第一章 奇跡のお茶
朝露に濡れたミントの葉を一枚、ミーシャは指先でそっと摘み取った。
「今日は少し、風が強いわね」
誰かに話しかけるようにミーシャは言った。もちろん誰の返事も聴こえてこない。
茶葉畑の茶葉の裏側にたまった雫が朝日できらめいている。それはまるでミーシャの声にこたえてくれているようだ。
ここは、王国南部に位置する小さな農村、カトラ村。村の外れにある聖ミカレット教会は、孤児院を併設している。
身寄りのない子供達を引き取り、育て、読み書きや計算を教える。その理念は立派であるが、現実にはいつもお金が足りていない。貴族からの寄付金は年々減っていた。
けれど、教会の屋根の修繕費は待ってくれないし、冬を越すための薪も必要だ。子供たちも大きくなっていく。食料はもちろん、靴も服も買うにはお金が必要だ。
そこで、シスター・モリーカが始めたのが、教会の裏庭を利用したハーブ栽培だった。
カモミール、ミント、レモンバーム、ラベンダーなどが主に植えられている。
収穫したハーブは小袋に詰められ、町の市場で販売される。
決して大きな収入ではないが、それでも孤児院にとっては貴重な財源だ。
そして、ここの孤児院で育てられたミーシャはそのハーブ園を任されている。
現在、十五歳。
両親の顔も覚えておらず、物心ついたときにはすでに教会で暮らしていた。
自分の両親が誰かも、生まれた場所がどこかも知らない。
けれど、ミーシャは自分の境遇を不幸だと思ったことがない。
暖かい食事が頂けて、寝る場所があり、ミーシャのことを心から心配してくれる人達がいる。
弟や妹のように自分を慕ってくれる子供たちもいて、毎朝自分が水をやるのを待っている茶畑がある。
それで、十分幸せなのだ。
「ミーシャ、お茶をお願いできるかしら」
教会の裏口から顔を出したシスター・モリーカが言った。
「はい。今日はどんなお茶を淹れましょうか?」
「昨日から腰が痛いの。いつもの、あなたがいれてくれるお茶が飲みたいわ」
「わかりました。昨日の葉が残っているので、それに今摘んできたミントを少し足しますね」
ミーシャは摘み取った葉を籠に入れ、台所へ向かった。
薬草の扱いは、はじめモリーカから教わった。
それがいつに間にか、ミーシャの方が上手にハーブティーを淹れるようになっていた。
乾燥させる時間。葉を砕く強さ。お湯の温度。蒸らす時間。
同じ茶葉でも、ほんの少し条件を変えるだけで、香りも味も違ってくる。
ミーシャは何度も試行錯誤しながら、美味しいお茶を淹れることができるようになっていった。
疲れた人には、気持ちがほぐれるような香りを。眠れない人には、心が少しでも静まるように。食欲のない人には、少しだけ酸味を加えて。
相手の顔を思い浮かべながら、そのひとの体調が少しでもよくなるにはどうしたらいいか考えながらお茶を淹れる時間がミーシャは大好きだ。
だから、最初に奇妙な噂が立ったときも、彼女にはよくわからなかった。
シスター・モリーカの腰痛が軽くなった。夜中に何度も目を覚ましていた神父が、朝まで眠れるようになった。
食欲がなく、食事を残していた子供が、おかわりをするようになった。それぞれが、ミーシャのお茶を飲んで起きたといわれた。
「ねえ、ミーシャお姉ちゃんのお茶って、魔法がかかってるの?」
ある日、七歳になるニナが尋ねた。
「そんなのかかってないわよ」
「でも、ぼくのおなか、いたいのなくなったよ」
「それはよかったわね。でも、痛いときは神父さまにも言うのよ。お茶だけで治そうとしちゃ駄目だからね」
「はーい」
ニナは元気よく返事をすると、クッキーを口いっぱいに頬張った。
その様子を見て、ミーシャは笑った。
私が淹れた茶で少しでも気持ちが楽になったのなら、それはありがたいことね。
その程度のことだと思っていた。
けれど、まわりはそう考えなかった。
最初に噂を広めたのは、町の薬屋だった。
長年、胃の不調に悩んでいた老商人が、教会のハーブティーを飲み始めてから食事を楽しめるようになった。
その商人が知人に勧め、知人がまた別の人に勧めた。
やがて、こんな話が広まった。
――教会に、不思議なお茶を作る少女がいる。
――そのお茶を飲むと、体の不調が軽くなる。
――神の祝福を受けた少女に違いない。
――聖女ではないか。
ミーシャが聖女の噂を知ったのは、町の市場から戻ってきたモリーカが、興奮した様子で駆け寄ってきた日のことだった。
「ミーシャ! 大変よ!」
「どうしたんですか? ハーブが売れなかったんですか?」
「逆よ! 市場に並べた瞬間、すぐに売り切れてしまったの!」
モリーカは両手でミーシャの肩をつかんだ。
「あなたのお茶を求めて、町の人が教会に押し寄せて来るかも知れないわ!」
「……え?」
「さっき町長からも話しかけられて、領主さまが、あなたに会いたいとおっしゃっていたって!」
ミーシャはしばらく言葉が出てこなかった。
それから、やっと尋ねた。
「……明日からどうしましょう?」
その日から、ミーシャの平穏な生活が少しずつ崩れ始めた。




