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23 魔王様の失敗作

魔族、人間、エルフ、ドワーフ間における、永久友好平和条約が結ばれてから三年。

世界は今日も平和であり、今なお魔族が暮らすホッドミミルの森は、かつてよりもずっとにぎやかになった。


なにせ、魔族の子供達はもちろんのこと、人間、エルフ、ドワーフが自ら観光に来るようになり、中には永住権を取得する者も現れたのだから、そりゃあにぎやかになるというものだろう。


種族を問わない子供達が、ユグドラシルの根元で歓声を上げながら駆け回っている。かつてを知る大人達にとってはいまだに信じがたい、夢のような光景だ。


そんな微笑ましい光景を横目に、私は改めて魔王城と呼ばれるようになった屋敷の私室で、ちくちくと縫物を続けている。

常にお世話役の私が一緒にいなくても、子供達はもうすっかり『お兄さん』『お姉さん』になっていて、自ら他種族の幼子達の世話を焼いてくれている。それを少しだけさびしく思う気持ちもあるけれど、それ以上にただ嬉しく誇らしいというのが本音である――――と、ふふ、と笑みをこぼした、そのときだ。


響き渡る扉のノック音。

どうぞ、と私が声をかけるのをきちんと待ってから部屋に入ってきたのは、魔王である私の伴侶であり、今となっては世界を平和に導いた立役者の英雄様ともてはやされている美貌の青年、リーヴである。


「お疲れ様、リーヴ」

「……うん、確かに疲れたけど、ティカの顔を見たら元気になった」

「あらお上手」

「もっと元気になるために、甘やかしてほしい」

「あらあら」


五十三年前の戦争において、魔族は人間側から勝利をもぎ取った。

その後の取引により、ラグナロクにおいてアースガルズ側に奪われていた魔族の故郷、ミズガルズが、魔族に返還されることになった。

とはいえそう簡単にその手続きが済むはずもなく、今もなおリーヴはアレソレの雑務にほうぼうを駆けずり回ってくれている。

私も可能な限り手伝ってはいるけれど、やはり元は人間であるリーヴ自身がやりとりしたほうが角が立たない部分は多く、結果としてリーヴは日々忙殺されているというわけだ。


だからこそ私は私だからこそできること、として、リーヴを甘やかしたくて、ぽんぽん、と腰かけているソファーのとなりと叩く。

ふらぁっと引き寄せられるようにやってきたリーヴは、ほとんど倒れ込むように私のとなりに座って、その頭を私の肩へと乗せた。


おやおや、これは重傷だ。

ついつい苦笑を浮かべてその頭を撫でると、気持ちよさそうにリーヴの紫電の瞳が細められる。子供扱いするなと言うわりに、こういうときのこういう行為は嬉しいらしいのだから、私が思っているよりも男心というものは複雑なものらしい。


そして私がまたちくちくと縫物を再開すると、リーヴはなんとも複雑そうな顔になって、私の手元を見下ろした。


「……それ、まだ完成しないのか?」

「そうねぇ、手を加えようと思ったらそれこそ際限がないものだもの。当分先かしら」

「…………俺はどんなドレスだろうと、ティカが着てくれるなら、絶対に誰よりも綺麗だと思う」

「ありがとう。まあこれも伝統だと思って、もう少し我慢してちょうだい」


くすくすと笑って続ければ、リーヴはむっすりと不機嫌そうに整った眉をひそめて、私の腰に腕を回し、横から抱きすくめるようにぎゅむ、と自身のほうへと私を引き寄せる。

こうなると縫物をしている場合でもなくなってしまうので、針山に針を刺して、私は大人しく彼に寄り添った。


そう、私が今、ちくちくと縫っているのは、一着のドレスだ。正確にはドレスではなくて、魔族における女性のための婚礼衣装と呼ぶべきものである。

誰のためのものか、だなんて今更問いかけるまでもない。

もちろん、リーヴとの結婚式のための、私の婚礼衣装だ。


「魔族の婚礼衣装は、あらゆる魔族の種族がたずさわって作り上げるものだから時間がかかるって何度も言ったじゃない。一応私は魔王なんだもの。余計に時間がかかることになるってことは、あなただって納得済みだったでしょう?」

「それは、そうだけれど。まさか三年経っても完成しないだなんて思わなかった。しかも魔族だけじゃなくて、人間もエルフもドワーフも、ティカの衣装に手を加えたがっているんだろう?」

「ありがたいことよね」

「……また結婚式が遠のいていく…………」


いっそ悲壮とも言えるような雰囲気をまとって、がっくりと肩を落とすリーヴに、思わず声を上げて笑ってしまった。恨めしげにじろりとにらみ付けられたけれど、怖いだなんて思わない。むしろかわいく思えて仕方なくて、私はもっと笑ってしまう。


リーヴの言うことはごもっともだ。

私とリーヴの婚礼衣装が完成しない限り、結婚式を実行に移すことは叶わない。つまり、私とリーヴは、『伴侶』ではあるけれど、『夫婦』ではなくて、『婚約者』という状態にあるわけである。


それもこれも、魔族の婚礼衣装が、先に述べた通り、あらゆる種族の手が加えられるものだからだ。

糸の準備から染色、織り、デザイン、刺繍、刺繍やレース、縫い付けられる貴石や宝石といった装飾。

数え上げればキリがない工程の一つ一つを、あらゆる魔族がそれぞれ担当して作り上げるのである。


特に私は魔王だからより手の込んだものが求められるし、子供達も「自分達も手伝いたい!」と主張してくれているから、まずは子供達が何ができるか、そしてそのできることについて何を教えるか、と考えるところから始まった。


加えて、世界を平和に導いた英雄リーヴの結婚式でもあるわけだから、魔族の婚礼衣装についての伝統を知った人間やエルフやドワーフが、「自分達もぜひ携わらせてほしい」とありがたくも申し出てくれたので、事態は想定よりもとんでもなく大きな企画になった。

今私が手を加えているのは、身体の線に合わせた微妙な微調整で、これが終わったらまた全種族混合の婚礼衣装制作班に引き渡すことになっている。


リーヴは当初は「ティカのためにそれだけ綺麗な衣装が用意されるのは嬉しい」なんて私よりもよっぽど誇らしげにしていたくせに、企画発案から三年経った今となっては、「もうなんでもいいから早く完成させてほしい」とあちこちに頼み込んでいるらしい。

クロムレックには「魔王様に関してまったく余裕のないところは本当に昔から変わりませんね」と鼻で笑われていた。そう言ってあげないでほしいものである。


「五十年も待ってくれたんでしょう? もう少しくらい……」

「五十年も待ったからこそだ。俺はもう、待ちたくない」


大真面目にそう言われてしまっては返す言葉もない。

けれど、それでもだ。


「大丈夫よ、リーヴ。私達には、これからがあるの。私はあなたから人間としての生涯を奪ってしまったけれど……ごめんなさいね。今はそれでよかったと思っているわ。だって今のあなたとなら、長い長い未来を、ずっと一緒にいられるんだもの」

「…………うん」


きっと私は、とても酷いことを言っている。

リーヴから私が奪ってしまったものはあまりにも大きくて、それでもなおそれをよしとしている私。

嬉しいとすら思ってしまっていることを、どれだけ謝れば赦してもらえるだろう。赦してほしい、だなんて、思えないことこそが、きっと……いいや、もっとも罪深いことなのに。


あの小さな少年は、こんなにも立派な青年になった。

あらゆる可能性がリーヴにはあったはずだ。

けれどそのすべてを、私はこの両腕で抱き締めて、もう手放せないでいる。


ごめんなさい、と小さく、かすれた声で呟くと、そっと私の頬に、リーヴの手があてがわれた。


「ティカ」

「……なぁに?」

「勘違いしないでほしい。俺は人生をティカに奪われたなんて思っていない。いつだってティカは、俺に与えてくれるばかりだった。命も。家族も。未来も。今の俺のすべては、ティカがくれたものだ」


そんなはずはない。それはすべて、リーヴ自身が、自分の力で手に入れたものだ。

それなのに彼は本当に嬉しそうに笑って続けるから、だから私は何も言えなくなってしまう。


「でも、一つだけ、ティカが俺から奪っていったものがある」


その言葉に反射的にぎくりとする。リーヴから目を逸らしたくなる。けれどそれは叶わない。

だってリーヴは、やっぱり何よりも誰よりも嬉しそうに、幸せそうに笑ってくれていたから。


その笑顔に見惚れる私に顔を寄せて、吐息すら重なる位置で、彼は続ける。



「俺の心」

「……!」

「ティカに奪われた俺の心は、もう絶対に取り戻せないものなんだ。たとえティカが俺に返そうとしてくれたってお断りだ」



ざまをみろ、とばかりにいたずらげに笑うリーヴの表情に、リーヴを引き取ったばかりのころのことを不意に思い出した。

いつだって無表情で、感情なんてどこかに置き去りにしてしまったようで、いつだってそこに抱かれていたはずの虚無は、もうどこにもない。

ぽっかりとあいていたはずのうつろが、まばゆい朱金で満ちているように見える、だなんて、あまりにも自意識過剰すぎるだろうか。


ああ、でも、それでもなお、リーヴがそう言ってくれるなら。

それなら、もう、私は。


「結婚式がまだ先になる件については、文句はあるし納得もまだし切れてないけれど、でも、俺も、今のままも悪くないとは、実は思ってる」

「……そう、なの?」

「ああ。だって、俺はティカと……リーヴスラシルと、もっと『恋人』でいられる時間を、大切にしたいから」

「…………ふふ、そうね。それはとても、素敵なことね」


そうして自然と重なり合った唇の甘さに酔いしれる。



――なるほど、私は子育てには大失敗したけれど、男を見る目だけは確かだったらしい。

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