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6-8


 百雷山(ひゃくらいさん)は別名を常雷(じょうらい)の山という。常に雷が鳴っているからだ。

 山は西方に切り立った断崖を有し、太華方面の海から吹く風を受け止めている。そうして生じた気流が雷雲を作り、この山へ常に雷をもたらしていた。

 当地における雷神信仰の発生も、ごく当然のことである。

 実際にこの地で目覚める神籠(こうご)は、雷の神通力を宿す。八朔の神籠だ。

 八朔の神籠は百雷山の山頂にある神奈備で、代々継承の儀を行う。

 山頂。険しい断崖にへばりつく様にして、祓神鳴神(フツカンナリノカミ)を祀る社殿が築かれている。基本的に悪天候の山なので、建立の際はたいそう苦労したらしい。本殿は、断崖からせり出すようにして設える懸造(かけづく)りという工法で建てられている。建物は床下を数多くの太い支柱によって支えられており、造り自体はかなり頑丈だった。

 その本殿の中で、継承の儀はいままさに執り行われようとしている。

 本殿東、断崖側に設けられた祭壇の前に、祝部(はふりべ)の正装に身を包んだ古田が(かしず)いている。

 その後ろ──豪華な敷物の上に、弓槻(ゆつき)は寝かされていた。赤子はよく分かっていない様子で、「あう」と喃語をつぶやいている。

 次代神籠の生母である和緒は、敷物の外に座らされていた。すでに目隠しも耳栓も付けている。真っ暗な視界の中、我が子の声も祝部の上げる祝詞も、彼女の鼓膜には不明瞭に、くぐもった音声で届いていることだろう。むろん、社殿の外で鳴り響く雷鳴も。

 本殿の西側に壁はなく、欄干があるだけで吹きさらしだ。

 欄干の前に、当代の神籠──五十槻は寝かされていた。床板の上に直に。傍らには軍刀が置かれている。

 五十槻は昏々と眠り続けている。軍服だけは改められて、まっさらな新品を着せられていた。

 顔にかぶせられているのは、白獅子の面だ。こちらも真新しいものである。

 すべては神事を穢さぬために。

 継母の和緒はこの場に継子がいることに、気付いていない。彼女が目と耳を覆ってから、五十槻は運び込まれたのだ。

 儀式に参加するのはこの四名だけ。

 ごぉん、と百雷山にひときわ大きな雷鳴が轟いた。同時に。

 山頂の上空に、赤く、不吉な光が現れる。光は社殿にまで達し、捧げられるように置かれた少女の顔の、白獅子の頬を撫でている。

 五十槻はまだ夢を見ている──。

 そのまぶたの内に映るのは。強い強い雷光に照らされる、隻腕の人影。


      ── ── ── ── ── ──


 五十槻は目を覚ました。

 薄暗い場所だ。複雑な木組みの天井が、五十槻のことを見下ろしている。

 顔には何かをかぶせられている。よく親しんだこの感触は、八朔の神籠の証である白獅子の面だろう。

 あたりに響くのは、雷鳴と、祝詞の声。

 五十槻は顔を左側へ傾けてみる。木造りの社殿らしき建物だ。奥には祭壇が設けられていて、その前で見覚えのある神官が、一心不乱に祝詞を唱えていた。祝部の古田一比古だ。祝部はこちらに背を向けていて、五十槻が覚醒したことには気付いていない。

 そして──祭壇よりもこちら側。豪奢な敷物の上に寝かされているのは、弟の弓槻(ゆつき)だった。敷物から少し離れた場所には、目に覆いをした継母、和緒の姿もある。

 状況を一瞥して、五十槻は理解した。

 

──継承の儀だ。これは。

 

 よくよく見れば、五十槻はこの場所に見覚えがある。なにせさっき夢の中で見たばかりだ。

 ちょうど五十槻が寝かされているところに、彼は立っていたはずだ。

 隻腕の人影──先代神籠、八朔(ほずみ)達樹(たつき)が。

 意識がはっきりしてくるにしたがって、五十槻の身体は命の危機を訴え始める。全身がだるい。身体が熱い。

 なにより左胸から脇腹にかけて、ずくずくと激痛がわだかまっている。むろん、銃弾を受けた場所だ。痛くて痛くてたまらない。

 けれど。痛いということは、生きているということに他ならない。

 ごぉん、とさっきから雷が絶え間なく鳴っている。百雷山はそういう場所だ。常雷(じょうらい)の山。八洲で最も猛き雷神、祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の住まうところ。

 空の上から、見覚えのある赤い光が社殿を照らしている。

 五十槻はゆっくりと身を起こした。赤光(しゃっこう)を浴びて、血潮に衝動が滾っているのを感じる。八朔の宿痾(しゅくあ)は、神籠本人が生命の危機に瀕していようがお構いなしである。だが今は好都合だ。

 少女は弟の方を見て微笑んだ。

 

「……悪いな弓槻。まだお前に、神籠の座を譲ってはやれないよ」

 

 よろめきつつ立ち上がる。軍刀を手に取り、略刀帯に吊る。

 そこでやっと祭壇前の祝部が、五十槻の目覚めに気付いたようだ。丸顔がこちらを振り返る。

 

「お目覚めになりましたか、御当代」

「お久しぶりです古田さん。僕はもう用済みですか」

「そのお怪我ですから、致し方ないかと」

「……継承の条件を教えて頂いても?」

 

 五十槻の問いに、古田は少しだけ、和緒の方を見た。五十槻の継母は、五十槻がいることにも、古田と会話を交わしていることにも気付いていないようである。弓槻の方を、はらはらした顔色で気にしているようだ。

 古田は厳かな口調で、五十槻へ告げる。

 

「条件は簡単です。この場であなたが絶命なされば、弓槻殿が八朔の神籠を宿します」

 

 本来、継承の条件は当事者である神實の一族には、明かしてはならない。

 けれど条件を明かしたということは、古田は五十槻の死を確実視している。祝部は当代の神籠の死を望んでいる。

 

「僕の死がお望みならば、意識を失っているうちに手にかければ楽だったものを」

「そうもいきません。条件は、もうひとつあるのです」

 

 古田は少し震える指先で、社殿の西側を示して見せる。吹きさらしの西の側面。天上から、赤い光が降り注いでいる。

 

「……当代の神籠は、禍隠と争った上で死ななければならない」

「やっぱり……」

 

 そうだろうなと五十槻は思っていた。

 祓神鳴神(フツカンナリノカミ)という荒っぽい神格については、その神通力を宿す身として、それとなく傾向を把握しているつもりだ。

 この神はそう簡単に神籠を次代へ渡さない。

 荒々しい戦いの末にこそ、次を選ぶのだろうと。

 

「残念ですが古田さん。今回の儀では、継承の条件はいずれも満たせません。なぜなら僕は死ぬつもりはない。生きなければ……果たさなければならないことがある──」

 

 五十槻は痛みを堪えてそう言うと、赤光へ向き直った。

 白獅子の面が赤く照らされる。

 紫の瞳の中で、瞳孔が異常収縮する。仮面の内に浮かべるのは、夜叉の笑みだ。

 面の奥から、五十槻はくぐもった声で祝詞を奏上する。


──(かけ)まくも(かしこ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの大前に

  神實(かむざね)八朔(ほずみ)五十槻(いつき) (かしこ)み恐み(もうさ)

  清浄(きよら)なる霹靂(かむとけ)あらわし 千早振(ちはやぶ)神寶(かんたから)剣刀(つるぎたち)()

  四海(よつみ)の外より(きた)禍隠(まがおに)どもの(ことごと)くを

  祓いたまえ 清めたまえ


 祝詞を奏し終えるのと同時である。

 がぁん、と大きな雷が付近に落ちた。五十槻の神籠ではない。天然の雷だ。

 すると社殿西側。吹きさらしの欄干の奥に、赤い光が閃いた。一つ、二つ、三つ。

 百雷の本殿を覗き込むように。三つの赤い正円が、百雷山の中空に発生している。

 

「門が……同時に複数……!」

 

 百雷山は常雷の山である。

 常に雷が鳴り続けるこの山は、磁場が不安定だ。

 そのせいだろうか。

 この山は実は、古来羅睺(らごう)の門が異常発生する──死地である。

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