EP10 スライムポッド
薄暗い実験室で、レオンの指先が細かな設計図の上をなぞっていた。机の上には、完成したばかりのスライム樹脂ポッドがいくつも並んでいる。12歳になった彼の手は、以前より確かな感覚を掴んでいた。
「……これで、ようやく実用段階か」
独白が実験室に響く。窓の外からは、領都の喧騒がかすかに聞こえてくる。この隠れ家的な研究所も、もう3年目に入っていた。
ドアが静かに開く。エレナが立っていた。12歳の彼女は、すでに凛とした美しさを備えている。
「王都へ行く日が決まったの」
レオンの手が止まる。「……そうか」
エレナは近づき、机の上のポッドを見つめる。「これを広めるために、王都の貴族たちの喉元を押さえに行くわ」
「危険すぎる」レオンの声には懸念がにじむ。「あの連中は、新しい技術より伝統を重んじる」
「だからこそ、私が行くのよ」エレナの口元に微笑みが浮かぶ。「あなたはここで、世界を書き換えなさい。私は王都の喉元を押さえてくる」
二人の視線が交差する。幼なじみのような親愛と、研究パートナーとしての信頼が、静かな空気の中で共有される。
「約束だ」レオンは真剣な表情で言う。「君が戻ってくる頃には、この技術を完成させている」
エレナの手が、小さな銀の小箱を差し出す。「最後の贈り物よ。父が許可してくれた、辺境伯家の『印』」
箱の中には、精巧な紋章が刻まれたプレートが入っている。これは単なる贈り物ではない。ローレンツ家の保護を約束する証だった。
「では、行ってくるわ」
エレナの背中が見えなくなるまで、レオンは立ち尽くしていた。寂しさよりも、強い決意が胸を熱くする。
「さあ、仕事だ」
***
エレナが去ってから数日後、研究所のドアが激しく叩かれた。
「おい、レオン様って奴はここにいるか?」
現れたのは、15歳ほどの少年だった。鍛え上げられた体躯に、騎士らしいたくましさを感じさせる。しかし、その手には工具が握られていた。
「お前がレオンか?」少年はレオンをじろりと見下す。「カイルって奴だ。父上の命令で、お前の世話係になってやる」
レオンは冷静に相手を観察する。辺境伯の使者か。しかし、この態度はただの世話係ではない。
「中に入れ」レオンはドアを開ける。「仕事を見せてやる」
カイルの目がきらりと光る。「お前、12歳にしては随分と大人びてるな」
「お前も15歳にしては随分と体格がいい」
二人の間には、年齢差を超えた何かが流れていた。
実験室に入ると、カイルの視線が鋭く動く。机の上の道具類、設計図、そして完成品のポッドを一瞬で把握している。
「……ただの子供じゃねえな」カイルの独白が聞こえる。
「さあ、始めよう」レオンは机の前に立つ。「今日の課題は、ポッド・アタッチメントの完成だ」
***
机の上には、複雑な魔石台座が置かれている。既存のシステムに、スライム樹脂ポッドを接続するためのユニバーサル・ソケットが必要だった。
「問題はここだ」レオンの指が設計図の一点を指す。「既存の台座と、新しいポッドをどう繋ぐか」
カイルがのぞき込む。「カチリとはめ込む方式か? 面白い考えだ」
レオンの細い指が、小さなボルトを回そうとする。しかし、力が足りない。
「手伝ってやるよ」カイルの手がさっと動く。鍛え上げられた指先が、驚くほど繊細にボルトを締め付けていく。
「……お前、随分と器用だな」
カイルは笑い飛ばす。「騎士たるもの、剣だけじゃねえ。道具の扱いも覚えなきゃな」
次の工程は、高熱を伴う樹脂加工だ。レオンが型を合わせる間、カイルが安全に熱源を管理する。
「魔石を削る重労働から、ユニットを換えるメンテナンスへ」レオンが独白する。「これが革命だ」
カイルの目が輝く。「つまり、誰でも簡単に使えるようになるってわけか」
「そういうことだ」
二人の仕事は驚くほどはかどった。レオンの知識と、カイルの技術が完璧に噛み合う。
「ここはどうする?」カイルが設計図の一点を指す。「この接合部、遊びがなさすぎないか?」
レオンは驚いて顔を上げる。「……熱による歪みを考えたのか?」
「当たり前だろ」カイルは肩をすくめる。「金属は熱で伸び縮みする。遊びがないと、すぐに破損する」
レオンの頭の中で、計算が高速で回る。「……その通りだ。修正しよう」
設計図を書き直すレオンの手元を、カイルが真剣に見つめる。
「15歳だって? あんた、騎士よりエンジニアの方が向いてるんじゃないか?」
カイルの顔が微かに赤らむ。「よせよ、俺はあんたの『剣』になるためにここに来たんだ」
その言葉に、レオンの胸が熱くなる。エレナが去った寂しさが、新しい絆で埋められていくのを感じた。
「では、相棒」レオンは微笑みながら工具を差し出す。「最後の工程を一緒にやらないか?」
カイルの口元に、荒々しい笑みが浮かぶ。「おう、任せとけ!」
机の上では、世界を変える技術が、二人の手によって完成へと近づいていた。知恵の脳と実行の腕が、完璧な調和を奏で始める瞬間だった。




