第36話:善意の猛毒、罵倒という名の処方箋
「……オエェッ」
魔王城の城下町、そのメインストリートのど真ん中で轟田猛は膝をついて嘔吐していた。
吐しゃ物は出ない。
吐き出したいのはこの街に充満する「空気」そのものだ。
「大丈夫ですか、轟田様!」
通りすがりの老婆が心配そうに駆け寄ってくる。
「お水はいかが?採れたての果物もありますよ?さあ、遠慮なさらず」
「……っ、触る、な……!」
轟田が老婆の手を振り払う。
バシッ。
乾いた音が響く。
普通の街なら「何をするんだ!」と怒号が飛び交う場面だ。
だが。
「あらあら、ごめんなさいね。私の手が冷たかったかしら?驚かせてしまって申し訳ないわ」
老婆は心からの謝罪と慈愛の眼差しを向け優しく微笑んだ。
周囲の住民たちも同様だ。
「可哀想に」「具合が悪いのね」「みんなで助けましょう」。
数百人の善意がスポットライトのように轟田に集中する。
《純度100%の善意を確認。……HP急速低下。残り15%》
《警告:自我の融解が進行中。……「善い人」になりかけています》
「く、そ……力が、入らねぇ……」
轟田の視界が霞む。
怒れない。
憎めない。
何をしても「許されて」しまう。
それは反骨精神をエネルギー源とするヒールにとって、呼吸ができない真空状態に等しい。
「チッ、見てらんねぇな!」
その時横からレオが割り込んだ。
彼は老婆たちに向かって短剣をチラつかせながら怒鳴り散らした。
「おいババア共!失せろ!このジジイは伝染病なんだよ!近づくと顔が腐り落ちるぞ!」
「ま、まあ大変!」
「早く離れましょう!」
住民たちが慌てて距離を取る。
善意の包囲網が解け轟田がぜぇぜぇと息を吸い込む。
「……助かったぜ、クソガキ」
「勘違いすんなよ。アンタにここでくたばられると、俺の『魔王城ツアー』が中止になっちまうからな。……ったく、だらしねぇ顔晒してんじゃねぇよ、老害」
《侮蔑(介護疲れの孫)を確認。……HP微回復》
「……ふぅ。生き返るぜ」
レオの棘のある言葉が轟田の細胞に活力を戻す。
一座は路地裏――この清潔すぎる街で唯一少しだけ薄暗い場所へと避難した。
「分析完了。……この街は異常です」
セレンが分厚い手帳を開き深刻な顔で告げた。
「住民の脳波データが完全にシンクロしています。個体差がありません。……まるで『幸せな夢』を見ている集団催眠状態です」
「夢……?」
アリスが不安そうに街の通りを覗く。
「でも、みんな笑ってるわよ?働いて、挨拶して、助け合って……。これこそ、理想的な平和な社会じゃない?」
「それが罠なのよ」
ミミが珍しく真面目な顔で、ネイルを噛んだ。
「ウチ、鼻が利くんだよね。……この街の人たち、笑ってるけど『臭い』の。中身が空っぽっていうか、腐った果物を甘いシロップで煮詰めたみたいな……マジ無理」
「……同感です」
マリアがモップを杖代わりに突きながら頷いた。
彼女は周囲の壁を指でなぞり、その指先を見つめる。
「塵一つ落ちていない。完璧に清掃されています。……ですが、これは『清潔』ではありません。ただの『滅菌』です」
マリアの目が冷徹な清掃員のそれに変わる。
「生活感がない。汚れがない。……人間が生きていれば、必ずゴミや汚れは出るものです。それがないということは、ここは『人間が生きている場所』ではないということです」
彼女たちの言葉に轟田はニヤリと笑った。
まだ顔色は悪いがその目には闘志が戻っている。
「……違いねぇ」
轟田は壁に背を預け路地の外――笑顔で溢れる大通りを睨みつけた。
「あいつらは笑ってるんじゃねぇ。『笑わされてる』んだ。……痛みも、怒りも、悲しみも、全部『魔王』って奴に吸い上げられて、抜け殻にされてやがる」
怒りや悲しみのない人生。
それは一見幸福に見えるかもしれない。
だが負の感情を否定することは、それを乗り越えようとする「意志」や「成長」をも否定することだ。
「気に食わねぇな。……人間を『幸せな家畜』にしやがって」
轟田が拳を握りしめる。
だがどうする?
この街で暴れれば住民たちは「可哀想に」と轟田を許し、慈愛の光で包み込んでくるだろう。
殴れば殴るほど轟田の方がダメージを受ける。
完全なる「暴力封じ」のシステム。
「詰みですね」
セレンが眼鏡を直す。
「物理攻撃は無効。精神攻撃はカウンターで即死。……魔王城への道は、この街を通過しなければ辿り着けません」
「……万事休すか」
アリスが頭を抱える。
その時。
ドォォォォォン……!
街の中央から正午を告げる鐘の音が響き渡った。
同時に街中の魔法スクリーンが一斉に起動し、一人の人物の姿を映し出した。
『愛する我が子らよ。今日も世界は美しいですね』
画面に映ったのは、透き通るような銀髪と、黄金の瞳を持つ青年。
背中には六枚の黒い翼。
その美貌は性別を超越した神々しさを放っている。
「……あいつが、魔王?」
ミミが息を飲む。
『悲しみは癒やしましょう。怒りは鎮めましょう。……全ての感情を私に預けなさい。私が全て背負いましょう』
魔王の声が街中に染み渡る。
住民たちが一斉に祈りを捧げ、その瞳から光が失われていく。
轟田は見た。
魔王の言葉と共に住民たちの体から微かな「黒い霧」――ストレスや負の感情が抜け出しスクリーンの中へ吸い込まれていくのを。
「……なるほどな」
轟田は舌なめずりをした。
仕組み(カラクリ)が見えた。
「あいつ住民の『ストレス』をエネルギー源にしてやがるのか」
「え?」アリスが振り返る。
「人間から『負の感情』を抜き取って代わりに『偽物の幸福』を与えてる。……だからここの連中は、怒ることもできねぇ『感情の去勢』状態なんだよ」
轟田は立ち上がりボキボキと首を鳴らした。
「だったら話は早ぇ。……あいつらに『抜き取られた感情』を、無理やり注入してやりゃあいい」
「注入って……どうやって?」
レオが聞く。
轟田は路地裏のゴミ箱(といっても中身は空っぽで綺麗だが)を蹴り飛ばし、ニカっと笑った。
「決まってんだろ。……『大炎上』だ」
轟田はマントを翻し笑顔で溢れるメインストリートへと歩き出した。
「おい、テメェら!俺様のサポート頼むぜ!」
「え、何すんの!?」
「死ぬ気ですか実験体!」
「これからこの街で!史上最悪の『ヒール・ショー』を開催する!」
轟田の背中からどす黒いオーラが立ち昇る。
善意の猛毒に耐えながら轟田は不敵に笑った。
「許されるのが怖い?感謝されるのが痛い?……だったらよォ!『絶対に許せねぇ悪党』になって全員の笑顔を引き攣らせてやろうじゃねぇか!」
魔王が作った「全愛の楽園」。
その中心で世界一空気を読まない男が平和の象徴を粉砕するゴングを鳴らす。
(第37話へ続く)
感情の去勢。
住民の怒りを取り戻すため、皆様の「熱い」評価で場を盛り上げてください!




