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42 深呼吸

 日程は順調にすすみ、陸上戦艦はまもなくクレバス上空へと差し掛かる。


 上がりクレバスまであと2日は余裕があるそうだ。500メートルは大きな溝ではあるが、この戦艦と比べてしまえば大したことがないように思えた。

 思い、たい。

 きっとたいしたことない。きっとそう。


 説明するまでもないことだが、500メートルというのは“約”であり、その距離は場所により長かったり短かったりと様々ではある。


 右側面、先ほどから見えている溝は見たところ、これまでで最大の幅であるように思えた。目算なので間違っているかもしれない、俺の心理的な問題もあって、実際よりも大きく見えている可能性もある。


 俺の心理的な問題。

 

 そう。

 つまり、怖いのである。


 単純な話、こんな金属の塊みたいなものが空に浮ぶことが信用できない。


 そりゃ現に飛んでるのだから飛ぶのだろうが、空を飛ぶ物体ってのは基本的に翼があるものだし、いかにも飛ぶよ! という形をしているものである。

 ところがだ、棺おけのダイダラボッチみたいなコイツには翼がない。

 スラスターだの、ジェットだの、推進装置も見当たらない。


 そこそこ速度は出ているはずだが、飛ばしたドローンからは、黒い箱みたいな、山のような物体がゆっくり地面を進んでいるようにしか見えないのである。


 元来、飛行機でもちょっと怖い俺にとって、戦艦が浮いて移動しているという事実はかなりの衝撃。


 だから俺は、椅子に座り顔を手でおおい、次に悪い予感を払拭しようと一心不乱に腕立て伏せを慣行し、さらには個室をうろうろ動き回ることを繰り返しているのである。それらの動きの途中に何度も右舷のクレバスを見ながら。


 俺の部屋は進行方向に対して右側、つまり右舷に存在する。じゃあ左舷からもクレバスが見えるのかというと、そうではない。


 左舷から見えるのは荒れ果てた土地と遠くに見える畑、そして山だ。


 南下を続ける戦艦は、南北にはしるクレバスに対し、平行に近い形でエントリーしようというのだ。


 俺の部屋にゆっくりとクレバスが近づいてくる。底の無い闇のような深い溝、落ちたらきっと戻ってはこれない。


 上がりクレバスまではあと2日の余裕があるらしい。

 ずっと下まで落ちればドロドロに溶けてなくなってしまうのだろうか。


『艦内各位にご案内します。まもなくクレバス上空です。これよりアンチグラビティユニットの出力を上げます。繰り返します。これよりアンチグラビティユニットの……』


 聞こえてきたのはフランの声、俺はベットの下に潜り込んだ。

 息を殺してじっと待つ。

 予想した浮遊感や落下感といったものは一切こない。なんとなく差し込んでくる光の加減が変わったような気がする。


『あーあーテステス。あーあー聞こえますか? ただいま本艦は上下反転運行中なのじゃ、なにも問題ないとは思うのじゃが、気分が悪かったりする者がいたら申し出るように。以上なのじゃ』


 今度はアイリーンの艦内放送。俺はのそのそとベットの下から這い出る。

 

 ベットの上の毛布やらテーブルの上のコップやら、何も天井に落下していない。

 そういうことがあった形跡もない。


 本当に逆さまなのだろうか、いぶかしんで窓の外を見るとなるほど、クレバスが見えない。そして地下の天井が近い。いや地面が上に見えるのだ。剣山のような天井はずっと下に見える。とても高いところを飛んでいるような錯覚。


 どうやら本当に逆さまらしい、不思議だがずっと見ていると気分が悪くなりそうだ。


 景色の上側にクレバスが差し込んできたのを確認すると、窓からそっと離れた。


 どうも落ち着かない。かといってブリッジに行く気分でもなかった。


 俺はフラフラと格納庫へと向かった。



「おや? どうした?」


 何かのフレームを溶接していたガーベージ(じーさん)が作業を中断して顔をあげる。


「ちょっとな、部屋だと落ち着かなくてよ」


 新しい部屋はひとり部屋だ。狭いのも一人なのも平気だ。そして静かなのも。


「そうかい」


 そう言ってじーさんは作業を再開した。地下にも溶接なんてあったんだな。何を作っているのだろうか。


 俺はプロキオンに乗り込むとシートに体重をあずけて、深く息をはいた。


 深呼吸にはコツがある。深く息をはくことだ。吸うことではない。医者は吸ってーはいてーなどと言うが、正しい順番は、はいて吸ってだ。

 息をはいて肺の中身をカラッポにすることで、はじめて新鮮な空気を肺にとりこむことが出来る。


 酸素が体中に染み渡る感覚を確かめる。

 レースで負けて眠れない夜なんかは、マシンのシートに座ってよく深呼吸をしていた。


 そうしていると次第に嫌なことを忘れて、同時に色々なことを思い出す。

 父親の大きな手で少しだけ乱暴に頭を撫でられたときのこと、母親のつくった暖かいスープと笑顔。

 初めてステアリングを握ったときのこと、レースのこと。

 そういや初めてマシンぶつけて修理から戻ってきた日、そのときも真っ暗なガレージでこうやってシートに座っていたっけ。


 なんで俺、今ここに座っているんだ?

 なにか、やるべきことがあるんじゃないのか。

 俺がコックピットから立とうとしたとき、声がかけられた。


「アキヒロ様、動かないで下さい。嫌な感じがします」


「メイ、いたのか?」


「はい。メイはいつもココにいます」


 それはプロキオンの戦闘支援AIとしての音声。

 違いはないはずだが、不思議とアンドロイド体の声とは違って聞こえる。


「そうだったな」


 地下で最初に目が醒めた時、そのときもこの声を聞いていた。メイにとってはこの声こそが肉声なのかもしれない。


「アキヒロさま、今しばらく座っていて下さい。揺れるかもしれません」


「……」


 言われたとおりに座りなおす。直後に横揺れ、そして縦揺れ。


「メイ何があった?」


「ちょっと待って下さい。いまあっちの身体の方が艦長達の話を聞いています」


「……」

 ずいぶんと器用に使うようになった。


「わかりました。どうやらクレバスに(はま)ってしまったようです」

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