第9話「到着」
深夜。
白鳳総合医療センターへ続く道路。
低い排気音が、夜の街に響いていた。
一台の黒いアメリカンバイクが、病院へ向かって走っている。
「……どーなってんねん、これ」
神崎玲司は病院を見上げた。
明らかに様子がおかしい。
口の中でガムを噛みながら、スマートフォンを見る。
「凪、あいつ……」
送られてきた内容をもう一度確認する。
白鳳総合医療センター。
白石美月。
探して合流してほしい。
「肝心な説明なんもないやんけ」
玲司は小さく息を吐いた。
バイクを停め、病院へ入っていく。
◇
副院長室。
美月は、一人で扉の前に立っていた。
――コン、コン。
ノックの音。
「……はい」
慎重にドアノブへ手を伸ばす。
ゆっくり扉を開ける。
そこには、一人の男が立っていた。
「……白石美月さん?」
「はい」
「あー、よかった」
男が軽く手を上げる。
「神崎玲司」
「神崎さん……?」
「凪から聞いてる」
「凪さんから?」
「そ。ここ来て、美月ちゃん探してって」
「美月……ちゃん?」
「嫌やった?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「ほな美月ちゃんで」
玲司がガムを噛む。
「で、凪は?」
「旧病棟に――」
その時だった。
廊下の奥から、足音が聞こえる。
三人の男。
その一人が美月を見つけた。
「――おったぞ!」
男が声を上げる。
「あれが白石や!」
「……え」
美月の表情が固まる。
玲司が三人を見る。
美月を見る。
「……美月ちゃん」
「はい……」
「知り合い?」
「違います」
「即答やん」
三人が一気に距離を詰める。
玲司は美月の前へ出た。
「凪……」
ガムを噛みながら、小さく息を吐く。
「ほんま肝心なとこ説明してへんやん」
「邪魔や!」
先頭の男が玲司へ拳を振るう。
玲司は首を傾けるようにかわした。
「うわ」
続けて二発目。
身体を沈める。
「危な」
「ちょ、神崎さん!」
「玲司でええよ」
「今それ言います!?」
「大事やろ」
男がもう一度踏み込む。
玲司は横へ逃げる。
壁際。
片足を壁につける。
「っし」
壁を蹴った。
身体を反転させ、その勢いのまま右脚を振り抜く。
――ドッ。
回し蹴りが男の側頭部を捉えた。
一人目が床へ崩れる。
「……一人」
玲司はガムを噛みながら、残った二人を見る。
「調子乗んな!」
二人目が掴みかかる。
玲司は近くのストレッチャーへ手をかけた。
――ガラッ!
「うおっ!?」
勢いよく押し出す。
男の足が止まった。
その一瞬。
玲司はストレッチャーに手をつき、身体を浮かせる。
両脚を振った。
――ドンッ!
二人目が壁へ叩きつけられる。
「二人」
残った男が懐へ手を入れた。
ナイフ。
「……それは聞いてへんわ」
玲司のガムを噛む音が止まった。
「神崎さ――」
「玲司」
「そこ!?」
「美月ちゃん、ちょっと下がっといて」
男がナイフを構える。
玲司は左手首を上げた。
腕時計の側面へ親指を添える。
――カチッ。
ガシャッ。
腕時計から、小型のスタンガンが飛び出した。
「……おお」
玲司自身が少し驚く。
男が踏み込む。
「死ね!」
「ちょ、待て待て」
玲司は身体をひねって刃をかわす。
懐へ潜り込む。
そのまま――
バチッ!!
「がっ……!」
男の身体が硬直する。
ナイフが床へ落ちた。
男が膝から崩れ落ちる。
「…………」
玲司はスタンガンを見る。
再びガムを噛み始める。
「凪、これええやん」
美月が恐る恐る近づく。
「それ……凪さんが?」
「そ」
「使ったことなかったんですか?」
「今日初めて」
「えっ」
「俺も今ちょっと怖かった」
――ウゥゥゥゥン。
サイレンの音が近づいてくる。
玲司が窓の外を見る。
「……お」
「警察……!」
「やっと来たんか」
◇
――病院裏口、駐車場。
「はぁ……っ」
クリスが短く息を吐いた。
周囲には、すでに十数人の男が倒れている。
それでも、まだ立っている男たちはいた。
「こいつ……!」
「一人やぞ! 囲め!」
クリスは構えを崩さない。
「……まだやります?」
「舐めんな!」
男たちが動いた、その瞬間。
――ウゥゥゥゥン!!
赤色灯が駐車場を照らした。
何台ものパトカーが次々と入ってくる。
「警察や!! 全員動くなァ!!」
警官たちが一斉に車から降りる。
その先頭。
坊主頭の大柄な男。
黒田源一郎。
その少し後ろ。
長身の男が無言で現場を見渡している。
神宮寺彪。
さらに、小柄な女性警官が続く。
雨宮るい。
「警部! 一人逃げます!」
「分かっとるわ!!」
一人の男が、警官たちの間を抜けようと走り出した。
「どけぇ!!」
「誰に言うとんねん」
源一郎が男の腕を掴む。
腰を落とす。
――ドンッ!!
綺麗な背負い投げ。
男が地面へ叩きつけられる。
「確保ォ!!」
「はいっ!」
警官たちが残った男たちを次々と取り押さえていく。
その中で。
源一郎の視線が、クリスへ向いた。
周囲には十数人。
源一郎は倒れた男たちを見る。
クリスを見る。
もう一度、男たちを見る。
「…………」
彪も横から見た。
「……あれ、一人で?」
「…………」
源一郎がクリスを指差す。
「お前」
「はい?」
「これ全部――」
「多分、僕です」
「多分!?」
源一郎の声が駐車場に響き渡る。
「お前、何者やあああ!!!」
「……病院の職員です」
「そういうこと聞いとんちゃうわ!!」
◇
「クリス!」
病院の裏口が開いた。
相馬が駐車場へ出てくる。
倒れている男たちを見て、一瞬言葉を失った。
「……大丈夫か?」
「拓海さん」
クリスが振り返る。
「はい。僕は大丈夫です」
「そうか……」
相馬が息を吐く。
それから、警察の三人を見る。
「副院長の相馬です」
「神宮寺です」
彪が前へ出た。
「警部補の神宮寺彪です」
「……相馬拓海です」
短く頭を下げ合う。
彪は病院を見上げる。
「相馬さん」
「はい」
「少し、話聞かせてもらっていいですか」
「分かりました」
◇
――旧病棟。
凪は、先ほどまで開かなかった扉の前にしゃがみ込んでいた。
豪が後ろから覗く。
「……開きそう?」
「ちょっと待って」
凪が手を動かす。
――カチッ。
「開いた」
「はや」
「褒めてええで」
「褒めてへん」
凪が扉を引く。
三人の表情が変わった。
「……なんやこれ」
扉の向こうに、部屋はなかった。
地下へ続く階段。
照明もない。
暗闇の中へ、階段だけが続いている。
豪が一段目へ足を出す。
「待て」
航が止めた。
「なんでや」
「今行く必要ない」
「めちゃくちゃ気になるけどな」
「俺も気になる」
「ほな行こや」
「だから行かへんねん」
凪が小さく笑った。
その時。
航のスマートフォンが震える。
画面には――美月。
「もしもし」
『航さん、警察来ました』
「……分かった」
航が地下への階段を見る。
「今戻る」
通話を切る。
豪はまだ暗闇を覗いていた。
「……閉めるん?」
「閉める」
「絶対なんかあるで」
「せやからや」
航が扉を閉める。
――ガチャ。
「ここは後や」
◇
副院長室前。
航たちが廊下を曲がる。
最初に美月が気づいた。
「航さん!」
「美月、大丈夫やった?」
「はい。私は――」
航の視線が、その隣へ移る。
ガムを噛んでいる男。
「……玲司?」
玲司が軽く手を上げた。
「お久しぶりです、航さん」
「久しぶりやな。なんでおんの?」
「それ俺が聞きたいんですけど」
「は?」
玲司が航の後ろを見る。
凪。
「凪」
「ん?」
「お前な」
「なに?」
「『病院来て、美月ちゃん探して』」
「うん」
「そこまではええねん」
玲司が床を指差す。
三人の男が倒れている。
「こいつらの説明、一個もなかったぞ」
「あー」
「あー、ちゃうねん」
豪が三人を見る。
「これ、お前やったん?」
「豪さんも久しぶりです」
「おう。で?」
「三人までなら」
「何が?」
「俺、三人までなんで」
豪が眉をひそめる。
「四人は?」
「逃げます」
「弱っ」
「豪さん基準で喋らんといてください」
凪が笑う。
「でも三人やったやん」
「結果論やろ」
美月も思わず小さく笑った。
その時。
「いたぞ! こっちだ!」
廊下の向こうから警官の声。
玲司が振り返る。
「……次は警察?」
豪が言う。
「四人以上来るで」
「ほな逃げよか」
「捕まるで」
「どないせえっちゅうねん」
◇
警官たちが近づいてくる。
「そこの五人! 動くな!」
豪が振り返る。
「五人?」
玲司が指を折る。
「航さん、豪さん、凪、美月ちゃん、俺。……五人やな」
「数えんでええねん」
先頭から源一郎が大股で歩いてくる。
「お前ら! ここで何しとった!」
航が一歩前へ出る。
「坂東航です。今回の件で――」
「名前はあとで聞く! まず全員こっち来い!」
豪が源一郎を見る。
「この人が仕切ってんの?」
「誰がこの人や!」
後ろのるいが答える。
「黒田警部です!」
「黒田源一郎や!」
豪が頷いた。
「源さんな」
「誰が源さんや!!」
「源一郎やから源さんやろ?」
「黒田警部と呼べ!!」
「分かった、源さん」
「分かってへんやろが!!」
凪が吹き出す。
玲司もガムを噛みながら笑った。
「豪さん、相変わらずやな」
「なんやねん」
「そこ! 笑うな!」
「俺?」
「ガム噛んどるお前や!」
「玲司です」
「名前聞いてへん!!」
るいが手帳を開く。
「えっと……坂東さん、真田さん、朝倉さん、白石さん、神崎さん……」
「雨宮!」
「はい!」
源一郎が、るいを見る。
一瞬止まる。
「……襟」
「え?」
「曲がっとる!」
「あっ」
慌てて直す。
「現場やからって制服乱すな! 警察官やろ!」
「はい! すみません!」
航が小さく笑う。
「……ちゃんとしてるんですね」
「当たり前や!」
◇
――病院内、待合スペース。
源一郎が椅子に腰を下ろす。
向かいには航、豪、凪、美月、玲司。
るいが手帳を構えていた。
「ほな、一人ずつ聞くぞ」
源一郎が航を見る。
「まず坂東。なんでここにおった」
「知り合いが、この病院について調べてまして」
「知り合い?」
「三浦っていう、うちの社員です」
「社員が病院調べるて、どんな会社やねん」
「普通の会社ですよ」
「普通の会社は深夜の病院調べへん!」
「まあ、それはそうですね」
「納得すな!」
るいが真剣な顔でメモを取る。
源一郎は豪を見る。
「で、お前」
「はい、源さん」
「黒田警部や!!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい」
「……お前、ほんま腹立つな」
凪が横を向いて笑いを堪えた。
◇
一方。
別の部屋。
彪は相馬とクリスの向かいに座っていた。
「襲撃が始まる前、病院にいたのは?」
「僕とクリス。それから坂東君たちです」
「坂東航」
「はい」
彪のペンが止まる。
「どういう人です?」
「……今回のことを調べてくれてる人です」
「警察でもないのに?」
「ええ」
「何を調べてるんです?」
「ライオン運輸です」
彪の目が上がった。
「……ライオン運輸?」
「はい」
「どうしてそこから、この病院に?」
相馬はこれまでの経緯を説明する。
三浦。
ライオン運輸。
そこで見つかった不審な動き。
そして、この病院。
彪は黙って聞いていた。
「……なるほど」
短く呟く。
「相馬さん」
「はい」
「坂東さんを信用してるんですね」
相馬は少しだけ間を置いた。
「信用しています」
「……そうですか」
彪は再びメモを取る。
「それと、もう一つ」
「はい」
「院長先生」
相馬の表情が止まる。
「……院長?」
「襲撃の間、姿を見てないんですよね」
「……はい」
「連絡は?」
「まだ取れていません」
彪は数秒黙った。
「……そうですか」
それ以上は追わなかった。
◇
しばらくして。
彪が待合スペースへ戻ってくる。
「警部」
「おう」
源一郎だけが残っていた。
るいは少し離れたところで書類を整理している。
彪が周囲を見る。
「…………」
「……あいつらは?」
「帰した」
「…………はぁ」
「なんやそのため息」
彪が源一郎を見る。
「……あいつら、返したんですか?」
「聞くこと聞いたからな。拘束する理由もないやろ」
「…………」
彪はポケットに手を入れる。
目薬。
上を向き、数滴。
「お前なぁ……」
「なんですか」
「人の顔見てため息ついて、そのあと目薬さすな! 腹立つわ!」
「目、乾いてるんで」
「知らんわ!!」
彪は目薬をしまう。
「相馬さんから、坂東さんたちのこと聞きました」
「ほう」
「……少し、気になります」
源一郎が彪を見る。
「神宮寺」
「はい」
「勝手なことすんなよ」
「…………」
「聞いとんのか!」
「聞いてます」
「ほな返事せえ!」
彪が歩き出す。
「……おい!」
足が止まる。
源一郎はその背中へ向かって言った。
「やるんやったら――」
一拍。
「バレんようにやれや!!」
彪が振り返る。
「どっちなんですか」
「うるさい! はよ行け!」
彪が小さく息を吐く。
「またため息ついたやろ!!」
◇
――翌日。
株式会社NEX。
航はデスクで資料を眺めていた。
旧病棟。
開かなかった扉。
その先にあった地下への階段。
結局、あの下には入っていない。
「航さん」
美月の声に顔を上げる。
「ん?」
「お客様です」
「誰?」
「昨日の……警察の方です」
「警察?」
入口を見る。
神宮寺彪が、一人で立っていた。
「……神宮寺さん」
「昨日ぶりです」
軽く頭を下げる。
「ちょっと、話いいですか」
「事情聴取なら昨日したけど」
「今日はそれじゃないです」
「じゃあ、何?」
「相馬さんから聞きました」
「……何を?」
「あなたたちが、ライオン運輸を調べてることです」
航の目がわずかに細くなる。
「拓海君、そこまで喋ったんや」
「ある程度は」
彪が航の向かいに座る。
「三浦さんという社員がライオン運輸で妙なものを見た。それを追って、あなたたちは白鳳総合医療センターまで来た」
「そう」
「でも――」
彪が航を見る。
「坂東さんは、ライオン運輸が何なのかまでは分かってない」
「調べてる途中やったからな」
「なら、一つ教えます」
「何?」
彪は少し声を落とした。
「ライオン運輸」
一拍。
「あそこは、獅童組と繋がってます」
「……獅童組?」
「昨日、病院を襲った連中です」
航が黙る。
「特定指定暴力団、獅童組。名前くらいは?」
「聞いたことはある」
「ライオン運輸は表向き、普通の運送会社です。ただ、獅童組の人間が出入りしてる。少なくとも、俺が追ってる範囲では無関係とは考えられない」
「……なるほどな」
三浦が見つけたB-24。
鬼塚。
ライオン運輸。
白鳳総合医療センター。
そして、昨日の襲撃。
点が、少しずつ繋がっていく。
「俺らはライオン運輸から追ってた」
「はい」
彪が頷く。
「俺は獅童組から追ってます」
「入口が違っただけか」
「多分――」
彪は静かに言った。
「追ってる先は同じです」
「…………」
「それを教えるために、わざわざ一人で会社まで来たん?」
「それもあります」
「それも?」
彪が黙る。
航はその反応を見る。
「まだなんかあるんや」
「……あります」
「言えへん?」
「今は」
「警察やから?」
彪は答えない。
航が少し笑った。
「警察の人間が、警察に言えへん話?」
「…………」
沈黙。
彪はポケットから目薬を取り出す。
航がそれを見る。
「昨日もそれ使ってたな」
「目、乾くんで」
「大変やな」
数滴。
目薬をしまう。
「とにかく」
彪が航を見る。
「ライオン運輸を調べるなら、獅童組を無視しない方がいい」
「分かった」
「それと、何か分かったら――」
「警察に連絡?」
「俺に」
航が一瞬止まる。
「……警察じゃなくて?」
「俺に」
「変な警察やな」
「よく言われます」
「源さんに?」
「主に」
航が笑った。
◇
少し離れたデスク。
水野がパソコンを操作していた手を止める。
ふと、隣を見る。
空席。
「…………」
事務所内を見渡す。
「美月ちゃん」
「はい?」
美月が振り返る。
水野は空いている席を見る。
「昨日から伊集院、見てないんだけど……」
「……伊集院さん?」
「うん。昨日もおらんかったよね?」
美月も伊集院の席を見る。
「…………」
「そういえば……見てないです」
「連絡あった?」
「私は何も」
「私もないんよな……」
二人の視線が、誰も座っていない席へ向く。
◇
――その頃。
大阪・京橋。
夜。
飲食店の看板が並ぶ、騒がしい通り。
酔客の笑い声。
店員の呼び込み。
その一角。
ごく普通の中華料理店。
店内では客たちが酒を飲み、厨房から鍋を振る音が響いている。
その奥。
一般客の席から離れた個室。
扉の向こうだけは――静かだった。
円卓。
料理。
グラス。
そして、一人の男。
男がスマートフォンの画面を見ている。
やがて、静かに伏せた。
伊集院。
顔を上げる。
円卓には――
五つの席。
その一つに、伊集院が座っている。
残る四つは、まだ空いていた。
その時。
――ガラッ。
個室の扉が開く。
伊集院が、そちらを見る。
誰かが入ってくる。




