第8話 建国祭(前半)3
宮殿の正面玄関扉を開けると、独特な薬草のような香り。それから怒号とも悲鳴ともとれる声が聞こえてきた。リティアはひっと身をすくめヴェルターの手をぎゅっと掴んでしまった。ヴェルターもぎょっとはしたが直ぐにくすくす笑い出した。
「賑やかだね」
「……賑やか? 何か魔物でもいるのではないかしら。それとも猛獣? 」
リティアがおびえていると、柱の陰からぬっと大男が出てきた。じっと観察するような視線を走らせる男は唇から顎にかけて傷があった。さっきの悲鳴と合わさってリティアの目には恐ろしく映った。男はふっとわずかに顔を緩ませ、すっと礼をした。
「ペール! あなたが先に行くとレディを怖がらせるでしょう」
誰かの澄んだ声が聞こえた。ペールも自覚があったのかいつの間にかまた柱の陰になるところまで距離を取る。
「ははは、ペール、そんなに気を遣わなくも大丈夫だよ。リティ、彼は寡黙ではあるが、優しい人だから」
ヴェルターに言われ、リティアは自分の態度が失礼だったと詫びた。
「申し訳ございません、私の方こそ失礼な態度を。お許しください」
ペールはこくり頷いた。口を開こうとした瞬間、さっきの誰かの声でかき消された。
「さあさ、ヴェルター、私にもそちらの麗しい令嬢を紹介してくださる? 」
そう言って階段から降りてきた女性にリティアは息を吞んだ。息をするのを忘れるほど美しい人だった。赤毛とは違う鮮やかな紅の髪、甚深なる雰囲気を漂わせた高貴な紫の瞳はまるで精巧に磨かれた宝石のようで、リティアは同じ紫でも、自分の雨に打たれ盛りを終えた花のような色とは違う、とアンの前で自分を卑下した。
そして、直感的に思った。“私、この人を好きになる”と。
リティアにとって待ちに待った悪女の登場シーンだった。
「こちらは、リティア・デル・オリブリュス。僕の婚や、」
ぎゃーぎゃードタバタという騒音でヴェルターの声がかき消された。我先にと競い合って階段を下りて来るのは、数人の子供たちだった。リティアは呆気に取られてその状況を見ていた。
「この子たちはみな、私の子供たちです。まだ教育が行き届いていません。ですから、このくに……」
アンの言葉はそれ以上聞こえなかったが、代わりに苦笑いしたがヴェルターが説明をした。
「アンは、わが国のような幼少期からの国立アカデミーを建設したいんだ。だから、この国で孤児院やアカデミーを視察予定だ」
「そう! よろしくね、リティア! 私の事はアンと。あっちの強面はペール。ああ見えて彼は私より若いのよ! 」
子供たちの声の中、リティアが聞き取れたのはそれだけだった。
「実際にこの国を子供たちに見せたかったみたいだ」
子供たちは口々に挨拶をしてくれたが、それぞれがそれぞれのタイミングで話すもので誰一人名前を覚えられなかった。1、2、3、数えてみると10人はいるだろうか。悪女と悪名高いかの人は、自国民を“私の子どもたち”と呼んだ。リティアはその一言で王が本気で国の未来を考えていることがわかった。子供たちがアンに対し好き勝手しているということはアンがそれを許しているということだ。
「ふふ、怒声や悲鳴ってきっと子供たちの騒ぐ声だったのね」
「え、ああ。それと……」
「静かにしなさい! ここへは招待していただいているのよ!? お母さまは恥ずかしいわ! あの方は美しい顔をしているけど、強い強い剣士なのよ? あとで稽古をつけていただくんだからね。お利口にしていないともう呼んでもらえなくなりますよ」
アンにそう言われたヴェルターが一番驚いていたし、ペールはぎょっと細い目を見開いた。
「あー、大丈夫、僕は、教えるのは上手だよ」
ヴェルターの恐れを抱いた目で見つめる子どもをどう扱っていいかわからない様子にリティアはくすくす笑った。
「笑ったな、リティ」
「ごめんなさい。だって、ふふふふふ」
リティアはこらえきれずに声を出して笑った。ペールには平気でじゃれついている子供たちが声を荒げたことさえないヴェルターを恐れることがおかしかった。
「一先ず、僕たちも着替えて来ることにしよう」
「ええ。では、失礼致します」
ヴェルターとリティアは和やかな雰囲気の中、しばらく滞在する部屋へと向かった。
「美しい方ね。驚いちゃった」
「ああ。そうだね」
ヴェルターはいつもの顔に戻って同意した。
「この後は本当に子供たちと剣の稽古をするの? 」
「うん、彼ら、体力が余ってそうだったしね。僕は怖い人じゃないって信じてもらわなきゃならないし」
ヴェルターはいつもの顔だが、いつもよりリラックスしている。だから、いつもは二人の時にだけ言う冗談も出て来るのだろう。
「ふふ、そうね。では私はどうしようかしら」
「何言ってるんだ。リティ。君も強制参加だよ。アンならきっと着替えて剣を持ってくるはずだ」
「アン女王が? 」
「そ。それと、彼女の事だけど、ここではアンと呼んだ方がいい」
「え、ええ」
彼女の事を良く知っているのね。そう思ったがなぜか口に出せなかった。




