19 アンチクトン
アンチクトン、大縦穴の土地とはクレバスを挟んだ隣国であり、気の遠くなるほどの長い間、小競り合いを繰り返している相手である。
かつては数千、数万の犠牲者が出るほどの戦争をしていた時期もあるが、長い闘争で疲弊もあるのか、ここ2千年は一度の戦闘につき、多くて五人程度の死者で済んでいる。
大縦穴の真下に位置するマリス・ステラ、大縦穴の土地最大の建造物であり、軍事拠点でもあるここから、アンチクトン本土まで攻め込んだことは一度たりともない。
常に防衛戦だ。
文化的に戦争という行為そのものを否定しており、アンチクトンさえ大人しくしてくれるのならば、マリス・ステラは基地としての機能を放棄したいと考えているほどだった。
アンチクトン側も文化的には地底の民であり、無益・有益を問わず、争いは不毛であると考えている。それでもアンチクトンが戦う理由、掲げた大義名分とは、地球を汚染する地上人の退治である。
地上より遥かに進んだ文明を持つ、我等地下の者達が、愚かな地上人に鉄槌を下し、言うことを聞くならば管理してやるし、逆らうようであれば駆除する。これこそが、愛する地球にとっての献身であり、文明的行動だとしていた。
大縦穴に集まった者達の考えはやや違う。
確かに地上人は愚かである。地球の汚染もするだろう。しかしそれはあくまで地表の出来事に過ぎない。
海の色が変わっても、土が腐敗しても、成層圏がゴミだらけになろうと、遥か地底に暮らす我等には関係がない。
我等地下人が地上に進出すれば、制圧は容易だろう。しかしそれは、一方的な弱い者イジメであり、到底文明的行為とはいえない。
そんな理由で地上への唯一の道、大縦穴をめぐってアンチクトンとマリス・ステラは争いを続けていた――。
「なげぇ! 三行でまとめろ!」
「アキヒロおバカすぎるのじゃ。これでもかなり簡単にまとめているのじゃ!」
社会常識のない俺は定期的に勉強会を行っている。ああ違うか、行ってもらっている。本日の講師はアイリーン先生だ。
「そうじゃな。無理やりまとめると、世界征服を狙うアンチクトンを、正義のマリス・ステラがやっつける。そういう話なのじゃ」
「簡単!」
俺の中で一気に理解が深まった。
「いやいや室長。それは無理がある。オレサマ達別に正義の味方って訳でもないし、むしろアンチクトンのほうが正義を掲げがちですぜ?」
講義は執務室でおこなっているので、他の断片室メンバーが居ることもある。今日はヴェルヴェがいた。イリーナとはうまくやっているらしい。
「そうは言うが我々は悪の秘密結社で、地球解放を目的とするアンチクトンの道を、通せんぼしている嫌がらせ集団である。とか言ってしまうと色々まずいのじゃ。アキヒロにはパイロットとしてやる気を出してもらわんと」
俺の中では、みんなが知っている当たり前ってやつを知りたいだけなのだが、アイリーン先生は色々考えているらしい。立場ってやつだろう。
「アイリーン。心配しなくても正義とか悪とかそういう真面目なことに俺は興味がない。俺はお前等が気に入ったし、プレアデスに乗ることでここが守れるなら戦うさ」
「いや、そうは言うがなアキヒロボーイ。実際アンチクトンが攻めて来たらどうするかよく考えておけ、連中の機宿にだって誰かしら乗っている。効率的に倒すにはコックピットを破壊するのが手っ取り早い。そうでなくとも爆発したり、与えた衝撃の余波なんかでパイロットは死ぬことになる。つまりパイロットの仕事というのは人殺しさ。お前に人が殺せるか?」
ヴェルヴェは優しい。アイリーンもそうだが、マリス・ステラのことより、俺のことを優先して考えてくれている。
俺は鼻の下をかいて、ちょっとした小話を話す。
「レースってさ、人が死ぬこともあるんだよ。そりゃあレースの主催とかの運営側は、事故の防止にすごい気を使っているし、メカニックや多くのスタッフが人が死ぬことがないように全力を尽くす。でもな、レーサーって人種は違う。例え人を殺しても前にいく。……違うな。前にいけるなら喜んで人を殺す。うん、そうだ。そんな人種さ。だからレース中の事故ってのはレーサーだけは動揺しない。むしろ意図的に邪魔な車の走行ラインをブロックしたり、事故を誘発するような行動をする。何も殺そうと思ってやる訳じゃないが、死んでも構うものかお互い様だ、ぐらいには思っている。俺はお前等が思うほどマトモじゃねーのさ。だから心配すんな、アンチクトンの連中にゃ、運が無かったと諦めてもらおう。この、俺様を敵に回したことをよ!」
最後はちょっとふざけてヴェルヴェの真似をしてみた。
狙った効果とは違って、空気は軽くならなかった。
「あははは! あれから18日、連中の動きは全くありませんな!」
「油断大敵ですよ、准将」
執務室比べても広い個室で、大きな声を出しているのはグデナン准将。
大柄な彼と一緒にいるのは中性型のアンドロイドだ。
「でも確かに平和ですね。普段なら偵察用のドローンぐらいは飛んでくるのですが」
二人が話すように上がりクレバスが終息してから、アンチクトンの動きは全く無かった。
それが狙った効果どおりではあっても、普段と違うという違和感は小さなしこりとなって、胸につっかえた。
上がりクレバスの終わりの時期は緊張が高鳴り、高鳴った緊張に答えるようにアンチクトンからの攻撃があるのだ。
それが今回は偵察ひとつない。
膨らんだ風船が、弾けることもなくしぼんでいくように、緊張は尻すぼみしていく。マリス・ステラ全体に弛緩した空気が出始めていた。
そんなとき。
越境警報。人員の少ない司令室で控えめな警報が鳴る。
クレバスを越える影があった。
最初に気づいたのは司令室のオペレーター。おかっぱの女性型アンドロイドだ。
最初彼女は、普段とは違うレーダーの反応に誤報かと思った。偵察機にしては大きい。機宿の反応だ。しかしその数はたった一機。
その上、散歩でもするような足取りはあまりにも遅い。遠距離から狙撃してしまえば撃破は容易に思えた。
「罠?」
しかし何よりオペレーターを困惑させたのは、その機体が味方機の識別信号を出していたこと。
マニュアルに従い上司に報告する。報告は脳内のボタンひとつ。すぐさま准将以上の開戦権限のある者達が、司令室に集まる。
まず最初に駆けつけたのは中将。
女性でもない男性でもない、アンドロイドだからこそ可能な性別の無い人型。本人は中性を言い張り、なりたい性別が決まったときに、自身に個体名をつけるつもりでいた。
将官達の反応はオペレーターの想定を逸脱していた。慎重なもの、早計なもの、大胆なもの、奇抜なもの。いつも何かしらの反応と対応策を指示してくれる上司達が、今回は何も言えないでいた。ただ「確認を続けろ、変わりがあれば直に報告するように」そう言って会議室に行ってしまった。
どうしたことだろう。相手はたった一機だ。罠であろうとなんであろうと撃破は容易だ。狙撃してもいいし、機宿で取り囲んでもいい。なにを協議するのか、鹵獲の算段でも立てているのだろうか、それにしたって反応が変だ。
――「どうしたベルベ、ノリが悪いぞ、それにアイリーンだって」
「いやちょっと待て、アキヒロ。様子が変だ」
ヴェルヴェが口に人さし指を当てる、静かに。そういうジェスチャーだ。
「どうした?」
なるべく小声で聞く。アイリーンも両手をアンテナの横に広げている。音や電波、あらゆる波を感じ取ろうとする時の癖だ。
「将官達が会議室に集まっているようなのじゃ。それも司令室の近くにある小会議室の方になのじゃ」
「それって珍しいのか?」
俺の質問にヴェルヴェが答える。
「普段は上階の会議室を使う。広いし調度品も上質。司令室の近くにある狭くて半分物置になっている小会議室を使うってことは……緊急事態だな」
「敵か。ついに攻めてきたか」
来るべきときが来たかと思い、拳で手の平を叩いてみる。
「いや、それなら接敵警報が鳴らなければおかしいのじゃ」
なんだか嫌な予感がする。しかし確かめずにはいられない。
「司令室に行ってみよう。何かわかるかもしれない」
――司令室にある大型スクリーンモニター。様々な情報と一緒に画面に映しだされたそいつは機宿の足を、一歩一歩進めながら接近してきている。
モニター外側に映し出されるマリス・ステラまでの到達予測、8時間強。スラスターを使えば30分でクレバスからこっちまで来れる距離。
何の目的だ? そう思う。しかしなんだこのヒリつくような感覚は。俺の中の何かが警鐘を鳴らしている。アレに関わるな、本能が拒絶しているような悪寒。
「なぁアイリーン、あれはなんだ?」
隠れるようにしてスクリーンを眺める俺は、同じようにして謎の機宿を見つめる上司に聞いた。
隠れることをやめたのか、その場に立ち上がったアイリーンは言う。
「かつて、アキヒロと同じように地上出身のパイロットがいた。名前を伊織信之」
「それって……」
観測用ドローンが現地に到着したのだろう、映像が一段と鮮明になり、機宿が、大型人型兵器が一歩一歩近づく足音が聞こえてきた。
「姫子のおじいさん。40年前。大励起を起こした男なのじゃ」
鹵獲
敵の持つ兵器や装備などを回収もしくは奪い取るなどして入手する行為。




