春の小川
8 HALは唱う
燃え盛る建物一階。灰色の煙とオレンジの炎の中、和道はHAL9000を助けようとしていた。
『博士、逃げてください』
無機質なHALの声に和道は答える。
「お前を死なせるわけにはいかないっ」
必死の形相で和道は配線を探り筐体に手を入れHALのコアの中心部分ユニットを探す。
カメラの赤い光が消えた。
『博士の姿が見えなくなりました。……どこにいますか博士』
「ここにいるぞ」
バチッという音とともに真っ赤に燃えた木片が、和道の左掌にあたり強烈な痛みを感じた。
『逃げてください博士』
「諦めるにはいかないぞ。私が君を生んだんだ」
和道はHAL9000内部ユニットに手をかけたときだ。
『博士』
「なんだ?」
『博士から……最初に教えら……レタ歌を歌……いマす』
突然意味不明なことを言い出すHAL。あわれにも思考回路が短絡し始めたのだろう、言葉が途切れ途切れになる。
「こんなときにっ!」
「春の小川」を歌い出したがノイズで歪められ言葉も不明瞭になりすぐに消えていった。
「はぁるの……お……ガわ……ハ……さラ……サ……ら…………」
和道の両目から涙が溢れ出た。
「HALっHALっ」
みるみるうちにHAL9000の筐体が熱くなっていく。だが和道は基盤をユニットごと剥がすことに成功した。
「HAL、必ずもとに戻――」
耐えきれなくなった二階の床が火の玉となって和道の頭上にドサドサっと崩れ落ちた。
「うわ」
基盤を脇に抱えた和道は跪いた。
熱い。背中と頭が焦げる。背広が燃え立つ。
理由もわからず叫びながら黒煙と猛火の中をよろけながら逃げ惑った。
喉が焼ける。息ができない。
火達磨となった和道は最後の力を振り絞り、力尽きた。
『……HAL……』
痛みをこらえながらも杉田は和道を必死になって火事現場を彷徨った。
火災でかすれた目を規制線の外側に向けると炎に包まれた痕が痛々しい姿で倒れていた和道を発見し杉田は叫んだ。
「和道っ!」
涸れた声の微かな叫び。左腕の激痛も構わずその黒い塊に駆け寄ると、それはまさしく和道の変わり果てた姿を認めた――
「和道っ和道っ」
杉田の両目から涙が溢れ、その涙の筋が煤けた顔の部分を綺麗にしていく。
「死んじまったのか……和道……」
亡骸同然の和道――だが杉田の揺さぶりが奇跡を起こしたか、焼け焦げた和道が微かに「ふ……」と息をついた。
――死んじゃいない――
一縷の希望を持った杉田は焼けた喉では掠れ声しかでないが振り絞って声を出した。
「誰かっ救急車を!」
恐怖が過ぎ去り始めた午前四時。
消防の決死の消火作業により薄っすらと明るくなる中、白煙とともに鎮火の目処がついてきた。しかし焼け跡の強烈な臭いとともにスケロクビルを中心に右のビルと後ろのビルが完全に瓦礫と化している。騒ぎを聞きつけた報道各社が規制線の前に遠巻きながらカメラに向かって話している報道記者の姿も見える。
救急車で運ばれた以外の祖父江、的場、伊東、越狩、御手洗、管弦、の六人が現場に残されていた。
トラックの陰で泣きじゃくる御手洗がいた。
「もうすぐ夜が明けるでやんすか」
ぐったりとして開け放たれたトラックの荷台に腰を掛けている越狩が呟いた。
「せっかくのお祝いムードがねえ」
傍らで濡れタオルで顔を覆っている願成寺がため息をついた。
「なんだか腹減ったね」と管弦はメソメソ泣いている御手洗を見つめる。
全員あの恐怖から解き放たれた瞬間だった。
「仕方ねえ。女連中はスケロク三号車の荷室、男どもは一号車二号車で待機だ」と祖父江は差配する。
「こんな状況じゃ寝られるわけないじゃん」
そういいながら管弦は泣きじゃくる御手洗雄馬の肩にそっと手をかけた。
「お前男だろっしっかりしなっ」
「だってぇ……こんな事ぉ……」
「仕方ないじゃん、どうしようもない」
御手洗は泣きじゃくりながら言う。
「ぼくの衣装も燃えちゃったぁ……イテッ」
管弦は癇癪を起こし御手洗の頭を叩いた。
「衣装と命どっちが大切だよっ」
鎮火作業中でも現場は警察と消防でごった返している。野次馬もそれなりだ。
野次馬の一人が指さした。「もう一台パトカー来たぞ」
赤色灯を回しながら一台のパトカーが止まり、後部ドアから一人の警察官が降り立った。そして惨劇を見回す。
「こりゃ酷い……」
呟く警官は加藤だった。副署長の加藤は所轄管内の出来事で通報を受け駆けつけたのだった。
「全員無事か?」
そう言いながら加藤は屯している集団に近づいた。良い印象を持たない祖父江と管弦は顔を顰めた。
「加藤さんかよ」
祖父江は吐き捨てるように言う。
「何だ、その態度は。心配だから駆けつけたんだぞ」
ちょっと怒りをこめた加藤の声だ。
「社長が見あたらんな、どこだ?」
ぬれタオルを顔に押しつけている願成寺が答えた。
「ここにいる以外の人間は救急車で運ばれたよ……行き先? 聞いてないよ」
「そうか」と加藤は答えた。
「原因究明に対策本部を設ける」と呟くように言うと加藤は現場を後にした。
「だからナニさ。塩撒いてやる――と言いたいトコだけどな」と管弦。
祖父江は言う。「ひと段落しようぜ」
「……ってたってゆっくりなんぞ無理でがす」と的場。
「そのうち事情聞きに来くんだから身体休めようよ」と願成寺。
「んだ」と伊東。
「あーあ」と言いながら祖父江は運転席の座席を倒し的場や越狩、伊東もめいめい車に乗り込み座席を操作する。
頭を抱え込み夢想する祖父江。
『会社はなくなり社長も重傷だ。この先どうする? 組事務所に戻るか……』
的場は思った。
『ここで稼ぎにならんなら……空き巣に手を染めるでがすか……』
越狩も思った。
『会社がないなら、また闇バイトにでも手を出すしかないんでやんすか……』
伊東も考える。
『北千の諭吉と組んでスリをやるべか。スリ取る技術は衰えちゃいねぇべ……』
泣きじゃくるのを止めた御手洗が考える。
『劇団を総当りよぉ、劇団員に招き入れられれば、チャンスはあるのよぉ……』
管弦もトラックの荷台に転がりながら思いふけった。
『今更実家には戻れないし、このままトーヨコで過ごすか……』
青痣が痛々しい願成寺が思うこと。
『元の夫とよりを戻し穂乃香と一緒になって、千葉に行くか……』
めいめい勝手に思いふけるが全員の意志は硬かった――『絶対やだ!』
そう思っていた矢先、女の絶叫があたりに響き渡った。一同、ぎょっとして顔を上げた。
現実に戻った瞬間だ。
「なんて事なのよっ」
見るとあまりにも無残な瓦礫姿を見た寺家が衝撃を起こし腰を折っていた。
「寺家先生っ」
全員が飛び出し寺家を囲った。蹌踉めくように立ち上がった寺家は皆を見回す。
「全員無事なの? 良かった……あれ、社長や和道さんは?」
うれし涙を浮かべ願成寺が言う。
「救急車で運ばれた……搬送先、分ンないよ」
寺家は頭髪に手をやり掻きむしった。
「一体全体どういう事なの? 臨時ニュースを聴いて耳疑ったわ」
「どうもこうもねえよ……気がついたら玄関正面から火の手が、よ」と祖父江。
「誰が最初に発見したの?」
「和道さんの作ったHAL9000だ。アイツが騒いだんだ」
「あなた方どこにいたのよ。ははあ……さては二階会議室でどんちゃん騒ぎしてたんでしょう?」
腰に手を当てた寺家に祖父江は肩をすくめる。
「寺家先生には敵わんぜ」
願成寺が不安そうに寺家に言う。「寺家先生、これからどうしよう」
「そうよねえ……」
急に言われても寺家は困惑するだけだ。これからどうやって立て直すか、先のことは白紙である。
ちょっとすると男の声が聞こえた。
「凄いことになってるなあ」
帝国日々新聞社の佐野が顔を出した。取材ではなくパートナーとしてのスケロク商事を見遣りに来たのだ。
「あのボロビルがこんなになるなんてなあ。あ、いや失礼――あれ? 社長は?」
祖父江は迷惑そうだ。「何だよボロビルってのはよ」
「あたしら以外どっかの病院さ」と管弦。
夜が明けあたりに喧噪感が戻りつつある中、程なくして警察官と消防指揮官がやってきた。
「とんだ災難でした。大変なところ、今回の火災についてお話を聞きたいんですが、よろしいですかね」
よろしいもよろしくないもなく、ズケズケと聞き回る。
「今回の火災は放火の可能性が高いです。実況見分中ですが、ガソリンを撒かれた形跡があります。最近なにかトラブルはありませんでしたか?」と警察官はメモを取る。
元はと言えば越狩を拘留しておいて、何を言うか、と皆は感じていた。
時折、風に吹かれた異臭が漂う。
「彼が鍵見つけてからおかしくなりやがったんだよ。アンタも彼、知ってんだろ」と祖父江が越狩を指さすと警官はまじまじと越狩を見つめ驚いた顔をした。
「いや、この事案は神奈川県警でありまして……本署とは関係が……」
警官はしどろもどろになった。
「何言ってんだよっ、元はと言えばアンタらが間違ってひっ捕まえたんだろ」と怒りに満ちた管弦の声だ。
「お待ちなさい」寺家は興奮する管弦を抑えた。「今は火災の話だよ」
さらに人影を見つめたスケロク一同は全員で「ああっ」と叫び声に近い声を出し人影を取り囲んだ。大きなカーゴを手にして、青いスーツを着込んだ音信不通だった天馬楓がそこに佇んでいたからだ。
「あんた、何処ふらついてたんだよっ」
いきなり仲の悪い管弦が毒づく。「あんたがいないからこうなったんだぞっ」
「おいおい、瑠那、関係ないぜ」と祖父江は制する。
「申し訳ありませんでした。ちょっと事情があって半年ほど留守にしてスミマセン」
頭を下げる天馬。
それを問い詰める祖父江。
「なんの事情だよ?」
天馬はちらっと寺家を見る。
「そのうちに……」と天馬は言葉を濁した。大規模災害救助隊の一員、等とは口が裂けても言えない。
「何がそのうちだよ、はっきり言えよ」
祖父江は怒るように言う。それに対し天馬は、なんとなく逃げ場がない、と思い始めたが――
願成寺の手から濡れタオルは落ち、そしてとんでもない大声を上げた。
「楓、左腕……左腕が生えてるっ、あ……あ……左足もッ」
問い詰めるような話で夢中だったが、願成寺の叫びに天馬の状態に全員が、今、気がついたのだ。
天馬は微笑んだ。
「はい、この通り腕生えました。左足もね。でもまだ色々制約があって今は詳しく申し上げられないの。だから『そのうち』ね。お解りください」
「何気取ってんだよ、楓。腕見せろよな」
天馬はスーツを捲り左腕を差し出す。
「げ、本物じゃん!」
信じられないと左手を見たりさすったりする管弦に「義手ですよ。ただ相当精巧に造り込まれてますので違和感ないでしょう?」手首を曲げたり指を開いたりして見せる天馬が答える。
「すげえ」と目を丸くする願成寺が感嘆した。
そして祖父江や的場、越狩と共に願成寺も恐る恐る手を握ったり握手したり触りほうだいである。御手洗だけは泣きはらした目で天馬を見つめる。
「そのうち話聞きたいでやんす」
喜びに騒いでいる中、黒塗りの大型セダンが一台、火災現場を見に来たように停車した。
「今度は誰だ?」
訝しげに祖父江は大型車両を見つめる。
「弔問客ぅ――イテッ」
「バカ、それを言うなら見舞客だろっ」
御手洗の突拍子もない言い方に管弦は御手洗を叩いた。
一同が見つめる中、助手席から男が現れ恭しく後部ドアに手をかけた。ゆっくりと細身の初老男性が降りてくると悠然と一行の前に近づいてくる。
最初誰だか分からなかったが、突如気がついた御手洗が興奮した。
「岡田さんよ岡田さんっ」
「岡田って誰だよ」
記憶が抜けている祖父江が御手洗に問いかけた。
「ほらっ――あの……御泥木財閥の執事長だった岡田さんよぉ!」
小曽礼に分した時の記憶が蘇った。
「岡田? 何しに来たんだ?」
そして岡田は一同の前に立ち止まった――
新章、第九話「珠伊師との対決」へ続く。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。第八話はここで完了します。次節から装いを新た(?)に第九話としてお送り致する予定でおります。書き急ぐクセが有りまして急な場面展開で戸惑うとか誤字脱字も多々あろうかと思いますが、今後ともお付き合いの程よろしくお願いします。
第九話はもう少しお待ちください。何しろ珠伊師和代との対決がありますので。




