こんにちは、頭の中の映画館
自分の頭の中の映画館に気づいたのは、日付が変わろうとする頃だった。
長時間の検証に疲れを感じ、ぬるめのシャワーを浴びてベッドに入ったのだが、脳が興奮していたのか、まったく眠気を感じなかった。
そう言えば、飛行機の中で寝付けなかったことが、アイマスクに繋がった。あの日、座席に座ると同時に爆睡していたら、タクシー運転手との出会いはなかったのかもしれないな。
そんなことをベッドの上で考えていた時、Pの見解を思い出した。
「お前の言うとおりだとしたら、そのモニターを発明した人間は絶対にノーベル賞を貰う。その功績は、青色発光ダイオードどころの騒ぎじゃない。その会社の株を今のうちに買っておけば、誰でも億万長者になれるかもしれないというレベルの話だぞ」
確かにそうだ。
目を閉じた状態で影像が見えるということは、視覚に障害のある人でも映像が認識できるということ。この商品開発に関わった人間は、間違いなくノーベル賞を貰う。
そこで疑問が湧いた。
僕は新しいものが大好きだ。新商品の情報源は、もっぱらインターネット。映像機器はもちろん、趣味とはまったく関係のない農薬や毛生え薬までチェックする。
しかし、この手の映像機器に関する情報を目にしたことは一度もなかった。テレビや新聞でも見たことがない。
どうしてだろう? 実際に、こうしてアイマスク型映像機器があると言うのに。
ふと、思った。
あの映像は夢なんかじゃなかった。視神経にダイレクトに作用したのか、網膜に映ったのかは、わからない。でも、確かに見えた。
ストーリーをはっきり覚えているのが、その証拠。
やっぱり、これは市場に出す前のプロトタイプ。それが何かの手違いで、僕のところへやってきた。
いずれにしても、どこかにスイッチがある。映像が現れたのは、何かの動作のとき、偶然スイッチに触れたからだ。
アイマスクを受け取ってからの、僕の動作を忠実に再現すれば、スイッチがどこにあるのかわかるはず。
あの時は目を閉じていた。しかし、両手がどうだったかは覚えていない。
だが、はっきりしていることがある。
あの時、眠りにつくために腹式呼吸をやっていた。
そうだ、そうだ、人影のようなものが現れたのは、腹式呼吸の途中だった。
腹式呼吸なら、ここでもできる。あの辺りから再現すれば、手の動きを思い出すかもしれない。
何の期待もしていなかった。しかし、七回目の腹式呼吸を終えた直後に、突然目の前に、影像が現れた。
だが、感激も、驚きもなかった。極めて冷静だった。
自分の予想が当たった。
そう思っただけだった。だって、現れた映像は飛行機の中で見たものと、まったく同じものだったからだ。
思ったとおりだ。アイマスクの中に、ソフトも再生装置も組み込まれていた。やっぱり、どこかが接触不良を起こしていたんだ。一番怪しいのは、この辺りかな。
僕の鼓動が一気に跳ね上がったのは、目を閉じたまま、ゴム紐とマスクの縫い付け部分を指先で押した時だった。
「そんなバカな」
小さく叫んで、目を開けた僕は、唖然となった。
付けたと思っていた客室乗務員から貰ったアイマスクは、三メートルほど離れたテレビ台の横にあった。
信じられないことだが、僕の体のどこかに映像システムが組み込まれているらしい。
ひとつきほど検証をつづけた結果、いくつかのことが分かった。
まず、目を閉じる。
そしてその状態で腹式呼吸を七回繰り返すと、スイッチが入り、映像が流れる。だが、目を開けると同時に、映像は消える。
映像は姿勢を選ばない。寝転んでも、逆立ちしても、ジャンプしても、びくともしない。
何時間見ていても疲れを感じないところをみると、消費エネルギーは、ずいぶん低いようだ。
屋外でも試してみた。ショッピングモールの屋上、公園のベンチ、電車の座席、その他諸々。いかなる環境においても完璧だった。
映像も音も、本物と変わらなかった。
雲に乗った老人が現れる場面でも、CG加工の痕跡を見つけることはできなかった。
あまりにもリアル過ぎて、真夜中の大火事の場面になると、僕はいつも体をのけぞらせ、弾け飛ぶ火の粉から逃れる動作をしなければならなかった。
困ったのは、主人公の妻が、亡き夫に語りかける場面だ。
そのシーンになると、決まって僕の鼓動は速くなった。その女優が、僕に向かって語りかけているように見えたからだ。
もちろん彼女が見ていたのは、撮影時のカメラのレンズ。
でも目が合うたびに、彼女から僕の姿が見えているのではないかという錯覚をおぼえ、僕の心は激しく乱れるのだった。
上映時間は一時間七分。
自分の頭の中にある映画館を「腹式七回シネマ館」と呼ぶことにした。
垢抜けない名前だが、それ以外に思いつかなかった。
実に良くできたシステムだったが、不満もあった。
上映作品の内容が、僕が小学三年生の時書いた作文とそっくりだったこと。それがエンドレスで流れること。
そんなものを、飽きもせずに見つづけられたのには理由がある。
それは何気ない場面の中に(主人公の妻がつくる味噌汁の具や、窓越しに見える庭の景色など)時間経過や、季節の移り変わりを表すものが隠れていたからだ。
そんなカットを発見するたびに、一人興奮していた僕だったが、ある日を境に映画を見なくなった。
なぜ小学生時代に書いた作文と同じストーリーが、映像として見えるのだろう。
そんな疑問を抱いたことがきっかけだった。
その答えは、即座に出てきた。
怨念。
小学三年の僕が、はさみで切り刻んだ原稿用紙の怨念。
それでなければ、あの時のつまずきを引きずったままの僕がどこかに隠れていて、そいつが、僕の脳を操作しているのだ。
その考えは、Pの指摘(お前の頭の中には、お前の知らないお前が何人もいる)と重なっていた。
だったら、もう二度と見ない。その場で決めた。
腹式七回シネマ館を閉鎖するのは簡単だった。
腹式呼吸を七回繰り返さなければいいだけの話なのだから。
しかし、そのようなシステムが、自分の身体の中にあるのだと思うと、鬱陶しくて仕方がなかった。
映像システムを壊す。映像システムを体外に排出する。
その方法を自分なりに考えてみたが、良いアイデアは浮かんで来なかった。
こういった状態に陥った時、僕はネットで調べるようにしていた。
「映像消去」「封印」「抹消」「除去」「抹殺」「除外」「削除」「排出」「虫下し」
そんな言葉を、片っ端から入力してみたが、これといったものは、何ひとつ見つからなかった。
もしかすると、僕の中に住む何者かが邪魔をしているのかもしれない。
そんなネガティブな考えに陥りそうになった僕の脳裏に、なぜか、幼い頃母から聞いた話が浮かんできた。




