貴族の宴
翌朝早く、私たちは洞窟を出た。
アレクは『鏡面宝玉』の欠片を使って、即席の擬装を施した。
金髪は深い焦げ茶色に戻り、顔立ちもわずかに調整され、どこにでもいそうな貴族の坊ちゃんに見える。
服もそれなりに整ったものに着替え(どこかの不運な旅人から「借りた」らしい)、例の偽造招待状を身につけている。
一方の私は、奴隷用の服に着替え、偽の首輪をはめ、髪をわざと乱し、頬に煤を塗った。
――買われたばかりの小さな女奴隷、その完璧な再現だ。
「いいか。屋敷に入ったら、なるべく喋るな。見て、覚えろ。
もし聞かれたら――国境で買った口の利けない奴隷だ。名前を持つ資格もない、と言え」
「……口の利けない?」
「余計なことを言わないためだ」
彼は容赦なく言い切る。
「それと、何を見ても感情を表に出すな。貴族の宴では……目を覆いたくなる光景が、珍しくない」
そう言った時の彼の目は、ひどく冷えていた。
――だいたい、察しはついた。
グルム男爵の屋敷に潜り込む方法はいくつもある。
だが、一番馬鹿げた方法ほど、案外うまくいくものだ。
たとえば――自分を「商品」として送り込む、とか。
「もう一度言うがな。この作戦、どう考えても頭がおかしい」
アレクは、目の前に置かれた淡いピンク色のドレスを睨みつけ、口元を引きつらせた。
レースとリボンだらけのそれを見て、脳卒中寸前みたいな顔をしている。
「これを着て宴会に出るだと? メイド服か? それともケーキか?」
「競売品の基本装備だけど? 知らない?」
私はスカートを広げて見せる。うん、胃がもたれるほど派手だ。
「競売に出る『高級奴隷』は、だいたいこんな格好。派手なほど値打ちが上がるの。
それにこの色、警戒心を下げるのに最適よ。イチゴケーキみたいな格好したおバカを、誰が警戒すると思う?」
「我々の方針は『目立たない』じゃなかったのか」
「違うわ。『理にかなった目立ち方』よ」
私はドレスを体に当ててみる。
「地味すぎると中枢に近づけない。派手すぎると注目される。
この格好なら、第一印象は『ああ、男爵が買った新しい玩具ね』。
第二印象は『……趣味悪』。そこで興味を失う。二度見されないのが一番」
アレクは額を押さえた。
「どこでそんな歪んだ理屈を……」
「人狼ゲーム心理学。専門分野」
私は即答した。
「はい、後ろ向いて。着替えるから」
「……外で待つ」
五分後。
私はそのピンク色の悪夢を身にまとい、洞窟から出た。
淡いピンクのパニエスカートは、中型犬が一匹隠れそうなほど膨らんでいる。
袖口と襟元には白いレース、そして――なぜか小さな鈴までついていた。
コルセットはきつすぎて、呼吸するにも申請が必要な気分だ。
極めつけは、白いニーハイソックスと、つま先にリボンのついたエナメルのメリージェーン。
……もう、メイド服じゃない。
振り返ったアレクは、三秒固まり――
「……ぷっ」
吹き出した。
「笑うな!」
私は顔を赤くする。
「任務のためなんだから!」
「いや、その……」
彼は最後の抵抗を試みる。
「奴隷市場にも、もう少し地味な服があるはずだろう……」
「あるわよ?」
私は帳簿を一冊突きつけた。
「麻布一枚、裸足、首に焼き印。どれにする?」
「……ピンクでいい」
「ごほん。出発しよう」
必死に真顔を作っているが、目尻の笑いは隠しきれていない。
「馬車は山の麓だ。
設定を確認するぞ。お前は『国境貴族が没落して売られた次女』。
俺はジョン・スミス。遠縁の従兄で、父がグルムと少し付き合いがある。
世間見物に連れてきた、という筋だ」
「了解。役柄は『純真無垢で扱いやすい白い花』ね」
「それと、これだ」
アレクは手のひらサイズの箱を渡してきた。
「超小型録音水晶。裏地に貼れ。
もしグルムが帝国の使者と密談したら、必ず記録しろ」
私はそれを受け取り、隠した。
出発直前、アレクが私を呼び止める。
「……神月」
「なに?」
「……無理するな。少しでもおかしいと思ったら、すぐ信号を出せ。俺が突っ込む」
「はいはい、過保護なお母さん」
「誰がお母さんだ!」
そんなやり取りをしながら、私たちは山を下った。
まるで魔窟に潜るのではなく、遠足に行くみたいに。
鏡に映る、見知らぬ滑稽な自分――
それでも必死に生きているその姿を見て、
私はふと、こういう日常も悪くないと思ってしまった。
グルム男爵邸の競売会は、想像以上に退廃していた。
それは健全な商業競売ではなく、いわゆる『プライベート鑑賞会』。
暖昧な照明、甘ったるい香、
客たちはグラスを手に、展示台の『商品』へと視線を這わせる。
――商品は、人間だった。
若い男女。露出の多い服。番号札。
私は五番目だった。
前の四人のうち、
二人の少女は太った男に買われ、
一人の少年は貴婦人に連れていかれ、
残る一人は――「品が悪い」という理由で、その場で引きずられていった。
おそらく、無事では済まない。
「五番!」
競売人が声を張り上げる。
「十六歳。東方の血統。黒髪黒眼。魔力反応なし。
『専門的訓練』済みで、奉仕と歌舞が得意。
開始価格、三百ゴールド!」
会場がざわつく。
「東方系か。珍しいな」
「顔は悪くないが……その髪色は縁起がな」
「三百? 無魔者にしては高い」
私は俯き、怯えた表情を作りながら、心の中で競売人を罵倒した。
――誰が専門訓練だ!
――お前もお前の一族も全員それを受けてみろ!
「三百五十」
油っぽい声。
ちらりと見ると、グルム本人だった。
最前列のソファに座り、左右に女奴隷を抱え、
品定めするような目で私を見ている。
「四百」
後方から、アレクの声。
視線が集まる。
今夜の彼は濃紺の礼服に身を包み、金髪をポニーテールに束ね、片眼鏡。
――金はあるが、誇示しない男の顔。
グルムが眉を上げる。
「ほう……どちら様で?」
「ジョン・スミスと申します。南境の商人の息子です」
アレクは軽く一礼した。
「男爵閣下が収集を好まれると聞き、挨拶がてら。
この娘、少し気に入りまして。飾りにでもと」
「飾り、か」
グルムは笑う。
「四百五十」
「五百」
「五百五十」
「六百」
六百ゴールド。
一般家庭なら一生安泰の額だ。
――この人たち、知ってるのかな。
今競ってるのが、
ハンバーガー三つ一気食いして、人狼ゲームでプロを騙す現代女子高生だって。
値は跳ね上がり、競るのは二人だけ。
他の客は黙って成り行きを見守っていた。
男爵に張り合うのは、無知か、覚悟があるか。
最終的に、八百ゴールド。
アレクは残念そうに肩をすくめる。
「さすがは男爵閣下。こちらの負けです」
グルムは満足げに笑い、部下に合図した。
私は彼の元へ連れていかれる。
顎をつかまれ、覗き込まれた。
「……なるほど。目がいい。踊れるか?」
私は小さく頷き、意図的に柔らかい声を出す。
「……少しだけ」
「結構。今夜は宴で酒を注げ。
気を利かせろ。恥をかかせるな」
「……はい」
私は『準備』のために連れていかれた。
準備と言っても、
さらに露出の多いメイド服を投げ渡され、
宴会場の隅に放り出されるだけだ。
宴会場は競売場より広く、
長卓には料理、楽団は退廃的な音楽、
客たちは思い思いに語らっている。
私はトレイを持ち、人混みを歩きながら、耳を尖らせた。
――十分後。
決定的な会話を捉える。
宴会場西側のテラス。
グルムが、黒いローブの人物と低声で話していた。
全身を覆う外套で顔は見えない。
だが胸元には――
帝国の双頭鷲の徽章。
――帝国使者。
私は、隣の客に酒を注ぐふりをして、さりげなく距離を詰めた。
「……資金はすでに手配済みだ」
使者の声はしゃがれている。
「陛下は、君の仕事ぶりに満足されている。ただし――時停弩の進捗が遅すぎる」
「だ、大人……呪詛兵器の開発は、そう急げるものではありません」
グルムは媚びるように笑った。
「先日の試験では、職人が反噬を受け、一気に二十年も老け込みまして。安定性の調整がまだ……」
「陛下に待つ気はない!」
使者の声が鋭くなる。
「来月、北境へ兵を動かす。その際、厄介な時間能力者が一人いる。
それに対抗するため、時停弩が必要なのだ。
もし、君にできないというのなら――」
「で、できます!必ず!」
グルムは額の汗を拭った。
「実は……すでに完成品が一批、ございます。地下室に。いつでも使用可能です」
「よろしい」
使者の口調が和らぐ。
「覚えておけ。君の任務は、逃亡した王子アレクと、その一味の抹殺だ。
成功すれば、陛下は約束されている。
次期貿易同盟盟主の座を、君に」
「……陛下のご恩に、心より感謝を!」
「それから――盟主の件だが」
使者は声を落とした。
「資金移動は、完全に処理したのか?」
「はい。疑わしい資金はすべて、草原王の商隊名義に移しました。
調査が入っても、草原王国に行き着くでしょう」
「見事だ」
使者はグルムの肩を叩いた。
「事が済めば、盟主だけではない。
推薦しよう――評議会へ」
グルムの手が震える。
「ほ、本当ですか……?」
「九人評議会に、ちょうど一席空きがある。
六番議員は、君を高く評価している」
そう言い残し、使者は背を向けた。
「忘れるな。来月までに、時停弩と――アレクの首だ」
会話は終わった。
私は記録を終え、影に身を潜める。
心臓が、嫌なほど速く打っていた。
――時停弩は、すでに完成している?
――標的は、アレク。
――資金洗浄、草原王、評議会の空席……。
情報量が、多すぎる。
だが、何より重要なのは――
「地下室」と「完成品」。
これは、好機だ。
私は宴会場を抜け、裏庭で待機しているアレクの元へ向かった。
彼は従者に化け、馬の様子を確認している。
「地下室に、完成品の時停弩がある」
私は早口で囁く。
「グルムは帝国使者と結託。資金は草原王名義。
評議会?違う。あいつら、あなたを殺して、議会に入る気よ」
「想定内だ」
アレクは即答した。
「計画を前倒しする。今から地下室へ」
「無理。警備が多すぎる」
私は首を振る。
「でも――すり替えならできる」
「すり替え?」
「本物を、偽物に」
私は懐から小さな布袋を取り出した。
中には、ただの金属部品と、簡単な符文が刻まれた水晶。
「四号からの『偽造キット』。
時停弩の設計図をスキャンしてもらって、外見だけ完璧な複製を作った。
効果は、ゼロだけどね」
アレクは目を見開く。
「……いつの間に?」
「前回の会議のあと、彼の方から連絡が来たの」
私は肩をすくめる。
「『念のため』って。
ファンの行動力、侮らないで」
私たちは即座に役割を決めた。
一、私が宴会場で小さな混乱を起こす。
――例えば、『うっかり』酒をこぼして、貴婦人のドレスを台無しにする。
二、警備の注意が逸れた隙に、アレクが地下室へ潜入、すり替え。
三、深夜の鐘と同時に、四号が東翼を砲撃。
混乱に乗じて撤退。
「……だが、ビアトリスが来る」
アレクが眉をひそめる。
「呪詛兵器の気配は、あの女にとって血の匂いだ」
「来させればいい」
私は言った。
「彼女がグルムを殺す。私たちは、拾うだけ。完璧でしょ」
「……君、だんだん悪役みたいになってきたな」
「褒め言葉として受け取っておく」
計画は、驚くほど順調に進んだ。
私は宴会場に戻り、『うっかり』ワインを運ぶ侍者にぶつかった。
赤ワインが貴婦人のドレスを染め、甲高い悲鳴。
護衛が駆けつけ、場は一時騒然。
その隙に、アレクは姿を消した。
私はグルムに叱責され、罰として厨房行き。
――好都合だ。
厨房には、地下室へ通じる予備経路がある。換気ダクトだ。
私はそこに潜り込んだ。
狭く、油と蜘蛛の巣だらけの通路を、芋虫のように進む。
二号の地図を頼りに、地下室の通気口へ辿り着いた。
格子越しに、下を覗く。
作業台は二十以上。
各台に、時停弩の未完成部品。
壁際の鉄架には、完成品が十張。
黒い弩身に、淡く光る符文。
――アレクは、すでに来ていた。
彼は慎重に、本物を外し、偽物に置き換えている。
速く、そして確実に。
残り三張――
その時、足音。
グルムの声。
「準備は整ったか?」
「はい、男爵様。十張揃っております。ただ、エネルギー核がまだ不安定で――」
「時間がない! 箱に詰めろ。私が直々に確認する」
私とアレクは、同時に凍りついた。
彼は、まだ二張すり替えていない。
そして、グルムが入ってくる。
刹那、アレクは決断した。
本物の二張を掴み、廃材が積まれた影へ身を滑り込ませる。
グルムは鉄架を一瞥した。
「……よし。問題ない。箱に入れろ。明日、使者に見せる」
職人が詰め始める。
一張目――偽物。
二張目――偽物。
三張目――
アレクが隠した二張は本物だ。
つまり、架には五張の本物と、三張の偽物。
――確率の勝負。
私は、こういうのが得意だ。
だが現実は、ゲームじゃない。
四張続けて、本物。
冷や汗が背を流れる。
最後の一張。
職人の手が伸び――偽物に触れた。
「……男爵様。この弩、符文の彫りが、少し粗いような……」
「どれ」
終わった。
――その瞬間。
深夜の鐘が鳴り響いた。
「――ゴォン、ゴォン、ゴォン」
直後、計画通りの爆音。
大地が揺れ、天井から埃が舞う。
悲鳴と警報。
「敵襲か!?」
「いえ、男爵様! 規格外の超長距離砲撃です。発信源不明!」
グルムの顔色が変わる。
「護衛! 東翼へ!」
地下室の人員が駆け出す。
グルムは一瞬迷い、偽弩を架に戻すと、横の手提げ箱を掴み、密道へ走った。
――今!
アレクが影から飛び出し、残る本物二張を偽物と交換。
私は通気口から飛び降り、後を追う。
「追うわ!」
「密道は?」
「裏山だ。迎えの馬車があるはずだ」
アレクは本物の弩を収める。
「だが、ビアトリスが待っているだろう。
あいつは、こういう時に獲物を刈るのが好きだ」
密道を走る。
狭いが、整備され、頻繁に使われている。
三分ほどで、前方に光。出口だ。
足を緩め、忍び寄る。
外は、隠れた谷。
馬車が一台。
御者は血溜まりの中で倒れ、喉を正確に切られていた。
そして、グルム。
馬車の脇でへたり込み、蒼白。
理由は一つ。
――彼の前に、立つ者。
月光のような紫の髪。
凝固した血のような紅い瞳。
漆黒の戦乙女の鎧に包まれた、しなやかな体。
等身大の巨大な鎌を、片手で担ぐ。
ビアトリス。
彼女は首を傾げ、怠惰に笑った。
「ずっと待ってたわ。汚らわしい商人さん」




