40 魔海とデュオの真実
そこは、祭壇だった。
ちょうど真上に位置する試合場をそのまま下へ移したかのような、祭壇にしてはとてつもない広さを誇っていた。
だが、マリーやコートを圧倒したのは、その広大さではない。
一体の、祭壇の広さの三分の二以上を占めようかともいえるほどの大きな竜の彫像が、大口を開けてこちらに向かって咆哮していたのだ。
その翼は、祭壇の天井を今にも破らんかとしているように開かれている。
「これが、この国が一万年に渡って隠してきたもの……『魔海』だ。いや、正確に言えば、『火の神ファラ』とでも言うべきかな?」
圧倒されている三人を前にして、バルムスが言葉を放つ。
「目には見えないが、この像の口からは絶えず、超高濃度の、それも特殊な魔力構造を持つ、魔法エネルギーが発せられている。そのエネルギーは魔法が人間に干渉しないのと同様、人間には全く無害なものだ。これが、『魔海』の正体だ」
バルムスが、デュオを見る。
「どこから話したらよいかな……とにかく、これを見てもわかる通り、神話は、その大部分が真実だと推測されている。そして、古くからこの『魔海』を巡って、さまざまな研究がなされてきた」
雰囲気に慣れたのだろうか、コートは話を聞きながら竜の彫像――いや、火の神ファラ――を間近で見ようと、歩みを進めていた。
「だがある時、彫像に異変が起こった。竜の頭の部分がひび割れ、色をつけたというのだ。どこまでも深い、血塗られた赤い色だったそうだ。そして、放出される魔法エネルギーの量は、飛躍的に増大したという」
バルムスに視線を合わせながら話を聞くデュオの目が、一瞬、細くなる。
老人は顔を上げ、竜を仰いだ。
「増大し、祭壇から外界にばら撒かれた魔法エネルギーは人間には影響しなかったが、動植物には多大な被害をもたらしたという。
一部の植物は枯れ果て、動物達は凶暴化し、人間を襲うようになった。その根源は未だに世界中では謎として扱われているが、もうわかるだろう?
原因はこの都市にある。
『モンスター』と呼ばれている種が生まれたのも、この出来事が原因なのだよ。……まあ世界には極秘事項として伏せられているが」
マリーが大口を開ける竜を見るため、再び視線を上げた。そのあまりの巨躯な体のため、地上からは口だけしか見えないが、ところどころに亀裂のようなものが確認できる。
これは……もしかしたら……
「時を同じくして、王家に一人の子どもが生まれた。驚くべきことにその子は、生まれながらにして並み居る魔術師達を寄せ付けないほどの膨大な魔力を身につけていた。
……そして、いくつかの年月が過ぎ去ったある日、その子がある種の『神がかり』にあい、宮廷魔術師達の前である一つの呪文の詠唱を行なった」
バルムスが再び、デュオを見る。
その目には、どこか哀しみを漂わせる色が見て取れた気がした。
「それが、『スレイプニル』に唯一記された、ディースがファラを封印する時に用いた古代魔法『鍵の呪文』だったのだよ」
静かに、続ける。
「そこで、宮廷魔術師達はある一つの結論に達した。その子は、ディースの血を受け継ぐ王族の中から選ばれた、ファラを封印するために生まれた定めの子――『鍵』なのだと」
気がつくと、コートが戻ってきていた。
どうでもいいが、緊張感のない男だと、マリーは頭の片隅でそう思った。
「そして、世界にばら撒かれる負のエネルギーをわずかでも抑えるために張られた結界も、もはや限界を迎えようとしていた時、封印の儀式が行なわれた。『スレイプニル』に記された通りに儀式は行なわれ、『鍵の呪文』は発動した」
「成功……したんですか?」
デュオの問いに、バルムスが頷く。
「動きはしないものの、もはや体の半分近くまでその色を取り戻していたファラは、再びその色を灰色に変えた。……ここまでくると、石化したという表現のほうが的を得ているかもしれん。とにかくそれに伴って、放出される魔法エネルギーもその勢いを完全にとどめた。だが」
デュオの表情が一瞬だけ、硬くなる。
だが……何だというのだろう。
「神話に伝えられている通り、『鍵の呪文』を唱えた王族の子も、その命を失った。実際に立ち会った魔術師達が研究を行なったところ、『鍵の呪文』が持つ一つの特性が明らかになった。……魔法については、一通りのことは学んでいるはずだが?」
「はい。セイラムズ・ガーデンで教授されました」
「では、魔法が『干渉』以上の能力を持たないことも?」
「はい。魔法は、物質に干渉し、その影響力を持って物質自体を変質、動きを加えたりするものだと言われています」
バルムスが頷く。
マリーも、その点に関しては違和感がなかった。魔法の特徴は、この前デュオに教えてもらったことだ。
「そうだ。そして魔法は人間には『干渉』しないことがわかっている。だが、『鍵の呪文』は違った。……その詠唱式は、使用者の『命に干渉』して、膨大な、特殊な魔力構造を持つ力に変換するものだったのだ」
使用者の命に干渉する。
命に干渉し、それをエネルギーとする魔法。
それが、『鍵の呪文』の正体……?
「そして、その後もおよそ五百年ほどの周期で、ディースに張り巡らされた結界が限界を迎え、ファラの像にひびが入り、王家の中から『定めの子』が生まれ、封印が行なわれた……
王都ディースの、人の目には決して触れられない場所で、これが繰り返されてきたのだ」
衝撃的だった。
平和に暮らしてきた自分達の世界の裏側で、まさかこのような事実が横たわっていたとは。
「だがある時、『魔海』のもつ膨大なエネルギーに関する一つの研究が注目された。その研究は、『魔海』から放たれるエネルギーが持つ制御しがたい特殊な魔力構造を変化させ、様々なものの動力源とさせる……火や炭とは全く違った、人間の生活を豊かにできるような、全く新しい力を生み出す理論を完成させた」
老騎士が、わずかに顔を歪める。
「その理論は即座に実践され、国民の知らないところで数々の実験が行なわれた。馬が居なくても勝手に動き出す馬車や、火のかわりに魔力によって永久的に灯るランプ。そして最終的に、火薬を用いた大砲すらもしのぐ、膨大な魔力を内奥した破壊兵器が作られた……」
三人は息を飲み、老騎士の背中を食い入るように見つめた。
「そうしたなかで、またしても封印が破れる時が近づいていた。だが、魔術師達の興味と好奇心は、もはや封印が解かれることに対する恐怖といったものをやすやすと乗りこえていたのだよ。
やがて、歴史の歩みの通り、ディースの王族の中で再び、『定めの子』が生まれた。
そしてそれを発端として、魔法庁が二つの勢力に分かれ始めた。
形式にのっとり、封印を断行すべきだとする『保守派』と、『魔海』の研究を続行するべきだとする『革新派』だ」
続ける。
「革新派は魔法庁の大部分の魔術師達の支持を集めていた。結界でファラの封印が解けるのを制御し、その間になんとかしてファラから発せられる特殊な魔力だけを利用できるような技術を見出す……それが彼等の思惑だった。
当然、彼等にとって、『定めの子』は邪魔な存在でしかない。……そういう歪んだ考えが、魔法庁全体を取り囲んだのだ。そしてとうとう、『鍵の呪文』を継承した王子の暗殺未遂事件が起こった」
マリーは、何故か、胸騒ぎがした。
青い髪の毛が、揺れる。
「そのことに危機感を持った国王は、関連したとされる魔術師達全員を処罰すると共に、極秘で、当時『魔海』の問題で魔法庁と激しく対立していた騎士庁の、その中でも特に有力で、安全な家へと息子を預けた。
……マリー嬢。
まだ君が幼かった頃の話だ。記憶にも残っていないかもしれない。
だが君は、出会っているはずだ」
言われて、マリーの目が静かに見開かれる。
茶色い髪が揺れる。
もう、何年も前になるのだろうか。
血のつながりのない弟がいた。
いつの頃からはもう忘れてしまったが、ある日父親が「仲良くしなさい」と家に連れてきた、やたらひ弱な男の子。
捨てられた子犬のように脅えた目を見て、マリーは悲しさと哀れみで、幼心に涙を流してしまった。
茶色い髪の毛を持つ男の子……。
近所のいじめられっ子に追いかけられて、よく追い払ってやったっけ。
いつも背中にひっついて、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とかわいい声ではしゃいでいたっけ。
「四年前……私の弟……レスター」
無意識的に、口をついて言葉が出た。
……顔は、よく思い出せない。
それにバルムスが答える。
「そうだ。王家の名門とされたソルブレイド家の養子に内密で預けられ、そこでレスターと呼ばれたその子の本当の名は――アルフィム・グラムハウツ・フォン・ディース……選ばれし『定めの子』だったのだ」
マリーは声を失った。
だが、何故だろう。
どうしても思い出せない。
私の弟。
どんな顔だったのだろうか。
何故思い出せないのだろうか。
いや、それよりも、レスターは、四年前……。
四年前……!
「結界にかけられた封印がいよいよ限界を迎え、『儀式』が急務になろうとしていた。アルフィム第三王子は三年間住んだソルブレイド家を離れ、『鍵の呪文』を唱えるため、四年前、王宮に戻ろうとしていた。そして……」
馬車で……そうだ……手を振って、「またいつか、会えるよ」……そうだ。
色素の薄い、茶色い髪の毛が揺れる。
揺れたのは何故?
泣き出して、父の制止も聞かずに、私は後を追いかけて……
茶色い髪が揺れる。
揺れたのは何故?
そうだ。
私の目の前で、馬車が宙に舞って。
そのまま叩きつけられて、
中から、
きれいな、髪の毛が……
取り囲むようにして、
赤い、血のような色をした、男たちが……
「やっ……」
小さく震えて、マリーは頭を抱えた。
「マリー」静かな、力強い声で、コートから名前を呼びかけられる。
バルムスが、ふうっとため息をひとつ。
「……もういい。……そう、四年前、王宮へ向かおうとした矢先、アルフィム王子は暗殺されたのだ。不慮の事故として扱われたその事件は、瞬く間に国民の間に広まった。
その事件は、当時世間を騒がせていたルーイン教――ファラ復活をたくらむカルト教団――の仕業とされ、片付けられた。
だが、『鍵』の血は絶えることはなかった。
ある一人の魔術師の手によって……」
デュオが、うつろな表情を浮かべている。
青い髪の毛が、揺れたように見えた。
成長をして、
眼鏡をかけて、
髪の毛を伸ばしているけれども……
四年間、成長の差があってなのかもしれないが、何故今まで全く気が付かなかったのだろう。髪の色さえ気にしなければ、デュオの顔はレスターのそれと全く同じように見えた。
「デュオ……あなたは……」
そのやりとりを見ながらも、休むことなく老人は続けた。
「およそ30年前、『魔海』の特殊な魔力構造をいち早く解析し、それを秘密裏に実践していた男がいた。
その男は、人間に魔力を干渉させる方法を何とかして技術として大成しようと躍起になっていた。
そしてそれから10年後、王族との関係も深かった彼は、一つの研究所を設立した。それが、セイラムズ・ガーデンだ」
デュオの背中が、小さく震えた。
「魔力が人間に干渉することができれば、医療分野の進歩は飛躍的に発展する。わかるかね? それまで、『治癒の魔法』や、『復活の呪文』などといったものは、荒唐無稽なおとぎ話の範疇だったのだ。
だが、『鍵の一族』を絶やさないためには、なんとしてもその研究は必要だった。それゆえ、王族は王立の魔法学校と偽った大規模な研究機関を設立したのだ」
バルムスが、視線を落とす。
「そして、さらに10年の歳月が流れ、研究はひとつの成果を生み出す。すなわち、『魔海』の魔力構造を変質させ、対象の血液や心臓、体内のあらゆる器官の働きを『複製』する技術――『複製機』と呼ばれた、人間を複製する技術を……」
デュオが、震えている。
コートが、デュオの肩を支える。
バルムスが、続ける。
「死んだ人間に命を再び吹き込むことは、『魔海』の力を持ってしても不可能だった。だが、研究が進むに連れて、副次的にわかってきたことがあった。
魔法の干渉を不如意のものとさせる原因である、個人個人で独自の形状を持つ魔法結界構造を把握し、その形状を記憶させた専用の『魔海』の培養液を人間の発生におけるある段階で使用すると、対象と全く『同じ』人間ができあがるのだ。
つまり、死者になる前に対象の魔法結界構造が明らかになっていれば、同じ人間が生み出せることになる。
結果として、死者を復活させることになる。
そして、さらに六年後、今から四年前。その技術が本格的に実践された。備わった魔力が影響をおよぼしてか、もう助けようがなかったが、それでもまだわずかながらに息のあったアルフィム王子はすみやかに、極秘に、セイラムズ・ガーデンへと運ばれた。
そして即座に専用の魔力羊水に満たされた『複製機』へと移され、魔法結界構造を分析された……。
そして『複製』がはじまった。
結果は大成功だった。外見に全く異常なし。問題視されていたアルフィム王子の膨大な魔力も、損なわれていることはなかった。だが」
悪夢のようだった。
用意された結末。
「八歳の時点での結界構造を元に複製された八歳のアルフィム王子のコピーには、何と『記憶』が欠如していたのだ。
そこで、『革新派』の動きを考え、アルフィムの名を隠し、新たに記憶を刷り込ませることになった。
研究の第一人者の孫という新しい現実を与えられたその少年の名は……」
悪夢は、終わらない。
「デュオ・ネーブルファイン。……君だ」
デュオが頭を抱えて叫ぶ。
「嘘だ!! 僕が……作られたなんて……僕には、お母さんとお父さんが……馬車で亡くなった、お母さんと、お父さんと……」
だが、デュオの目に浮かぶのは、顔を欠いた父と母の姿だけだった。
どうして、お父さんと、お母さんは、顔がないの……?
「どうして、僕は……魔法が使えないの……?」
「複製体には、もう一つ重大な問題点があった。不思議なことに、複製体は外界からの魔力の影響をもろに受けてしまうのだ。
普通の複製体なら大した問題にはならなかっただろうが、制御が利かないほどの膨大な魔力を秘めたアルフィム王子の複製体だからこそ、勝手が違った。
まかり間違えれば、大量の火薬に火が引火するような自体が発生しかねない。また、安易に詠唱した魔法が絶大な力を持って発動する恐れもある。
そこで、ラスタバン・ネーブルファインの手により、強力な封印がかけられることとなった。いかなる魔力も外から内から遮断する、強力な結界だ。
だがその結界も完全なものではない。
そこで、ラスタバンは複製体をセイラムズ・ガーデンに入籍させ――といっても、二年からの特別編入という形だが――監視を行なうことにしたのだ」
次々と明かされる真実。
次々と明かされる偽りの現実。
「どうして……試合会場では、魔法が……」
「結界も、『魔海』の影響を強く受けるところでは全く役に立たなかったのだ。元々絶大な魔力を秘めていたデュオ君の詠唱は、試合会場の真下に位置する『魔海』の影響によりその効果を得る。
火薬の粉末が充満している部屋で火をつけるのと同じ理屈で、強大な火球が現出した」
「そう……だったんですか」
信じがたい真実に、打ちのめされた表情で答えるデュオ。
どこかうつろな目が、マリーを、コートを捉えた。
「デュオ……」
「僕は……」
「デュオ。これが、全ての事実だ。そして、君には、辛いかもしれないが、一つの大きな役割がある」




