腐れ縁
シェランが異世界に流れて一年後。
「サリアネス君、頼みがあるのだが」
教師に呼び出されて開口一番の言葉に、サリアネス侯爵家の子息ジスカール=レナルドは即座に首を横に振った。
「嫌です。他を当たって下さい」
彼は、嫌と言えるヴィーフィルド人だ。ただし――
「……校長からのお願いなんだが」
申し訳なさそうに肩を小さくする教師に、言葉を飲み込んだのが運の尽きだった。
ジスカールは、嫌と言えるヴィーフィルド人だが――それが受け容れられるかどうかは、また別の話である。
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春や秋に諸々の行事が執り行われたり、人事の異動が発表されるのは、ひとえにその季節が移動しやすいからだろう。雪もなく、暑すぎもしない適度な気候の下、人々はこのときとばかりに活動する。
ヴィーフィルド皇国皇都リーヴェルレーヴにある国立第一士官学校も、人で賑わっていた。第一とついているのは、単に最初に設立されたからである。
士官学校は騎士位、つまりは士爵位を取得するために必ず通うことが義務付けられている学校だ。ここを卒業しなければヴィーフィルドでは従騎士にすらなれない。
ゆえに入学試験は非常に厳しく、また公正なものだった。筆記試験は基礎教育段階での教養――自国他国問わぬ歴史、他国や古代の言語、数学、神術の基礎理論について当然のように幅広く出題される。これでまず一定以上の成績を収めた者が小論文と作文、面接と進み、最後に神術と馬術の実技、剣術・弓術・槍術・体術の四つの中からの選択実技試験……という、実に二週間近くかけて執り行われる非常に面倒くさいものであった。
卒業試験が「通すための試験」であるのに対し、入学試験は「落とすための試験」だ。自然、試験官の目も厳しくなる。理屈の上では試験に合格しさえすれば身分を問わず門戸が開かれているのだが、試験科目の中には平民では突破できない合格水準(主に神術の実技)が設定されているものもあるので、身分の低い者にとっては非常に狭き門であるといえよう。
逆に入学試験などあってないようなもの、という人もいる。勉強の環境が整い、武芸の修練も講師を個人的に招聘できる高位貴族の子息がそれである。中には父や母が武芸の師であるという者も少なくない。サリアネス侯爵の嫡孫であるジスカールはもちろん、同期のオルソール子爵の嫡孫セイルードもそういった者の一人だった。皇城の図書館の資料庫を活用して四日かけて書かされる小論文には泣かされたが、それはご愛嬌というものである。
そして、今年の入学生の中にも彼等の同類はやはりいた。
「やあ、ライ。入学おめでとう」
食堂で見知った後ろ姿に声をかければ、褐色の髪に硬質な輝きを持つ青い瞳を持った少年が振り返った。セライネ伯爵の嫡孫、ライゼルトだ。今年九歳になったばかりである。
「セイ、カール」
三人は上級生、下級生である以前に、幼馴染である。知った者を見つけて、ライゼルトはほっとしたようだった。
「学校生活はどうだ? 慣れたか」
「まあまあ。……なあ、神術攻撃論と神術防御論の教師って、仲悪いのか?」
「良くはないな」
「実技と理論で同じ領域ならかなり仲はいいけど、攻撃と防御で分かれると微妙」
「講義中に議論しだすのやめて欲しいよな……」
十歳で入学したジスカールは、十三歳の現在、最高学年である。在籍期間の三年間を振り返って、しみじみと頷いた。同学年のセイルードも頷く。
神術と一言で言っても、内実はけっこう細分化されている。大まかには風術、地術、水術、炎術、雷術、結界術の六つに分かれるが、結界術は他の五つの領域と何らかの形で必ず関わりがあるし、分類を変えれば探索系だの攻撃系だの防御系だの変化系だの空間干渉系だのと、とにかく話が複雑化していく。建国以来四千年間、研究が進み続けた成れの果てである。
ライゼルトはふうん、とセイルードの言葉に曖昧な返事をした。
「講義中に議論するものなのか?」
「してないのか? 俺達の時は最初から喧嘩しっぱなしだったけど」
「いや……どちらかというと、共同戦線張ってそうだ」
「は? 共同戦線?」
目を見合わせたジスカールとセイルードである。酒の席ではそうでもないらしいが、素面だと顔を合わせるたびにああでもないこうでもないと喧嘩を繰り広げる教官達は、今年の新入生に対してはまだその実態を見せていないのか。何か心境の変化でもあったのだろうか。
「アルが質問攻めにするから」
「ああ……」
納得してしまった二人は、若干遠い目になるのを抑え切れない。
今年の主席入学者であるアルこと、ヴィシュアール公爵家の嫡子アルトレイス。皇族の一人である彼にしてみれば、神術に関しては基礎理論どころか応用理論すらあってもなくても同じだ。無駄を嫌う傾向のある彼がいる以上、不毛な議論などできないだろうし、させてもらえないだろう。教官など捻り潰してあまりある神力の持ち主である彼が士官学校に入学したのは、『士官学校入学・卒業』という証明書を取得するためだけである。そしてそれは現在二学年に在籍するヴィライオルド公爵家の嫡子イルヴァースも同様だった。
「多分、ルヴァを見て舐めてたんだと思うな。ルヴァは他人の議論の行方とか、結構楽しんで見るけど、アルは全然違うから」
「むしろ、その辺の情報を全く仕入れてなかったことに驚きだろ」
親の都合上、人生の比較的早い段階から皇族と関わりを持たざるを得なかった三人である。その辺の情報が全く周知されていないことに学校に入ってから気付き、愕然としたのは言うまでもない。
「あっ、いた! ライゼルト!」
食堂の入り口で大声で名を呼ばれ、ライゼルトは口をへの字に曲げた。だが呼んだ本人は全く気にせず、なぜか蒼白な顔で突進してきた。
「ベルナルド、どうしたんだ?」
「大変だ、アルトレイス様が!」
本来、貴族皇族を名前で直接呼ぶと不敬罪で処罰の対象になるのだが、学校機関に在籍中は不問とされる。生徒は表向き皆平等で、皆友達だからだ。敬称もつける必要は無いし、本人も承知しているのだが、大半は皇族を前にするとうっかり「様」をつけて呼んでしまうらしい。
「アルがどうしたって?」
「上級生と言い合いになって……」
「相手を散々に貶して、言い負かした?」
ベルナルド少年は弱々しく首を振った。
「……退学するかもしれない」
どっちが、とライゼルトだけではなくジスカールとセイルードも口に出したのは、不可抗力である。
アルトレイスはふん、と鼻を鳴らして足を組み直した。その様子を見て嘆息した教師の一人は、それでも反省を促す。
「ヴィシュアール君、君はこれを見て何とも思わんのかね」
「無謀で無礼な軟弱者の末路」
間髪入れず返ってきた答えに、反省の色は見事なまでにない。
「もしくは考え無しの成れの果て。一体誰だ? こんなのに士官学校への入学許可を出したのは。第一士官学校の卒業生といえば、ほとんどが近衛騎士団に入るだろう。こんなのが伯父上はともかく、シェランの傍近くに仕えることになるなんて、とても容認できることじゃないな」
一気に言い切った彼の目は果てしなく冷ややかだった。口の利き方に気をつけなさい、と言ったのは別の教師だ。
「君は年長者に対する礼儀がなっておらん」
「生憎、年上というだけでふんぞり返る連中に払ってやる敬意など、一片たりとも持ち合わせがない。俺に尊敬されたいなら、それなりの成果を見せてみろ」
九歳の少年の言葉とは思えぬ暴言に教師達はたじろいだ。これが他の生徒なら叱り付けるところなのだが、相手が悪かった。慎重に対応しなければ、比喩でなく物理的に首だけが宙を舞う。
「で、話とやらはこれだけか? これだけだな」
勝手に完結したアルトレイスは席を立った。
「まっ、待ちなさい!」
教師の一人が彼の肩に手をかけようとしたのと、保健室の扉が外から開けられたのがほぼ同時だった。
「おお、お取り込み中」
「そんなの分かってる、早く何とかしろって!」
「そう言われてもねえ……」
扉の隙間から見えたのは、金の光だった。否、陽光を反射して輝く黄金のように眩い金髪だった。教師達の間で、張り詰めていたものがほんの少しだけ緩む。
「ルヴァか。どうした」
「それはこっちの台詞だよ。入学早々、何をやらかしたんだ」
失礼します、と、同族とは思えぬ礼儀正しさを発揮して保健室に入った彼は、まず設えられた簡易寝台の上に寝かされている者の状態を見て、十歳の子供らしからぬ仕草で額に手を当てた。
「……お前、やるにしても限度ってものがあるだろ……」
左腕と右足には副木を当てて包帯が巻かれており、一見して骨折していることがわかる。明らかに生徒同士の喧嘩としてはやりすぎだ。
「こいつが吹っかけてきたんだ。生意気だとか、皇族だからといい気になるなとか……五対一だぞ。一人では下級生に話しかけることもできない臆病な卑怯者が、これから近衛騎士になるなんて見過ごせるか」
「で、こいつらを退学させるのさせないのの騒ぎになってるわけか。お前も大変だな、ライ」
「他人事みたいに言うな!」
同級生の間で既に『アルトレイス様係』という、不本意極まりない位置に置かれているライゼルトは、いい加減イロイロ切れる寸前だった。大体『アルトレイス様係』って何だ。意味不明である。
「俺はアルの従者じゃないんだぞ!」
「私だってそうだよ。でもまあ、取り合えずファナルシーズ様に報告しとこうか」
備品を補充しておこうか、と同じくらいの気軽さで国で二番目に偉い人物を挙げたイルヴァースに、教師陣のほうがうろたえた。
「そこまで大事にしなくても」
「こんな瑣末なことで皇太子殿下の御手を煩わせるのは……」
「先生方、ご心配なく。こいつが何かやらかしたら、遠慮せずに言えって言われていますから。ほら、アル、一応謝っとけよ。後でファース様に吊るされるの、お前だぞ」
目に見えて一気に機嫌が下降したアルトレイスだが、負傷した上級生の頭元に歩み寄った。
「おい、聞こえているか。……何か知らないが、悪かった」
それは謝ったうちには入らない、と指摘しようとした教師達だが、イルヴァースの「『悪かった』って自分から捻り出しただけまだ良い方ですよ」という言葉に、これ以上のこの場での指導は諦めたようである。
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「……という事件が、入学後二週間目のことだろう? それから一週間も経たない内に今度は別の生徒と問題を起こしている。教師との悶着もたびたびだ。この前はついに一人、教師が退職願を出したは良いが受理される前に行方をくらませてしまった。教師の中だけで、今も常時胃痛を訴える者が十人、休職してしまった者が二人、抜け毛が酷くなった気がすると申告する者が一人いる」
「最後のはアルの行動との明確な関連性は低いと思われますが」
「とにかく、たった二ヶ月でこの事態だ。このままでは皇王陛下か皇太子殿下にご足労願わねばならないかもしれない」
「むしろ一度、そうした方が今後のためには良いかと思います」
「そんなことはできない! これまでも我が校は皇族の方を何人も受け容れてきたが、皆様無事にご卒業と相成っている。ヴィシュアール公爵ご夫妻も我々を信じてご子息を預けて下さったのだ。ご期待を裏切るわけにはいかん」
それはどうだろう、とジスカールは心の中で呟いた。公爵ルーネイスはともかく、公爵夫人フィオルシェーナは士官学校の教育課程そのものの改正案を出していたくらいなので、信じているかどうかは微妙なところだ。
余談だが、士官学校は全寮制だ。一年生は必ず二人部屋で共同生活なのだが、アルトレイスだけは運悪く籤引きで同室になった生徒の精神的被害が大きすぎたために、特例として個室が割り当てられている。
「無事に三年間を乗り切るためにも、どうか、彼に一年ついててやってくれないか。人助けだと思って」
「嫌です」
ジスカールに士官学校の面子を立ててやる理由など髪一筋たりともない。
「私でなくとも、イルヴァースがいるでしょう。来年はソルディースも入学する予定なのですし、皇族のことは皇族に任せておくのが一番だと思います」
さりげなく同学年で親しいライゼルトに意識が向かないようにしているのは、同じ境遇の者へのせめてもの配慮だ。
「しっ、しかし――」
「大体、アルのやつに座学なんて必要ないんですから、試験と実習だけ受けさせて飛び級させて、さっさと卒業させればいいじゃないですか。話がそれだけなら失礼します」
半ば強制的に話を終わらせたジスカールは、呆然とする教師を残して指導室を出た。次の日から、自分の案が即座に実行に移されるとは、まだこのときの彼は知らない。
ヴィシュアール公爵子息アルトレイス=ラウルスがアルモリック卿の称号を得るまで、残り十ヶ月――。
*補足*
本シリーズにおいて出てくる「~卿」は騎士位を持つ人への称号という設定です。従騎士叙任と共に授与されます。大体は名前だけの名誉准貴族位という特殊な扱いですが、皇族や名門の高位貴族の場合はこの年齢から徐々に領地の執政を任されることもあり、治める領地名が入ります。つまり「ライシュタット」「カルスルーエ」「リヒトクライス」「アルモリック」「ミルワード」「ラフィネール」「ハルトウィン」「カーラルス」等々出てきた「卿」がつくものは全て国内の地名なのです。傍系皇族及び高位貴族の、特に男子の場合は面倒なので名付けの段階で最初に治めさせる領地を決めて、忘れないように名前に入れるという場合が多いです(笑)。




