44. 魔法薬局に戻ったフレイヤと宿敵騎士
ブリギッタの魔法薬局には、日常が戻っていた。
しばらく掃除をしていなかったせいで、薬局の中は少し埃っぽい。
フレイヤは手早くエプロンと三角巾を身に着けた。
棚や壁に叩きを掛けて、埃を落とす。
床を掃く。
テーブルや椅子を水拭きする。
「綺麗になるのも、気持ちが良いものね」
そう言いながら鼻歌を歌えば、しばらく姿を消していた黒猫のヴィオレがあくびを漏らした。
「にゃお」
掃除って部屋のこと、それとも別のこと? と訊いているようだ。
フレイヤは小さく笑った。
「なににしても、汚れがなくなるのは心地が良いことよ。物理的にも、精神的にもね」
少しばかり、ヴィオレが呆れた気配がする。
だが、フレイヤは気にしない。
「同棲が終わったのは、少し残念だけれどね。でも、この先ずっと一緒に居ることになるのだから、お楽しみはこの先に取っておきたいわ」
歌うように囁くが、黒猫も今度は反応しなかった。
フレイヤの戯言には付き合っていられない、とでも思ったのかもしれない。
その時、からんと扉に掛けた鈴が鳴った。
まだ開店時間ではない。
もちろん、訪問者は客ではなかった。
これまでは、営業時間にしか顔を出さなかった男。
ラルス・タンザナイトが、変わらぬ無表情に近い顔で中を覗き込んでいた。
「忙しい時に申し訳ない」
「もちろん、構わないわ。どうしたの?」
フレイヤの身を守るという理由で、ラルスの屋敷にしばらく匿われていた。
その間ずっと傍に居たわけではないが、二人の距離は縮まった。
単なる魔法薬局の店員と顧客と言う関係から、一歩進んだ。
特に、ラルスの変化は顕著だ。
多少はフレイヤに好意を抱いていたようだったのに、明らかに客と店員という関係を崩そうとしなかった。
以前のラルスなら、営業時間前に店を訪れようとはしなかっただろう。
仕事であれば別だが、今日は王立憲兵騎士団として用があるわけではない。
「一応、報告をしておこうと思ったんだ」
そう言いながら、ラルスは店内に入る。
外で話したくない内容なのだろうと、フレイヤはすぐに勘付いた。
大方、マクネア伯爵家が片付いたという話だろう。
「お茶、飲みます?」
来客用の椅子を勧めて、フレイヤは尋ねる。
ラルスは一瞬悩んだ。だが、頷く。
「ああ、ありがとう」
これまでのラルスなら、断ったに違いない。
だが、共に暮らす中で、フレイヤはラルスに何度かハーブティーを淹れた。
少しばかりの魔法を込めたから、ラルスは体調が良かったはずだ。
そして、体に合う飲み物は他に比べて一際、美味しく感じるものである。
こっそりと秘めた笑いを隠して、フレイヤは手早く湯を沸かす。
ハーブティーを淹れたら、部屋中に心を落ち着かせる香りが広がった。
「最近はお忙しいんですか」
ついでに一口サイズのクッキーを幾つか、皿に載せる。
それを見たラルスの眦がふと緩んだ。
甘さ控えめのクッキーも、ラルスの好物だ。
「少し落ち着いたところだ。とはいえ、やるべきことはたくさん残っているんだが」
素直に答えながら、ラルスはクッキーを摘まむ。
幸せそうな表情だと、フレイヤは目を細めた。
ラルスの対面に腰掛け、フレイヤは自分用に淹れたハーブティーを一口飲む。
同じようにハーブティーを飲んで、ラルスは小さく息を吐いた。
「摘発した薬草卸売り専門店の『ミスティコ』は関係者全てが逮捕された。表向きの経営者はいたが、実際の運営はマクネア伯爵家が取り仕切っていた」
フレイヤは静かにラルスの説明を聞く。
すでに知っていることだった。
そうなるように、フレイヤが──かつてコンスタンツェ・ルベラティスという名で生きていた時から、仕掛けていた。
だが、本来はフレイヤが知っている情報ではない。
だから、真っ直ぐにラルスの目を見つめる。
何も隠すところはないと、証明するように。
「そのマクネア伯爵家も罪状が付いたから、もう君に危害を加えようとする者はいないだろう」
どれほど権力を恣にしていた貴族といえど、殺人は重罪だ。
なにより、マクネア伯爵家当主テオバルトはあまりにも人を殺しすぎていた。
情状酌量の余地はないと、判事は告げたという。
「伯爵家の、他の方はどうなりましたか」
フレイヤは尋ねる。
当然、気になって然るべきことだ。
ラルスは小さく息を吐く。
「嫡男は父のしていたことを把握していた。それどころか、ある程度の年齢になったら協力をしていた。『ミスティコ』の運営にも一部関わり、違法薬物を売買していたからな」
伯爵家当主と嫡男は、絞首刑。
ヤフェスは直接関与していなかったが、最後に共謀して証拠隠滅を図った。
その結果、財産が没収されることが決まった。
当然、継げる爵位も名誉も何もかもを失う。
これまで貴族として順風満帆な生活をしていたヤフェスにとっては、これから先は苦行だろう。
「ヤフェスさまは、広く親しくされていたと聞きますから……どなたか、手を差し伸べられるのではないでしょうか」
王太子ケンドリックの側近の中でも、ヤフェスは一番、貴族や諸侯から親しみを持たれていた。
そうなると、庶民の耳にも噂は入って来る。
ヤフェスが教会に来た時など、機会があれば話しかける強者も居た。
だから、フレイヤの疑問も当然だ。
だが、ラルスは首を振る。
「それは難しいだろうな。最後にマクネア伯爵が、王太子殿下に砂を掛ける真似をしたらしい。俺も詳しくは知らんが──殿下がひどく立腹していたと聞いた」
どこか苦々しい口調だ。
「そうでしたの」
素直に驚いた様子を、フレイヤは取り繕う。
とはいえ、既にフレイヤはその情報をアオラトス新聞社のシモンから得ていた。
予想はしていたが、ラルスが言うからには間違いない。
もはや、ヤフェスに救いの手は残されていないのだ。
──あれほど、ヤフェスは王太子に献身していたのに。
切られる時は、呆気ないものである。
フレイヤは眉を八の字にしてみせた。
「お気の毒ですね」
ラルスは思わずと言ったように頬を綻ばせる。
フレイヤの反応を、優しいと思っているのか可愛らしいと思っているのか、その表情からは読み取れなかった。
彼はハーブティーをもう一口飲む。
「だから、この魔法薬局も以前と同じように開業して問題ないだろう。ブリギッタさんも店に出て大丈夫だと思う」
元の生活に戻って問題ないと、ラルスは太鼓判を押した。
フレイヤは安心したように笑む。
そして、悪戯っぽく付け加えた。
「以前のように、急に襲って来る人はもう居ないかもしれませんが──私があなたの家にお邪魔していたことは、近所の人はみなさん、ご存じなんですよ」
もちろん、フレイヤが本気で隠せば誰も知ることはなかっただろう。
だが、フレイヤはこの好機を逃すつもりは毛頭なかった。
一人、二人ほど、噂話の好きな近所の女に口を滑らせれば十分だ。
はっきりとは言わなくても、恥ずかしそうに少し恐れるように俯いて、言葉を濁せば勝手に察してくれる。
フレイヤが言外に告げた言葉を、ラルスはすぐに察した。
恋愛事には疎いところのある彼には、珍しかった。
ほんのわずかに、耳たぶが赤くなっている。
「いや──まあ、多少は面倒な客も来るかもしれないが、その時は呼んでくれたらすぐに来る。あとは見守りも強化するつもりだ」
「それは、心強いですわ」
にこにこと、満足してフレイヤは答えた。
せっかく、ラルスとの距離が縮んだのだ。
この機会を逃す手はない。
ラルスとの関係は、フレイヤの誤算で深まった。
無頼漢に襲われる予想はしていても、ラルスが駆けつけるとは思っていなかったし、安全のためにラルスの家に招かれるとも考えていなかった。
それでも、これからの計画に差し障りはない。
むしろ、このままラルスをこちら側に引き入れることが肝要だった。
「やっぱり、少しは不安ですもの」
フレイヤは目を伏せる。
「それはそうだろう」
ラルスは生真面目に頷く。
普通に考えて、普通に暮らしている庶民は犯罪に巻き込まれないことの方が多い。
それなのに、フレイヤは『ミスティコ』の摘発に巻き込まれて人質に取られ、その後も二人組の男に襲われた。
恐怖を感じても、トラウマを抱えても、なんの不思議もない。
だが、フレイヤは小さく首を振った。
多くの犯罪に取り組んで来た王立憲兵騎士団の団長なら、すぐに思い付く理由。
それが不安の理由だと思われたら、そこら辺に居る数多の女と同列になってしまう。
フレイヤの矜持が、許さない。
その他大勢と同じでは駄目なのだ。
だから、フレイヤは否定した。
不思議そうな目で、ラルスが自分を見つめていると感じながら──そっと上目遣いに、小首を傾げてみせる。
「今度のことで王太子殿下に目を付けられたのだとしたら、ラルスさまが危険ですから」
驚愕が、ラルスの瞳に走る。
フレイヤが指摘した危機感は、ラルスの心にも芽生えていたものだったに違いない。
自分でもまだ言葉にできない、漠然とした感覚。
それを、フレイヤは真っ向から指摘した。
ラルスは言葉を失う。
追い打ちをかけるように、フレイヤはそっと優しい毒を流し込む。
「私も、貴方を支えたいのです」
だから、私の隣に立って。
この私に相応しく、煌びやかに、誇らしく。
──ホンモノであることを、証明して。
それが、幼いころからの、フレイヤの願いだった。




