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7-1 帰還雷撃


「おかわりを所望します」


 敷布団に堂々と座しながら、五十槻(いつき)は給仕の女中へ空の茶碗を見せつけている。

 たったいま、朝餉に出された白粥の、三杯目を平らげたところだ。


「できればもっと塩気を多めでお願いしたい」


 味付けについての注文も欠かさない。おかわりを要求された女中は、あからさまな困惑を顔面に浮かべている。この患者は、一昨日重症を負ってこの屋敷に運び込まれたばかりだ。なのにこの食欲。

 ここは百雷山の麓にある、祝部(はふりべ)古田(ふるた)一比古(かずひこ)の屋敷である。

 一同が下山したのは、一昨日のこと。ひとまず五十槻や他の怪我人らの処置をするのに、この屋敷を間借りすることになったのだ。古田は香賀瀬(かがせ)少佐からのこの要請に、最初は渋々といった様子であったが、獺越(おそごえ)少尉に銃口を向けられて以降は二つ返事で快諾した。

 そんなわけで現在、古田邸にはお迎え小隊第一、第二班の全員、および八朔家関係の人々が一同に会している。

 五十槻は一番上等の客間で治療を受けていた。「よく食べるわねぇ」といったん膳を下げていく女中を見送って、五十槻はしみじみと思った。


(早く揚げ物が食べたいなあ)


      ── ── ── ── ── ──


 八朔五十槻は重傷である。

 銃創、熱傷、禍隠(まがおに)による咬傷。その他諸々の怪我が多数。

 八朔克樹が連れてきた医師の最初の見立ては、「わずかでも処置を間違えたら死ぬ」だった。そんなわけで五十槻は、百雷山から降ろされ、古田の屋敷へ到着するやいなや即治療、からの当然のように面会謝絶である。

 五十槻は下山して以降、自身の両親や、綜士郎らとまだ顔を合わせていない。特に綜士郎はつい最近まで風邪を患っていたとあって、五十槻に近づかないよう厳重に遠ざけられているらしかった。同じ屋敷に滞在してはいるようだが、気配が感じられず、寂しいなあと思う五十槻である。

 というわけで加療三日目。五十槻の怪我はというと。


「……信じられない。もうほとんど傷が塞がっている……!」


 寝間着を直す五十槻の脇で、医師は腕組みしてそう唸っている。決して感嘆の口調ではない。老齢の経験豊富そうな医師は、明らかに戸惑っている。

 五十槻の怪我は、万全の環境で看護を受けたと想定して、大体全治三ヶ月程度というのが当初の診断であった。が、現在の時点で既に、一ヶ月半ほど経過したような回復具合だ。世の中には怪我の治りの早い体質を持つ者もあるが、それにしたって五十槻のそれは異様な速度である。


「昨日の段階でもかなり治癒が進んでおられましたが……いやはや。怪我の治りが早いにも程がある。場所柄、どうやら祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の御加護があるようですな」


 冗談めかした医師の発言に、五十槻は少しだけ、真顔の口角を上げた。


「……ええ。きっとそうだと思います。祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの、恩頼(みたまのふゆ)のおかげです」


 そんなわけで、五十槻の面会謝絶は翌日には解かれるわけだが、その前に。


      ── ── ── ── ── ──


「やっほ~、きちゃった☆」

「シャラップ荒瀬! かわいく言うな気色悪い!」


 五十槻の面会謝絶中に、荒瀬大佐が古田邸を訪れたのだ。屋敷の玄関口で二人を出迎えて、香賀瀬(かがせ)庚輔(こうすけ)少佐は渋い顔だ。綜士郎も少佐の後ろで、なんとも言えない顔をしている。


「わしもおるよ☆」


 荒瀬の背後から、ひょっこりと禿げ頭が顔を出す。南桑(なぐわ)神祇研所長だ。

 このたび古田の屋敷を訪れたのは、荒瀬と南桑のふたりだけ。他の対ラ特務群関連人員は、西八洲で待機しているらしい。

 そもそも対ラ特務群は、八洲(やしま)全国の羅睺門(らごうもん)を破壊して回るための部隊だ。

 門を破壊できるのは八朔の神籠だけ。ということで、その肝心の八朔の神籠がいない以上、特務群は作戦遂行能力を失うことになる。


「まあ西八洲で暇してるのもなんだしね。もし八朔くんの救出にてこずっているようなら助勢をと思って、ぼくらも駆けつけてみたわけだ。ともかく、八朔くん含め、みな無事でよかったよ」


 それで、と荒瀬は香賀瀬の後ろにいる綜士郎へ目線を向ける。この飄々としたおじさんは、旅の疲れを見せない鷹揚さで問いかけた。


「それで藤堂くん。八朔くんの容態は?」

「怪我の程度は昨夕お送りした式札(しきふだ)の通りです。ただ、医師によると異様に傷の治りが早いそうで……本人も至って元気らしく、今朝は粥を五杯もおかわりしたそうです」

「健やか~」

「ただ大事を取って、いましばらくは面会謝絶を継続すると」


 綜士郎の報告に、荒瀬は「ふむ」と口髭をこねくりつつ答える。

 古田邸の玄関口。いまここで話をしているのは、荒瀬、南桑のほか、綜士郎と香賀瀬だけだ。家の者は下がらされている。家主の古田も、いない。


「藤堂くん。古田は?」

「ええ、ちょうどいま(きのえ)らが『聴取』を行っているところですよ」


 古田は現在、(きのえ)精一(せいいち)神事兵(しんじへい)伍長による聴取の真っ最中である。精一はこの屋敷の滞在中、あちこちから見つけてきたのだ。諸々の、汚職の証拠品を。


      ── ── ── ── ── ──


「あーらら、見つからないと思って大事に取ってたんだねぇ。えーとなになに? こいつは……すんげえ額の入金履歴~!」

「や、やめろ! お前たちに何の権限があって、こんなことを!」

「黙れ。聞かれたことにだけ答えろ」


 自身の書斎にて。祝部(はふりべ)・古田一比古は、獺越(おそごえ)少尉の強い口調に威圧されて閉口した。証拠品が所狭しと並ぶ部屋の中には、古田、万都里(まつり)美千流(みちる)、そして精一。それから。


「お持ちしましたよ伍長さん。寝室の天袋にも実は……」

「でかした綺麗なお姉さまっ! おっとこいつは……豪華贈答品の目録~!」


 楚々とした仕草で書類束を精一に手渡しているのは……この屋敷に勤める、古株の女中頭である。五十歳半ば、といった年頃だ。

 熟女好きの伍長は紙束を受け取るときに、わざと女中の手の甲を包むように肌に触れる。女中は白髪混じりの結い髪の下で、ぽっと頬を赤らめた。年嵩の女中はすっかりキツネに篭絡されている様子。

 万都里はそんなやりとりへ「公私混同かよ」と呆れの一瞥を送る。それから手元の帳面に視線を落とし、内容を(あらた)め始めた。美千流は困惑の面持ちで、大量の証拠品を床や机へ几帳面に並べている。資料は年代ごとに並べられているが、古田の汚職はどうやら、二十年以上前から続いていたらしい。

 主な贈賄の相手は──津々井(つつい)現陸軍大臣。他にも軍部や政界など、様々な高官とやりとりがあったようだ。

 祝部職は、大皇(おおきみ)の直臣で、神聖な職である。

 そして祝部の最も重要な役割に、神籠(こうご)継承条件の管理がある。

 祝部は決して、担当する神實(かむざね)に継承条件を明かしてはならない。条件の秘匿こそが、大皇による神籠支配体制の基盤だからだ。

 ゆえに祝部職に対して、贈賄や諸々の便宜を図る行為は厳重に禁じられている。神實当家との癒着を妨げ、継承条件の漏洩を防ぐためだ。そして神實華族に限らず、祝部に対し、何らかの取引を持ち掛けた者はすべて処罰の対象となる。もちろん陸軍大臣といえどもだ。

 熟女を傍らに侍らせつつ、精一が古い手紙を覗き込みながら口を開いた。


「あら古田ちゃん。津々井っちからここに『この手紙は読んだら燃やせ』って書いてあるじゃん。なのにちゃんと取っておいたんだねぇ、健気~」

「くっ……一応念のためにと思って……」

「小物~」


 というわけで、古田の小心者っぷりのおかげで証拠品は軒並み処分を免れ、ここに残っているというわけだ。つつがなく保全作業は終えられる。

 さて、贈賄に関連する品々の中には、古田が転用派の要人らと交わした書状も残されていた。古びた手紙を手に、「何よこれ……」と清澄(きよずみ)美千流(みちる)は面持ちを曇らせている。


──何かの間違いではないのか。女子が神籠を継ぐなど。


 苦情の手紙である。差出人は……香賀瀬(かがせ)修司(しゅうじ)


──私には断固として認められん。斯様な者が八朔中佐の後継であるなど。


「女子」とは、五十槻のことだろう。

 美千流は心の中がざわつくのを感じつつ、香賀瀬からの次の手紙を手に取った。憤りを隠さない筆跡が、あてつけのようにこう綴っている。


──八朔五十槻に関しては、八朔中佐の後継たるべく厳しく養育を施していく所存。


 香賀瀬の筆は、事細かに教育方針を述べる。読み書き、武道、精神修養。

 女子を男子と成すためには、食事も管理を徹底し、摂食を制限しなければならない。

 相応しい心身に育て上げるためにも、折檻も辞さぬ構えである。

 すべては──八朔の神籠として。八朔達樹の後継に育て上げるべく。


 整った眉をひそめさせて、美千流は一連の手紙を読み終えた。

 ここに綴られていることが真実ならば、美千流の想い人は、五十槻は──。


「……そういえばキサマは知らなかったな」


 浮かない声音で、横から万都里が話しかけてきた。青年は帳面を手に、美千流と同じように面持ちを曇らせつつ、続けた。


「ハッサクは……あいつは、親元から引き離されて、虐待されて育てられたんだそうだ」


 僕の本当の性別は女性です、と。

 山の上で五十槻がそう告白してから、ふたりの胸の内に、どれだけの戸惑いと懊悩が巡っただろう。

 美千流は正直なところ、騙されたと感じた。

 万都里は嬉しさを堪えきれなかった。

 けれどこの、八朔五十槻の生い立ちの断片に触れて。青年と少女はただ、沈黙するばかりである。

 五十槻の面会謝絶が解かれたのは、この次の日のこと。

 八朔少尉が最初に面会を希望したのは──彼女の両親であった。

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