や時計の針が狂ったように急速に老いていた。白髪が頭髪の大半を占め、かつて鎧を着こなした肩幅は痩せ細っている。
「父さん……」
バルトは核魔石の前に跪いていた。ひび割れた石に両手を押し当て、血を吐くような喘ぎ声を上げながら魔力を注ぎ続けている。
「だ、駄目だ……まだ、諦められぬ……」
バルトの指先から血が滴り落ちる。核魔石のひび割れからは、かすかな魔力が漏れ出している。効率は悲惨なまでに低い。
レオンの脳裏に、5歳の夜の記憶がよぎる。計算式が走る──あの時点で10年。無理を重ねたこの3年で、寿命はあと2、3年まで迫っている。
**エンジニアとしての冷静な判断が、息子としての感情を押し殺す。**
「父さん」レオンの声は驚くほど落ち着いている。「もういいんだ。その石は、もう死んでいる」
バルトが振り返る。くぼんだ目には、諦めの色が濃くにじんでいる。「レ、レオンか……だが、これがなくなれば、領地は……」
「新しい心臓を持ってきた」
レオンはバルトの震える手を優しく、しかし力強く魔石から引き離す。父親の手は驚くほど軽い。栄養失調と過労の跡が窺える。
「見ていてくれ、父さん。これがカトレイユの未来だ」
***
レオンの手が核魔石の台座に触れる。ほんの少しの圧力で──
**パリンという乾いた音と共に、石は粉々に砕け散った。**
かつて領地の心臓であった核魔石は、無惨にも砂となって零れ落ちる。旧時代の終焉を告げる音だった。
レオンは懐から透明な容器を取り出す。中には深い青に輝く液体が満ちている──エキサイティング・フルード入りのスライム・ポッドだ。
「12歳からコツコツと磨いてきた技術だ」
もう一つの手には、ユニバーサル・ソケットが握られている。かつてカイルと共に完成させた、新旧を繋ぐ架け橋だ。
ソケットを台座に合わせ、微妙な角度で回す。「ガチリ」という金属音。精密機械特有の確かな噛み合いだ。
「さあ、心臓移植の時間だ」
ポッドをソケットに捻り込む。最後の「カチリ」という音が、祭壇の間に響き渡る。
***
一瞬の静寂。
そして──
**ドクン。**
ポッドが鼓動した。中で青い光が脈打つ。今までの黄金色の魔力とはまったく異なる、深淵を思わせる青きマナが、村の回路へと逆流し始める。
「な、なんだこれは……」バルトが息をのむ。
頭上では、薄く脆かった障壁がみるみる変化していく。飴細工のような膜が、強固な青いクリスタルへと塗り替えられていく。魔獣の爪音は消え、代わりに静謐な輝きが領地を包み込む。
レオンの唇が微かに動く。「間に合った。……僕の勝ちだ、バグめ」
かつて5歳の少年が抱いた決意が、10年後の今、確かな技術となって結実した瞬間だった。
バルトの頬を涙が伝う。しかしそれは絶望の涙ではなく、安堵のそれだった。
「これで……ようやく、眠れる」
老騎士爵の呟きに、レオンは静かに頷く。技術者としての使命を果たし、息子としての務めを果たした充実感が胸を満たしていく。
祭壇の間には、青き光が優しく降り注いでいた。




