プロローグ:禁断の果実は、最高の「おやつ」だった
気軽に読んでいただけると幸いです。
それは、神話が日常の影に隠れ、ただの「頑固な農民の村」として忘れ去られた辺境な地での出来事。
「おーい!アルト!どこへ行ったんだー!」
大人たちの呼ぶ声が遠くに聞こえる。
五歳のアルトは、村の裏手に広がる「入ってはいけない」と言い伝えられている深い森の中で、完全に迷子になっていた。
前世の記憶――。
コンクリートに囲まれ、数字と時間に追われ、土に触れることすら贅沢だった「社畜」としての苦い記憶が、なぜか彼にはあった。だからこそ、今世で授かった瑞々しい自然と、温かな土の匂いが大好きだった。
だが、さすがに腹が減った。
「くしゅん……お腹すいたなぁ。何か食べられるもの、ないかな……」
泣きべそをかきながら藪をかき分け、光の差し込む方へと歩みを進める。
すると突然、視界が開けた。
そこには、天を突くほどに巨大な、一本の樹がそびえ立っていた。
樹皮は白銀に輝き、葉の一枚一枚がエメラルドのように透き通っている。根元からは清らかな泉が湧き出し、周囲の空気は、吸い込むだけで肺の汚れがすべて洗い流されるような、不思議な香りに満ちていた。
後世の歴史家や聖職者たちが、一生をかけて探し求める伝説の聖域――世界樹イグドラシル。
しかし、五歳の子供にとって、それはただの「大きくて奇麗な、実のなっている木」に過ぎなかった。
「わぁ……おいしそう」
見上げれば、手の届く位置に黄金色の果実がたわわに実っている。
アルトは吸い寄せられるように手を伸ばし、その実をもぎ取った。
本来なら、一国の軍隊を維持できるほどの魔力が凝縮された、神々の糧。
それをアルトは、泥のついた手でゴシゴシと拭くと、勢いよくかじりついた。
シャクッ!と小気味よい音が響く。
「……あまーい!!」
口いっぱいに広がるのは、この世のものとは思えない芳醇な甘みと、全身を駆け抜ける心地よい熱。
アルトの体内で、眠っていた神聖属性の回路が爆発的に開き、世界樹のオーラがその血肉へと溶け込んでいく。
骨は頑強に、筋肉はしなやかに、精神は神聖な光に満たされていく。
だが、当の本人は――。
「ふぅ、ごちそうさま。なんだか元気が出てきたぞ!」
お腹がいっぱいになり、ぽかぽかとした陽気に誘われ、アルトは世界樹の根元でそのまま昼寝を始めた。
世界を支える大樹が、まるで愛しい孫を見守るかのように、その枝を優しく揺らして風を送る。
これが、後に「歩く聖域」と呼ばれることになる青年、アルト・ランドウォーカーの第一歩。
彼が望んでいるのは、ただ一つ。
「いつか自分だけの畑を作って、のんびり野菜を育てること」
しかし、神々の樹の実を「おやつ」にしてしまった彼に、運命がスローライフを許すはずもなかったのである。




