冬篭り
執筆中小説を整理していたら出てきました(汗)
いつかの拍手小話です。前話までの番外編との繋がりはないですが、しまっておいても仕方がないのでここに載せます。
覚えのある気配に、彼はゆるりと閉じていた瞼を上げた。ふ、と身じろぐと、その者も気づいたようだった。
「ああ、顕現なんてしないで下さいね。滅多打ちにしたくなるので。別に貴方の顔を見に来たわけではありません、皇祖」
人当たりのよい笑みを浮かべて笑って言い放ったのは、彼と同じくらい輝く金の髪と、極上の翡翠を嵌め込んだような瞳を持つ彼の血を引く者の一人だった。
『……イルヴァース』
言われずとも今の状態では顕現するのも億劫で、もとよりそのつもりはなかった。だから声だけ発した。
「そういえば貴方も神力を使い果たしておいでなのでしたっけ。別にざまあみろなんて思ってませんよ、ええ、全く」
思っていないのなら何故言うのだろう。彼は首を傾げたが、子供――彼から見れば、子孫一族は皆『子供』だ。もう何番目かは数えなくなって久しい――は、どこからか花束を取り出した。しばらく子供は何かを耐えるような目をして、ある一点を見上げていた。泣くのかと思って彼は見ていたが、ふっと緩んだ子供の表情は、どこかで見たことのある感情を湛えていながら、涙は流れていなかった。子供の視線の先には、ぼうと光る巨大な塊があった。
金の糸で幾重にも編まれた、巨大な繭だ。
「……姫。しばしの暇を頂きますので、そのご挨拶に参りました」
膝をついて花束を祭壇の前に置くと、子供――イルヴァース=ルーファス・レイ・カルスルーエ・オルス・ヴィライオルドはふと笑った。
「貴女が小さい頃にお好きだった、翠硝花です。覚えておいででしょうか。空中庭園に咲いているのを摘んで、見つかって庭師に怒られましたね」
外に出ることなどほとんどなかった幼い少女には、城の中が全てだった。空中庭園と呼ばれる一角は一つの林ほどの面積を誇り、幼児だった彼らはよくそこで遊んだものだった。冒険者にでもなったつもりで。
そして彼女が異世界から帰還してからしばらくの間、そこは彼女の静養の場となっていた。城の中でも特に生命の息吹溢れるその場所で、彼女は魂についた傷を癒していた。
「木犀です。いい香りでしょう? 今年最後になるでしょうから、見納めにと思いまして」
次いで取り出した枝の一振りを、これも祭壇に置く。
「南ではまだ林檎が収穫できるそうですよ。明日にでも持ってくると、アルが言っていました。母上が檸檬の蜂蜜漬けをと仰っていたのですが、さすがにそれはお亡くなりになったようだからやめろと父上が止めていたので、今年はなしです」
くす、と口元に笑みを佩いて、イルヴァースは立ち上がった。
「それを言うならこうして花をお持ちするのも、墓前に供えるようで少し気が引けるのですが……皇祖と二人きりでこの殺風景な中、お眠りになるのもお嫌ではありませんか? 嫌ですよね、もちろん」
気のせいだろうか、と彼は首を捻った。今この子供、質問と反語の間に息継ぎをしていなかったような。
「鉢植えの方がお好きなことは承知していますが、この地下……貴女がぶち抜いたせいでもう地下と呼べるかは少々疑問が残りますが、とにかく、寒いですから。冬に元気な植物は華やかさに欠けますし、そもそも覆いが必要ですから、どちらにしても変わらないかと」
イルヴァースは、返事のない会話を紡ぐ。まるで彼女が起きて、そこにいるかのように。
「そうだ。大神殿の修繕工事が始まりました。各地の、あのときだけでは浄化し切れなかった瘴気の浄化も完了して……体調を崩していた民も、先日、皇都の施療院に収容されていた最後の一人が退院したそうです。収穫の季節におちおち寝ていられないとか」
ですが、と吐息のように言葉は続いた。
「もうすぐ、冬が来ます。ヴィライオルドの中でも北の方では、もう雪が降ったと報告がありました。雪景色は好きではないと仰っていましたね。ですが、凍った氷晶湖の上に立つファルチュエル城はぜひともお見せしたいものです。晴れた日には凍った水面が鏡のようになって、遠目から見るとちょうど合わせたように逆さまに城が映るんです」
例年より少しだけ、早い季節の移り変わり。瘴気から大地が完全に回復するためにも、眠りの季節は長い方が良い。けれど。
けれど。
「……貴女のいない冬が、また来る」
ぽつりと落とされた呟きは、水面に落ちた雫のように、静かに空気を震わせた。
「もう、来ないものだと安心していました……でも」
――蛹は、春に孵るものだろう。
――ごめ……ちょっと、疲れちゃった。休ませ……て?
イルヴァースは翡翠の双眸を閉じて、金の繭に向かって騎士の礼を取った。
目覚めの季節は、まだ遠い。けれど以前のように手探りで闇の中を進むのではなく、来るべきその日まで待っていれば、その暁が訪れると知っているから。
「お待ちしています、我が君。それまでどうか……心安らかに、お休み下さい」
……彼は子供が帰るのを様子を見届けると、すい、と己も狭間の闇に滑り込んだ。




