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十四
「総員! 最終確認!」
八朔少尉の朗々たる語気に、お迎え小隊第一班──改め、百雷山羅睺門および禍隠殲滅専任小隊の一同は力強く頷いて見せた。石室の扉が香賀瀬少佐によって切り開かれるより、少し前のこと。
「式哨のみなさんは社殿裏の石室、及び祝部の保護、そして神籠への援護を願います!」
「はっ!」
「獺越少尉!」
五十槻の呼びかけに、年上の同期は「ああ!」と小銃に銃剣を取り付けながら応じる。
「獺越少尉は、この社殿の守護を。どうか、母と弟をよろしくお願いします」
「ハッ、お前からこんな大役を仰せつかるとはな!」
万都里はさっきまで五十槻の安否に右往左往していたくせに、いまはどことなく嬉しそうだ。欄干の向こう、西の空には鳥の禍隠が数を増やしつつある。どこかに潜んでいた個体が、姿を現したのだろう。
「任せておけ。あのクソ鳥どもは全部撃ち落としてやる。お前の母と弟には指一本触れさせん」
青年は禍隠の群れを睨みつつそう告げる。
五十槻は次に、軍服姿の令嬢へ向き直った。清澄美千流はじっとこちらを見つめて、五十槻の言葉を待っている。
「清澄さんには僕と同行していただきます。本来は勅令で禁じられておりますが、僕に対して神籠を使用し、止血の処置を継続していただきたく。人命の保護のためならば、大皇も神々も、きっとお許しくださるはずでしょう」
ただ、問題は美千流の同行方法である。令嬢は「ふふん」と勝ち誇った笑みを獺越万都里に向けた。
「先刻打ち合わせた通り、清澄さんは僕の背におぶさっていただく形で同行をお願いします」
「ふ、ふふふ! 聞いたでしょう獺越万都里! 特等席は私のものねオホホホホ!」
「くそっ、この泥棒猫が……!」
「真面目に聞いていただきたいのですが」
いまいち締まらない最終確認である。
さて、この状況を切り抜けるにあたり。五十槻が一同へ示した作戦概要は、以下の通りである。
撃破対象はまず、百雷山山頂の超特大羅睺門。ならびに周辺の禍隠だ。
禍隠召喚の機能を持つ羅睺門が、まず第一に優先破壊目標となる。こちらの破壊はもちろん、八朔の神籠である──八朔五十槻少尉が行う。
しかしかねてよりの重傷のため、八朔少尉には失血のおそれがある。ゆえに流水を制御できる、八津曲水早神の神籠である清澄准尉がこれに帯同。おんぶの体勢で八朔少尉の止血処置に専念する。
それから保護対象である八朔弓槻とその母・和緒、ならびに百雷祝部の古田。この三名を匿う百雷社殿の守護を、獺越万都里少尉が担う。
そして。この任務において、最も障壁となりうるのが──大猿の禍隠だ。
大猿はよろよろと立ち上がりつつある。左手の手首から先と、右腕の肘から下の部分は切断されている。大猿は荒い息遣いで、怒っているような唸り声をあげていた。
それを社殿の欄干から見据えているのが、甲精一伍長である。
「あの、甲伍長……やはり」
「考え直せって? ごめんだね。あの猿は俺が食い止めるってんだ」
実は上述の作戦概要は、第二案である。第一案では、大猿の対処は五十槻が行うつもりであった。それを一蹴したのが甲伍長である。伍長は八朔少尉を無駄に消耗させるべきではないと主張し、かつ、大猿への対応は自分が行うと立候補したのである。
「いつきちゃんがこんだけ命張ってるんだ。年長の俺にも格好つけさせてくれよ」
「しかし、伍長は確か、足をお怪我されて……」
五十槻の指摘通り。精一は西八洲の任務の折、右足を負傷していたはずだ。今日は松葉杖を使っていないので、ある程度は回復しているのかもしれないが。
少尉の心配を「ああそれね」と軽く受け流して、精一は長靴からずぼっと右足を抜く。
見れば精一の足に、木が巻き付いている。おそらく彼自身の神籠によるものだろう。添え木の役割を果たしているのだろうか。
「ほれ、うまいこと固定してるでしょ。ま、俺のことは心配すんな! いま一番死にそうなのは五十槻ちゃんじゃん」
「否定できません」
「どわっはっは。まあお互い生きて戻ろうや。再会の暁にゃ、またおせんべいと飴ちゃんを分けてしんぜよう!」
甲精一伍長は、単身大猿の禍隠を相手取る。藤堂綜士郎大尉到着まで足止めをはかるのだ。
危険極まりない役割に臨むにも関わらず、伍長はいつもの通りの軽さで笑った。
さて、準備は万端だ。
獺越少尉は手持ちの銃火器に弾薬を装填し。精一は右足をとんとんさせて、添え木の具合を確かめている。美千流は五十槻のすぐ後ろにいる。
五十槻はしゃがみこんで背中を差し出しつつ、「さあ、清澄さん」と美千流を促した。令嬢は少し恥じらった様子を浮かべ、それから万都里へあかんべをして見せて。五十槻の背中にそっと身を預けた。万都里が「ケッ!」と不機嫌に吐き捨てる声。
五十槻は続いて、脇に立つ甲伍長の手を取った。彼を大猿のところへ連れて行くのは、五十槻の役目である。
「……参ります」
静かに告げられる五十槻の宣言に、一同が固唾を飲む。
そして──飛電が閃いた。
紫の雷はまず、大猿の頭頂部へと向かう。
一拍遅れて雷鳴。その轟きに合わせるように、銃声も連続して響き始める。
社殿周囲の鳥の禍隠が、獺越少尉の的確な射撃により次々と落ちていく。それを尻目に、五十槻は大猿の頭上にまず降り立った。
大猿の頭頂部は毛が密生し、まるで黒い草原のような踏み心地である。着地して早々、精一が五十槻から手を離す。見れば精一は開眼している。いたって凡庸な三白眼。
甲精一がしっかりと目を見開くのは、好みの熟女に出会ったときと──覚悟を決めたときだ。
「甲伍長! 必ずや早々に加勢に参ります! それまでご無事で!」
「気遣い無用! さあ行け八朔の神籠! 清澄の嬢ちゃんも、いつきちゃんを頼んだぜ!」
「わかってるわ!」
やりとりを手短に終え。紫電が大猿から飛び立っていく。向かう先は山頂に咲く、大輪の門。紫の雷は飛翔するや否や、次の瞬間には轟音を上げ、羅睺門の中心に突き刺さった。
精一はそれをしばし見上げていたものの。
「おっと」
彼の足場が、さっそくぐらりと揺れた。大猿が動き始めたのだろう。精一が頭上をうろちょろしていることに勘付いているのか、眼下からは猿の左腕が迫りつつあった。手首から先は切断されているので、その断面でこちらを叩き潰そうとでもいうのだろう。
大猿からしてみれば、精一は虱以下の大きさだろうに。「いちいち気付きやがって、敏感肌かよしゃらくせえな」とぼやきつつ、キツネは軍服のポケットに手を突っ込んだ。
ざらり、と取り出すのは数本の木の棒である。箸のようなそれをまず一本、迫りくる猿の腕へシュッと投げつける。間近に迫っていた手首の断面に、それは見事突き刺さった。瞬間。
棒は急激な膨張と伸長を果たす。それはまるで、植物が苗木から大木へむくむくと、早回しで成長するような光景だ。
あっという間に生い茂るそれは──銀杏の大木だ。大猿の手首に根を下ろし、わさりと梢を揺らして繁茂している。
銀杏の根は、大猿の腕の内側に潜り込んでいる。体内の痛点を探っているのだ。痛みの神経を刺激されたらしい猿が、のけぞりつつ絶叫をあげた。
「あらよっと!」
とっさに大猿の頭部へ二本目の棒を手裏剣のように射出しつつ、精一は飛び退った。いまにも地面へ倒れ伏しそうな体勢の禍隠の頭部に、もう一樹がむくむくと立ち上がる。新たな大樹から枝をしゅるりと蔦のように伸長させ、精一は素早くそれに掴まった。
その枝を鞭のようにしならせて。精一は勢いよく空中へ自らを投げ飛ばす。同時に大猿が地響きと土煙をあげ、百雷山正面に倒れ込んだ。
生草和呂多神の神籠の真骨頂である。この神籠は複数本の樹木に対する同時操作には限界があるものの、一本の樹木に対して操作を行う場合、無類の自由度を誇る。
精一の狙いは……大猿の創傷部、および鼻腔や口腔などから体内に樹木を侵入させ、痛覚を最大限に刺激し、五十槻や社殿へ危害を及ぼさぬよう足止めをすることだ。
精一は伏臥の体勢の禍隠上空を滑空し、進路上の木々を都度操作し手がかりや足がかりを作りつつ、時には蔦を伸ばしてそれ掴まって、縦横無尽の空中移動をこなしている。まるでニンジャだ。
なおかつ、植物の神籠は移動しながら、大猿の身体のあちこちへ棒手裏剣を打ち込んでいる。いくつかは順次発育させ、大猿の背中には徐々に銀杏の森ができあがりつつあった。体内に根が張っていく痛みと樹木の重量とで、大猿の動きが徐々に鈍っていく。
ふだんのちゃらんぽらんのスカポンタンぶりでは、とても考えられぬ活躍ぶりである。
「すごい……甲伍長……!」
「やればできる子だったんですね、やらないだけで!」
「おい式哨ども! キサマらはこっちに集中しろ!」
社殿では、お迎え小隊の式哨たちが甲伍長を見直している真っ最中だ。しかしこちらはこちらで禍隠の襲撃を受けている。よそ見している彼らに、獺越少尉からの叱咤が飛んだ。
「いい塩梅に密集してきたな……!」
万都里は社殿の欄干から、先刻から銃撃を繰り返していた。最初はちりぢりだった鳥の群れが、段々と一か所へ密集してきている。万都里が射撃で追い立てたのだ。なるべく群れが局所へ一塊になるように。
「ハッ! 鳥頭どもめ、戦術的な判断ができんと見える! おい中津! 頃合いだ、散弾を持ってこい!」
青年はそばに控えていた一等兵を呼びつける。中津は「はい!」と元気よく返事した。
かくして中津くんが恭しく差し出したのは……水平二連式の散弾銃である。
実包はすでに装填済み。万都里は銃を受け取ると、すぐに銃床をしっかりと肩と頬に当て、射撃体勢を取る。散弾の射程は、彼の普段使いの小銃よりもずっと短い。万都里はしっかりと獲物を引き付け、群れが射程に入ったところで。
引き金が引かれる。
だぁん! と破裂するような発砲音が響くとともに、目前に迫っていた禍隠の群れの大半が、一斉にギャアと断末魔の悲鳴を上げ、谷底へ落ちていった。
ふだんの軍務で、万都里は散弾を用いない。神域内にいる同僚たちや民間人への誤射を避けるためだ。
だが今回の迎撃戦は、散弾におあつらえ向きである。五十槻も精一も、射程範囲外にいる。
万都里は撃ち終えた散弾銃を中津へぶっきらぼうに放ると、「装填!」と一声かけ、得物を小銃に持ち替えた。そしてすぐに散弾の撃ち漏らしを仕留め始める。
社殿前の空域が、冷静な銃撃で制圧されていく中。
百雷の山頂上空では、かまびすしい光と音がせめぎ合っていた。
禍々しい花弁の如き赤光と、清らかな半色の光の奔流の真っ向からの衝突。その接点に──五十槻と美千流はいる。
「うぉおおおおおおお!」
五十槻は羅睺門の中心に軍刀の切っ先を突っ込み、喉も裂けよとばかりに叫んでいる。一見熱血極まりない様相ではあるが、本人の胸中はいたって落ち着いたもので、「発声した方が神籠の出力がよい」と判断してのことだ。
美千流はその背に必死で掴まっている。五十槻の首に腕を回し、令嬢は衝撃の余波で振り落とされないよう、しがみついていた。
しがみつきながら、美千流は決して神籠による止血を途切れさせなかった。出血部位は、主に脇腹と脚部。そこに意識を集中させて、脇目も振らずに。
羅睺門中心、軍刀の刺さっている箇所からは。再び放射状に紫の放電線が走っている。
いま、八朔の神籠を阻むものは何もない。大猿は甲精一の格別の働きにより食い止められており、社殿も獺越万都里の正確無比な銃撃によって守られている。
かねてよりの出血も止まっている。清澄美千流の、甲斐甲斐しい努力の賜物だ。
──皆が僕を生かそうとしている。
五十槻はうれしかった。皆が自分の生を望んでいることが。
そう思うと、ぐん、と体に力がこもる。祓神鳴神だ、と五十槻は直感的に理解した。神はなおも自らの裔に、神實に。
生きる力を、守るための力を与えてくれる。
神さまだって、僕の生を望んでくれている──!
「掛まくも畏き祓神鳴大神の大前に、神實八朔五十槻 恐み恐み白く!」
祝詞を哮る。荒々しく、濁った声音で。一段深く、軍刀の切っ先が門の先へ沈む。
──清浄なる霹靂あらわし 千早振る神寶の剣刀以て
「我が母、我が弟、我が友を! そして我が身命を!」
──神ながら守りたまえ!
紫の光芒がより鮮明に、強くまばゆい光を放つ。
少女は感じている。己の魂に、身体に、そして──右腕を通し、軍刀に伝わっていく不可視の力を。神聖な力の流れは、軍刀に宿るや冴え冴えたる電光と化す。
大御稜威だ。神の威徳は烈々たる雷を迸らせ、異界の赤光を圧倒し。
曇天下に極大の閃光が弾ける。まず赤、そしてそれを打ち消すように、紫が。
かくて五十槻は大輪の羅睺門を打ち破った。
芥子の花弁じみた光が、背後で細かな欠片となって消えていく。五十槻は美千流を背負ったまま神籠を解き、空中でふわりと後ろを振り返った。
「──やった」
五十槻の発したささやかな歓声に、美千流がおそるおそる目を開く。
令嬢もしかと確認した。さきほどまで山頂上空にどでんと鎮座していた、禍々しい存在が。
跡形もなくなくなっていることを。
「い……五十槻さん! すごいわ、さすが私の白獅子の君──!」
「わっ」
美千流はよりいっそう強い力で、愛しの少年を抱きしめた。
破壊に用いた雷撃の推進力のまま、少尉と令嬢は密着の体勢で上空を滑翔している。ばたばたと軍服の裾をはためかせつつ、ふたりは雲の間近を飛んでいた。
「清澄さん、危ないです。あまり不用意に体勢を変えては……!」
「もうっ、もうちょっと喜びなさいよ! 美少女がぎゅってしてあげてるんだから!」
厚かましさの極みをのたまいつつ、美千流はなおも五十槻の胸元に置いた手に力をこめる。
その美千流の手のひらに、思ってもみなかった感触が返ってきた。
むにっ。
「ん? いま……」
気のせいかしら? と美千流はひとまず、それを勘違いで済ませようとしている。
まさか──彼の胸に、自分のふくらみと似たような弾力があるだなんて。とてもそんなことは。
そんな一幕が、空高くで起きているとは知らずに。
甲精一は痙攣と奮起を繰り返す禍隠に都度対処しつつ、地上から羅睺門が破壊される一部始終を見ていた。
「やれやれ。これでひとつ、目標撃破と」
ふーやれやれ、とキツネはちょいと気を緩めている。こっちもこっちで、山ほどもある大猿を相手にバビュンバビュンにょきにょきとどえらい頑張っていたのだ。ちょっとくらい気を抜いても許されたい。
しかし許されなかった。
精一のすぐそばにある、黒い毛で覆われた山がもぞりと鳴動する。うずくまっていた大猿が再び動き出したのだ。
「……たく、仕方のねえ猿だ。こうなったら生草和呂多神さま、いっちょこのエテ公のケツアナに一本ぶちかまして……!」
アホが下品なことを神に冀おうとした、そのとき。バサバサと羽音を立てて、上空から黒い影が精一へ向けて飛来した。鳥の禍隠だ。
「! いけね!」
鋭い嘴でついばまれる直前。精一は大猿の身体に生やしていた樹から、しゅるりと一本枝が伸びた。精一がそれに掴まると、枝は凄まじい勢いで縮んでいく。あわやの窮地を精一は脱し、禍隠の嘴はむなしく空をつついた。
枝はそのまま精一の身体をぶん回して勢いをつけると、空高くへ彼を放り投げる。打ち上げられながら、精一はポケットからさらなる棒手裏剣を取り出していた。
──鳥どもはこのあたりにも身を潜めてやがるのか。厄介だな。
彼の眼下では、大猿が地に両の足をついて立ち上がるところである。全身に銀杏の森を生やし、頭部にも歪な大樹が根を張っている。
いま現在、精一は社殿から遠く離れた位置にいる。ゆえに鳥類の禍隠が飛来しても、万都里に援護射撃してもらうことは叶わない。
つまり、大猿と鳥、二種の禍隠に注意を払わなければならない。……と考えたところで、さっそくである。
「キョエーッ!」
「おわーっ、真後ろに!?」
甲精一、痛恨の不覚。彼が対処を思いつく前に。
がしっ。鳥の禍隠は、背後から精一の両肩をかぎづめで掴む。そしてすすーっとどこかへ運んでいこうとする。
禍隠が向かう先は。
「お、おいやめろ……!」
大猿の直上である。こちらに気付いたらしい大猿が、真上を見上げてにんまり笑った。そのまま口を大きく広げて、待ち構えている。
「くっそ、このまま俺を落としてもぐもぐごっくんってか! んにゃろう、そうはいくかバーカ!」
精一は持っていた棒手裏剣を振り上げる。が。
「!」
その手の甲に痛みが走った。嘴でつつかれたのだ。
ばたばたと赤い鮮血が散る中、持っていた木の棒は風に流されるまま、禍隠とは逆の方向へ落ちていった。肉が見えるほど深手を負った手をだらんとおろし、精一は「くっそ」と毒づく。
そして禍隠のかぎづめが、精一の肩から外される。
「ひぇっ──」
その身体は真っ逆さまに、禍隠の口腔へ──。




