ヴィライオルド兄弟による歴史解説
別名・今後シリーズに追加されるかもしれない話のネタ帳。
リーヴェルレーヴ城には、画廊を兼ねた回廊がいくつもある。
シェランはその日、そのうちの一つである回廊に並ぶ、先祖の肖像画の数々を眺めていた。
一つ一つ、セスタン絵の具で丁寧に描かれたそれらは、しかし多くがあまりに長い年月を経たために表面に薄く塗られた仮漆が変色してしまっている。修復も行ってはいるのだが、あまりに枚数が多いのと、描かれた人物達が高貴に過ぎ、丁寧かつ繊細な作業を求められるため、ここの肖像画が全て揃って展示されることは稀であった。
熱心に壁に掛けられた絵画を見上げていた少女に、声をかける者があった。
「どうされました、姫」
「ルヴァ? ソールも」
振り返った先には、まばゆいばかりに輝く金髪の兄弟が立っていた。対照的なのはその表情で、兄の方は面白そうに翡翠の瞳を細め、弟の方は翠緑玉の双眸に純粋な疑問符を浮かべている。
「随分と熱心に見入っておられたご様子。何か気になることでも?」
「歴史の授業が始まったの。それで、まあ一応ご先祖様なんだし、顔と名前くらい一致させられるかなぁと思って」
シェランは至って真面目に言ったつもりだったのだが、金髪の兄弟は揃って一瞬、呆けたような顔をした。次いで、その秀麗な美貌にじわじわと苦笑が滲む。
「それは……また、勉強熱心でいらっしゃる」
「名前と功績が一致していればそう困ることはないぞ? どうせ同じような顔なのだし……」
彼らも顔と名前は一致していないらしい。実際、似たような顔が並んでいるから仕方がないかもしれない。描かれた人物は全て黒髪、端麗な顔立ちもよく似通っていて、はっきり違うと言えるのは着ている服と、しばしば宝石に喩えられる瞳の色くらいだ。
それでも唸る皇女に、ヴィライオルドの兄弟は苦笑を深くした。
「姫。良ければ、聖女に近い方だけでも解説しましょうか」
「いいの?」
「もちろん。勉強熱心な我が君をお助けするのも、臣下の勤めです」
「お仕事は?」
申し出たイルヴァースは食えない笑みを浮かべた。――皇女への教授を理由に、無断欠勤・事後報告する気満々の顔だが、このときのシェランは、まだそこまで彼の表情を読むことに長けていなかった。
「大丈夫ですよ。な、ソール」
「え? 僕は問題ありませんが、兄上は確か午後から第二中隊との――」
「姫、どこから解説しましょうか」
後でサリアネス侯爵にきちんと報告しよう、と思ったソルディースは、貴族一同から、ヴィーフィルド皇族の中では数少ない『常識派(=話せばわかってくれるかもしれない人)』の括りに入れられていることを知らない。
本当にいいのかと首を捻ったシェランだが、ここまで言ってくれているのだし、と思い直して「最初からお願い」と頼んだ。
では、と最初に三人が立ったのは、回廊の一番左端である。
そこには最も古い肖像画が飾られていた。修復に修復を重ね、保存のための特殊な神術まで施されているのがここの肖像画の特徴だが、これはとりわけてもその術式自体が古い。
描かれているのは男性だ。黒い髪に黄金の瞳、皇祖ファルダスと見紛うほどよく似た顔立ちである。
「言うまでもないかもしれませんが、これがエクシリオン陛下――実質、我が国が『国』を名乗ったのはこの方の御代からです。エクシリオン陛下から数えて七代目、つまり八代皇王までを纏めて、建国七代と呼んでいます……皇祖はあの通りの性格ですから」
シェランはその言葉に妙に納得してしまった。確かにあの皇祖が、積極的に国づくりなんかするとは思えない。……と、あれっとシェランは気付いた。
「皇祖と聖ユーシェンの肖像画はないの?」
「あのお二方のときは、それどころではなかったようですよ」
「皇祖はそもそも純粋な神だから、直接こうして姿を残すのは推奨されない。だから神殿でも像なんかは顔がぼかしてあるだろう? 聖ユーシェンは……そんな暇はなかったんだろうな」
初代皇妃たる聖ユーシェンは夭逝していることもあり、シェランも妙に納得した。大変な時代だったのだろう。迫る外敵、増える難民、仕事しなさげな夫――夭逝の原因はきっと過労死に違いない。
「三代フィルネシア、四代オルディシス、五代エイローズ……」
『建国七代』から数えながら移動し、二代聖女エディリーンまで来るのに半刻ほどかかった。
「はい、この女性が二代聖女聖エディリーンの姉君です」
「確か、リーンエルゼ?」
「ええ。妹のエディリーン、弟のユシュレイシスを溺愛していたことで有名です」
「涙もろい人物だったとも伝えられている。この時代になると『皇国年鑑』も書式が整ってきて、読みやすくなっているぞ」
「涙もろかったんだ……」
今の一族からはちょっと想像できず、シェランは思わず肖像画の中で微笑む女性を凝視した。しかしソルディースの次の解説で少しだけ考えを変える。
「エディリーンとユシュレイシスが少し変わっていたから、そのせいで悩んでいたという説もあるが」
「変わってた?」
「エディリーンは金儲けに熱心で、ユシュレイシスはよく修行の旅と称して城から抜け出していたらしい。別に当時が財政難だったわけではないから、エディリーンもユシュレイシスも完全に趣味だろうな」
「……」
苦労したのだろう、彼女も。泣きたくなっても仕方ない。
歩き出した兄弟を追いかけ、シェランは遠い先祖に心の中で手を合わせた。
次に兄弟の足が止まったのは、三代聖女ミリディアナには遠い手前の画の前だった。
「どうしたの?」
「いえ、聖ミリディアナに行く前に少し。姫は、この皇紀二千年紀の間、我が一族が近親婚――兄弟姉妹で結婚を繰り返していたことはご存知ですか?」
シェランはぎょっとした。何だそれは。
思い切り首を振ると、苦笑が返ってきた。
「そのきっかけとなったのが、このディルアード――彼が血の近い従妹を皇妃としたことから、近親婚が加速したんです。聖エディリーンがアルセリア女皇とその従弟グランディールの間に生まれたことを根拠にして、皇族の血が濃くなれば濃くなるほど聖女が生まれやすくなると、そう彼は考え、記述を残したそうです」
彼にしてみれば壮大な実験のつもりだったのでしょう、とイルヴァースは続けた。その段階ではあくまで仮説だったらしいが、とソルディースが後を継ぐ。
「孫のクリスタルスが自分の娘を自分の弟と結婚させたことも加速の原因だな。その娘が女皇シュテファニアだ。更に運の悪いことにシュテファニアは皇子と皇女を産んですぐに早世した。この皇子が妹皇女に恋慕して、妹を自分の皇妃に据えた」
「シュテファニア女皇と前後して彼女の皇公コルネリウスも亡くなっています。両親による抑えが無くなったからこその行動でしょうね」
「その後は兄妹や姉弟での結婚が急増している。少なくとも直系では当たり前になった。これが三百年も続けば子孫も減る」
これは兄と妹、こっちは姉と弟、そっちは両親がどちらも兄弟である従兄妹、と続けられ、シェランは眩暈がしそうになった。この時代あたりから皇王とその伴侶が共に描かれるようになっているのも眩暈を増幅させる原因だったかもしれない。
げっそりとなりかけたシェランは、不意に前を行く二人が立ち止まったのを見て、慌てて足を止めた。
「――そして、誰もいなくなった。唯一残ったのが直系皇女、ミルレーユです。だが彼女は即位しなかった」
絵の中の皇王の椅子に座るのは黒髪に琥珀色の瞳の美女ではなく、暗い茶色の髪と明るい青の瞳を持つ、いかにも武人然とした男だった。
「九十九代のジェラルドだ。彼は直系どころか皇族の血は一滴たりとも引いていなかった。皇妃で直系のミルレーユと一緒に描かれなければ、彼の肖像画は飾られていなかっただろう」
「ま、彼とミルレーユ皇女の結婚で三代聖女が生まれたからこそ、近親婚が激減して、今日では従兄妹・従姉弟間での結婚も忌避されるようになったので、良いきっかけではあったでしょう」
ようやく頭の中が捩れそうな家系図(しかも口頭)から解放されたシェランは、素朴な疑問を発した。
「どうしてミルレーユは即位しなかったの? 国内からの反発はなかったの?」
「もちろんありましたとも。大反発ですよ。数少ない賛成派がサリアネス家、セライノール家……今のセライネとオルソールに、後はファヴァイナ家だったかな。ですが全てミルレーユが黙らせて、ジェラルドを即位させたんです。彼にしてみれば迷惑以外の何物でもなかったでしょうが」
「彼女が即位しなかったのは、単純に子供を増やすためだ。妊娠はともかく、出産と教育を執務と両立させるのは難しい。他に皇族を扶育できる者は限られていたし、ましてや当時は戦乱の時代だ。常に軍を率いることができる者が必要だが、それに臣下を任じては寵愛だの何だのとまたうるさいからな」
それがミルレーユ的に「一番丸く収まる方法」だったようだ。その甲斐あって、夫婦の間には聖ミリディアナを含め六人の子供が生まれたという。
「我が一族としては後にも先にも史上最多です。大体一人か、多くても三人ですから。夭折したらしいミリディアナを除くこの五人が、現在の直系と四つの一等公爵家に直接繋がる先祖です」
「……ちょっともう、私達ミルレーユ様に頭が上がらないね」
「下げたところで、当人はもう黄昏の門をくぐってますがね」
ははは、と妙に虚しい笑いが起こる。こほん、と咳払いして仕切り直しとばかりにイルヴァースが再び話し始めた。
「ジェラルドの跡を継いだのがミルドレッド一世。三代聖女、聖ミリディアナの双子の兄として生まれた方です。世間的には残虐皇か、殺戮皇と言った方が通りがいいでしょう」
「……はい?」
呆気に取られるシェランに、ソルディースが淡々と補足する。
「そのうち出てくると思うが、アヴァロン虜囚という事件があったんだ。我が国の史上、最も人を殺したと言われている。何しろ四十万だからな」
「よ……っ?」
「その屍でいくつもの塔ができたと記録にはあります」
「と、塔……?」
「夏場のことでしたから、すぐに死体が腐って大変だったようですよ」
夏の風のように爽やかに言ってのけるイルヴァースだが、重要なのはそこではない。だがあまりの衝撃に、シェランは言葉を探すことすら忘れていた。……怖すぎる。
しかしヴィライオルドの兄弟は、遥か昔に終わったことだとばかりにさっさと次へ行っていた。
「ちょ、ねえ、待って! さすがに四十万人は殺しすぎでしょ!?」
追い縋るシェランを振り返って待っていた二人は、揃って肩をすくめた。
「さあ、詳細が残っていませんからねぇ。何とも申し上げられませんね」
「どうせ、アヴァロンの方が我が国に無礼を働いたに決まっている」
「でも……っ」
「二千年も前に終わったことをあれこれ言っても仕方がないだろう。こちらとしても、国を滅ぼす程度の殺戮や術の行使には神々から注意が入ったり、時にはやり過ぎだと神罰が下ることもあるんだ。実際、ミルドレッド一世の御世には不作が続いて飢饉が起こっている」
「東と西と南は水害、北は旱魃に見舞われて、農作物はほぼ壊滅だったようです。原因不明の病も流行って……通常我々がそうした病に倒れることはありませんが、ミルドレッド一世は数少ない例外になりました。跡継ぎを設けた後の話ですが」
目には目を、ということなのだろう。長が暴走した場合の抑えがあるという話は初耳だったので、シェランは内心でほっとしていた。もし従兄が即位することになっていたらと考えた時、抑えられる人がいないのではと危惧していたのだ。
「ミルドレッド一世の孫にあたるのが、このウェルスタッド二世です。ジェラルド騎士団創設やらリガリスの壁再建やら、とにかく軍備の増強に力を入れていた時期ですね」
「……血生臭い時代だったのね」
少し引いた気配を醸し出すシェランに、イルヴァースが肖像画を見上げて明るい話題を探す。
「……暗い話になってしまいましたね。ええと、誰か面白い功績を残したのは……あ、ちょうどいい。姫、この方は結構すごいですよ」
促されてシェランが立ったのは、黒髪に日長石のような瞳をした、どこか少年のような雰囲気を持つ青年の絵の前だった。
「レストレイク一世。芸術の守護者と呼ばれた方です。この方の御代に、我が国の現在に至る芸術や文化は著しい発展を遂げました。今、皇太后陛下が引きこも……いえ、余生を送っていらっしゃるルーランセ離宮は、確か元はこのレストレイク陛下がご自分の皇妃への誕生祝として周囲の風光明媚な村ごと贈る為に作った離宮ですよ」
「結局、浪費が過ぎて娘のエルリアーナ女皇に強制的に譲位させられたというか……まあ本人はむしろ喜んでいたらしいが」
「とはいえ、彼が芸術に熱心だったからこそ今日の交通網があると言っても過言ではありません。大陸大街道は彼の号令によって建造されました。ご存知の通り、流通に与えた影響は計り知れません。他にも逸話には事欠かないので、調べてみると面白いですよ」
シェランは頷いた。少し話を聞いただけでもだいぶ面白そうな人だ。芸術の振興が推進されたということは、比較的平和な時代だったのだろう。
その流れの中で生まれたのが、四代聖女アルスリーアだったらしい。
「女皇ジェラルディンが若くして後継者無く亡くなったために、妹君のエルディシアが即位、その後生まれたのがクラウディーネ、アルスリーアの姉妹です」
「聖アルスリーアに関しては、聖女の中でも特に記述が少ない。直近の聖女だからもっと残っているかと思っていたんだが……散逸している可能性もあるから、今探させているところだ」
「ふうん……」
それからまた少し時代を下って、物騒な解説が入る。
「これがカストルード……首刈り王と呼ばれた皇王だ」
「首刈り……」
「好んで魔力保持者を殺した方ですので。ちなみに息子のアルフォンスは流血王です」
親子揃ってとんでもない渾名である。確かに肖像画の中の格好も甲冑を身につけ剣を掲げた、雄々しい姿ではある。しかしシェランはここで、はた、と思い出した。
「カストルードって、確か、お父様の……」
「ああ、皇太子殿下は先祖の皇王の御名はカストルード陛下から頂いていたな」
シェランの父皇太子の正式名はファナルシーズ=アリオス・レイ・カストルード・エディスだ。意外と物騒な由来の名前である。
そしてようやく、最後まで来た。もう日がだいぶ傾いている。
「存命中の皇王はここへは飾らない仕来たりなんです。ですから最後のこれは、先代のアライオース陛下です。姫の曽祖父君にあたります」
シェランは頷いた。この人の絵は後宮にもある。
「ルヴァとソールの曾お祖父様……先代のヴィライオルド公爵とは、兄弟だったのよね」
「ええ。先々代フランチェスカ様の第二皇子、カルスイールと言います」
「降嫁ならぬ降婿というやつだな。ヴィライオルドに婿入りしたから」
降嫁ならばよく聞くが、降婿という単語はヴィーフィルド特有のものらしい。他国では大体臣籍降下と呼ぶというが、また細かい制度上の違いもあるのだとか。
一日の業務の終わりを知らせる鐘が鳴る。
「もうこんな時間かー……二人とも、今日はありがとう。忙しいのに」
「いいえ。我が君のお役に立てるのなら、何ほどのことでもございません」
「シェランこそ、もうすぐ列聖式だろう? 体調によく気をつけておくんだぞ」
今日はもう帰るという二人を見送ったのだが、そうだ、とイルヴァースが最後に振り返った。
「姫。そういえば時々、夜になると先程の先祖の幽霊がたまに徘徊していますが……お会いになったことはありますか?」
え、と目を瞬かせたシェランに、ソルディースが追い討ちをかける。
「会ったら、ちゃんと挨拶するんだぞ。一応先祖だからな」
「皇城は特に徘徊する人数が多いですからね。とはいってもまだ私も二十人程度しかご挨拶できていませんが」
「よく出てくる方は決まっているから、そこは皇妃陛下あたりに聞くといい。……ああ、もうここで。また明日」
「御前失礼致します、姫」
「………………」
彼等にしてみれば、全くの善意での忠告だったのだろう。だが、幽霊の存在自体、寝耳に水だったシェランには、少々刺激が強過ぎた。
それからしばらく、涙目で添い寝をねだる皇女に、皇女宮の女官達はこぞって首を傾げることとなる。




