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4-19

十九


「はぁ!? なんでだよ!」

 

──ことと次第によっては、八朔五十槻を西部第二連隊へ転属させる。

 

 突飛な提案に、綜士郎は素になって叫んでしまった。そんな群参謀へ、香賀瀬は余裕の笑みを絶やさずに続けて言う。

 

「ああ、安心してくれたまえ。彼は一号作戦になくてはならない神籠だからね。引き取るのは作戦が終わった後で結構」

「そういうことじゃない! なにをどうして、五十槻をあんたの部隊へ異動させねばならんのだ!」

 

 論理が飛躍している! と綜士郎は舌鋒鋭く少佐へ斬り込んだ。対する香賀瀬少佐は「別に飛躍でもなんでもない」と、卓向かいの青年へ冷たい双眸を向けている。

 

「彼は元々、私の兄が養育していたのだ、いわば私にとって甥も同然。だからうちで引き取るのが筋ってものだろう?」

 

 何を以て筋だと主張しているのだろうか。唖然とする綜士郎のとなりでは、荒瀬大佐が「そうきたか……」と小声でつぶやいている。

 

「香賀瀬少佐、それは……無理筋というものでは? 八朔少尉は対ラ一号作戦の終了後は、皇都の第一中隊への原隊復帰が決まっている。あなたの兄が彼を養育していたことと、軍の人事は関係ありません」

「藤堂群参謀。聞いた話によると、貴君はずいぶんと八朔の神籠に懐かれているそうじゃないか。せっかく兄が厳しく指導していたというのに、どうやら甘言やら餌付けやらで、だいぶ甘やかしてくれているようだね。誤ったしつけは軌道修正しなければならない。その役目を、兄に代わって私が負ってやろうというのだ。彼の上官としてね」

「論点をすり替えないでいただきたい。俺は、八朔少尉を西部第二連隊へ異動させることへの合理性を問うています」

「ははっ、合理性ね」

 

 香賀瀬の口許の髭が、嗤笑の形に歪む。少佐はこの論戦において、じつは特務群側を論破する必要など一切ないのだ。

 

「それじゃあ私の提案を拒否するといい。別に強制ではないのだ。だが──増援の話は当然白紙だ」

 

 少佐は卓の上の紙きれを手に取ると、ぴらりとこちらへかざして見せた。いかにも嫌味っぽい仕草である。綜士郎は憤然とそれを見据えている。式札に記された津々井陸相の達筆な署名が、じっと彼を見つめていた。

 つまるところ──香賀瀬少佐は、増援を出すにしろ出さないにしろ、どちらへ転んでも得のある状況を作り出しているのだ。その手にかざした、式札一枚によって。

 西部第二連隊が特務群に協力する場合。荒瀬と綜士郎は、少佐の出した条件を飲むことになる。おそらくはあれこれと難癖をつけて、五十槻の身柄を手元へ置く気だろう。香賀瀬庚輔少佐は、兄・修司と同じく、神籠外征転用派に属する人物である。

 逆に、協力しない場合。こちらの場合、寡兵に陥った特務群の苦戦を通して、司令部での転用派の強権を軍部内へ誇示できる。というか、単に香賀瀬と津々井による嫌がらせという面も大きいだろう。

 津々井孝之進陸軍大臣はおそらく、この状況を読んで香賀瀬少佐へ増援の拒否権限を与えたはずだ。

 くそったれだな、と綜士郎は腸が煮えくり返る思いである。

 神籠外征転用派は、以前から八朔の神籠を陣営へ所有したがっている。羅睺(らごう)の門を制御できる可能性を持っているからだ。

 そんな彼らの思惑によって、五十槻は歪んだ枠の内で、歪んだ人生を送ってきた。彼女のことを考えれば、当然増援を拒否してでも、綜士郎は香賀瀬の条件を飲むわけにはいかない。

 いかないの、だが。

 

「……さて、どう思う? 藤堂くん」

 

 いつの間にか、胸ポケットから煙草の箱を取り出して。手の中でそれを弄びつつ、荒瀬大佐が参謀へ可否を尋ねる。

 長考の末、綜士郎は大佐へ向けて、重々しく口を開く。

 

「……自分は、増援獲得に向け、香賀瀬少佐の査察を受けるべきかと」

 

 藤堂綜士郎としては、こんな話断固としてお断りだ。

 しかし、対ラ特務群における、参謀職としては──西部第二神事兵連隊を、なんとしても作戦へ参加させなければならない。それが特務群参謀としての見解である。

 皮肉なものだ。八朔五十槻を守るために軍に身を置いているも同然なのに、それをいまの立場がよしとしない。いまや青年の両肩には、五十槻以外の多くの者の安否までもが載せられている。

 綜士郎の胸中を、知ってか知らずか。荒瀬大佐も参謀の発言と同意見であったらしく、「だよね」と気さくな口調でにっと笑って見せた。その手元は、煙草を箱から一本抜き取っている。

 

「香賀瀬少佐。ご提案、謹んで受けさせていただくよ。神奈備への査察も、八朔少尉への査問も」

 

 言いながら大佐は、親指の先で煙草の先をシュッと擦る仕草。するとどういう芸当なのか、煙草からゆらりと煙が立ち上った。大佐は何事もなかったかのように、すっと唇に吸い口を近づけた。

 そして大佐はつつがなく喫煙。禁煙禁止の会議室に、ぷはぁと一服分の紫煙がゆらぐ。謹んで、などとのたまいつつ、態度としては全然謹んでいない。「荒瀬貴様! ノースモーキンッ!」と香賀瀬が客人の不遜に腰を浮かしかけたところで、綜士郎が口を挟んだ。

 

「神奈備での作戦への査察はご随意になさってくださって結構です。ただし、八朔少尉はそちらへ渡しませんし、増援は必ず出していただきます」

「やれやれ、聞き分けのない若造だ」

 

 少佐は肩を竦めて見せる。

 香賀瀬は驕っているのだろう。増援に向けた条件を飲めば、特務群は戦力維持のため、作戦後に八朔五十槻を差し出さねばならない、と。

 香賀瀬──いや、津々井をはじめとした外征転用派は、たしかに八朔の神籠や特務群を巡る政治の盤面では、有利に立っている。本来司令部を仕切っているはずの鞍掛少将が、指揮系統を掌握しきれていないのだから。

 だが、彼らには欠けている。神事兵として、神籠として。忘れてはならない「前提」が。

 

「ふふふ。香賀瀬少佐、大事なものを忘れているよ」

 

 荒瀬がなおも煙草をふかしつつ、幼い子どもへ諭しかけるかのように言った。気分を害された香賀瀬弟は、不快を露わにした眼差しで特務群の指揮官を睨みつける。

 

「失礼ですが大佐。浅学の当方にはいったい何のことだか思い当たりませんな。ぜひ、お答えをご教示いただいても?」

 

 慇懃無礼な敬語へ、荒瀬は「ぷふふ」と茶目っ気たっぷりに笑って見せた。

 

「あっはっは。おしえてあ~げない!」


      ── ── ── ── ── ──


 まあそんな受け答えをしたものだから、特務群のふたりはほとんど追い出されるようにして会議室を後にした。香賀瀬はふたりが退出するのを見届けるや、会議室の扉をピシャリと締め切ってしまった。

 ぷんぷこ怒って閉じこもる香賀瀬少佐に代わり、彼の副官が今後の予定を確認している。

 

「──というわけで、少佐のご都合を鑑みますと……八月十七日の、青登(あおと)川での任務が査察に最適かと存じます」

「青登川か……」

 

 綜士郎と荒瀬はちょっと顔を見合わせた。ふたりとも少し曇った表情である。

 とはいえ、香賀瀬少佐の招聘に差しさわりはない。綜士郎は副官へ「その日程で結構です」と、予定の確保を依頼した。綜士郎と同年代とおぼしき若い副官は、整った筆跡で予定を手帳に書き込んでいる。

 副官は名を、伊陸(いかち)万作(ばんさく)と名乗った。階級は中尉。連隊長副官は大尉階級の者が務めることが多いのだが、先ごろ前任の大尉が殉職したばかりらしい。

 

「あの、荒瀬大佐に藤堂大尉……」

 

 伊陸中尉は、抑えた小声でふたりへ口を開いた。神事兵の連隊長副官ということは、彼も神籠である。

 

「ここだけの話、自分たち第二連隊の神籠の多くは、対ラ一号作戦への協力を希望しています。少佐は八朔少尉の存在を理由に協力を拒否していますが、正直それは理由になりません。羅睺蝕発災時に、八朔少尉がここにいるとは限りませんから」

「ほう」

 

 青年は一瞬だけちらりと周囲をうかがう素振りを見せると、さらに抑えた声で告げた。

 

「少佐は中央との政治に躍起になられているようですが、対禍隠大量発生時の演習を怠って、迷惑をこうむるのは──自分たちと、地域の住民です」

 

 神事兵として、忘れてはならない「前提」。

 それは、庇護すべき民草の存在である。


「知らないんですよ、少佐は。前線に出ないので。なんの罪もない市井の人たちが、どんな風に禍隠に殺されているかなんて」

 

 声を潜めて皮肉をつぶやき、そして伊陸中尉はため息をひとつ、吐き出した。

 

「自分は特務群の理念に賛同します。神事兵はあくまで、禍隠を退治するための組織であるべきだ。近い将来、羅睺蝕なんて災厄が起こり得るかもしれないのに、陸軍内で内輪揉めしている場合じゃありません」

 

 きっと日頃の軍務の中で、思うところがたくさんあるのだろう。青年は手帳へ視線を落としたまま、不意にぐっと言葉を詰まらせて、それから暗い面持ちで告げた。

 

「おれのばあちゃんは、去年禍隠に殺された」

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