公爵令嬢
前回の続きというより別視点になります。
馬車が、ガートルード家にたどり着くと御者のトーマスが扉を開く。
すると、どこからか懐かしい匂いが運ばれてきた。
それが何の匂いか判別はつかなかいことに首を傾げつつルビウスは、イリナを見上げた。
しかし、その匂いを感知できたのはルビウスだけだったようで、イリナは眠りこけたナタリアを起こそうと躍起になっている。
どうやら猫の嗅覚でしかとらえられない程わずかな匂いなのだろうと納得したルビウスは、2人を置いて先に馬車から飛び降りた。
その様子に、トーマスは驚きつつも顔をにこやかにして手を振って見送る。
ルビウスは、なんとも言えない気持ちでそれを受け止めるとそそくさと走り去った。
美しく整えられた道を歩きながら、何度か立ち止まりつつも匂いの元へと進んでいく。
広い視界に、よくきく鼻、猫の姿は存外いいものかもしれない。
それにこの姿だからこそ、出会えたことや得られたこともある。
なにより、イリナのそばにいると遠い昔に感じた陽だまりの中にいるようで居心地がよかった。
だが、これに慣れてしまえばどうなるのか。
それは、自分が何よりもわかっていることだった。
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匂いの元にたどり着くとそこは、屋敷の入り口であった。
樫の木で作られた玄関の扉の前で執事のビルが、茶色の髪をした青年と言い争いをしているようだ。
青年の顔を見ることはできなかったが、ただ事ではないその雰囲気と今にもビルを押しのけて屋敷に侵入しようとする青年の姿に危機感を覚えたルビウスは目に魔力を集中させる。
狙いは青年の足元、短時間でもいいから足止めをする時間を稼ぐ。
≪とどめろ≫
魔力の粒子が集まり、何本ものくぎを作り出す。
頑丈なくぎをイメージした後はそれを青年の裾に刺し文字通りの釘付けにしてみせる。
両足に4本ずつそれを打ち込み終えると人を呼ぶためルビウスは踵を返し走り出した。
だがその足は、たった数歩で地面と離れることとなった。
「………イリナ?」
ここ数日間ルビウスが見てきた、イリナはいつも太陽のような笑顔を浮かべていた。
それは貴族の令嬢らしくない何の遠慮もない笑顔であり、時々本当に彼女は公爵令嬢なのかと疑問に思うこともしばしばあったほどだ。
だが、今の彼女はどうだ。
「あら、こんなところで誰かと思えば、あなたですか」
イリナの目が、三日月のように弧を描くと冴え冴えとした声が降り注ぐ。
その姿はまさにガートルード公爵家の令嬢の名にふさわしい姿だった。